生徒会長スペシャルウィークちゃん!   作:天宮雛葵

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アグネスデジタルは言い訳がほしい

 深夜11時。わずかな例外を除けば全寮制となっているトレセン学園において、この時刻が栗東寮・美浦寮のどちらにおいても消灯時間を完全にオーバーしていることは今更言うまでもない。しかし今日に限っては、栗東寮の食堂に未だ明かりが灯っていた。

 

 寮2階の床面積の大半を占める食堂は、大勢のウマ娘が一斉に朝食や夕食を摂れる広さを誇っている。しかし今はテーブルが軒並み取り払われたうえで、本来眠りに就いていなければならないはずのウマ娘たちがこぞって──とはいえ、お盆期間のど真ん中なので、人数は少ないのだが──巨大なテレビの液晶を前に体育座りをしていた。

 

 規則違反を取り締まるはずの栗東寮長、フジキセキもその場にいたが、彼女たちを注意することはしなかった。食堂の入り口付近でどれだけのウマ娘がこの場にいるのか、この機に乗じてどさくさ紛れに外へ抜け出すウマ娘がいないかを確かめつつ、その視線はやはりテレビの方に向いている。おそらく美浦寮でも似たような光景が広がり、ヒシアマゾンがその目を光らせているはずだ。

 

 彼女たちがこうして食堂に、そして液晶の前に集まる理由は単純。すなわちスペシャルウィークが出走するジャック・ル・マロワ賞のテレビ中継観戦、あるいは応援である。

 

 トゥインクル・シリーズの開催期間中、毎週土日の昼から夕方にかけて、食堂のテレビ前にウマ娘たちが集ってレース中継番組を一緒に観るというのは一種の風物詩と化している。重賞の実況中継ならギャラリーの数はますます増えるし、GIともなれば広い食堂が埋まりかねないような人数が詰めかけることも決して珍しくはない。

 

 そしてそれは中継の対象が海外のレースであっても変わらない。とはいえ時差の都合もあり、リアルタイムでの視聴は大抵不可能なのだが……今回は話が少々違った。

 

 世界最高クラスのマイルレース、その一角たるジャック・ル・マロワ賞。そこに唯一日本から挑戦するのは、トゥインクル・シリーズ現役最強と称されるスペシャルウィーク。何としてでも中継で観たいという者が多くなるのも当然だったし、そんな生徒たちからの要望をフジキセキはあっさり受け容れた。以前にもURAからの遠征組が海外レースに出走する際には似たような措置を取ってきた故に、殊更却下する理由もなかったのである。

 

 それに今は夏季の全体合宿が終わった後のお盆期間で実家に戻っているウマ娘も多く、寮長サイドとしても比較的管理がしやすかったことが背を押した。寮に居るのは、実家に帰る理由がない子やどうしても東京に用事がある子──『この即売会に命をかけてるんですっ!』とトレーナーと謎の大喧嘩をしていたアグネスデジタルなど──が居るのみだ。テレビ観戦もイベントのひとつとして認めるべきだろう、というのがフジキセキの考えだった。

 

『さあ、昼下がりの太陽が燦々と輝く中、いよいよジャック・ル・マロワ賞の幕開けです。ドーヴィルレース場の芝1600直線一本勝負、昨年度の勝者はタイキシャトルでした。今年もたったひとり、日の丸を背負ったウマ娘が挑戦します。スペシャルウィーク、前走の雪辱を晴らして勝利を掴み取ることは叶うでしょうか』

 

 プリティーダービーチャンネルの現地中継映像がスペシャルウィークの姿を映すと同時に、食堂はどよめきと歓声で満たされる。それもそのはずで、スペシャルウィークの纏う勝負服が完全に一新されていたのだ。

 

『スペシャルウィークは今回のレースに向けて、勝負服を新調したとのことですが……これまでとはガラリと印象が変わりましたね。凛々しさが前面に出ています』

『全体的に赤色と白色がメインカラーとなっていますね。日の丸カラーを意識しているのかもしれません。全体的なデザインは戦国武将の陣羽織に近いものがあるでしょうか』

 

 これまでのどこかアイドル然とした勝負服とは打って変わった、和の要素を取り入れながらも正統派を外さずに格好良さと可愛さを両立した勝負服。四葉のクローバーを模した金飾りは、首元に移りながらもそのままの輝きを保っている。

 

 一般的に、1着目の勝負服についてはその製作費をURAがほぼ全額負担するのに対して、2着目以降の勝負服を作ろうとする場合は逆にウマ娘側の全額自費負担になる。競走中の負荷に堪える素材であること、装飾が華美であること、全身のコーディネートが一点もののオーダーメイドであることなどから勝負服の製作は高額になることをどうしても避けられず、わざわざ2種類以上の勝負服を用意する例はトップウマ娘でも珍しい。

 

 勝負服を賞品とする学内大会やスポンサーからの提供といった例外も一応なくはないが、今回のスペシャルウィークがそのどちらにもあたらないことは明白だった。安田記念の敗北を受けて準備したのでは到底間に合わない。恐らく、元々は宝塚記念か秋の天皇賞に向けて以前から準備していた勝負服なのだろう。

 

 故に勝負服のデザインを描いた当初は、そのお披露目が海外になることなど誰も予想していなかったのだろうが……その前提があってもなお、装いを新たにジャック・ル・マロワ賞へ挑む彼女の姿は、ずっと前からそうなることが想定されていたかのような『日本総大将』だった。

 

『なるほど。トゥインクル・シリーズを背負って海外に挑む彼女にはピッタリの勝負服だと言えそうですね! ……おっと、そのスペシャルウィークもゲートに収まっていきます』

 

 そんな彼女の姿を衛星放送越しに見ながら、フジキセキは周囲の誰も自分に視線を向けていないことを確かめてから深く溜息を吐いた。

 

 スペシャルウィークは敗北した。ハナ差の2着でアグネスデジタルに敗北した。

 

 それは間違いのないことだったが、それでもなおスペシャルウィークからは絶対の二文字が失われずにいる。かつて、シンボリルドルフが敗北しても絶対の二文字を失わなかったように。それがスペシャルウィークにとって良いことなのかどうか、ここ最近のフジキセキは迷いを感じていた。

 

『出走ウマ娘が全員ゲートに収まります。……スタートです! おっとこれはスペシャルウィークが完璧にスタートダッシュを決めたぞ!』

 

 ほんの数ヵ月前、フジキセキはスペシャルウィークの危うさをなんとか穏便な形で落ち着かせたいと考えていた。自らの持つ力に無自覚な少女が、組織のトップに座して独裁者として振舞うような未来は避けたかった。それは少女にとっても組織にとっても不幸でしかないからだ。

 

 リーニュ・ドロワットでの一件を経てからは、そこに新たな懸念が加わった。少女は自らの持つ力に無自覚ではなくなっていた。あのときフジキセキが懸念していたのは、偉大なる先達の独裁者によって少女が操り人形にされることだった。

 

『ハナを確保したスペシャルウィーク、逃げウマ娘たちの前に立ってそのまま譲りません! 直線1600m、この優位を維持できるか!?』

 

 あのとき生徒会室にまで足を運んだフジキセキに対して、シンボリルドルフは言った。

 

 ────誰の思惑によるものかという議論に意味はない。走り出したスペシャルウィークはもう止められない。彼女は生徒会長になるか否かに関わらず、学園を変えていってしまう。

 

 そう言葉を投げかけられて、フジキセキは毅然とそれに返答した。

 

 ────スペちゃんのことを君自身を超える()()だと考えているなら、自らの上位互換だと考えているのなら、ここで引き返すべきだ。君が成そうとしている理想は不自然だよ。

 

 少女が、スペシャルウィークが操り人形になるような未来は当然彼女のためにならない。あるいは彼女がシンボリルドルフの後を追い、その理想を継ぐ未来も同じだ。それが元々シンボリルドルフの理想で、スペシャルウィークがそれを分け与えられたということに変わりはないからだ。

 

 では、スペシャルウィークがその理想から完全に自立しているとすれば? 

 

『良バ場のドーヴィルを先頭で駆けますスペシャルウィーク、600mをなんと33秒台で通過! 自らの影を踏ませることなく中盤戦へ突入です』

 

 シンボリルドルフの後継者としてではない。スペシャルウィークが彼女自身の理想を掲げて陣頭に立ち、また頂点に立つ独裁者としての道を選んだとき……フジキセキには異を唱える資格こそあれど、それを止める義務はない。

 

 これまでのフジキセキがシンボリルドルフの専制に異を唱えつつも、ときには協調して学園の大事に取り組んだように、スペシャルウィークに対してもフジキセキはそうあるべきだ。

 

「……結局のところ、私はあの子の器を見誤っていたのかもしれない、か」

 

 現状のシステムにおいて、中央トレセンの生徒会長は普通の中学校や高等学校の生徒会長とは比べ物にならないほどの権力と責任、社会的な義務まで背負っている。スペシャルウィークにとって生徒会長職の遂行は決して不可能ではないだろうが、多くの苦労と大きな無理を背負った上での話になるだろうし、それは彼女の思想や人格を本来のものから歪めかねない、そう考えていた。

 

 だが、今やスペシャルウィークが庇護されるだけの少女ではない事実は白日の下に晒されている。安田記念の記者会見、心無い質問を記者に浴びせられたアグネスデジタルに対して、スペシャルウィークは毅然と彼女の前に立った。

 

 スペシャルウィークの言葉には説得力があったし、凄みがあった。誰も見たことがなかった怒りという色を彼女に乗せるだけで、ここまで別人のようになるとはきっと多くの者が予想しなかったことだろう。フジキセキからしても、ドロワットの一件はシンボリルドルフの影響が大きいと思っていただけに、その衝撃は大きかった。

 

 スペシャルウィークは生徒会長に相応しい自分を理性的に演じられるだけではない。感情に任せて動いても、今の彼女が口にする言葉は責任ある強者のそれなのだ。

 

『スペシャルウィーク後続に競り合うことすら許させない、先頭のまま残り3ハロン! これはダービーの再来か、それとも安田記念の再演か!?』

 

 シンボリルドルフの言葉は正しかった。生徒会長になるか否かに関わらず、スペシャルウィークを中心として今後数年のトレセン学園は動いていくのだろう。であれば、これから変えるべきは個人ではない。システムだ。

 

 生徒会執行部に、ひいては生徒会長に権力が集中しすぎないように。決してスペシャルウィークのためだけではない、彼女の後に続く未来のトレセン学園生徒会長のためにも、理性ある天才でなければ回せないシステムを放置していてはいけない。

 

 卒業まであと1年もないフジキセキが未来の学園のためにできることはそのくらいだ。他には……せいぜい、個々人に対するメンタルケア程度。

 

『行くのか、このまま行くのか!? 高い壁を超え、スペシャルウィークが欧州マイル戦線に風穴を開けるか!?』

 

 スペシャルウィークの同期たち、いわゆる黄金世代組の様子にはできる限り目を配っている。その中でもセイウンスカイについては、フジキセキ自身が春の天皇賞を前にして焚きつけた部分も大きい故に殊更配慮するようにしている。とはいえセイウンスカイの性格についてはある程度理解しているので、直接会って話すというよりは彼女のトレーナーやチームメイトに協力を頼むような形になるのだが。

 

 特に安田記念が終わってしばらくは本当に酷かったらしい。伝聞形なのは、その間フジキセキがセイウンスカイを一目見ることも叶わなかったからだ。

 

 ヒシアマゾンによれば外出はおろか食事と入浴以外でろくに自室を出ることすらなかったらしく、日によってはそれすらなおざりな有様で、結局スマートファルコンに一度無理やり引きずり出してもらうことでなんとか解決を見た。その後はちゃんと学園の授業にも出席し、再びレーストレーニングに取り組んだり、同じくチームメイトのアドマイヤベガと夜中の天体観測に出かけたりと、メンタル的には復調傾向にあるようだ。

 

 ……スペシャルウィークは、恐らくセイウンスカイの現状を知らないだろう。そしてそれを知らないスペシャルウィークはとても正しい。トゥインクル・シリーズで輝くために、彼女の言う日本一のウマ娘であるために、自分の下にいる者をわざわざ覗きこむ必要はないのだ。上だけを見て走っていけばいい。

 

 けれども彼女が生徒会長という立場になったとき、もしも自分の下にいる者のことについて何も考えていなければ。あるいは、()()すらしていなければ────

 

 フジキセキのそんな思考は、食堂中のウマ娘たちが発した大きな歓声の嵐に掻き消された。

 

『圧勝、圧勝だ! スペシャルウィーク、後続に3バ身差をつけて文句なしの完勝です! 太陽のような緋色をなびかせながら、ヨーロッパ中のウマ娘を相手取ってスペシャルウィークここにありと示しました! GIジャック・ル・マロワ賞を日本のウマ娘が2年連続で制する快挙、スペシャルウィークやはり強かったッ!』

 

 スペシャルウィークが海外でも勝った。その事実自体には、正直なところそこまでの驚きをフジキセキは抱かなかった。それよりも、あくまで映像越しでしかないが……彼女には、スペシャルウィークの走りが前走に比べて随分と余裕のないものに見えた。

 

 きっと、それこそが望ましいものだ。

 

「おめでとう、スペちゃん」

 

 自然とこぼれた賞賛の言葉に、自分でも苦笑する。やはりスペシャルウィークは強いし、その走りは誰かに希望を届けてくれる。これからも彼女がそうあることができるように地盤を整えるのが先達たるウマ娘の役割だ。

 

 本来ならばここまでで寮内応援会は切り上げ、ウマ娘たちは自分の部屋に戻って即時消灯の予定だったのだが、この後に控えているインタビューと記者会見も見たいという寮生一同の感情がフジキセキにはこれでもかというほど伝わってきたし、それを拒否するほど彼女は無粋ではなかった。規則破りには厳しいはずの寮長が何も言わないと察したウマ娘たちは、未だ興奮冷めやらぬ様子でテレビの周辺を陣取り続ける。

 

 丁度よく中継のカメラが切り替わり、仮設のインタビューエリアが映し出された。ほどなくして、息を切らせた様子のスペシャルウィークが歩いてやってくる。そばには彼女のトレーナー、陽室琥珀の姿も見える。

 

『Mme Spécial Week, félicitations pour votre victoire. Comment vous sentez-vous maintenant?』

 

 インタビューエリアに彼女が着くなり、フランス語での質問が飛んだ。慌てた様子で通訳スタッフが飛んでくるが、それを待つことなくスペシャルウィークが口を開く。スタジオの実況アナウンサーが慌てて代わりに訳しはじめ、『スペシャルウィークさん、優勝おめでとうございます。今はどんなお気持ちですか』と言い切る前にスペシャルウィークの声がスピーカーに乗った。

 

『Merci beaucoup! Je crois que j'ai pu donner le meilleur de moi-même, à ma façon. Je suis vraiment heureux d'avoir gagné ici en France』

『ありがとうございます。私は勝負できました、えー、今出せる精一杯の力で。私は勝てたことを、このフランスで勝てたことを嬉しく思います』

 

 すらすらとフランス語で返答するスペシャルウィークにどよめく寮生たち。その中にちらほらと見えるスペシャルウィークの友人知人も、彼女がいつの間にフランス語を身に付けたのか疑問を抱いているようだった。

 

 とはいえ流石に発音には拙さが残るし、返答自体を詰まらせることはしなかったものの、インタビュアーの質問からいくらか間を空けての返しだった。きっと事前に用意しておいた定型文だったのだろう、とフジキセキは察することができた。

 

 インタビュアーの隣に立つ通訳スタッフを置き去りにして会話は続く。実況アナウンサーも本業ではないなりに必死に通訳をしているため、何もわからないままに終わることはなかった。

 

『Enfin, si vous deviez citer un facteur qui a contribué à votre victoire cette fois-ci, quel serait-il?』

『最後となりますが、あなたが今回の勝因を挙げるならば、何でしょうか?』

 

 インタビュアーがそう言って、スペシャルウィークにマイクを向ける。これまでは2秒か3秒で返事を返していたスペシャルウィークだが、その質問には若干考え込むような仕草を見せた。

 

『Et……Bah……』

 

 たっぷり10秒は考えてから、スペシャルウィークは言葉を発した。

 

『J'ai pu gagner parce que vous étiez tous plus faibles qu'Agnes Digital!』

 

 しん、と食堂が静まった。この場にいる者のほぼ全員はその文章を理解できなかったが、間違いなくひとつだけ聞き取れたワードがあったからだ。

 

「……アグネスデジタル?」

「アグネスデジタルって言ったよね、今」

 

 そんなささやきと共に、食堂中の視線が一点に集まる。もちろん言うまでもなくその視線の先は、隅の方でひっそりと行儀良く体育座りをしていた、桃色の髪が目立つ小柄なウマ娘だった。

 

「……あ、あの」

 

 居心地の悪すぎるその視線に、アグネスデジタルが何かを言おうとしたタイミングだった。

 

『……私は勝ちました。何故なら、今日戦った誰もがアグネスデジタルより弱かったからです』

 

 これまでよりも数秒遅れで、そして気のせいかこれまでよりも数段慎重に聞こえる声で、アナウンサーがスペシャルウィークの発言を日本語に訳して電波に乗せた。

 

 食堂の空気が凍りつく。

 

「えっと、あの……その……?」

 

 一方、アグネスデジタルは内容が理解できずに戸惑うままだ。もちろん彼女が日本語に訳された言葉を理解できないわけではないが、耳から流れ込んだ音の意味を彼女は咀嚼できていなかった。

 

 片やテレビの中継映像には、今の発言は流石にまずいと考えたのか、陽室がスペシャルウィークの前に割り込んでいるのが見える。彼女の口から飛び出したのは日本語だった。

 

『失礼、スペシャルウィークのトレーナーとして補足させていただきます。誠に残念ながら、本日は名に聞こえし欧州の強豪ウマ娘がレース場に誰一人いらっしゃらなかったようですので、ムーラン・ド・ロンシャン賞では()()()()()()()()()ことを期待しております。……ああ、フランス語は苦手なものでして。一言一句違わず、しっかり訳していただければと存じます』

 

 むしろこれでもかと言わんばかりの勢いで火に油を注いでいた。

 

「……きゅう」

 

 ついにアグネスデジタルがぱたりと倒れる。

 

「デジタルちゃん!?」

「デジタルちゃんしっかりー!」

「だれか医務室とトレーナーに連絡入れて!」

 

 ウマ娘たちの声が響く中、アグネスデジタルはそのまま意識を手放したのだった。

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