小狼(シャオラ)は二つの事に驚いた。
一つはこの娘に人外が見えている事。
もう一つは彼女の物怖じの無さだ。
鬼神とも称される草原の覇王の元に召されたのだ。
大概の娘は口を聞くどころか、おののいて顔も上げられない。
だがこの娘は、世間話のように素朴な疑問を口にする。語尾のハッキリとした感じから、頭が緩い訳でもなさそうだ。
小狼はムクムクとこの娘に興味が湧いて来た。
「さぁ、何か居るのかい?」
惚(とぼ)けてカマを掛ける王に、娘は真っ直ぐに向き直った。
髪と同じく真っ黒な瞳の後ろの白目は青みを帯びて、水底の玉石を思わせる。
「王様もご覧になれていらっしゃるのでは? その御瞳に映っていますわ。空色の髪の小さな女の子」
小狼はつい、クスリと声を上げてしまった。
テムジンがたじろぐのなんて初めて見る。
娘は今度は妖精の女の子に向き直る。
「こんにちは、私はアルカンシラです」
「あ、小狼(シャオラ)です……」
今度は小狼がタジタジとなる番だった。
「あらごめんなさい、幼子などと言ってしまったけれど、何だか私よりお姉さんな感じがします。不思議です」
小狼は王と顔を見合わせて、ゴクリと唾を呑み込んだ。
***
テムジンは上機嫌だった。
積年の憂鬱が解消したのだ。
「見える父親に見える母親。当然見える子供が生まれて来るよな」
本日は、小狼の森のハンモックはテムジンが占領していた。
「ただ見えれば良いだけではないと思いますよ。英雄イェスゲイ・バァトルは、全ての人外を惹き付け魅了する力をお持ちだったと聞き及びます」
小狼は木の下に座って縫い物を広げ、チクチクと針を刺した。
「俺は?」
「それなりの魅力はお持ちだと思います」
妖精のひっつめた髪には、珍しく薄桃色の花が飾られていた。
「おーうーさま――」
同じ花を髪に刺した娘が、両手に何かを包んで駆けて来た。
「鳥のヒナが落ちていました。巣に戻してあげなくては」
「ほぉ、王に木登りをしろと?」
「いえ、王様だと親鳥が怯えます。登るのは私が」
娘は小さな靴を脱いで裸足になった。
「じゃあ俺は?」
「肩車して下さい」
小狼は縫い物をしながら思わず吹き出した。
「この娘は?」
「かなりな魅力をお持ちです」
最初の日、アルカンシラは小狼(シャオラ)のパォに泊まり、枕を並べて語り明かした。テムジンがそうしろと勧めたのだ。
朝、二人は赤い目をしてニコニコと手を繋いでいた。特に妖精の娘の、ここ最近の額の縦線が、嘘のように失せていた。
そう、妖精の娘には、普通にお喋り出来るような存在が、必要だっただけなのだ。
そうして朝食を共にしながら、アルカンシラは小狼に促されて切り出した。
「王さまに告白せねばならぬ事がございます」
「うむ、構わないよ、話して」
「私、あの氏族の首長の娘と言う触れ込みで来ましたが、嘘ですの」
「ふぅん」
「ね、王はそんな事では怒らないって言ったでしょ」
隣で嬉しそうにチャチャを入れる妖精の娘に、王はチラと複雑な表情をしたが、すぐに戻した。
「じゃあ何者なの?」
「あの氏族の者ですらありません。
私の母は流民だったそうです。行き倒れて命と引き替えに私を産み落とし、私は集落の人達に育てて貰ったのだけれど、差し出される事に決まった首長の娘さんが前の晩に駆け落ちしてしまって、皆が困り果てていた所に、ご恩を返すなら今だと思って名乗り出たのです」
壮大なストーリーをあっさりと一気語りした娘は、口を閉じて、例の美しい瞳で王をじっと見つめる。
(ずるいぞ小狼……)
テムジンは匙をクルクル回しながら仕方なく答えた。
「んん、じゃあ、それは聞かなかった事にしよう。君の恩人の氏族にも咎めは無しだ」
アルはニッコリして礼を述べた。
その隣で澄ましている妖精の娘を、テムジンは一瞬だけ忌々しげに睨んだ。
夕べ、アルカンシラの血縁の娘すべてを召し上げる算段をしていた。
他所から来た流民だと言うのなら、その計画はお流れだ。
実際アルの言う事は真実だろうが、こちらの考えを先読みして釘を刺されるのは、非常に面白くない。
(成りは子供なのに、要らない所ばかり年長けて!)
戦が小康状態なのもあって、アルカンシラの陣中見舞いは予定を大きく越していた。
小狼は木陰で縫い物に勤しみながら、穏やかな空気に身をたゆたわせていた。
思いも寄らない友達が出来、テムジンは小鳥のヒナなんてのどかな事にかまけている。
このまま戦が消滅すればいいのに……
しかし始めたモノを忘れる訳には行かない。
アルの乗馬用のズボン(ウムドゥ)を縫い上げて糸を切った所で、空から赤い狼が降りて来た。
小狼の後ろに隠れる人間の娘を横目でねめつけ、王に歩み寄って素早く何か耳打ちする。
テムジンの中で歯車が切り替わった。
「アルカンシラ、長らくありがとう。一度故郷の集落へ戻りなさい。追って本国から迎えを差し向けるから」
アルは即座に状況を悟った。
「はい、王さま、お気を付けて」
「小狼、アルカンシラを集落まで護衛するんだ」
「承知しました」
「そしてそのままそこに残りなさい。アルカンシラを護衛しながら待機を命ずる」
「ど……!」
どうして! と言葉を出す前に、赤い狼が目をギラ付かせて口端から炎を吐いた。
「分かんねぇのか!」
テムジンが片手で彼を制しながら言った。
「小狼はもう戦場(いくさば)には出さない」
***
小狼(シャオラ)の剣は人間を斬れない。
物理的に非力なのもあるが、妖精の理(ことわり)で禁忌とされている。
人間を屠ると妖精でなくなる、冥府の魔性に身を落として二度と戻れなくなってしまう。
そう教えられているのだが、具体的にどうなってしまうのかは知らない。
だからと言って全くの役立たずではなく、妖精なりに術が使える。
風を起こして先陣を足止めしたり、空も飛べて姿を隠せる存在は、戦場でもかなりな役に立つ筈だ。
ましてや、敵に魔物使いがいる時に戦場を外されるとは思わなかった。
「嫌です。私は私の意思でここに来たんです。駒扱いされる覚えはありません」
「分かった、言い方が悪かった。小狼はもう危ない場所に出ないでくれ」
アルは双方を見てオロオロしている。
「足手まといなんだよ!」
狼がブチキレた。
「剣を抜くのが一拍も二拍も遅い! 戦場に向いていねぇんだよ、てめぇは! こいつに皆まで言わせるつもりか!?」
小狼は頭から鉄芯を通されたみたいに硬直したが、やがてガクリと肩を落とした。
項垂れたままテムジンに一礼し、無言でアルの手を引いてその場を去った。
「要らん事を言ったとは思わねえぜ」
「いや、感謝する」
二人は顔を上げて遠くの空を見た。
――鴉(からす)が、動き出した……
***
馬車の御簾の隙間から何度も覗いては、アルカンシラは横を歩く草の馬を確認している。
鞍上の小狼の表情は真っ青で生気が無い。
護衛の兵士がいるので話し掛ける事も出来ない。
本当は今すぐに抱きしめてあげたいのに。
通りすがりの流れ者が産み落とした娘。部族内での扱いはそれなりだった。
そんな生きている価値が分からないような自分でも、一生に一度くらいは光に当たりたい。
族長の家で駆け落ち騒ぎが起こった時、今がその時だと思った。健やかに育った年頃の娘達は皆、知らない国から来た恐ろしい鬼神の所へ行くのを、泣いて嫌がっていた。
私が参りますと名乗り出た時、今まで冷たかった面々が、ケロリと顔を緩ませて讃えてくれた。
ここを抜け出せるのなら後はもう、行き先が地獄だろうと鬼の懐だろうと構わないと思った。
アルカンシラにとっても小狼は、生まれて初めての友達だった。
故郷の集落にはその日の内に着けない。行きも二泊の道程だった。
荒野に張られた天幕の中、アルはやっと妖精の娘と二人きりになれた。
小狼は少し落ち着いていた。
「要するに早く『破邪の呪文』を習得すればいいんだ。今は上手く行かなくて空振りばかりだけれど、魔物を一撃で祓えるようになれば、テムジンはきっと側に置いてくれる」
アルは黙って聞き役に徹していた。
この妖精があの王にどれだけ阿(おもね)ているか、側に居れば分かった。確かにあの方には、表より隠している無垢で脆(もろ)い部分がある。放って置けなくなるような。
そういう所に気付いて、妖精の里を出奔してまで側に添いに来たのだろう。
だがアルは、彼女の方が心配だった。
妖精だから相当の力があるのかもしれないが、精神が一途過ぎて、何と言うか、幼い。
戦場に行って欲しくない、危ない場所に立って欲しくない。だけれど今、一生懸命立ち直ろうとしている彼女に、そういう自分の本心は言えなかった。
小狼がピクリと顔を上げた。
天幕がハタハタと風に揺らめいている。
外の草の馬が、激しく足踏みして嘶(いなな)いた。
小狼が剣を掴んでアルを庇うのと、突風が天幕をまくり上げて持って行くのと、同時だった。
――!!
大鴉(おおからす)! 人間の身の丈もあろうかという巨大な鴉が、月光の下黒々と、護衛の兵士に襲い掛かっている。
人間に対して姿を現している? 何故……小狼は草の馬にアルを押し上げながら頭を巡らせた。
三人居た兵士は爪を掛けられる事なく、ただ追い立てられている。生きて証言をさせる為だ。
――何を?
「アル、しっかりたてがみを握って!」
馬の尻を叩いて一気に走らせ、自分は剣を抜いて鴉の前に立ちはだかった。
鴉使いの陰陽師は只者ではない。草原の覇王の弱点を、適格に突き止めていたのだ。