生徒会長スペシャルウィークちゃん!   作:天宮雛葵

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カレンチャンは証明がほしい

「お前お前お前お前お前!!!」

「ギブアップだギブアップ!」

 

 背後からチョーク・スリーパーをかけられていた佐久間が、首に回ったゴールドシップの腕をタップする。

 

「佐久間チーフよぉ。生徒に『お兄ちゃん』と呼ばせるのは、流石に性癖が歪んでんぞ」

「も、もしかして本当に妹さんだったり……?」

 

 ナイスネイチャがフォローに入るが佐久間は苦虫をかみつぶした様な顔をする。

 

「俺にウマ娘の妹は居ない」

「お前お前お前お前お前!!!」

 

 再び喉元を締め上げられ、佐久間はやはり腕をタップする。

 

「ゴールドシップさん! お兄ちゃんをいじめないで? お兄ちゃんのことはカレンが呼びたくて呼んでるだけだからね」

「……説明、してくれるんだろうな」

 

 ワイシャツとネクタイを整えつつ汗を拭う佐久間。チーム一同から彼に冷たい視線が突き刺さる。

 

「前職の関係で、カレンチャンさんとは一度だけ面識がある。……覚えていたとは驚きだ」

「カレンって呼んで? それにあんなことされて忘れるわけないもん」

 

 そう言って柔らかく笑うカレンチャン。

 

「探したんだよ。6年間、ずーっと。何も言わずにいつの間にか居なくなってるし、お礼も言わせてくれなかったし」

「職務上の理由により、接触するわけにもいかなくてね。……もう身体は大丈夫なのか」

「うん」

 

 自分のお腹をさすりながらこくりと頷くカレンチャンを見て、ゴールドシップの目が三角に吊りあがった。

 

「お前お前お前お前お前!!! 洒落にもなんねーぞ!!!」

「誤解だゴールドシップ」

 

 いよいよ本格的に顔が赤くなり始めた佐久間が、ゴールドシップの腕の内側に手をねじ込んで気道を確保しにかかる。

 

「なにが誤解だってんだああん!?」

「彼女が巻き込まれた事案の初動対応に当たった警察官のひとりが私だったんだよ。私は理性というものを持ち合わせている。お前らが勘違いしているようなことは一切ない」

「あ、やっぱりお巡りさんだったんだね。あのときは『看護師の水野という者だ』って名乗ってたのにね?」

「トレーナーさん?」

 

 今度はアグネスデジタルが胡乱な声を上げる。

 

「あたしには警察官だって言ってましたよね?」

「……現場で犯人を刺激しないためにも看護師を名乗る必要があっただけだ。現場に居合わせたカレンチャンさんの身を守るためにも警察だと明かす訳にもいかなかった」

「じゃあ、カレンさんは……」

 

 ナイスネイチャが言うべきではなかったかとハッとしたようで、そこで言葉を切った。

 

「……6年前、東京宝塚劇場」

 

 カレンチャンがそう言った。

 

「あのとき、現場にいたのがお兄ちゃん、だよね?」

 

 やっとゴールドシップの手が首筋から離れた佐久間は答えなかった。ナイスネイチャやアグネスデジタルが心配そうにふたりを見る。

 

「爆弾を持ってるって言って、銃を乱射した人に銃を突き付けられながら、それでも撃たれたカレンの止血をしてくれたのは、お兄ちゃんでしょ?」

「否定したところで信じないだろう。……だが、これ以上の詳細についての開示は、国家公務員法第100条に規定される守秘義務に抵触する。ここから先の情報は警察庁長官の書面がない限り開示できないことになっている。すまない」

「カレンはあそこにいた当事者なのに?」

「当事者だからだ」

 

 佐久間は即答。顔の前で指を組んだ彼は続ける。

 

「君が探している水野孝三郎という男はもういない。ただ、消えたのだ。それ以上の情報を君は知るべきではない」

「それはなんで?」

「開示できない」

 

 重たい沈黙が落ちる。カレンチャンは佐久間から目をそらすことなく、続きを待つ。その沈黙が納得できないと雄弁に語っていた。佐久間は諦めたように、報道発表済みの範囲でだぞ、と前置きしてから口を開く。

 

「東京宝塚劇場立てこもり事件は、警視庁はおろか、警察組織全体にとって地下鉄駅構内連続テロ事件以来最大の汚点だ。しかしこの立てこもり事件を引き起こした極左系テログループ『赤派旅団』にとっても、決して小さくない打撃を与えている。犯人グループの幹部は今も全国各地の刑務所で服役している。……カルト的な人気を集めたまま、な」

 

 佐久間の目が冷える。

 

「関係者が逆恨みで襲われる可能性は否定できない。君もだ、カレンチャンさん。これ以上深みを覗く必要はない。深淵を覗き込んだ多くの者が、そのまま引きずり込まれ帰ってこなかった。訓練を受けた者でもそうだ。私は生きて戻ったが、それは単にラッキーだったからだ。君が同じ深淵を覗いたとして、そのまま君が君でいられる保証はどこにもない……君はこれ以上事件の事を知るべきではない」

 

 言い聞かせるように佐久間は淡々と続ける。

 

「君がどれだけ本気であろうと、本気であるからこそ、明かすことはない。理解してくれ」

 

 納得しろとは言えないがな、と自嘲するように笑った佐久間にカレンチャンがクスリと笑う。

 

「それでも、助けてくれたのがあなただって、カレンは知ってるよ」

「そもそも当事者と私のような警察官が会うこと自体が禁忌に近いんだぞ。どうしてわかった……と、聞くまでもないか。デジタルの記者会見後の騒動だな?」

「あー。かなり拡散されてたもんなアレ」

 

 ゴールドシップがのんきにそう口にした。

 安田記念の後、アグネスデジタルとスペシャルウィークが刺されかけた東京レース場刺殺未遂事件において、犯行現場で佐久間が犯人の無力化をしているシーンがスマートフォンで撮影され、流出したのだ。すぐに警察からメディアに通達が周り、地上波で使われることこそなかったものの、ネット上では拡散し放題になってしまったのである。

 

「うん。それもあるし、()()()()()に教えてもらったから」

「お姉ちゃん……?」

 

 佐久間は眉をひそめていたが、そのワードに思い至るところがあったのか顔色が青くなる。

 

「まさか、アレか!? 陽室琥珀のことを言ってるのか!?」

「せいかーい! お姉ちゃんはあれからずっとマメに連絡入れてくれるし。ついこないだ、『あのときの彼を見つけましたよ』って教えてくれたんだよ」

 

 カレンチャンの『お姉ちゃん』宣言でやたらとちんちくりんなトレーナーが頭に浮かび、露骨に嫌な顔をする佐久間。アグネスデジタルが恐る恐る手をあげた。

 

「えっと……陽室さんって、スペ先輩の……チームテンペルの陽室トレーナーですよね……?」

「うん。もともと家同士の交流があってね。時々連絡を取り合ってたの。東京宝塚劇場のときも一緒だったしね」

 

 そう返したカレンチャンに佐久間が頭を抱える。

 

「……個人の交友関係に口を出すつもりはないが、アレを手本にすることは推奨しないぞ」

「なんだ、陽室トレのこと苦手だったのか」

 

 ゴールドシップの質問に、佐久間が一瞬言葉に詰まる。

 

「……ビジネスパートナーとしては信頼している」

「もうっ、お姉ちゃんのこと嫌わないであげて? ふたりの仲が悪いとカレンは悲しいなぁ。お姉ちゃんはその、ね? 自分の好きなことに真剣で、でもそれ以外のことには全然興味が無くて、それからちょっと性格がアレなだけだから……」

「カレンチャンも結構ずけずけ言うな」

「だってお姉ちゃんだからね……」

 

 ゴールドシップの突っ込みにあいまいに笑ってごまかすカレンチャン。本格的に頭を抱え始めた佐久間を見て流石にかわいそうだと思ったのか、ゴールドシップが彼の肩を叩いた。

 

「まあ、なんというか……そんなこともあるさ」

「ありがとうよ慰めてくれて。……ってなんで首を絞める!?」

「お前今『ゴルシ様に慰められるなんて相当だな』って思ったろ! 他者の善意を馬鹿にするやつはこうだっ!」

 

 いい加減首締めから逃れるために無理矢理ゴールドシップを引き剥がす佐久間。そのやりとりにくすりと笑って、カレンチャンは続けた。

 

「話してくれてありがとう。あのとき助けてくれて、嬉しかった。カレンならわかってくれるって信じてくれたこと、嬉しかった。カレンはね、お兄ちゃんの背中、ずっと覚えてたんだよ」

 

 カレンチャンは佐久間のデスクを回って、佐久間の横に立った。佐久間を見上げる格好になったカレンチャンはまっすぐ彼の瞳を見つめる。

 

「だから、伝えたかったんだ。……ありがとう。私の運命の人」

 

 それを静かに聞いていた佐久間が、目を反らす。

 

「……君が生きていてくれてよかった」

 

 それを聞いたカレンチャンがどこか寂しそうな笑みを浮かべた。

 

「でもお兄ちゃんはカレンのことを見てくれないし、あのときのカレンのままだと、警察官としてのお兄ちゃんしか見せてくれないでしょ?」

 

 カレンチャンはパチンとウインク。

 

「だから、()()()()()()から始めよう?」

 

 佐久間は答えない。

 

「……だめ、かな」

 

 消え入るような声でそう口にするカレンチャン。佐久間は困ったように頭を掻いていたが、カレンチャンと正対するように立ち、姿勢を正した。踵を鳴らす音にビクリと肩をふるわせるカレンチャンの耳に佐久間の声が滑り込む。

 

「────()()()()()()。株式会社ペルセウス、代表取締役兼チーフトレーナーの佐久間晃明だ」

「────ッ!」

 

 顔を輝かせるカレンチャンはすぐにガバリと頭を下げた。

 

「はじめまして! カレンチャンです、よろしくお願いします!」

「本契約に進めるかどうかは、君のポテンシャル次第だ。1週間の仮契約を締結する。その間に実力を証明してみろ」

「はいっ! ありがとっ、お兄ちゃん! これからよろしくねっ!」

「おわっ」

 

 佐久間の腕を取るように飛びつくカレンチャン。驚きつつも、佐久間は脚を半歩下げるだけで受け止めた。

 

「あれだな、やっぱりさくまんはロリコンだな」

「誤解だ、ゴールドシップ」

 

 佐久間の否定はどこにも響かずに消えた。

 

 


 

 

 陽室琥珀のプリペイド携帯が着信を告げたのは、フランスの現地時間で朝3時を回ったかどうかのタイミングだった。寝ぼけた頭で携帯を叩き、通話を受ける。

 

「陽室です」

《ペルセウスの佐久間だ。八つ当たりするから(ツラ)貸せ》

「誰がそんな誘い文句で頷きますか。当然お断りです」

《カレンチャンの件だ》

 

 電話口の声は陽室の抗議に取り合わず本題を切り出してきた。渋々と軋む狭い簡易ベッドから身体を起こした彼女は溜息に続けて言葉を継ぐ。

 

「そもそも、貴方は日本とフランスの時差というものを理解しているのですか。明日はベルノを空港まで迎えに行かなければならないのですがね。泣く子も眠りに落ちるようなこの真夜中、わざわざ叩き起こされるのに値する要件であることを期待しますよ」

 

 電話口の男は黙っている。カレンチャンの件、というだけで伝わるものと思っているのだろう。実際伝わっているので問題はないのだが、陽室にとっては面白くもない。

 

「……それで、彼女はミスターのところに来ましたか。それはよかった」

《どういうつもりだ。俺を紹介したのは》

「私ですとも。正確には、ミス・駿川に対してミスターを推薦したのですが」

 

 みなまで言わせずに陽室は答えた。

 

「どうして、というのはミスターが一番ご存じでしょう?」

《だからこそ聞いているんだ。なぜカレンチャンを俺に引き合わせた? まさか東京宝塚の事を忘れたわけではあるまいな》

「まさか、どうして忘れられましょうか。……ふむ、紹介の理由ですか。彼女がスプリンターやマイラー向きのトレーナーを探していたから、というだけでは不足ですか? カレンのスプリンターとしての素質は目を見張るものがあります。決してGIレースも夢ではないでしょうが、ミスターのお眼鏡には適いませんでしたか?」

 

 マンスリー契約で借りたアパートメント、カーテンを開ければまだ外は寝静まっていた。辛うじて立てる程度のスペースしかないバルコニーに続く掃き出し窓を開ける。夜風が寝起きの身体をなぞり、眠気を拭って去っていく。

 

《カレンチャンの実力はすでに確認した。ペルセウス預かりになること自体にも不満はない。だが、お前の説明は大いに不足している。……わざわざ事件の記憶をえぐり出すようなことをする必要がどこにある?》

「────There are more things in heaven and earth, Horatio, Than are dreamt of in your philosophy.

《ハムレットか。確か1幕5場》

「本当に暗記しているのですね。呆れた努力です」

《レイモンド・バビットほどではないが、記憶力に不自由はしていないのでね》

「計算高いことで」

《そちらについては自信がないがね》

 

 その言い草に鼻を鳴らす陽室。この男と鞘当てをしていても時間の浪費になるだけだと思い直し、再び口を開く。

 

「……カレンには再起動(リブート)が必要なのですよ。カレンはまだあの事件に、あの空間に取り残されている。私の手には余る事態です」

 

 東京宝塚劇場立てこもり事件。

 

 極左系団体から派生したテロ集団のアジトのひとつに警察が踏み込んだ時にはもう遅く、犯人グループは劇場に立てこもり、収監中のリーダーの解放と国外亡命の手配を要求した。そんな要求が通るはずもなく、自爆する前提のテロ活動の現場に、カレンチャンと陽室琥珀は巻き込まれた。

 

 ふたりがいたのは客席中央のSS席。逃げ遅れたことと、陽室が元芸能人であることがバレた結果として、20名ほどの出演者やスタッフと一緒に人質にされた。警察との交渉が遅々として進まないことに業を煮やした犯人が、カレンチャンの脇腹をわざと急所を外して撃ったのは事件発生から4時間後のことだった。

 

 今後の切り札として有名人を撃ち殺すのは躊躇った犯人グループにとって、幼い子供であり警察も無視できないだろう彼女の命はタイマー程度のものだったのだろう。その状況で彼女の手当を始めたのが、いつの間にか会場の救護スタッフとして人質のなかに紛れ込んでいた、水野孝三郎と名乗った男──警察の関係者として犯行前に劇場内までたどり着いた2人の内の1人で、偽名を使っていた佐久間晃明だったのである。

 

「ミスター・佐久間、貴方はティーンの女の子のことを何もわかっていない。女というものを全くもって理解していない。貴方がカレンの治療をしながら、犯人との会話を続けていた間、カレンは貴方のことをずっと見ていた。機動隊が突入し、犯人の腕が吹き飛ばされるそのときまで、貴方の相方らしきウマ娘の警官から投げ渡された拳銃で制圧に加勢するその瞬間まで、ずっと見ていたのです。……誤解を恐れず言いましょう。貴方はカレンの英雄になってしまった」

 

 どこかオレンジがかかった街灯を見下ろしながら陽室は続ける。

 

「カレンに英雄は必要ないでしょう。貴方に悲運の少女も必要ないでしょう。それでも、あの事件のときの背中をカレンは追いかけている。彼女が心身ともに驚異的な回復力を見せ、ウマスタグラムの投稿ができるほどになったのは、間違いなく貴方を追いかけた成果です。実際、あの後カレンは合気道にのめり込み、今ではかなりの実力者です。それほどに貴方は彼女に影響を与えてしまった……貴方の罪の証が彼女でも、逃げることは許されませんよ。佐久間晃明警視正」

《……調べたな?》

「芸能界はパイプが作りやすい場所なのですよ。警察はマスコミと並んでその対象ですね。もっとも、私個人では最終経歴が警視庁警備部警護課の課長代理ということにされている情報にしか辿り着くことは叶いませんでしたが」

 

 電話の向こうは黙り込んでいる。

 

「実際には警視庁公安一課の係長や警察学校教官、兵庫県警公安二課課長などを歴任。警察大学校外事警察官初任課程では中国語、アラビア語、フランス語をさも当然のように習得し、情報収集の速度と精度もあり、付いた綽名が『学者』。最終経歴は警察庁の外事情報部国際テロリズム対策課課長補佐にして、国際テロリズム緊急展開1班班長。パリの連続テロ事件発生時は、外務副大臣と共にリエゾンとして送り込まれた経歴あり。公安畑を飛び回って対テロ活動の最前線に立っていた正真正銘のエリートキャリア……さながら絵に描いたような有能公安警察官ではありませんか」

 

 そこまで言って、陽室はこれ見よがしに大きな溜息を吐く。

 

「出世街道を突き進み、そのうち裏理事官か、はたまた官邸へ出向かと囁かれていたにもかかわらず、本人はあっさりとその未来を手放し、退官時に警視正昇任。『まさに警察官僚になるため生まれたような男だった』と澤田警視監が残念がっていましたよ」

《澤田警視監? ……あの狸、さらっと退職者情報を流してんじゃねえよ》

 

 男が悪態をつく。陽室はくすりと笑った。

 

「たまたまご縁がありましてね、今は道警本部長だとか。帯広に避難したタイミングでお会いすることができたのは僥倖でした。なんでも、貴方を懐刀として愛用していたと聞きましたよ」

《つくづく恐ろしいな。今度は何が出てくるんだ?》

「何もありません……と言いたい所ですが、警視監から伝言です。『私は君のことをトレセン学園に()()してもらったようなものだと捉えている。戻りたくなったらいつでも戻ってこい。いくらでも席は空けさせる』だそうです」

《『戻るかクソ狸』と一字一句違えず伝えとけ》

 

 元上司に対するあまりの言い草に声が漏れる。だが、電話口の向こうはさらに機嫌を悪くしたようだった。

 

《どうした》

「いえ、承知しました。……個人的なことを言えば貴方とは思想が相容れませんが、一方で私にとって命の恩人でもあります。感謝こそすれ、仇で返す理由もない。ただ、カレンのことを頼みますよ、ミスター」

《反りが合わないのはお互い様だ。……あの子については、契約の範囲内では保証するさ》

 

 その言葉に、空を仰ぐようにして陽室は返す。

 

「貴方は命を懸けすぎる。契約の範囲内でも十二分です」

《これは貸しだぞ》

「そうですね、借りひとつです。今後、チームペルセウスからのライブレッスン依頼は優待価格で受け付けますよ。ミスターのチームに所属するウマ娘は揃ってボーカルが得手ですからね、教える側としても心地が良いというものです」

 

 男は毒づきつつ電話を切った。どうやら本当に八つ当たりがしたかっただけらしい。

 

「……ホレイショー、天と地の間にはお前の哲学などには思いもよらぬ出来事があるのだ

 

 口の中で呟く。ハムレットの第1幕第5場、父親であるデンマーク王が毒殺されたことを亡霊に告げられ、狂気を装うことを決意したハムレットが、親友ホレイショーにそう告げた。

 

「カレン、私が協力できるのはここまでです。ここから先は、貴女の望むままに突き進みなさい」

 

 眠気が吹き飛んでしまったが、寝なければ朝に響く。陽室は珍しくアルコールを入れることにした。現地のスーパーマーケットで適当に買った缶ビールを開ける。カシュッと小気味良い音が部屋に響いた。どうせ運転免許は持っていないのだから、明日まで酒気が残る心配をする必要もない。

 

 ────だが、彼女はまだ知らない。こんな夜更けにビールを飲んでしまったせいで、かつてないほど盛大に寝坊することを。

 

 そしてその寝坊の結果、ベルノライトを巡ってとんでもない騒動に巻き込まれることも、彼女はまだ知らなかったのである。





 朴念仁なお兄ちゃん、酒カスなお姉ちゃん。

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