生徒会長スペシャルウィークちゃん!   作:天宮雛葵

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スペシャルウィークは勝利がほしい

「良いスタートダッシュデース!」

 

 隣に座るエルコンドルパサーが声を張り上げるのを聞いて、ベルノライトもこくりと頷いた。

 

「まずは予定通り。でも、ここからは……」

 

 そこで言葉を止め、ベルノライトは逆の隣に座るオベイユアマスターをちらりと見る。だが、集中している様子の彼女はベルノライトの視線にも気付いていないようだった。速記もかくやという勢いでペンを走らせ、手帳は瞬く間に文字で埋まっていく。

 

「……スペちゃんに仕掛けてくるのがいつか。きっと、それで大半は決まるかな」

 

 前走、ジャック・ル・マロワ賞と同様に先頭をひた走るスペシャルウィーク。

 

 そもそもスペシャルウィークが得意とする戦法は先行と差し、どちらも中団寄りに構えて最終コーナー以降で先頭に躍り出る立ち回りだ。逃げや追込もやれないわけではないが、単純に本人の気質的な問題から集中しきれず、体力を浪費してしまいがちになる。

 

 それを解決する、すなわち本人の気質に依存することなく冷静に走ることを可能としたのが自己暗示だったわけだが、今日のスペシャルウィークは『自己暗示なし』を陽室から厳命されている。

 

『暗示は強力な武器ですが、スペの個性をも塗り潰すのは想定外でしたし、そこまで至ればむしろ逆効果だったと言わざるを得ません。暗示で土台を作り、その上に貴女の個性で以て立つのが理想です。そのために、まずは個性を突き詰めます。そのための海外遠征です』

 

 ベルノライトがフランスに到着した翌日、オベイユアマスターと出会った日の朝。チームテンペル一同が改めて揃ったタイミングで陽室はそう言った。

 

『余計な口出しはしません。貴女の望むように走り、望むように勝つべきです』

 

 陽室にそう言われてスペシャルウィークが選んだ戦術は、先頭をひた走る逃げだった。

 

 そもそも、スペシャルウィークはマイルという距離が得意ではない。距離が短くエンジンがかかりにくいうえ、彼女の常套戦術であるスタミナ勝負のチキンレースに持ち込むことが難しいからだ。だが一方でそれは、スペシャルウィークにとってのマイルレースとはどれだけむやみにスタミナを失ったところで()()()()()()()レースであることも意味している。3200mでトップクラスの走りを見せられるウマ娘ならば、1600mで息切れを起こすことはまずないのだ。

 

 それでも、長距離に適性のあるウマ娘がマイル以下のレースでも勝利を飾れるという例はほぼない。その理由は単純で、トップスピード自体の明確な差とトップスピードを発揮するタイミングの意識だ。つまるところ、いくらスタミナがあろうがスピードで勝てないということ。

 

 なら、どれだけ速い脚を使えても追いつけないほどに突き放してしまえばいい。

 

 それができれば苦労はしない、と誰もが言うだろう。だがスペシャルウィークにはそれができる。本人はそう確信していたし、ベルノライトもそれに否を唱えることはなかった。そしてスペシャルウィークはジャック・ル・マロワ賞を逃げて勝ち、今日のムーラン・ド・ロンシャン賞に挑んでいた。

 

 後続をじりじりと離しつつ、スペシャルウィークは下り坂に差しかかる。坂を苦にしない彼女としてはここでさらに他のウマ娘との距離を稼ぎたいところだが、欧州の深い芝と容赦ないカーブがそれを阻まんと立ち塞がる。

 

 それを無理矢理踏み越えていくような彼女の走りを見て、ベルノライトは目の前に広がる光景とは全く違うものを思い起こしていた。

 

 すなわち、サイレンススズカ。

 

 逃げて差すという他者の追随を許さない大逃げ。『その戦法が最も向いている』からなのか、『その戦法が最も勝利に近い』からなのかというアプローチの違いこそあれど、マイルレースにおけるスペシャルウィークが暗示を抜きにして辿り着いた結論が、サイレンススズカの戦法と似通っているというのは興味深い。

 

 スペシャルウィークがサイレンススズカを憧れの先輩として見ているのは周知の事実だし、その憧れがこうして海外へと飛び出すにまで至っても変わっていないことをベルノライトは理解していた。

 

 それ自体は何も悪いことではない。憧れのウマ娘と同じ戦法に固執して負けるようなことがあったならばともかく、スペシャルウィークは合理的に戦術を組み立てた結果として憧れのウマ娘と同じ戦法に至り、そして現実にその戦法で勝利を挙げてみせたのだから。

 

 だが、その走りは真にスペシャルウィークの個性だと言えるものだろうか。戦術を組み立てたそのとき、サイレンススズカの姿が脳裏にちらつかなかったと果たして言いきれるものだろうか。

 

 ……今日も同じように勝利を挙げて、マイルの勝ち方を身に着けて、アグネスデジタルに負けた雪辱を果たしたとして、その経験はマイル以外のレースでも個性として役に立ってくれるものなのだろうか。それとも、中距離や長距離での勝ち方はまた最初から模索していくしかないのか? ただでさえ時間のない秋冬のGI戦線を戦う上で、そんな悠長なことをしていて本当に間に合うのだろうか。

 

 思考はまとまらない。どちらにせよ今のベルノライトにできるのは、目の前で行われているレースの勝利を信じることだけだった。

 

 


 

 

 見通しが甘かった。そう言わざるを得ない。額から汗が垂れるが、スペシャルウィークにそれを拭う余裕などあるはずもなかった。

 

 ドーヴィルレース場の芝は、スペシャルウィークにとってそこまで苦になるほどのものではなかった。確かに芝の丈は高いし、日本のどんなレース場よりも重くはあったが、それでも持ち前のパワーさえあればどうにでもなるレベル。日本では過多になってしまうほどの脚力を誇るスペシャルウィークからすれば、むしろ欧州の方が能力的に向いているのではとすら思えるほどに気軽な走りができるレース場だった。

 

 だが、パリロンシャンレース場は全くの別物だった。これをドーヴィルと同じ『欧州のレース場』と括るのは全くもってナンセンスだし、括るべきではないとベルノライトに言われてはいたが、スペシャルウィークは正しい意味でそれを捉えられていなかった。

 

 ドーヴィルにはコーナーがない。坂もない。純粋な直線一本勝負だ。だからこそスペシャルウィークの海外初戦、マイルの経験を積むためのレースとしてジャック・ル・マロワ賞は間違いなく最適解だった。日本で走るのと同じ、あるいはそれよりも走りやすかったあのレース場は、彼女の思考から海外レースという言葉の重みを取り払わせるには充分すぎる働きをしていた。

 

 スペシャルウィークが抱いていた、海外に挑むのだというある種の緊張を解す役割として。スペシャルウィークが海外レースに勝利することによって、欧州のウマ娘たちを焚きつける役割として。……そうして、スペシャルウィークがほんの少しの慢心を抱く種として。ジャック・ル・マロワ賞の経験は、間違いなく最大限の効果を発揮していた。

 

 自分のトレーナーは、陽室琥珀は、ここまで想定したうえでこのローテーションを選んだのだろうか? 

 

 ファンや大義名分の件といい、自分のトレーナーが何をどこまで意図しているのかがわからない。大きな驚愕と少しの恐怖がスペシャルウィークの脳裏に浮かび、しかしどうにかレースの方に頭の回路を切り替える。自己暗示があればきっとこんなことに苦労はしないだろうが、それを言っても仕方がない。

 

 芝の深さに阻まれつつもやっとスピードに乗れたタイミングで、強烈な下り坂にコーナー。ひとつひとつは対処ができるレベルでも、同時にやってこられてはあまりにも厳しい。これでバ場は日本で言うところの良だというのだから、天気が崩れるようなことがなくて良かったと考える他にあるまい。

 

 ちらりと後方を確認。足音も踏まえれば前走同様に2バ身か3バ身、おそらく団子のようになって続いている。そして肝心のムーンライトルナシーは中団の後方を陣取っている。彼女がこれまで走ってきた大半のレースで後方脚質だったという前提情報と一致するし、おそらくそろそろ追い上げを始める頃合いだろう。警戒しておかなければならない。

 

 既にレースは中盤戦。このままコーナーを抜ければその先に待つのは偽りの直線、フォルスストレート。高低差10mを上り下りしながら曲がらされたウマ娘たちは、その先に見える傾斜のないまともな直線コースについリミッターを外してしまう。しかしフォルスストレートで全力を出してしまうと、本当の最終直線で力尽きてしまうのだ。

 

 それを嫌というほど知識として叩き込んでいてもなお、レースの最中に冷静でいられなかったウマ娘たちがフォルスストレートのプレッシャーに呑まれ、そして最終直線でゴール板に届かず沈んでいく。まさしくロンシャンが誇る、悪名高い魔の直線だ。

 

 ただ、冷静に。それだけのことが、これほどに難しかっただろうか。

 

 結局のところ自分は自己暗示を使いこなしていたのではなく、自己暗示に甘えていただけなのだ。スペシャルウィークはこうして走りながらその事実を痛感していた。だが、そうだったとしても二度は負けられない。過ちは今や白日の元に晒されたのだ。

 

 残り800m、レースの折り返し地点。下り坂もコーナーも完全に抜けた。目の前に控えるは300m弱のフォルスストレート、そして500mの最終直線。当初の想定ほどスペシャルウィークのスタミナに余裕はない。トップスピードでのスパートはおそらく3ハロンが限界、ここから10秒強は彼女にとって耐え忍ぶべき時間だ。

 

 全力で駆けたくなる衝動を抑え、それでも一歩前に踏み出した……その瞬間。

 

 スペシャルウィークは、()()()()()()に立っていた。

 

「んなッ……!?」

 

 自分の眼が狂ったかと疑って、彼女は思わず周囲を見回す。

 

 1秒前まで、彼女は太陽が燦々と照り付ける昼下がりのレース場を走っていたはずなのだ。しかし彼女の視界に入るのは霧が立ち込める真夜中のレース場。自らの後ろを走るウマ娘たちは、この明白な異変を気にする様子もない。

 

 落ち着いて状況を整理しなければならない。そんなことはわかっていても、自分の感情がその邪魔をする。

 

 普通に考えれば、こんなものは夢に決まっている。真っ当な答えはそれ以外にないし、だとすれば自分はこのまま走っていればいい。夢の中でロンシャンの予行演習だなんて、来るところまで来たものだ。

 

 だが、問題は……これが夢ではない場合。つまりスペシャルウィーク自身の眼が本当に狂ってしまったか、さもなくば頭が狂ってしまっている場合。

 

 今すぐ外ラチ側に大きく外れて、待機しているだろうメディカルスタッフに自らの異常を訴えるべきなのか? 間違いなくベルノライトはそうしろと言うだろうし、陽室やメジロマックイーンもそれを否定はしないだろう。

 

 しかしスペシャルウィークの異常は、レースを走るために必要な脚に発生したわけではない。つまり走れる。走れてしまう。

 

 たかだか昼のレース場が夜のレース場になっただけ。立ち込める霧も決して視界を遮るほどではないし、()()に浮かぶ満月のぼやけた光は届いている。これが真っ暗で灯りもないような状況だったら話は別だったが、少なくともこの環境自体は走行に何の支障もありはしない。

 

 ならば走り続ける。立ち止まるのはゴール板を過ぎてからでも遅くはない、はずだ。そう信じる。

 

 ────あれ、今日も助けは必要なさそう? 

 

 そんな声がスペシャルウィークの脳裏に響く。幻覚の次は幻聴か、などとうんざりする余裕も今の彼女にはない。

 

 彼女はその声にふたつの意味で聞き覚えがあった。すなわち、脳裏に響いた幻聴は他ならぬ自分の声だったし、3ヵ月前のトキノミノルとの模擬レースにおいて聞いた声でもあった。

 

 瞳も耳も壊れた可能性よりは、頭がどうにかなってしまった可能性の方が高いかもしれない。一周回って冷静になりつつあったスペシャルウィークだが、幻聴はお構いなしに思考を遮ってくる。

 

 ────大丈夫、()()()はどこもおかしくなってないよ。

 

 私にそう思わせたいなら、せめて幻聴は黙っていてほしい。

 

 ────ああ、それは確かに。でも……

 

 でも? 

 

 ────幻覚の方は、わたしがおかしくなったからじゃない。もう気付けるはずだよ? 

 

 その声が何を言っているのか、スペシャルウィークにはさっぱりわからなかった。そうこうしているうちに、じっと我慢すべきだった10秒が経とうとしている。幻覚も幻聴も振り切り、ラストスパートをかけようとして……スペシャルウィークは気付いた。その声の告げた通りに。

 

 つい先程まではもっと後方を走っていたはずのウマ娘が、自らの真後ろを陣取っている。姿を隠していた月が静かに現れるかのごとく、彼女はそこにいた。

 

「さあ、勝負よ。日本の太陽」

 

 自分の声をした幻聴ではない。ムーンライトルナシーの確かな言葉が、すっと耳に届いた。

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