「わ。お客さん……こんにちは」
「こんにちはー!」
「はい、こんにちは。君たちのトレーナーをお借りしていました」
佐久間はそう言って頭を下げる。キャスケットを斜めに被ったマチカネタンホイザはどこか驚いたように、ツインターボは元気よく挨拶をする。アプローチは違えど、さっきまで聞き耳を立てていたことをどこかごまかすような振る舞いであることは変わりなく、気にしていないという意思表示も兼ねて、にこやかに返す。
「えっと……あ、デジたんの……」
「ペルセウスの佐久間です。直接話すのは初めてでしたね、マチカネタンホイザさん。ツインターボさんもはじめまして」
「佐久間チーフは私の大学の後輩です。信頼できる人なので、安心していいですよ。ちょうどコーヒーを淹れていたところです。おふたりも飲みませんか。ちょうどみんなを交えて話したかったところなのですが……イクノさんは?」
「イクノはいつも通り購買で蹄鉄見てるよー」
「ネイちゃんの蹄鉄を選ぶんだそうで……イクノもどんどん先輩っぽくなってきましたねぇ」
マチカネタンホイザがそう言いつつ佐久間の斜め向かい──南坂のマグカップが置いてある席の隣に腰掛ける。余った佐久間の隣にターボがどっかりと座る。
「蹄鉄の話ならそこの佐久間トレーナーに相談するのもいいかもしれませんよ。彼の目は確かですから」
「ほんとっ!?」
ツインターボが食いついてくるが、佐久間は肩をすくめた。
「簡単なことしか言いませんよ」
「ご冗談を」
部屋の主である南坂は佐久間をそう茶化しつつ再びコーヒーケトルを加熱しながら、それぞれ別の柄のマグカップを手に取る。
「トレーナー! 両方たっぷりね!」
「ターボさんは砂糖とミルク両方たっぷり。タンホイザさんは砂糖だけたっぷりでいいですか?」
「あいっ」
ふたりの好み通りであるかを確認して、改めてコーヒーを淹れなおす南坂。やりとりを終えて視線を前に戻したマチカネタンホイザが机の上のファイルに気がついた。
「おや。その書類……まさかネイチャのエントリーシートでは?」
「えぇ、南坂トレーナーから紹介を受けました」
他のチームの生徒相手なので、敬語を崩さないままそう言う佐久間。直後マチカネタンホイザの目がキラキラと輝きはじめる。
「トレーナー!」
「さっきも言ったでしょう? 彼は信頼できる人ですって。人手不足のせいでカノープスで取れなくても、彼なら安心して預けられます」
佐久間が南坂を盗み見れば、ウインクして返す彼。どうやら佐久間を残したのはこの『念押し』をするためらしい。愚痴のひとつも言いたい佐久間だが、依頼していた調査の人件費を引いてもらったり、そもそも先輩である南坂の言葉は至極否定しづらい。
「まだ採用すると決めたわけではありませんよ。ポテンシャルが高く、ペルセウスの指導方針に合いそうであれば採用しますし、そうでなければ採用しません。それは南坂トレーナーの推薦であっても代わりませんよ」
そう言うと目に見えて膨れたのはツインターボである。
「むむむ~、とはいえ見てくれはするわけですねぇ」
その様子を察したのかマチカネタンホイザが会話に乗ってきた。
「南坂トレーナーに相談したのはマチカネタンホイザさんだと伺っています。知り合いなのですか?」
「もちろんなのでして! ナイスネイチャちゃん、ひっじょおおおに! 良い子なんですっ! ずっと3着だったり、くじ引きでも3等賞だったり、いろいろとおもしろーい子ではあるんですけど……ぴかっとくるところはホンモノなので!」
擬音と腕の動きが多いが、そんなことを言ってみせるマチカネタンホイザ。
「……あなたが思うナイスネイチャさんの『ぴかっとくるところ』を教えてもらえますか?」
「うえっ?」
いきなり逆質問がきて慌てたのか、マチカネタンホイザがオロオロと視線を泳がせる。助けを求めてだろう、南坂の方を見たが、彼は微笑むだけだった。
「えっと……ネイチャは、自己評価がちょっとだけ、小匙一杯分……じゃ、少なすぎか、お玉一杯分くらい足りないだけで」
「かなり足りてませんね」
思わず突っ込む佐久間。どんなサイズ感かはわからないが、お玉一杯分も調味料を突っ込んだら相当に濃い味である。
「なんですけど、実力はすごく安定してて、差し足はすんごいんです。ひゅばん! って飛び出してきて一気にぐわぁんって!」
半分腰を持ち上げるようにして、身振り手振りを交えてそう言うマチカネタンホイザ。
「選考会で1着になれたことはあんまりないんですけど、それでも毎回かちっと入着はしてて、雨でも風でも安定して3着っ!」
「でもネイチャは毎回3着なのを気にしてるんだ」
ツインターボがそう補足した。
選考会は公式戦ではないとはいえ、そのレースは将来を賭けた大切なものだ。トゥインクル・シリーズへの参加の条件である『URA認定トレーナーとの指導契約』を結ぶには絶好の機会なのである。故に皆全力でそれに挑み、その走りでトレーナーに見いだしてもらえるようにと走る事になる。
故に、そこで光るものを見せられればトゥインクル・シリーズにあっさりと進んでいくため、結果的に長期間選考会に残っている面々は『課題を長く抱えている面々』ということになる。
「ふむ……安定している、ということは頭打ちとも取れますが、それを突破できる奇貨を得られるかが鍵……か」
「あ……」
頭打ち、とのワードにどこかしまった、という顔をするマチカネタンホイザだが、佐久間はずっと笑みを崩さない。
「もしかして、ネイチャを取りたくないの?」
ツインターボはそういってじとっとした目線を向ける。
「ですから、それはナイスネイチャさんと決めるものですよ」
事実を淡々と告げるとマチカネタンホイザが俯きつつ、口を開く。
「あの……本当にすごい子なんですよ……?」
「ふふっ。それは十分彼には伝わってると思いますよ」
南坂がそう言いつつ全員の前にコップを置いた。佐久間のコーヒーも新しいものと入れ替えられる。
「それに、彼は情に篤い」
「そうでもないですよ」
肩をすくめるが、南坂は目を細めて笑う。
「……菊を采る東籬の下 悠然として南山を見る 山気日夕に佳なり 飛鳥相ひ与に還へる」
南坂がそう呟くのを聞いて、生徒たちが首をかしげる。ツインターボは砂糖を山盛り追加している途中だったが、動きを止めていた。続きを引き取ったのは佐久間だった。
「此の中に真意有り 弁ぜんと欲すれば已に言を忘る……たしか陶淵明でしたか」
「さすがですね」
「あなたが昔よく読んでいたのを覚えていただけです」
南坂は納得したような、満足したような表情を浮かべた。
「自然の良さを語ろうとも、言葉では語りつくすことができないように、その自然に誰もが求める何かを投影してしまうように、良いもの、響くものというのは語り得ず、気づきにくいものです。言葉にした途端に変質してしまう事もある。言葉が真実だとは限らない」
「……肝に銘じます」
佐久間は真剣な表情でそう答える。置いてきぼりだった生徒たちに気がついたのか、南坂はごまかすように笑いながら、話題を変えた。
「そうそう、一度聞いてみたかったことがあるんですよ。スペシャルウィークさんを現状唯一下したアグネスデジタルさん、彼女を育てたあなたから見て、スペシャルウィークさんはどう映りましたか」
両肘を膝に乗せ、指を組んで朗らかに笑う南坂だったが、その目だけが笑っていない。おそらく、これが本命の会話だ。
「……そうですね。底知れないウマ娘です」
さらりとそう言ってから、しばらく間を明け、にやりと笑った。
「単純なパワーが恐ろしい子ですね。余力がある走りをいつでも持ってこれることは大きな脅威です」
「なるほど。……佐久間チーフ、相変わらずそういう対応は下手ですね。本心を教えてください」
そのやりとりにツインターボが南坂と佐久間を交互に見やる。
「えっ、えっ……?」
「トレーナー……?」
マチカネタンホイザもどこか困惑したように南坂を見ている。それでも南坂は佐久間を見続けている。
「……本当に変わっていないですね、南坂先輩は」
「キミほどではありませんよ。まさか私がここで引くとも考えていないでしょう?」
「えぇ、だからこそ腑に落ちません。あなたらしくない。ターボさんやタンホイザさんの前でわざわざ切り出した理由はなんです? いつもの仮面までかなぐり捨ててまでここで話題を出す理由は?」
佐久間は南坂の会話に乗った。
「ターボさんも、イクノさんも、そのうちタンホイザさんも、スペシャルウィークさんとの激突は既に避けられません。どのチームも、どのトレーナーも、どの重賞ウマ娘も、スペシャルウィークさんを研究し、彼女を撃ち墜とさんと鎬を削ってきました。だからこそキミの意見には価値がある。現状彼女を止められたのはアグネスデジタルさんのみですから。それをキミは、その頭脳と目を持って判断したはずです。少なくとも私の知っている佐久間晃明はそういう男です」
南坂は組んでいた指を持ち上げ、顔の前で指を組んだ姿勢を取る。
「……それに私も、なりふり構っていられないんですよ」
それを聞いた佐久間が小さく溜息を吐いた。
「では、結論から言いましょう。彼女はおそらく、自己暗示かそれに近いルーティンをもってレースに対応している。彼女のレースは、スペシャルウィークによって展開されているものではない。レースを展開している人格と普段のスペシャルウィークの人格は別物です。別人と言って良いほどに乖離している」
「……どういう意味です?」
佐久間の声に南坂の片眉が持ち上がる。
「安田記念の後、一瞬だけスペシャルウィークと会話を交わしました。その時の言葉のイントネーションに違和感を覚えたので、少々調べていたんです」
「イントネーション?」
「彼女の出身が北海道というのはご存じですか?」
南坂が頷く。
「メイクデビュー前後のインタビューでは語彙も含めて北海道訛りでしたが、それが完全に関東アクセントでの発音になっていたんです。どうにも気になったので、レース勝利後のインタビューや取材記録など、スペシャルウィーク本人が喋っているデータを可能な限り収集し、テキストマイニングにかけました」
「てきすと……」
「……まいにんぐ?」
ツインターボとマチカネタンホイザが同時にそんなことを言う。補足したのは南坂だ。
「データ解析の方法のひとつです。どういう単語や語彙を多く使っているのか確認する手法ですね。それで、何が出ましたか?」
「毎日王冠の直後から、スペシャルウィークの語彙が急激に変化しています。シンボリルドルフ、もしくはフジキセキあたりがインタビューで使う語彙に近い。イントネーションも含めて変化したのは有馬記念です。ようやく関東に慣れた、というにはあまりにも急激かつ激烈な変化でした。特にレース直後のインタビューにそれらの傾向が顕著ですが、そうでないときも発言内容自体は明らかに変容しています」
佐久間の言葉を南坂は黙って聞いていた。マチカネタンホイザやツインターボはなんと言って良いかわからず、ただ顔を見合わせていた。
「有馬記念の直前には体調不良を理由としたジャパンカップ出走断念があり、スペシャルウィークはその期間中、グラウンドにはほとんど姿を現さず、陽室トレーナーの集中ライブレッスンを受けている」
「つまり、その間に陽室トレーナーがスペシャルウィークを洗脳し、彼女のささやきによってスペシャルウィークはレースを展開した……そう言いたいのですか?」
「洗脳と言うほど大げさなものではないでしょう。しかし、スペシャルウィークが望んだのか、陽室琥珀が許さなかったのかは別として、まるで
ウマ娘には、
しかし、ほぼ間違いなくウマ娘は領域を発動する鍵を持っており、それが不意に扉を開けてしまうのだ。
「スペシャルウィークが領域の地平を自由に飛び越える術を身につけたと我々は考えるべきでしょう。強さの根幹はそこにあると考えています。そしてそれを、スペシャルウィークは真の意味では理解していない」
「……陽室トレーナーが立案した手法であるがために、ですか」
佐久間は口の端を持ち上げた。佐久間が口にしにくい事柄を、南坂は正確に拾って埋めていく。
「私はスペシャルウィークを陽室琥珀による『理想のウマ娘プロデュース』の産物だと考えています。デジタルはスペシャルウィークの走りを見て『彼女の望んだ走りではない気がした』と言っています。『最強なのに、間違いなく望んだ走りのはずなのに、無表情で、無感動だった』と、相矛盾しているように聞こえる感想ですが、私はアグネスデジタルの観察眼とその感覚はたとえ論理的でなくとも信じるに値すると考えています」
「つまり……」
「スペシャルウィークの弱点は『陽室琥珀の理想を超えられない』ことにある。少なくとも安田記念まではそこが盲点であり、アグネスデジタルはその盲点を意図せずに突いた」
佐久間はそう言ってコーヒーに手を伸ばす。
「陽室琥珀がそのことに気がついていないはずもない……故に、対策に乗り出したと見るべきでしょう」
「だから海外に飛び出した……デジタルさんを利用し、それを理由にすり替えて」
「えぇ。……スペシャルウィークはこれまで張り子の虎
コーヒーを飲み干してから、佐久間は続けた。
「だからこそ、このように言うしかないんです。────スペシャルウィークは、底が知れないウマ娘です」
「……よく理解できました」
「よかった。こんな意見でも参考になればありがたいです……コーヒー、ごちそうさまでした」
「コーヒーでよければいつでもまたいらしてください」
佐久間は礼を言いつつ、ナイスネイチャの資料をブリーフケースにしまい背を向ける。
「──────佐久間君」
扉を出る前に呼び止められ振り返る。南坂が席を立ったところだった。
「論理的になればなるほど、創造性は失われる。……幸運を」
そう言って、南坂は右手の指を揃えこめかみに当てていた。佐久間は久々に踵を鳴らして直立不動の姿勢を取る。
「まだ幸運に頼らねばならないほどのデッドエンドではありません。南坂さんもお気をつけて」
そう言って答礼を返すと、佐久間は部屋を出る。スーツの襟を正し廊下を歩きながら呟いた。
「……せめて、手の届く範囲の安全は守らないとな」
アグネスデジタルやゴールドシップを取り巻く危機は去ったわけではない。それでも、立ち止まる訳にはいかないのである。
預かったナイスネイチャのプロフィールを見る限り、おそらく南坂トレーナーは本気で彼女を取るつもりだっただろう。それを盾にされては、こちらも情報を出さざるを得ない。
今から夏。アグネスデジタルはジャパンダートダービーを挟んで毎日王冠をジャンピングボードとし、天皇賞(秋)へと駒を進める。ゴールドシップはもうすぐそこに迫った宝塚記念からいくつかレースを挟んで、最終目標はジャパンカップ、人気投票で勝ち抜けば有馬記念の予定だ。スペシャルウィークがどのような戦略を取るにせよ、直接対決はどちらも避けられない。
「時間がないぞ、二人とも。なんとかするからついてこい」
誰もいない廊下にそう呟いて、佐久間は部室へと姿を消した。