生真面目無骨男が愛を乞う   作:鷲生

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第1話

「猫の首に鈴を付ける」という。

 誰もが、どうにかしなければと思いながら身動きが取れない。その中であえて局面を打開するのは誰なのか。

 泰王驍宗に鈴をつけようとしたのは、慶国金波宮の女史だった。

 

 慶も戴も百年を超す大王朝となった。雁も含めた三国の交流は盛んであり、この時も泰王驍宗が李斎を伴って慶国を訪問していた。

 驍宗が景王陽子と歓談している間、瑞州師将軍である李斎は片腕での剣術の指南を乞われて慶国禁軍将軍の桓魋と鍛錬場へと向かった。

 

 李斎が席を外してからしばらくたった頃、陽子がおもむろに切り出した。

「実は……ウチの女史から申し上げたいことがあるのですが……」

 後ろに控えていた祥瓊が、陽子に促されて同じ卓についた。腰を下ろした祥瓊は、陽子よりやや前のめりに身を乗り出し、驍宗に切り出す。

「泰王に単刀直入に申し上げます。李斎を王后にお迎えになるべきです」

「……?」

 驍宗は怪訝そうな面持ちで陽子の方に視線を向けてみた。陽子はしどろもどろに口にする。

「祥瓊と……それから鈴という女御と話して……そういう話題になったんです……」

 ほう、と驍宗は祥瓊に視線を戻した。祥瓊は淀みなく先を続ける。

「鈴という女御は以前才におりました。そこで翠微君という女仙に仕えていたんです。この翠微君は王の愛妾だった女性で、昔は聡明な方だったようです。道を外しかけた王を叱ることができるほどに。しかし、寵姫という不安定な身分ゆえに遠ざけられてしまい、その諫言が聞き届けられることはありませんでした」 

 それから……。祥瓊は少し目線を下げた。

「私の母は芳の正式な王后でした。そのような重い立場にありながら、夫である王を諫めることができなかった。そして、娘である私も……」

 驍宗は、この祥瓊が芳の公主であったことは聞き知っていた。自分の過ちを糧に、景女王の力になろうとしていることも。

「王の家族は公の立場から王の過ちを正すことができるし、しなければなりません。私も私の母もそうしなければならなかったのに、機会を活かすことができなかった。……ですが!」

 祥瓊は驍宗に力のこもった目を向ける。

「李斎は違います。李斎は本当に民を思うことができる。将軍としてそのような仕事をしてきた実績もあります。そして、泰王がいくら威厳に満ちていらしても、委縮することなく自分の意見をぶつけることができると思うんです。何しろ、西王母を言い負かした女性なんですから」

「……」

「私は自分にできなかったことを李斎に託しているのかもしれません。でも、私から見ても、李斎を正式な后の位につけて、王を見守り手伝う役割をさせてあげるのが道理にかなっていると思います」

「……確かに、李斎は友人の秋官長のために私に対して憤りを見せたことがある。私に問題があれば正してくれるだろう。そのような役職があれば李斎にぜひ勤めてもらいたい」

「ですから、愛妾ではなく王后に……」

 驍宗は軽く首を振った。

「いや、そういうことではないのだ……」

 驍宗は言った。

「王后は普通の官職ではない。まずは王の妻だ。そもそも男女の情愛が無ければどうしようもない」

 

「え? 泰王と李斎って恋仲でも何でもないんですか?」

 桓魋が身を仰け反らせて驚いた。鍛錬の休憩中に「今頃は、祥瓊が李斎をお后にしろと泰王に迫ってるところですよ」と軽口を叩いたところ、李斎から苦笑が返ってきたからだ。李斎は息を吐く。

「周囲からそのように見られているのは承知している。畏れ多いことに私は主上の近くで時間を過ごすことが多いから、特別な間柄だと思われがちだ。戴でもみな同じことを思っているだろう」

「……ええと、俺、余計なことを言ったかな?」

「いや。こうして真正面から話題にしてくれる方がいい。白圭宮の皆が、私と主上の間に艶めいたものがあると想像していることは、私も分かってはいるんだが……。誰も何も言わないから、こちらも誤解を解きようもない。きちんと伝えられる方がいい」

「誤解……」

「誤解だ。主上と私には何もない。一緒にいる機会が多いだけだ」

 

 李斎は隻腕を理由に何度か下野を申し出たことがある。しかし、驍宗をはじめとする乍王朝の誰もが、李斎は白圭宮に必要な人物だからと引き留め続けて来た。

 阿選の乱からして諸国の助力を要したのだが、そもそも驍宗は延王以外の誰とも直接の面識はない。李斎が顔を繋がなければ国同士の関係も深まりようがない。

 また、驍宗と泰麒も互いに相手と心を通わせたいと願うものの、七年の間に双方がそれぞれに変化を遂げてしまっていたために、戸惑いが生じることが多々あった。その悲しい溝を埋めるのに、二人の近くにあって昔から変わることのない李斎の人柄はおおいに頼りになった。そのうち、驍宗と泰麒と、それから李斎との三人で過ごすことは当たり前の光景となった。

 そして、彼女は隻腕の身で瑞州師を円滑に率いるために、実務を麾下に分担させた。すると、王師将軍の中で比較的時間が空いているのが李斎ということになる。だから、驍宗が白圭宮を離れるときには随従として李斎を伴うことが多くなった。

 いや、驍宗自身の方が白圭宮から李斎を外に連れ出すのに積極的だった。彼の復位後、戴は順調に復興の道を歩んでいたが、その成果を彼は彼女に見せたがったのだ。彼の言い分はこうだった。片腕を失った救国の女将軍の目にこそ戴が栄える姿を見せたいのだ、と。それに民が見たいのも救国の女将軍なのだから、とも。

 ──しかしながら、驍宗が男性として、女性である李斎に色めいたことを口にしたことは一切なかった。

 

 桓魋は片手を額に当てた。

「いやあー。それでも李斎に好意的なのは確かだし……。なんていうか、今日もそうだったし今までもそうだったが、泰王と李斎と二人で連れ立ってると、そういう仲らしい雰囲気があるんだが……」

 李斎は少し困った顔をするばかりだった。

「李斎は美人で気持ちの良い人柄だ。まあ、身近にいたらたいていの男が『いいな』と思うだろう。泰王だって全く何の気にならないということはないと思うが……」

 李斎は少し返答に詰まった。あの方は清廉潔白な方だと主張するのは何か違っているような気がした。完全無欠な存在だと盲目的に信奉するのは、今の驍宗に対して誠実ではないだろう。彼もまた人間であり、むしろ復位後は人間らしくあろうとしているように思える。

「一般論から言うが……。女の身で、男が多い中に立ち交じっていると、そのような視線を向けられることはよくある。異性が共に在れば、どうしても避けられないのかもしれない。女性の方だって男性にそのような目を向けているのかもしれないし。主上と私も異性どうしだから、時折──ほんの時たまだが、女性として見られているのかな? と思う瞬間はある」

 しかし、李斎は言い終わるか否や首を振った。

「私はただ、あの方にも人間らしさがあると言いたいだけだ。主上がご立派なのは、それをきちんと自制するところだ。そこに主上の品性が現れていると思う」

 実際、自分に向けられた眼差しに気づいた李斎が驍宗に視線を当てると、彼はさっとその色を消し去って見せる。微かに含羞の色を浮かべた後、彼は静かに改めて分別ある主君らしい顔を作ってくれる。その姿勢を李斎は好ましく思っている。

「主上がそのような方だから、私は安心してお傍にいることができる」

 李斎は顔を顰めた。

「異性に性的な目を向けてしまうこと自体はどうしても避けられないとしても、それをそのまま相手にぶつける輩は我慢ならない」

 勝手に手を握ってきたリ、尻を撫でてきたリなど論外だ。また、必要もないのに、外見や服装をくどくど褒めてくるのにも辟易する。女は男に構われ褒められたがっているに違いない、という思い込みが不快なのだ。

 しかし、ことが驍宗に関することになると李斎の顔は明るくなる。

「主上は女性に興味など全く無い、と庇うべきだったのかもしれないが。主上の優れたところを伝えるのに、そのような説明は違うと思った。空々しいし、主上は単なる変人でもない。けれど、主上はどのような気持ちを抱えても、それに振り回されて大事なものを忘れたり見失ったりなさらない。異性に対しても誠実で……。その振る舞いを尊敬申し上げているんだ、私は」

 桓魋が笑んだ。

「紳士なんですね、泰王は」

 李斎も大きく笑って頷いた。

 

「泰王には李斎に対して女性として特別な感情はおありではないのですか?」

「祥瓊、ちょっと……」

 踏み込もうとする祥瓊と、それを止める陽子。そのどちらにも正面から答えず、驍宗は問いを返した。

「祥瓊殿の母君は、登極前に峯王と婚姻なされたのだろう?」

「はい」

「既に玉座にある私が李斎を望むと、王命かと受け取られかねない。私はそれを恐れる」

 陽子の方が、ああ……、と呟いた。

「王である私への忠義から、李斎が私の申し出を受けようとする可能性は高い。そうでなくても、李斎は心優しく、私が女性を望む気持ちに応じようとしてくれるかもしれない。だが……李斎には自由に選んで欲しいと私は思う。だから私の方から何かを言うことができない」

 祥瓊が、畏れながら、と前置きしてから驍宗に問うた。

「一つ確認いたしますが、話の前提として、泰王の御心は李斎をお望みでいらっしゃるということでよろしいのでしょうか」

 驍宗は笑んで頷いた後、少し目を伏せた。

 陽子はその表情に胸を衝かれた。威厳と成熟みのある男性がふと見せた恥じらいのようなものが、なにかとても貴いものであるような気がしたからだった。

 

「泰王は紳士でいらっしゃる」

 陽子の言葉に、驍宗は軽く笑った。

「なんの。ただの朴念仁な男だということです」

 陽子は手の中の茶器を見た。

「蓬莱に居た頃、若い娘である私は、髪の色や着る服装、時間の過ごし方など厳しく管理されていました」

 驍宗が続きを促すように言い添えた。

「蒿里から聞いても、あちらが特に理想郷というわけではないらしい」

「ええ……そうなんです。私が生きづらかったのには、いろんな理由があり、私が至らぬせいだった面もありました。ただ、社会の方でも、女性はふしだらだと思われないように身を慎めという束縛が強かったと思います。そして、男性に心地よい存在としてただ評価されるのを待てと……」

 祥瓊が言う。

「こっちでも無いわけじゃないけど……。陽子の話だと、“すかーと”っていう服の裾の長さまで細かく決められているんですってね。それに“ずぼん”っていう男の子と同じ動きやすい服で遊びの競争をするのまでダメって父親に禁じられるなんて。そう聞くと、蓬莱って息苦しいところなんだなあって思うわ」

「うん。向こうじゃ、男性の顔色を伺ったり、男性より控えめであることを強いられたりという場面の方が多かったんだ。だから、男性の景麒に自力で戦えって水寓刀を渡されてどれだけ戸惑ったことか……」

「まあ、台輔はこっちの世界でも言葉が足りなすぎるわね」

 慶の女性二人がくすくす笑った。それから陽子は驍宗をまっすぐ見た。

「世の中の半分である男性が押しつけがましさを控えて、女性の一人一人を大事にしてくれれば、女性が生きづらいことはないんじゃないかと思う。李斎はきちんと大切にされているし、李斎自身がそれを理解し感謝してるんじゃないかと思います」

 私自身も生真面目一方でこういうことに疎くて分からないんですが……、と陽子は続けた。

「泰王はそう簡単に女性を好きになったり、その気持ちが変わったりする人ではないと思う。きっとずっと前から李斎を想っていらしたのだろうし、これからもずっと想いを寄せていくのでしょう。だから、いずれは李斎に気持ちを打ち明ける場面はやってくる……」

「そうよ、陽子。私もそう思うわ!」

 陽子は祥瓊のその声に目線で答えてから、驍宗に一つの提案をした。

 

 その日の夕餉を終えた後、李斎は驍宗から金波宮の園林の散策に誘われた。

「今日の夕刻、景女王がお気に入りの場所を教えて下さった。金波宮の外れの雲海に張り出した小さな岬で、何か考え事をする時によく足を向けられるところだそうだ。私をお連れ下さったが、特に絶景に恵まれているわけでも人の手が入っているわけでもないのに、ただ草原があるだけで心地よさが感じられた。これから二人で行ってみないか?」

 李斎は微笑んで頷いた。賓客扱いで肩が凝る中、彼にとっても自分にとってもよい息抜きになりそうだと思えてのことだった。

 月は明るく、道を知っている驍宗は足取りに迷いなく先を歩む。その背中を見つめながら、李斎は桓魋とのやり取りを思い起こし、そしてその続きを考えた。

 

 驍宗は李斎を異性として見る場面はあってもきちんと自制する。その姿勢を好ましいと彼女は思う。けれど、この気持ちには桓魋には語らなかった続きがある。

 本当は彼に女性として見つめられたい。そのような願望が自分にあるのだと彼女は気づいていた。

 矛盾していると分かっている。女性に対して慎み深い男だから心惹かれ、そしていつまでもそのまま高潔であって欲しいと思っているのに、それと同時に女性を欲望の眼差しで見つめて欲しいと願っているのだから。

 そして……。彼女は自嘲めいた笑みを口に端に浮かべた。これまでだって、ただ女性であるだけで、男性から女性として見られることはよくあったのだ。これらと同じように、彼にとっても李斎が数ある女の一人に過ぎないという程度であったら。それが分かったら自分はとても悲しい。

 だって、自分は彼を特別だと思って見つめているから。確かに驍宗の容貌は端正だ。けれど、それは彼女にとって大きな問題ではない。彼の頬から顎の線、鼻筋、背中の幅、節高く細い指などなど……彼の姿は特別なのだ。少し額から零れた幾筋かの銀髪さえも。見つめているだけで他の誰とも違う感情を掻き立てられる。

 この感情を恋と言うのだと彼女は知っている。ただ、そう名前を付けたところで何がどうなるというのだろう。相手は無骨で生真面目で、そして稀有な気高さの持ち主だ。女性に恋をする姿など想像できない。

 また、自分もそんな相手に恋を仕掛けるほど物慣れた女ではない。いや、彼には女の手練手管で口説かれるような男でいて欲しくない。

 時々、自分の中のこの想いを持て余すことがある。どうにかしなければと思いながら、身動きが取れない。

 きっと、この先も何も変わらない。それでもいい。ただ時折、思いの籠った視線を投げかけることが許されるなら、もうそれだけでいいと彼女は諦めていた。

 

「李斎?」

 いつの間にか驍宗が彼女を振り返り、足を止めていた。李斎もまた立ち止まる。彼は少し奇妙なことを尋ねた。

「帰りもまた、この道を二人で歩くと約束してくれないか」

「もちろんです。……なぜそのようなことをお尋ねになるのですか?」

「この茂みを抜けると雲海に出る。他人が来ることがない落ち着いた場所だ」

 彼は月明かりを背に立っていた。そのため細かな表情は薄暗くて分からない。

「人の目のない場所で、私は少し王の立場を脇に置く。李斎の理想を裏切るかもしれないが、呆れて見捨てることなく、また元通りに今と同じように歩いて欲しいと願っている」

「……」

「李斎が私を信頼してくれていることは良く分かっている。李斎は麒麟が新王を阿選と宣しても、私の麾下であることを選んでくれた。その期待に応えたい。そう、私はいついかなる時でも李斎が望む理想の君主でいてやりたい。しかし──」

 彼は茂みに足を向け、背中越しに彼女に告げた。

「この先、私は少しの間だけ普通の男として振る舞う。ついてきて欲しいが無理強いはしない。ただ、私がどのような男であっても李斎を傷つけるような真似はすまい。それを信じてくれるなら来て欲しい」

 李斎は一つ頷いて彼に続いた。どんな彼でも彼は女性を傷つけはしない。それだけは絶対といっていいほど信頼できたからだった。

 

 茂みを抜けると視界が開けた。眼前に広がる雲海は静かに凪いでいた。岬の岸壁を柔らかい波がひたひたと叩くだけの静かな波音しか聞こえてこない。潮の香りが無ければ、なにもない空間にぽっかりと投げ出されたような気になる。その開放感が心を日常から離れさせてくれるような場所だった。

 李斎が立ち止まっている傍で、驍宗がすっと腰を落とした。

「……!?」

 驍宗は片膝を立てて跪き、李斎を見上げていた。今度は月明かりが彼の顔を照らし、その表情が良く見えた。その真摯な顔つきに、李斎は彼と同じく地に膝をつこうとする。

「いや、李斎は立ったままでいて欲しい」

「そのような畏れ多いこと……」

「景王からお聞きした、あちら風の作法だ。しばらく李斎には立ったまま私の言葉を聞いて欲しい」

「……作法……」

 何の作法か分からないが、何か理由があるのならと李斎は背筋を伸ばして立った。膝をつく男の姿も端然としており、月明かりに浮かぶ二人の影は、これから厳かな儀式が始まるかのような雰囲気を漂わせていた。

 

 驍宗は軽く咳ばらいをし、じっと李斎を見つめた。そして一つ息を吐き、低い位置から呼びかけた。

「李斎」

 彼女の胸を震わせる響きだった。そこに込められた常にない情感に彼女が驚いている間に、次の言葉が届く。

「愛している、一人の男として一人の女性である李斎を──」

 静かな口調でありながら、言葉の端々から何か激しい感情が迸る声。

「……」

 李斎は幻聴かと思った。自分の望みを誰か別の人間に読み当てられたのか、と恐れおののく気持ちさえ湧いた。けれど、それは確かに、目の前に膝をつくこの男から発せられた言葉なのだった。

 彼は少し説明が必要だと思ったらしかった。

「景王からお聞きした。あちらの世界には男が女に跪いて愛を乞うという作法があるのだ、と。正確には蓬莱より西にある文化で、やや古風なしきたりだという。当時は男が女を主として従えるような風が強く、だからこそ求愛の場面だけは男の方が膝をつくのではないかと景王がおっしゃっていた」

「……」

 李斎の無言を聞きながら彼は続けた。

「今の私は李斎の主公だ。李斎は私にずっとその役割に忠実であって欲しいと願っているだろう。私も李斎の期待を裏切りたくなかった。それに、私の立場から愛は告げられないと思っていた。王の立場から何を言っても命令となってしまいかねないから」

 だから、と彼は笑んだ。重い荷物を下ろしたようなどこか安堵したような笑みだった。

「景王からこのような愛の告げ方を伺ってよかった。立ったまままでは言えない。王のままでは李斎を求める言葉を口にはできない、私は愛情を命令したいなどと思わないから。けれども、こうして跪いて女性を見上げながらであれば、私は一人の男として振る舞っているとことになろう」

 彼は軽く目を瞑り、一言一言かみしめるように言う。

「私はずっと李斎に言いたかった。やっと言えた。一生口にすることは叶わないかと思っていた。どうにかしなければと思いながら、身動きが取れないままだった。こうして口に出せただけでも嬉しいと私は思っている」

 李斎は驚きのあまりよく動かない舌で、もたもたと疑問を呈した。

「……恐れながら……主上はどのような女性でも求めることがおできになります。……李斎でなくとも……」

 驍宗は少し不思議そうに首を傾げた。

「他の女性? 要らぬ驕りは手放すべきたが、私にも最低限の矜持を持つことくらいは許されるだろう。私はそうたやすく膝を折らぬ。私が跪くのは李斎にだけだ」

「……」

 李斎の沈黙に彼はそっと息を吐いた。

「返事は否でも構わない。私はただ自分の胸の中の想いを告げてみたかっただけだ。驚かせたなら済まぬと詫びよう」

 それを聞くと慌てて李斎は、彼の前に座り込んだ。そうすると、片膝を立てている彼より、彼女の目線は低くなる。

「李斎、立ち上がって欲しい」

 李斎はいやいやをするようにかぶりを振った。何を言うべきかまだ分からない。ただ、立ち上がりたくない。彼女は顔を上げると、とっさに「嫌です」と口に出していた。

 彼は驚いた顔をした後、眉根を寄せた。

「李斎を不快にさせたのなら……」

「いえ……いいえ! 立ち上がってしまうと主上に触れていただけません」

「……」

 彼女は視線を彼に据えた。彼の目を見て話したかった。そうしなければならないと思った。ここまで真摯な告白を受けたのだから、自分もまた真正面から彼に応えるべきだ。

「私も……私も女性として主上を慕わしくお見上げ申しておりました……。私を……他の誰でもない私を……見て感じて触れて欲しいと……。不遜で浅ましいと思っていても、そう願うことを止められませんでした……」

 彼は軽く目を見開き、それから細めた。そして、そっと片手を伸ばす。彼女の頬に手を添えようとしているのだと理解した彼女は目を閉じた。温かい掌が彼女の頬を覆う。

 息遣いが近づいてくる。彼の手は頬から下に移り、そして彼女の顎を少し上向かせる。

 彼女が受けた口づけは静かに始まった。まるでこの雲海の凪のようだ……と彼女は思った。

 次に彼女が意識を取り戻すまで、長いようにも短いようにも思えるひととき、雲海だけは穏やかに規則正しく寄せて返すだけだった。月影の中で互いに求めあう男女の、その動きを知らぬかのように。

 

 二人は手をつないで歩いていた。茂みを抜け、自分たちの部屋に向けて。この道を前に歩いた時から月がどれだけ夜空を動いたか彼らは気にも留めない。

「李斎と二人で帰ることが出来て良かった」

「主上さえよろしければついてまいります。臣下としても、女としても」

 彼はその言葉に立ち止まった。

「もう一つ、李斎に頼まれて欲しいことがある」

「なんでございましょう?」

「祥瓊殿が言っていた。王の家族として峯王を諫められなかったことに悔いが残ることを」

 李斎も思い出す。李斎が初めて金波宮に辿り着いたとき、戴の話をしながら苦く口にしていた。先の峯王は国を荒らした人だった、と。その娘だったとは後で聞いたが、確かに悔恨は深いものがあるだろう。

「李斎なら、王の家族となってもその役割を果たしうるのではないかと祥瓊殿は期待していた。私も李斎に王后になってもらい、私を公私に助け、何かあれば諫めるという勤めを担って欲しい」

「……お受けいたします」

 王に並ぶ高い地位だと分かっている。足がすくむ思いもする。だが、彼はその高みに独りで座っているのだ。望まれてどうして傍に行かずにいられよう。

 彼はくつくつと喉を鳴らした。

「即答か。李斎はそうすると半分くらいは思っていた。何か使命を与えられると奮い立つ、勇猛な女将軍らしいことだ」

「李斎は猪突猛進するくらいしか取り柄がありませんゆえ」

「できれば、もう李斎を走らせたくはないものだ。いつまでも私の側でゆったりと笑って過ごせるよう、良き王であり続けたいと改めて思う。平時の王后は私の妻だ。私を愛してくれればそれでいい」

 ああ、そうだ、と彼はつぶやき、彼女に微笑みかけた。

「これからも白圭宮でも跪いて愛を乞おう」

「おやめください。皆が見れば驚いて大事になってしまいます」

 驍宗は「それでは二人きりの臥室の中だけで」と笑った。

 

 それから数カ月の後。

 祥瓊は景王陽子に伴われて、戴国鴻基の白圭宮に到着した。王が后を迎える婚礼の式典に招かれていたからだ。二人は、泰麒と冢宰に迎えられる。

 正頼がにこにこと笑いかけた。

「貴女が祥瓊殿ですな。お話には聞いていましたが、お会いするのは初めてですなあ」

「私は一介の女史に過ぎませんから」

「いやいや、この度はとうとうあの驍宗様と李斎をくっつけてくださり、本当にありがたく思っておりますよ」

 泰麒も隣で苦笑した。

「白圭宮の誰から見ても、互いに想い合っているのは明白でしたのに……。相手は自分のことを想っていないと考えていたのは、あの二人だけだったというか……」

 陽子は笑う。

「武骨で生真面目で……でも、泰王は素敵な男性だと思うよ、私は。李斎にも幸せになって欲しかったから、こうなって良かった」

 正頼が肩を竦めた。

「二人そろって不器用だと何も進みませんでねえ。こちら──白圭宮としても、誰もが、どうにかしなければと思いながら身動きが取れない状態でございました。よくぞあの猫に鈴をつけて下さったものです、祥瓊殿」

 泰麒が祥瓊を見つめた。それだけでなく彼女の手を取り、両手で包んだ。

「祥瓊殿、貴女はご自分の後悔をもって、慶と戴に仕えてくれるんですね。有難うございます。戴の麒麟としてお礼を言います」

 祥瓊は麒麟に握られた自分の手を見た。

 過去を恨んだことも、嘆いたことも、悔いたこともあった。けれど過去は作り替えることはできない。ただ自分の経験を人に伝え、それが相手の役に立てたなら、自分の背負ったものが少し軽くなるような気がする。

 彼女はもう帰ることのない故国を思い浮かべた。

「気候の厳しい北の国に、このようなあたたかい慶事がございますこと、心よりお喜び申し上げます」

 戴の麒麟は重ねて礼を言い、もう一度祥瓊の手を力を込めて握った。祥瓊は、故国の金の髪の麒麟にそうしたかったように、鋼色の髪の麒麟の手をそっと握り返した。

 

 

 

<了>

 




くどくて申し訳ございませんw

2022年現在、十二国記の戴国メンバーをモデルにした、平安ファンタジー小説を投稿中です。
驍宗様はあまりに完璧すぎてキャラとして動かしづらかったので、英章と合体して別キャラになっております。
しかし、李斎や臥信、霜元的なキャラはわりとそのまま登場してます。
後半は、双璧の阿選をモデルとしたキャラのクソデカ感情が炸裂するんですよw
是非お読みいただければ幸いです。

「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕ヘ或ハ近衛大将ノ大詐術」
https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393
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