武具屋を出た。
イブは俺の前を上機嫌そうに歩いている。
俺はイブに手配書のことを訊くかずっと迷っていた。手配書が本当にイブなら、明らかな日本人がイブなどというふざけた偽名を使っていることに納得がいく。そして確実なのは、イブは絶対にこの話題に触れないということだ。俺は手配書に気付いた。なら、イブが気付かないわけがない。
訊くか訊くまいか、俺は心を決めた。
「なぁ、イブ」
「ん?」
イブは笑顔で振り返った。
「なんでお前は『イブ』なんだ?」
「なんでって、ここが異世界だからさ。元の世界の名前になんの意味がある? どうせゲームみたいな世界なんだ。ゲームみたいな名前で遊んで何が悪い」
「そうとも、ここは異世界で元の世界の名前なんて何の価値もない。偽名と同じだ。親しんでいる名前を名乗らない意味が俺は逆に分かんねえな。
ここからは俺の想像だが、お前は異世界にきた最初、本名を名乗っていた。だが何か問題を起こし、本名でいることが危険になった。だから、イブなんて偽名を必要としたんだ。違うか?」
「……手配書を見たんだな?」
イブの目が据わる。溢れるのは殺気。
俺の顔は血の気が引き、緊張のあまり唾を飲み込んだ。
「やっぱり、国王を殺したのか。今いるこの国の王ではなく、別の国の」
「刺客を使ってあたしを殺そうとした。だから殺した。どっかおかしいか?」
「そもそもその国王は何故お前を殺そうとしたんだ?」
イブは沈黙した。どう話そうか考えているようだ。
「……簡単に言えば、あたしに報酬を払いたくなかったからさ。その国はここからずっと北にある国でな、デーモンも海や空にいる奴らが大半で、陸のデーモンはほぼいない。今、海や空のデーモンが大半と言ったが、それは割合の話。デーモンの絶対数は限りなく少ない」
「この世界は北の方が安全ってことか」
「デーモンの脅威はな。国土の奪い合いは北の方が苛烈さ。デーモンの脅威がないからこそ、その国土は安全に統治できるからな。野心家にはさぞ魅力的な土地に見えるだろうよ」
「……それで、今の話がお前の王殺しとどう繋がる?」
「その国をドラゴンのデーモンが襲撃したのさ。デーモンの襲撃が滅多にないその国はパニック状態になり、ありとあらゆる手段でそのドラゴンを討伐しようとした。当然ドラゴンを倒した者は国土の五分の一と大金を用意するという依頼も世界中に飛び交った。そんな中で、あたしはそのドラゴンを討伐した」
「なるほど、殺したくなるわけだ」
飲食店を貸し切りにする時に使った上級クラスの魔石はこのドラゴンのものかもしれない、と俺は思った。
イブは無表情になる。
「こんな話をわざわざしたってことは、あたしと別れたいんだよな?」
「別れたい? んー……」
俺は何故イブに手配書のことを言おうと思ったのか。イブと別れたいから? いや、違う。ただ単に好奇心を満たしたかっただけだ。イブと別れるのは本格的にヤバくなってからでいい。
「別れたいわけじゃない。手配書を見た時のモヤモヤした心を晴らしたかっただけ。俺はイブと旅を続ける」
今のところは、と心の中で付け加える。
そんな俺の本心が見抜けなかったのか、イブの眼から唐突に涙が溢れた。イブは自分の泣き顔を見られたことがよほど恥ずかしかったのだろう。顔を真っ赤にしながら、ゴシゴシと右腕で目元を拭う。
俺は何故、イブが急に感極まったのか、はたと気づいた。
イブは俺を四人目のアダムと言った。少なくとも三人はイブに愛想を尽かし、別れた。お尋ね者になってからはもっと人が寄り付かなかった筈だ。仲間になってもすぐ別れてをイブは繰り返し続けてきたのだろう。イブはずっと孤独だった。だから、イブの境遇を知っても一緒に旅を続けると俺に言われたことが嬉しかった。きっとそうだ。
──案外、純粋なのかもな。
純粋だから、狂気がある。常識は個人の環境によるものだからだ。ヤバい環境で生きていたら、純粋であるほどヤバい思考に染まる。
「なぁ、アダム」
イブが照れくさそうに言った。
「ん?」
「その装備、なかなか良い感じだぜ。囮以上戦力未満ってとこだね」
「俺のこと舐め過ぎだろ。確かに今は魔法一つしか使えねーけど、これから魔法ガンガン覚えりゃ戦力にはなると思うが」
「けど、肉体強化は雑魚じゃん。その立派な杖で思いっきりあたしの頭を殴っても、別になんともないだろうね。非力なあんたじゃ」
「……ほぉ〜、俺がこの杖で殴ってもなんともないですか」
「モチのロンよ!」
俺はウズウズしてきた。言質はもう取った。あとは実験するだけだ。
「あ! あんなところにドラゴンが!」
「え!? どこどこ!?」
俺が指を差した方向にイブが顔を向ける。
俺はその背後からゆっくり杖を振り上げ、思いっきりイブの後頭部目掛けて振り下ろした。
「がッ!?」
イブは叫び声をあげ、そのままうつ伏せに倒れた。後頭部からどくどく血が流れている。
はい。これで、俺が杖でイブを殴ってもなんともなくないことが分かった。証明完了、Q.E.D.。
そこで武具屋の扉が開き、魔法使いチックな少女が出てきた。 少女は目の前の惨状に即気付き、慌てて駆け寄ってくる。
「何やってるんですか!?」
「いや、殴られてもなんともないって言うから……」
「冗談に決まってるでしょう! たとえ本当でも、試してみる人がどこにいますか!?」
「少なくともここに一人いるな」
「早く助けないと!」
そんなやり取りをしていると、倒れているイブに変化が起きた。イブの体が淡い光に包まれ、後頭部の傷が巻き戻しの映像を観るようにどんどん元通りになっていく。最終的には殴られる前と全く同じになった。殴られる前と唯一違う点は、血の跡があることだ。
イブの体から光が消えると、イブがガバッと勢いよく起き上がった。そして、光の速さで俺の胸ぐらを掴む。
「いきなり何してくれとるんじゃワレェ!」
「いやいや、自分が殴られても大丈夫って言っただろ!」
「それもそうだね」
「切り替え早ッ!」
魔法使いチックな少女は思わずツッコミを入れた。
イブが俺の胸ぐらを掴んでいた手を離す。俺は内心殺されるかもしれないと感じていたので、ホッと一息ついた。
「あの、お二人はこれからどちらに向かわれますか?」
「南」
魔法使いチックな少女の問いに、イブが素っ気なく答えた。
少女の瞳が輝き出す。
「よろしければ、わたしを旅のお供に加えていただけませんか?」
「店はいいのか?」
「はい。
「なんで渡り売りみたいになるんだ?」
「
「なるほどな」
デーモンとやらの化け物の素材で商売するなら、当然のやり方だ。
「イブ、どうする?」
「ま、いいんじゃない、付いてくれば。そのかわり、最低限自分の身は自分で守ってね」
魔法使いチックな少女の顔に笑みが浮かび、彼女は深々と俺たちにお辞儀をする。
「わたしの名前はピュレ・チスタタと言います。これからよろしくお願いします」
「ああ、よろしく、ピュレさん」
俺は初対面の女性をいきなり呼び捨てにできるほどパリピではない。イブは例外で、こいつは俺を騙したから礼儀などいらないので呼び捨てだ。
「あ、もしかしたらあの武具屋に忘れ物したかも……」
イブは武具屋の扉を開き、武具屋の中に消えた……と思ったら、すぐ出てきた。別に何か持っているわけでもない。
「ごめんごめん、別に何も忘れてなかったわ」
「あ、そう。なら、そろそろ行こうぜ」
イブに近付き、俺は背筋が凍りついた。強盗三人とリアを殺した時のような冷たい目をしていたからだ。その視線はピュレを捉えている。
「あ、そうだね。行こうか」
イブの表情がいつもの楽し気な表情になり、イブは町の外へ続く道を歩き出す。
俺は何故ピュレを一瞬敵視したのか、暇潰しにそれを考えながらイブに付いていき、その更に後ろをピュレが付いてきた。
どうやらこの三人で旅をすることになりそうだ。