声がした方を見ると、リアが口を両手で押さえて俺たちと死体を凝視している。
イブが下唇をペロリと舐め、微笑む。拭き終わった短剣を持つ両手をだらりと下げつつ、リアの方にゆっくり歩き出す。
リアは金縛りにあっているようにその場から動かない。
「おい、イブ。何する気だ? まさか殺さないよな?」
イブとリアの間に滑り込み、リアを庇うようにして言った。
「殺すけど。なんで殺さないの?」
イブは不思議そうに首を傾げた。殺さない理由が本当に分からないという表情だ。
「なんでって、お前は強いじゃないか。この子がお前の脅威になるわけない」
「脅威になるならないは関係ない。あたしに敵対する奴は全員殺すだけ」
「この子はこいつらと違う。強盗なんてできない」
「ふ~ん。じゃあ、なんでこんな場所に来たのさ? こいつらみたくつけてこなくちゃ、ここにはこないよ」
「あ……あう……」
リアは恐怖のあまり声が出ないらしい。言葉ですらない音を口から出すので精いっぱいのようだ。
イブが短剣を持った両手をガンとぶつけた。良いことを思いついた時に手を叩くあれだ。
「じゃあ、こうしよう。その子が武装してなかったら、敵対するつもりはなかったってことで見逃してあげよう。でも武装してたら、殺す」
その言葉は日本語ではなく、この世界の言葉で伝えられた。
チラリとリアを見ると、大きく目を見開いている。
イブに視線を戻すと、リアに向かってハンズアップのジェスチャーをしていた。
「うわあああああ!」
リアが絶叫し、俺の首に包丁を突きつけた。よく犯人が人質を盾にするシーンが映画であるが、まさにそんな感じだ。ヘッドロックしつつ、首筋に包丁が当てられている。
「お兄さん、ごめんなさい」
囁くような声で、リアが言った。
リアの両目からは涙が流れている。
「もしわたしを殺そうとしたら、このお兄さんを殺す。だからわたしを見逃して!」
どうする?
照明魔法を閃光弾のように使ってリアの目を眩まし、その間に逃げるか?
それしかない。
俺は意識を集中させた。体が熱くなる。
「イブさん! お願い! 助けて!」
「ライ──」
グチュチュ、という音がした。生温かい液体が顔にかかる。視界が赤く染まった。呪文の言葉が途中で止まる。
俺がおそるおそるリアを見ると、リアの額と鼻に短剣が突き刺さっていた。さっきのグチュチュという音は、短剣が刺さった音。リアは即死していた。
俺はリアの力の無くなった腕を振り払った。俺が支えになっていたらしく、リアは地面に倒れた。
吐き気。ショックによる意識の混濁。それらが俺に襲いかかる。
「おい、アダム。お前今何しようとした?」
「な、何って……」
俺は上手く言葉を話せなくなっていた。イブの殺気と怒気が俺に向けられているからだ。
「照明魔法使おうとしたよな? あ? こんな時間のこんな場所で。んなことしたら、その光を見た大通りの奴らがここに来るだろうが。お前はあたしにそいつら全員殺させたいのか?」
「それは……すまん。悪かった。俺の考えが足りなかった」
それを聞くと、イブから殺気と怒気が霧散し、無邪気な笑みになった。
「分かりゃいいんだよ、分かりゃあ。それにしても、この女もひどい女だよな。命を救おうとしたあんたを盾にするんだから最低な女だよ」
「違う……」
俺はリアを思い浮かべていた。リアは俺を盾にすることを葛藤していた。
「何が違うのさ?」
「お前には分からないのか? あの子はお前が怖くて仕方無かったんだ。包丁を捨てても、お前が見逃してくれるかは分からない。だから俺を盾に使うことで、お前からアドバンテージを取ろうとしたんだ。お前と対等な立場になり、自分を見逃してもらえる可能性を引き上げようとしたんだ」
「じゃあ、リアの言うこと聞いてあんたがリアに連れて行かれるところをここで突っ立って見てればよかったわけ?」
「そうすれば、殺さずに丸く収まった」
「リアが逃げ切った後、あんたを殺してたらどうする?」
「あの子はそんなことしない」
「なんでしないって分かるのさ? じゃあもしあたしがリアに捕まっていたら、あんたは大人しくリアを見逃すのか? 安全になった途端にあたしは殺されるかもしれないのに!? なんて薄情な奴なんだ!」
「何……言ってんだ?」
血のにおいが充満している。気分が悪い。
倒れそうになるのを必死で堪え、俺はイブに言った。まるで俺がイカれてるみたいな言い方を、イブはしている。冗談じゃない。イカれてるのはイブの方だ。
「殺さずにリアの気を失わせるだけでよかっただろ?」
「それは無理。それをやったらあんたの首が切られるかもしれなかった。腕を動かす余地なく即死させないといけなかった。言っとくけどさあ、リアはこの五人の中じゃ一番頑張った方だよ。あたしに得物を投げさせたんだから。貫通しない力加減で投げるのって結構難しいのよ」
「……なんで、そんな簡単に人を殺せんだよ?」
俺が血を吐くように言った言葉を聞き、イブは首を傾げる。
「なんで殺せないの? ゴキブリとかアリとかカエルとかは殺してよくて、なんで人間は殺しちゃだめなの? ゴキブリだって別に人間の命を脅かすわけじゃない。虫もそう。ただ鬱陶しいから、気持ち悪いから、不快になるから、それだけの理由で殺すじゃん。じゃあ人間も同じ理由で殺していいじゃん。同じ命なんだからさ、平等に扱わないと」
ここまで心に響かない平等主義は他に無いだろう。
何故、人間を殺しては駄目なのか? それは質問が間違っていると何故分からない。人間なんて殺していい。そんなのは誰だって気付いてる。だから質問するならこうだ。
何故人間を殺す気にならないのか? 幾つも理由はある。人を殺さないのが大多数の世の中で人を殺せば異端者となり世間から弾かれるから。人間には感情移入できるが、それ以外の生物に感情移入はできないから。法律で罪に問われるから。
だがそれらの理由をあげたところで、イブは納得しないだろう。イブの中ですでに価値観が完成しているのだから。極端な言い方をしてしまえば、こいつは狂信者なのだ。
真夜中、これまでの疲労、畳みかけるようなショックな展開に俺の脳はショート寸前らしく、俺の意識は朦朧とした。血の池となっている地面に倒れ込む。顔にべったりと血がつき、前面はシャツもズボンも血で赤く染まった。
イブが俺の頭の前にしゃがむ。
俺は力を振り絞り、頭を上げてイブを見上げた。イブは楽しげな笑みをしている。
「あたしと一緒にいるの、嫌になった?」
ゾクリと、背筋に悪寒が走った。イブから溢れだしているものは殺気。俺は武芸の達人ではなく素人だ。その素人ですら感じる殺気なのだから、イブは
ここでもし嫌だと言えば、俺はイブの味方からリアと同じ目撃者になる。さっき言っていたではないか。もし照明魔法でここに人が集まったらそいつら全員殺すと。リアを殺した本当の理由も、武装していたからではない。イブのしたことを目撃してしまったから、リアは殺された。武装してなかったら逃がすなんて、ただの嘘。リアをおちょくっただけだ。
俺は震えている体に気付かれないのを祈りつつ、ゆっくりと首を横に振った。
「あたしと一緒にいてくれるんだ。なんで?」
「お前と一緒の方が……面白そうだからだ」
「そっか。ようこそ、あたしのパーティへ。アダム」
俺は確信した。
飲食店での出来事。イブがわざわざ人を押しのけ注目を集めつつ、家が何軒も買えるようなお宝を軽く出した理由。
イブは強盗させようとしたのだ。飲食店にいた誰かに。俺の目の前で人を殺すために。俺がそれを見てもイブといることを望むか確かめるために。
言ってみれば、これはイブのパーティに入るための最終テスト。そして、俺は『合格』した。
「なあ……一つ訊いてもいいか?」
「何?」
「俺は……何人目の『アダム』だ?」
イブはにっこりと満面の笑みになった。
「あんたで四人目。あんたの演じる『アダム』は最後まであたしについてこれるといいねえ」
ドキッ、死ぬまで一緒!? 美少女と奴隷以下の生活、始まりました。
そんな売れないラノベタイトルみたいなのが頭をよぎった後、俺は意識を手放した。