生徒会長スペシャルウィークちゃん!   作:天宮雛葵

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サトノダイヤモンドは未来がほしい

 自らが気付いたときには、既に真後ろを陣取られている。つい最近にもスペシャルウィークはそういう経験をしていた。

 

 勿論言うまでもなく、その経験とは安田記念におけるアグネスデジタルだ。あのときの彼女は、スタミナが尽きていておかしくないはずの──いや、実際に間違いなくスタミナが尽きていたにもかかわらず、どんな魔法を使ったのかスペシャルウィークの後方に横移動して、挙句ゴール板直前で差し返してみせたのだ。

 

 あれからレースの映像を何度も何度も見直したが、どう考えてもスリップストリームだけであのような挙動を実現させるには無理がある。スタミナを温存していたとしても単純に困難なのだ。横へのステップも前への踏み切りも、脚力に自信があるわけではないクラシック期半ばの小柄なウマ娘が出せる加速力ではなかった。

 

 結局『実現した以上は実現可能だったのだろう』という、さながら禅問答のような結論しか出せなかった。何かしらの不可解な力だとか、奇跡だとか、そういうものが介在していたとしか考えられない走りだったのだ。

 

 だからこそムーンライトルナシーが自らの背後を陣取った今この瞬間は、スペシャルウィークにとってまだマシなものだった。こうなることが最初から予期できていたからだ。

 

 どうしてムーンライトルナシーがマイルレースを満足に走れているのかはわからない。スタミナに余裕はあっても、脚力や最高速度はマイルの最前線で戦えるものではないはずだ。少なくともスペシャルウィークより余裕があるわけでないだろうことは確かだろう。それでもムーンライトルナシーは、こうしてラストスパートで先頭を射程内に捉えた。

 

 何故かがわからないのは同じ。けれども、彼女が来るということはわかっていた。それが今日と安田記念の違いだ。

 

 慌てる必要はない。ムーンライトルナシーの走りはしっかりと研究してきた。仮に彼女が完璧なコンディションと能力で、すなわち彼女がGIレースに勝利したころの実力でもって、残り3ハロンを走りきったとしても、スペシャルウィークのスパートには届かない。レースが始まる前から数字は如実にそう示していた。

 

 ぐいと芝を踏み切り、スペシャルウィークはトップスピードへ。ムーンライトルナシーはロングスパートタイプなのでもうスピードに乗っているが、その速度差はほぼ同じ……若干スペシャルウィークの方が早いか。それでいて、現在の両者には1バ身の差が開いている。

 

 勝負あった、とはまだ言えない。ムーンライトルナシーのコンディションどうこう以前に、自身のコンディションが最悪かそれに近いものであろうことをスペシャルウィークは嫌でも理解している。レース中の幻覚と幻聴など、チームの面々に伝えれば議論の余地なく即刻病院送り待ったなしだ。現に、ムーンライトルナシーは自らとの距離を徐々に詰めて……

 

「え?」

 

 足音だけで理解できた。距離が詰まりつつある。1バ身あったはずの差が、失われつつある。

 

 自分の、スペシャルウィークの走りに問題はない。スピードも、スタミナも、想定通りにフルパワーで発揮できている。本来ならばそれで彼我の差は広がり続けるはずなのに、現実にはむしろ距離が詰まり始めている。原因は明らかだ。

 

 ムーンライトルナシーが、彼女自身の限界を超えている。

 

 そんなことがどうして起こる? 本格化がとっくに終わっていてもおかしくない現役7年目、近走戦績が振るっていたわけでもないステイヤーウマ娘が、どうしてマイルレースの残り3ハロンで先頭に立って脚を使えるのか。

 

 ムーンライトルナシーはひた隠していただけで、実はマイル適性があった? まさか。それともアグネスデジタルのように何かしらの秘策があった? こちらは可能性が残る。とはいえその秘策を今すぐは見抜けないし、見抜いたところで対策が打てなければ意味がない。

 

 まずい、まずい。何が正しい? 私は何をすればいい? 

 

 ただでさえ真昼間のはずなのに夜のレース場を走らされて、そのうえ事前の想定をはるかに超えてきたライバルに追い抜かされかける。積み重なった異常な状況に、スペシャルウィークの思考回路は限界を迎えつつあった。

 

 ────落ち着いて。今やるべきことは他にある、そうでしょ? 

 

 そんな彼女をなんとか繋ぎ止めていたのは、皮肉にも異常現象であることが明白な幻聴だった。

 

 ────あれこれ考えるのは後回し。どうしてこうなったか、どうやって勝つか、毎日王冠よりも前にそんなことを考えながら走ってた? 

 

 幻聴の囁きに対する回答は否だ。だがスペシャルウィークはこの1年で痛いほどに学んできた。

 

 がむしゃらに走っているだけでは勝てるものも勝てない。暗示による広い視野と深い思考がなければ、自分の手からいくつもの優勝レイが零れ落ちていただろうということを彼女は理解していた。暗示に頼るなと言われた以上、自分の力でそれを実現するしかないのだ。

 

 ────違うよ。琥珀さんは、自己暗示の真似事をしてほしいんじゃない。暗示じゃ真似できない、わたしの個性を見つけるために走ってほしいと考えている。そうでしょ? 

 

 スペシャルウィークの頭に困惑の感情が浮かぶ。

 

 確かに自分のトレーナーはそんなことを言っていた。けれども、個性なんてそう簡単に見つけようと思って見つけられるようなものではないのに。暗示が必要ないくらいに強い個性を自分が持っていれば、そもそも暗示に頼る必要が……

 

 ────じゃあ、わたしにとってセイちゃんってその程度なんだ? 

 

 その言葉を聞いた途端、スペシャルウィークの心が煮えたぎったように熱くなった。彼女自身、それを完全に自覚していた。

 

 ────だって、暗示のないわたしは大したことないんだもんね? セイちゃんだけじゃない、わたしが暗示なしで勝った相手なんて()()()()()なんだもんね。これまでは全部暗示のおかげ、『わたし』のおかげ。褒めてくれるのは嬉しいけれど、照れちゃうなあ。

 

 反射的に怒りの感情をぶちまけそうになって、ギリギリのところで踏みとどまる。

 

 少しだけ親身なふりをしておいて、やっぱり幻聴は幻聴なのだ。存在しないものに怒り散らして何になる。ここで我慢するくらいの分別はこの1年で身に付けてきているのだ。

 

 ────逃げに逃げた先に見えた勝利も、その勝利に紙一重まで迫った意地も、大したものじゃなかったね。

 

 スペシャルウィークの理性をぎりぎりのところで保っていた最後の糸が、その言葉によってぷつりと切れた。

 

 今までよりも強く、トップスピードでスパートをかけていた今までよりも強く地面を蹴る。骨が軋むような感覚。脚には痛みが走る。

 

 だからどうした。売られた喧嘩は買ってやる。

 

 風を切って、立ちこめる霧を切り裂く。ムーンライトルナシーが限界を超えてくるなら、自分だって限界を超えればいい。たかがそれだけのことに、どうして今まで気づかなかったのか。

 

 それでも、追い抜きの体勢に入っていたムーンライトルナシーを突き放すにはまだ至らない。残り2ハロン、フォルスストレートもとっくに終わっている。背後から聞こえる足音は外ラチ側にズレている。直線でスペシャルウィークをかわす算段なのだろう。

 

 スペシャルウィークは姿勢を思い切り前に傾ける。足裏で地面を蹴るのではなく、つま先の鉄頭部だけでロンシャンの芝を掘り返すのだ。ダートで砂を掘り返すのと同じ要領なのだから、やってやれないことはない。だが言うまでもなくスペシャルウィークの脚には強烈な負荷がかかるし、このような走り方を想定していないベルノライトお手製の蹄鉄も悲鳴を上げているに違いなかった。

 

 気付けば、霧は晴れていた。朧げに光を届けていた満月が空に輝く。

 

 自らの身体を顧みない走りにスペシャルウィークが手を出し、この後に及んでさらにスピードを増してもなお、ムーンライトルナシーはまだその背中に食らいついていた。むしろ、彼女はその事実に闘争心が昂ってすらいた。

 

「こうでなくちゃ……面白く、ないわねっ!」

 

 オグリキャップよりも、タマモクロスよりも、オベイユアマスターよりも……トニビアンカよりも。記憶の中にある彼女たちよりも、今の自分は強い。ムーンライトルナシーにはその確信があった。その自分が全力で立ち向かっても、スペシャルウィークにまだ届かない。これほどに愉快なことがあるだろうか。

 

 実のところ、ムーンライトルナシーは自分が本気でこのレースを勝てるかもしれないとは考えていなかった。

 

 スペシャルウィークや彼女のチーム関係者はさながらイングランド人のように欧州のウマ娘たちを煽り倒していたが、別に今の欧州マイルが弱いわけではない。ただ彼女が強いだけである。そしてムーンライトルナシーは、これまでマイルレースなど走ったことすらない。欧州基準で見ても、マイルで勝負できるようなウマ娘ではないのだ。

 

 だからこそ、今日の自分自身がこれほどに冴えた走りができていることに彼女は驚いていた。ましてや、領域(ゾーン)にまで至れたのを自覚できるなんていつぶりかもわからない。

 

 ウマ娘は想いを背負って走る、とは誰が言ったか。ムーンライトルナシーは常識と理性の名の下に、勝ちたいという感情を抑え込んでいただけだった。しかし今ならば、彼女は胸を張って『スペシャルウィークに勝ちたい』と言えた。そうだ、まだスパートができる。自分の至ったことのない速度に至れる。この最終直線で、スペシャルウィークを追い抜ける。

 

 そう確信した瞬間、前方の空に流星が瞬いた。

 

 最初のひとつは気にも留めなかった。だが、ふたつみっつと輝く星が自らの頭上を追い抜いていくのを見て、ムーンライトルナシーの感情に困惑が混じり始める。

 

 いいや、それどころの数ではない。最早両手の指でも数えられない数の流れ星が、流星雨となって夜空に降り注いでいた。

 

「……これは」

 

 霧がかった満月の夜空はムーンライトルナシーの心象空間に過ぎない。アスリートが常識的には考えられない集中力を発揮する領域(ゾーン)、その一端だ。あくまでそれはムーンライトルナシーにしか観測できない主観的なものでしかないし、自らの精神に揺らぎがない限り、世界が侵されることはない。例え邪魔が入ったとしても、世界が崩れて元通りのまともな空間に戻るだけだ。

 

 ならば、どうして霧が晴れる? 満月が隠れる? 流星雨が満天を覆う? 

 

 スペシャルウィークは遥か先を行く。たかが1バ身の差が狂いそうになるほど遠い。星の墜ちていく先に、スペシャルウィークは突き進む。その姿こそ、まさしく────

 

「シューティングスター……!」

 

 事ここに至って、ムーンライトルナシーは自らの判断ミスを悟った。なんてことはない、リサーチの時点で致命的に間違えていたのだ。

 

 スペシャルウィークは燃え盛る太陽ではなかった。むしろその本質は、儚い流星にこそあったのだから。

 

 手が届きそうな眩い流星にムーンライトルナシーが見惚れていた数秒の間に、ゴール板は彼女の遥か後方へと消えていった。ついぞ自分がスペシャルウィークに追いつくことなくレースは終わってしまったのだとようやく気がついて、それでもムーンライトルナシーの顔には曇りのない笑みが浮かんでいた。

 

 


 

 

 日本、深夜。都内某所に聳える豪邸の一室で、二人の少女が液晶テレビの映す映像を食い入るように見つめていた。以前にも増して身長が伸びた黒いショートヘアのウマ娘と、彼女の親友たる亜麻色のロングヘアをなびかせるウマ娘だ。部屋の入口の脇で、少女たちのお世話役兼お目付け役として控えている使用人の老人が微笑ましげにその様子を眺めている。

 

「……すごかったね」

「……うん。本当に……本当に強かったね、スペシャルウィークさん」

 

 少女たちは間違いなくレースを見て興奮していたが、それ以上に映像でも伝わってくる圧倒的な雰囲気に呑まれていた。これまでのスペシャルウィークとは何かが決定的に違う、鬼気迫る走り。だが、不思議とそれに恐怖を抱きはしなかった。

 

「なんていうか……うーん、すごく……今までよりも……」

 

 表現すべき言葉を見つけられないのか、唸り続ける少女。その様子を見て、少女の親友は言葉を継いだ。

 

「スペシャルウィークさん、きらきらしてたよね?」

「そう! そうだよダイヤちゃん、すっごくきらきらしてた!」

 

 液晶の中にいるスペシャルウィークは、彼女に食い下がりつつ惜しくも2着に終わったムーンライトルナシーと笑顔で言葉を交わしている。残念ながら音声は乗っていないので彼女たちが何を話しているのかはわからなかったが、少なくともそこに映るのは少女たちの知るスペシャルウィークだった。

 

 だが、レース中の彼女は……特にフォルスストレートに入ってからの彼女は、画面越しでも理解できるほど何かに怒っているようだった。どこかでそんなスペシャルウィークを見たことがある気がして、それが安田記念の記者会見でアグネスデジタルを庇いに入ったときと同じだと黒髪ショートのウマ娘はすぐに気付いた。

 

 にもかかわらず、怒りを滾らせて走っているはずのスペシャルウィークは今までで一番輝いていた。そんな気がしてならなかったのだ。

 

「流れ星みたいにきらきらしてた!」

「……そうだね」

 

 その返事がやけに落ち込んでいるように感じられて、少女は思わず親友の方に振り向いた。

 

「どうしたの、ダイヤちゃん」

「…………ねえ、キタちゃん。私たちも、スペシャルウィークさんみたいに輝けるのかな」

 

 普段ならば、持ち前のポジティブ思考と底抜けの明るさで『当たり前だよ』と返せただろう。

 

 けれども少女は知っている。親友の実家は一族の総力を以てトゥインクル・シリーズに挑戦し続けてきて、それでもGIには手が届かずにいることを。そんな中、親友は潜在能力の高さを見込まれた『望まれたウマ娘』として、一族の責務をその小さな身体で背負っているということを。

 

 自分だって家族や地元の人たちに背中を押されてはいるが、それはあくまで純粋な期待だ。責務として期待を背負う親友のプレッシャーを正しく理解することはできない。

 

「できるよ。私とダイヤちゃんなら、できる! いつか私たちもスペシャルウィークさんみたいに輝いて、GIレースの大舞台で一緒に走る。そうでしょ?」

 

 それでも、寄り添うことはできる。少女はそう確信していた。

 

「……そうだね、そうだよね……私たちだって、磨けば、輝ける」

 

 亜麻色の髪の奥で、親友はそう呟くように言った。その顔がぐっと上に向く。

 

「……じいや」

「はい、ここに」

 

 後ろで控えていた燕尾服の老人がすっと立ち、彼の身長の半分ほどしかない親友の呼びかけに応じ、(こうべ)を垂れた。

 

「決めました。私は、ダイヤはもう迷いません」

 

 親友の瞳に火が灯る。

 

「私は、必ずやトレセン学園中央校に入校し、サトノに勝利を、トゥインクルGI勝利の栄光を我が一族にもたらしてみせます」

 

 親友がそう宣言するのを見て、少女の胸にわずかな痛みと寂しさが残る。

 

 彼女よりも先に本格化が始まり、同じぐらいだった背丈はどんどん差が付きつつある。それをどこか『寄り添って()()()義務がある』と解してはなかったか。

 

「スペシャルウィークさんだって、日本のウマ娘は欧州で勝てないというジンクスを粉々に打ち破り、あれほど輝いてみせたのです。スペシャルウィークさんにできて、私に……このサトノダイヤモンドにできないなんて、()()()()()()()()()()()

 

 そう胸を張る親友────サトノダイヤモンドを見て、少女は心臓が跳ねたのを理解した。

 

「長らく囁かれていた『サトノはGIで勝てない』というジンクス、必ずや破り捨ててみせます!」

「……ダイヤお嬢様のお覚悟、確かに聞き届けました。敬服いたしましたし、御主人様も奥様も大層お喜びになられることでしょう。この先、このじいやが想像もできないような苦難が待っているとは思いますが、その道行きをこの目にできることを幸福として、微力ながらお力添えをさせていただきますとも」

 

 優しくそう言った老人が続ける。

 

「キタサンブラック様も、これからもどうか、ダイヤお嬢様を何卒よろしくお願いいたします」

「もちろん! でも、ダイヤちゃんはライバルだから……」

 

 少女────キタサンブラックはそう言いながら立ち上がる。

 

「負けないよ、ダイヤちゃん」

「……私だって!」

 

 ぐっと見上げながらそう宣言するサトノダイヤモンドと目線を合わせていると、どちらからともなく噴き出した。

 

「さて、そろそろ夜も更けてまいりましたよ。トレセン学園を目指すのであれば、休むのも鍛錬のうちです。ダイヤお嬢様もキタサンブラック様も今日はお休みくださいませ。明日はターフでの練習会もあるのでしょう?」

 

 じいやに促されるようにして少女たちは部屋を出る。いつかきっと輝けると信じた二人に、夜がやってきた。

 





【読者の皆様に重要なお知らせ】

 5章最終話である今話をもって、本作『生徒会長スペシャルウィークちゃん!』は休載します! 理由は単純、原稿ストックが消え失せたからです。さすがにこれ以上の連続投稿はきついや。というわけで申し訳ありませんが、しばしお待ちいただければと思います。





//NEXT CHAPTER ==>
第6章『赤熱のしいのき賞』

「恨めしいよ、スペシャルウィーク」

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