その1 『不穏なる蛮顎、現る』
黒曜の原野。豊かな野原と森に分断された、自然溢れる大地。
その環境に適した、様々なポケモンたちが生息している。
川辺に集まるのは、出っ張った前歯が特徴である、茶色い毛並みのビッバ。草むらから、そこら中を彷徨き回る鳥ポケモンのムックルを狙っているのは、可愛らしい見た目とは真逆の性格のコリンク。
川の下流辺りにもなれば、襟巻きのような浮き袋を持ったブイゼルやフローゼル。
山上に登れば、オドシシやアゲハントといった多彩なポケモンも見ることができる。
そんな黒曜の原野を走り抜けるは、一人の少女。
束ねられた艷やかな黒髪と、首に巻いた赤い襟巻きをたなびかせ、丈夫そうに編まれた靴を足に、黒曜の原野を颯爽と走り抜けている。
背は低めで、淡麗な少女だった。草陰に身を隠し、服の懐から一つの球体を取り出す。
モンスターボール。赤色を基調とした、ポケモン捕獲用の絡繰。ギンガ団によって開発され、作り方さえ分かっていれば簡単な材料で作成可能な代物。
少女はそれをひょい、と放り投げる。
軌道を描いて飛んでいくボールは、やがて一匹のムックルの頭へと当たる。
ボールの蓋がパカ、と開いて光の粒子がムックルを球体の中へ吸い込んだ。
上部の突起が火花と共に飛び上がり、パチンと弾けた。捕獲完了の合図だった。
少女に拾い上げられたボールは、懐の中へと納まる。
付箋が沢山はみ出ている書物を開き、筆で何かを書き記す少女。
青く澄んだ空を見上げ、少女――ショウはため息をつく。
ずっとこういう毎日。図鑑のタスクを埋め、食べて眠る毎日。
全てのポケモンに会い、神に会ったのに、望んだ世界には帰れず、ここで暮らす事を余儀なくされた。
「私は……はみ出しものだよね」
自然と漏れた言葉。
ドス黒い感情の籠もったそれが、具現化したかのように、空が一瞬、鈍く光った。
「時空の歪み……!」
ショウにはすぐに分かった。ヒスイで度々起こる謎の現象。時空の歪み。
身体が自然と動き、光がある場所へと向かった。
◇
蹄鉄ヶ原にやってきたが、歪みなんてどこにもなかった。
疲れて幻覚でも見たのかと、自分を嘲笑していると、不気味な気配を察知した。
ビッバやコリンク達が、人間そっちのけで明後日の方向へ逃げていく。
逃げ遅れた、ビッバの進化系ビーダル。
彼を襲うのは、巨大な脚。
強靭な脚に踏みつけられ、身動きを封じられる。どこからとも無く現れた、恐ろしい頭部に咥えられ、空中へ放り投げられる。
そして落下する先は、口の中。
異質な存在の口に入り、ビーダルは一瞬で肉の塊へ変わり、噛み砕かれた。
「な……あのポケモンは……」
血を滴らせる、桃色の鱗と紫の体毛で身体を包んだ、人の身長の何十倍もの巨体を誇るポケモン。
その
「っ……いけっ、ジュナイパー!」
恐怖に突き動かされ、手持ちの入ったボールを投げる。
飛び出てきたジュナイパーは、強気に朱色の羽を広げ、眼の前のポケモンに威嚇する。
謎のポケモンは、けたたましい咆哮を轟かせる。オヤブンガブリアスよりも、悍ましい叫び声だ。
「ジュナイパー、さんぼんのや!」
踵落としを叩き込み、三本の弓矢を発射するジュナイパー。
その攻撃は謎のポケモンに命中、不意の攻撃に対応しきれず、少しだけ怯んだように思えた。
ポケモンの反撃――口を大きく開き、火炎を集中させる。
刹那、赤き閃光と共に火炎放射が放たれる。
ジュナイパーは間一髪の所で避け、再び三本の矢で反撃をした。
攻撃が命中した時、ポケモンは怒り狂ったのか叫び声を上げる。すると、喉が赤熱化し、鼻は鶏冠のように、背中の皮がめくれ翼のように展開された。
「なんてポケモンなの……」
ジュナイパーをボールに戻し、次のポケモンを場に出す。
「ゾロアーク! うらみつらみ!」
白い毛を靡かせるゾロアークは、空中で漆黒のオーラを放ち、怒り狂うポケモンを攻撃。
着地の隙を狙われ、すてみタックルをされるも、ゾロアークはゴーストタイプ。攻撃を受け流し、闇のエネルギーを凝縮したシャドーボールで攻撃する。
しかし、そのポケモンはどんな攻撃を受けようと怯みはしない。
下顎を地面に突き刺し、口から炎を噴射しながら地面を抉り取りつつ突進してくる。
そして飛び上がって、ゾロアークに炎を纏った噛みつきをお見舞いする。
ゾロアークは激しく吹き飛ばされ、一撃で戦闘する体力を失った。
「くっ……強い」
彼女をボールへ戻し、もう一匹のポケモンを繰り出す。
白い翼を持つポケモン、トゲキッス。多彩な特殊攻撃を覚える彼で対応できなければ、打つ手はない。
「トゲキッス、マジカルシャイン!」
荒れ狂うポケモンに放たれる、聖なる輝き。光の結晶となって奴を貫くも、効いてる様子は見られない。
「ならこれよ、エアスラッシュ!」
トゲキッスが翼をぶん、と払うと風の斬撃波が放たれ、ポケモンを斬りつける。少しは効いたのか、ぐらりと蹌踉めき、動きが鈍くなった。
「これでトドメよ、みずのはどう!」
白い翼の先端に、水のエネルギーが集中する。
そして放たれる水の波動が、赤熱化したポケモンの喉を穿つ。
突如、ポケモンの喉から炎が爆ぜたかと思えば、激しい爆音と共にポケモンは倒れ込み、ぴくりとも動かなくなってしまった。
「た、倒した……?」
念の為、死を覚悟して近づいてみるも、死んだふりをしている様子は見られない。
殺せたようだ。幸い、周りに火が燃え移ったりはしてないようで安心した。
しかし、安心できないのは、このポケモンが何処からやってきたのかと言う点だった。
黒曜の原野で、何度も調査を重ねてきてはいるが、このようなポケモンは見たことも聞いたことも無い。
――時空の歪み。あのとき、空を見上げた時に走った黒い光が、奴をここに呼び寄せたのだとしたら。
このポケモンは、少なくとも今の世界の者ではないという事になる。
だとしたら、自分がこの世界に来た時のように。何か良からぬ事の前兆では無いかとすら思えてくる。
――また、自分のせいか。
有り得ない事なのに、どうしても脳裏を過ぎるのは、いつもこの言葉。
あの日、空が真っ赤に染まった日。皆が来訪者である自分を敵と見做し、村を追い出し、野生に満ちた野原へと見放した、あの日。
辛かった。悲しかった。誰も、誰も信じてくれなくて、誰も味方をしてくれなくて。
その味方をしてくれた人ですら、その想いは偽物で。
今、思い返すだけで、自分は自分じゃないように思える。
全てが、信用できなくなる。
浮き上がってくるどす黒い感情を引っ込めて、平常心を取り戻す。
きっと、みんなは自分を信じてくれている。
そう思うしか、平常を保つ方法は無い。
ぽつぽつと、雨が降ってきた。
しきりに降り注いでくる冷たい水滴が髪を濡らし、肩を濡らし、足元の地面を湿らせていく。
見かねたトゲキッスが、その大きな翼を用いて、ショウの頭に白い傘を作ってやる。
彼女の目は虚ろで、雨に濡れた地面を、じっと見つめていた。
「帰ろっか」
「きゅるる」
ショウが優しく微笑むと、トゲキッスは小さく鳴いた。
謎のポケモンの死骸は雨に打たれ、紫の体毛に水滴が滴る。肉の臭いを嗅ぎつけて、コリンクやルクシオたちがやってきて、桃色の皮にかぶりついていく。
もう、数日もすれば骨になってしまうだろう。