生徒会長スペシャルウィークちゃん!   作:天宮雛葵

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ムーンライトルナシーは道標がほしい

 日本、深夜。都内某所のアニメ制作スタジオで、つい先程まで残業に追われていた二人の男性が仕事そっちのけでタブレットの映像を覗き込んでいた。そこに映し出されているのは、他ならぬパリでまもなく出走となるムーラン・ド・ロンシャン賞の中継映像だ。

 

「ムーラン・ド・ロンシャン賞の特徴は、なんといってもパリロンシャンレース場で行われるレースだということにある。しかも凱旋門賞と同じ大コースだ」

「どうした急に」

 

 突如解説を始めたメガネの男性に、パーカーの男性が冷静なツッコミを入れた。

 

「これまで日本のウマ娘たちは海外に挑み続けてきたが、未だにこのレース場で開催されるレースにおいて1着を獲ったウマ娘はいない。日本勢にとって大いなる鬼門だと言っていい」

「確かにな……今日のスペシャルウィークか、来週のフォワ賞を走るエルコンドルパサーか、どちらか一人が勝つだけでもトゥインクル・シリーズの歴史に残るわけだ」

 

 彼らが口にした言葉は的確だった。メガネの男性はなおも続ける。

 

「凱旋門賞の序盤800m、長い登り坂になっている直線部分のほぼ全てをカットした残りの1600mがムーラン・ド・ロンシャン賞のコースだ。中山や淀に優るとも劣らない急坂の大半がカットされることを考えれば凱旋門賞よりも負担はかなり少なくなるが、その次には同じくらい急な下り坂のコーナーが待ち受けている。なんとかそれを無事に突破しても……」

「フォルスストレート、偽りの直線か。直前が下りなこともあって勢いもつくし、どうしてもそのまま最終直線まで突っ走りたくなるが……ここで全力を出しすぎると最終直線でスタミナが残らない。坂を登って下りるための脚力と持久力、そしてなにより冷静な判断力が大切ってわけだ」

 

 互いに頷きあう二人。スタジオに彼ら以外の人影はなく、その会話に待ったをかける声はどこにもない。

 

「……あの子たちも、今ごろ同じように応援してるんだろうな」

「正直、ちょっと寂しいが……そもそも俺たちみたいな社会人の男二人が小学生の女の子たちと顔見知りになって遊んでたこと自体がちょっとマズいもんな」

「親御さんに挨拶されたときは死を覚悟したぞ、割と本気で」

 

 冷や汗を流しながらメガネの男性が言う。

 

 実際には『普段から面倒を見てくださっているとのことで、これからもあの子たちをよろしくお願いします』と丁寧に感謝されたうえ、なぜか揃って連絡先まで交換することになったのだから、人生とはわからないものである。

 

「しかもそれがあのサトノホールディングスの社長だったんだもんな……いや、確かにダイヤちゃんの名前を初めて聞いたときにちょっと引っ掛かったけどさ、まさか本当に本物のサトノホールディングスのご令嬢だなんて想像しないだろ……」

「キタちゃんにしたって、まさかお父さんがあんなに有名な演歌歌手だとは思わないよなあ……」

 

 どこか遠い目をしながら語り合う彼ら。

 

「あの二人もきっとトレセン学園に行くんだろうな」

「確か六年生だし、行くならもう来年じゃないか? 特にキタちゃんはだいぶ背が伸びてたし、あれが本格化の始まりってやつなんだろう」

「……もし二人が立派に頑張ってトレセンに入学してさ、それでレースに出るってなったらどうする?」

 

 パーカーの男性にそう問われて、メガネの男性は即答した。

 

「俺たちのやることはいつも決まってる。トゥインクルを走るウマ娘たちを追いかけて、応援する……そうだろ?」

「……だな!」

 

 


 

 

「ミス・スペシャルウィーク」

 

 すっかり慣れた呼ばれ方ではあるが、その声はスペシャルウィークが初めて聞くものだった。

 

 凛とした声にスペシャルウィークが振り返ると、ドレスモチーフの勝負服を身に纏うスタイルの整ったウマ娘がそこにいた。トレードマークの帽子とあざやかな赤色の瞳は、スペシャルウィークが見た映像の中の姿と寸分違わない。

 

「はじめまして、ムーンライトルナシーよ」

「……こちらこそ、はじめまして。スペシャルウィークです」

 

 今年のムーラン・ド・ロンシャン賞には、マイルが得意距離とは言えないウマ娘がふたりも出走登録し、そしてレース当日のターフにも立っていた。言うまでもなく、スペシャルウィークとムーンライトルナシーのことだ。

 

 スペシャルウィークはまだいい。これまでマイルのGIで結果を残してきたし、彼女にとってマイルとは得意距離でないと同時に苦手距離でもないからだ。そして何よりも、彼女はマイルという距離を自らのものとするためにこの欧州遠征に臨み、そしてジャック・ル・マロワ賞とムーラン・ド・ロンシャン賞を走りにやってきたのだ。

 

 だが、ムーンライトルナシーは違う。シニア5期目という引退していても何らおかしくないキャリアの長さ、しかしそのキャリアでマイルレースを走った経験は皆無。挑むとしても凱旋門であろうと予想されていた彼女がムーラン・ド・ロンシャン賞を選択した理由を、あらゆる関係者は掴みかねていた。

 

「レースの直前で申し訳ないけれど、貴女には言っておかなければならないことがあるの」

「お聞きします」

「今日、私はムーラン・ド・ロンシャン賞を走るためにやってきたのではないわ。貴女と走るためにやってきたの、ミス・スペシャルウィーク」

 

 ムーンライトルナシーの言葉にゲート周辺の雰囲気が変わる。彼女に突き刺さるのは、周囲のウマ娘から発せられる攻撃的な視線。

 

 仮にも欧州マイルレース最高峰の一角たるムーラン・ド・ロンシャン賞の舞台に立って、レース自体に興味がないと、彼女はそう言い捨てたのだ。すなわちそれは、出走するウマ娘たちにも興味はないと言っているようなものだった。

 

 対するスペシャルウィークにも同じような視線が刺さるものの、それを気にする素振りは見せることなく、彼女はムーンライトルナシーに正面から向き合う。

 

「『英国の貴婦人』さんにそう言われるなんて、とても光栄です」

「あら、私のことを少しは知ってくれているのね。嬉しく思うわ、本当よ?」

「私にはすごく優秀なサポーターさんがついてくれてますから。ムーンライトルナシーさんには気をつけた方がいいって、ちゃんと教えてくれましたよ」

「マイルを走ったこともない、GI勝利から長く離れた前世代のウマ娘に警戒を?」

「そうする価値はあると言われました。私の行く手を阻む誰かがいるとすれば、それはムーンライトルナシーさんだってきっぱり断言していましたから」

 

 スペシャルウィークの発した言葉で、周囲からのふたりに対する視線が明確な敵意を持ったものに変化する。どちらも『お互い以外には興味がない』とばっさり切り捨てたのだから、ある意味当然と言えば当然だが。

 

 しかしそんな外野の感情は意図的に無視しつつ、ムーンライトルナシーは初めてその真剣な表情を綻ばせた。

 

「ミス・ベルノライトは私のことを随分と高く買ってくれたようね」

「……ご存じでしたか? ベルノさんのこと」

「記憶力は良い方なのよ。それに、戦う相手の情報を把握しておくのがどれだけ大事なのかについても、ある程度は理解しているつもり。貴女はどうかしら」

 

 スペシャルウィークのことをじっと見つめるムーンライトルナシー。

 

「ムーンライトルナシーさんのレースとか、走り方とか、色々見て研究しました。でも、わざわざマイルレースに出てきてまで貴女が私と走ろうとする理由は……わからなかったです」

「理由、理由ね……そうね。隠すようなことでもないし、教えてあげるわ」

 

 ムーンライトルナシーはすっと瞳を閉じて語り始める。

 

「悲しいことに、欧州における長距離レースは年々その価値を損ない続けている。強いウマ娘が集まらないからレースは盛り上がらず、レースが盛り上がらないから強いウマ娘は集まらない。堂々巡りの悪循環ね」

 

 スペシャルウィークもその話についてはベルノライト経由でいくらか聞いていた。欧州におけるクラシックレースの権威は今や失われつつあるのだ……という事実を知識として理解してはいたが、日本でクラシック三冠の栄誉を手にした彼女にとっては実感の薄い話だった。

 

 それが今、眼前のムーンライトルナシーによって現実味を帯びたものに変わりつつある。

 

「長距離レースを盛り上げようにも、埃を被った伝統がその邪魔をする。平地競走よりも障害競走の方が総合的に高い人気を誇る現状から、長距離適性があるならば障害競走を走っていればいいと公言して憚らない者すら少なくはないわ」

 

 そこで一度言葉が切られたのを見計らって、スペシャルウィークが口を挟む。

 

「でも、そうだとしたら……ずっと中長距離を走ってきたムーンライトルナシーさんがマイルレースに出てしまったら、長距離レースの価値がますます……」

「いいえ、違うわ。その心配が無くなったからこそ、私は今日ここに立っているのよ」

 

 いまひとつ意味を理解できていないスペシャルウィーク。ムーンライトルナシーはさらに続ける。

 

「GI勝利から長く離れたウマ娘、それが私。かつて英国の長距離路線を引っ張ったという自負はあるけれど、過去の栄光にしがみつくほど惨めなこともない。けれど、栄光が遠くなったのも決して悪いことばかりではないわ。外聞ばかりを気にする必要がなくなったのだもの」

 

 ただでさえ慣れない英語のリスニングをしながらムーンライトルナシーの言葉の真意を読み解くのは難しかったが、それでも彼女の言わんとするところをスペシャルウィークはなんとか理解することができた。

 

「欧州王者の肩書も、トニーからモンジューに移って久しい。そろそろ私もターフの上から去る日が近づいてきた……なら、その前に一度くらい私の我儘だけで走ってもいいと思ったのよ」

「……貴女の言う『我儘』が、私と走ることなんですか?」

「ええ、そうよ。私、貴女のファンだもの」

 

 さも当然のようにそう言われて、ここまでなんとか平静を保ってきたスペシャルウィークの表情が完全に固まる。

 

「……そんなに意外だったかしら?」

「だ、だって、ファンって……まさかそれが理由だなんて……」

「別に不思議なことじゃないでしょう? 引退する前に貴女と走るチャンスがこの先どれだけあるか。残念だけれど私に日本の芝は合わなかったし、貴女がもう一度ヨーロッパに来てくれる保証もない。なら、得意な距離でなくともこの機会を逃す手はないわ」

 

 ムーンライトルナシーはにやっと笑った。そこにスペシャルウィークが先程まで感じていた怜悧で高貴な印象はなく……むしろそれは、夢の景色を目の前にした少女のようだった。

 

 だが、そんな彼女の雰囲気はほんの数秒でどこかへ消えていく。スペシャルウィークが再び視線を向けたとき、ムーンライトルナシーはこれまで通り『英国の貴婦人』としてそこに佇んでいた。

 

「貴女と走るために来たとは言ったし、そこに嘘はない。けれど、走れさえすればレースには勝てなくていい、なんてことは思ってないわよ」

「……はい! 私も勝つためにここまで来ましたから。良いレースにしましょうね」

「そうなることを私も望むわ。ありがとう」

 

 その言葉を最後にムーンライトルナシーは踵を返し、スターティングゲートへと去っていく。彼女の背中を見送ってから、スペシャルウィークもゲートへ歩を進める。

 

「私の、ファン……」

 

 言うまでもなく、スペシャルウィークには大勢のファンがいる。それこそ万単位の人数だし、単純に『スペシャルウィークという名前を知っている者』という観点から見るなら、日本国民の大半とまで言っても決して誇張ではないレベルに達している。トゥインクル・シリーズで活躍するというのはそういうことなのだ。

 

 だからこそ、だろうか。彼女は常に自らを応援してくれるファンの存在を感じつつも、特定のファン個人という存在を意識したことがこれまでほとんどなかった。

 

 SNSの運用は一貫して陽室とベルノライトに一任。そもそもSNS自体に不慣れな彼女は、個人用のアカウントを持ってすらいない。ファンレターや贈り物はずっと届いているが、個人情報保護や危険物排除の観点から必ず第三者による事前のチェックが入る。実際に彼女が受け取るファンレターは文中であっても個人情報が全て塗りつぶされているし、贈り物はそもそも大半が手元にも届かない。

 

 さらに学園周辺はともかく、遠出の外出では変装が必須。ときにはウィッグが必要になることすらある。安田記念での事件が起きる前ですらこれだったので、日本に帰ればますます変装することが求められるだろう。

 

 また、自らのグッズにサインを入れることはままあるが、直接ファンと対面してのサイン会や握手会といったイベントはデビュー以来完全にシャットアウトしている。『代わりに通常よりもサイングッズの数を増やしているので、URAから突かれることもありません』とは陽室の言葉である。

 

 レース場で自らを応援してくれるファンのことはもちろん視界に入っているが、それもやはりあくまでファンの集合体でしかない。例外に数えられるのは、去年の有馬記念でスペシャルウィーク自身が声をかけた黒髪の幼いウマ娘くらいのものだ。

 

 ────先を目指すのであれば、多数が共感する大義名分が必要です。

 

 ────貴女の夢を皆が追いかける夢にしなければ、その先を掴むことは難しいでしょう。

 

「……もしかして」

 

 陽室琥珀は最初から、スペシャルウィークがこうなるように誘導していたのではないか? 

 

 ファンを個人として見ることなく、ひとつの大きな集団として捉える。そうすれば、スペシャルウィークの掲げる夢がファンひとりひとりが望む夢に左右されなくなる。そして集団となったファンたちが望む夢こそ、スペシャルウィークにとっての『大義名分』なのだ。

 

 しかし、そこまで考えてからスペシャルウィークは頭を振ってその思考を一旦脳内から追い出した。ゲートの中に入り、しっかりと前を見据える。今しがた考えたことが真実だとして、それが自らにとって有益なことは間違いないのだから。

 

 とにもかくにも、このレースに勝たなければ始まらないのだ。陽室の指示通りに()()()()で走りきって、勝たなければならない。

 

 ……札幌記念までは暗示なしでずっとやってきたのだ。ジャック・ル・マロワ賞だって暗示なしで勝てたのだから、きっと今日だって。

 

 そう自分に言い聞かせた、数瞬の後……ゲートが開く。

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