風の末裔 ~見えない羽根のおはなし~   作:西風 そら

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 短編です

 『蒼と赤』より1年後
 『続・あなざぁ すとぉりぃ』より11年前





鎮守の森

 

 

 

 

 風の末裔の長はそんなに暇を持て余している訳ではない。

 こう見えても結構忙しいのだ。

 ここ数ヵ月所用が重なり、あの人間に預けていた赤子の様子すら見に行けていない。

 そんな時に今度は妹が、危急の手紙を寄越して来た。

 まったく…………

 

 馬を駆って草原を抜け、王都を眼下に飛び越える。また人口が増えたようだ。あの獅子王の勢力は広がっているのだろう。

 

 

 まだ子供だった妹が、一人の人間の少年の元へ行ってしまったのは、何十年前だったか。

 少年はたちまち草原の部族を平定し、気が付くと大陸を塗り潰すように覇権を広げていた。

 

 遠征ばかりしているので、妹にぜんぜん会う機会がないままだったのが、先日久し振りに接触を持って来た。

 すっかり成長した姿に驚いたのも束の間、肝が冷えるような報告をされた。

 ヒュッと喉が鳴り意識が遠くなったが、はにかみながら腹を撫でる妹の前で、気合いで踏ん張って平静を保った。

 

 

 そも、蒼の妖精は、滅多な事では人間に近寄らない。

 術も使えて寿命も長く何百年も先を見据えて生きる妖精と、出来る事が少なくて寿命も短く目の前の事に全力で取り組まねばならない人間は、生きる基準が違う。関わってもろくな事にならない。

 

 数の多い人間が地上の基盤を築いている事は確かで、人間界が荒れると人外界にも悪影響が出る。

 だから代々の蒼の長は人間のトップと親交を持ち、最小限の関わりを細く保っていた。極端に悪い方向へ行くのを防ぐ為だ。

 

 しかし当代の長……自分が引き継いだ時、戦乱の真っ只中で、人間側の『後継者』の行方を見失ってしまった。

 やっと見付けた獅子髪の少年は、過酷な運命を生き抜き過ぎて、素直に長の手を取らなかった。

 欲望の赤い魔性と契約して、人間界の制覇に踏み出してしまったのだ。

 

 その時、貴重な長の血を分けた妹が、妖精の立場を捨てて少年の元へ行ってしまった。

『人間の男などにケソウして』となじる声もあったが、長は彼女の気持ちを尊重した。

 自分で納得しているとはいえ長の責務から逃れられない身からして、あの子にだけは自由に生きて欲しいという願望が働いたのかもしれない。

 そうして、何年も何年もしてから、彼女の行動の本当の意味に気付いた。

 

 魔性と契約した人間と蒼の妖精は、交流を持てない。

 だが『里を出奔して何者でもない身』ならば関係ない。

 王の側に添って、彼の魂が、欲望の赤い獣に乗っ取られてしまうのを防ぐ事も。

 

 多分、彼女に聞いたら、『え? そんなの考えていなかったよ』と、キョトンとするだろう。

 

 妹は、蒼の長としての資質は何一つ継承していなかった。

 故に里でもまったく期待されていなかったのだが。

(実は継承していたのだなぁ、一番大切な事を……)

 

 それに気付いてから長は、なるべく彼女に口出しはせず、見守る事にしていた。

 だけれど、今回の件は…………

 

 

 

 

 王都の外、西の外れに、丸くこんもりとした森がある。

 王が近隣住民の立ち入りを禁じている『鎮守の森』。

 

 道なき森の中心に少しの広場があり、木陰に小さなパォが建つ。

 長は樹々をかすめながらその前に下り立った。

 広場では妹の馬が遊んでいる。

 入り口に座り込んでいた獅子髪の男性が、長を見て立ち上がった。

 

「やぁ……」

 

「久し振りですね、王君。あの子は?」

 長はそっけなく言った。

 

「中だけれど、今入ったら怒られるよ」

「私は兄ですよ」

「小狼(シャオラ)じゃない、あの婆さんが怒るの! 俺だって思いきり蹴り出されたんだ」

「ああ、オタネお婆さんならそうでしょうね」

「トンでもない産婆さん寄越したな。俺、怒鳴られっ放しだったぞ。その癖、人を顎でコキ使うんだ!」

 

 大切な一族の娘をかどわかし、あまつさえ身籠らせるなんて、オタネお婆さんにしたら怒りは果てしなかったろう。

 ふてくされる王を見て、長はホンのちょっとだけ気の毒に思った。

 

「仕方がないでしょう。人間に妖精のお産は扱えませんから。まったく、私が気を回さねば、あの子をどうするつもりだったのですか」

「俺が取り上げるさ」

「・・!」

 

 長は険しい顔で王を見た。そんな子供じみた意地で妹を危険に晒されては堪らない。

 

「あ、バカにしてる。俺の末の弟は俺が取り上げたんだぞ!」

「……」

 そうだった。この王は泥水をすする少年時代を送ったのだった。

 

「あの子がそれで良かったのなら、貴方に文句は言いません。でも私にとっても大切な妹だという事を忘れないで下さい」

「……ああ、悪かったよ」

 王は素直に謝った。

 一族に頼りたくないのは妹の希望だったのだろう。

 だがそれでも彼女の身を一番に案じて欲しい物だと、長は不満を拭えなかった。

 

 

 パォの入り口が細く開いて、小さな老婆が出て来た。

 わら半紙を丸めたような顔を更にクシャリと歪ませて、いきなり長の両手を掴む。

「おお、長様、長様……」

 

「オタネさん、ご苦労様でした。出奔した妹の為に労して頂いた事を感謝します。しかし今朝がたの鷹の手紙、緊急を要する事とは……何があったのです?」

 

「申し訳ありません、申し訳ありません、私(わたくし)が付いていながら……」

 老婆の両目から涙がぶわっと溢れ、長は空より青くなった。

「あ、あ、あの子に何か!?」

 

「心配しなくていいよ。その婆さんずっとその調子なんだ。大袈裟なんだから」

 王が呑気な声で言って、どさくさに紛れてパォの入り口に近付いた。

 

「黙れ小悪童(わっぱ)! お嬢の取り成しが無ければ貴様などイタチに変えてくれた物を!」

「トンビの方がいいな、飛べるし」

 

 王が婆さんの振り回す杖を避けて逃げ回っている間に、長はパォを伺った。

 

「兄様? 兄様、いらしているの?」

 

 元気そうな声。長はとりあえず胸を撫で下ろした。

「入ってもいいですか」

 

 薄いカンテラの灯りの中、妹は寝床に身体を起こして兄を出迎えた。

 懐妊の報告を受けて以来数ヵ月振りだが、頬はふっくらして顔色も良い。

 腕の中に真っ白な産着のかたまり。小さな指が贅沢な絹の間から覗いている。

 

「ありがとうございます、オタネお婆さんを寄越してくれて。久し振りに怒鳴られて、懐かしかったわ」

「加減はどうですか?」

「大丈夫よ、私もこの子も。そう、男の子だったの。とても元気で」

 

 妹に抱かれた生まれたての命が可愛い声を上げ、長の複雑な思いは怒涛の如く流れ去った。

「抱かせて下さい、この子に祝福を」

 

 妹が差し出した赤子を長が慎重に受け取った時、入り口に王が現れた。

 杖の先を掴んで高々と掲げ、ジタバタするオタネ婆さんごとぶら下げている。

「落っことすんじゃないぞ!」

 

 まさか、王のような粗忽者じゃあるまいし、と赤子を抱き直して顔を覗いて…………!!?

 電気に打たれたみたいに身体中が震えた。

 取り落としそうになるのを慌てて受け止める。危な……

 見ると、妹は予測していたように、下に手を伸ばして構えている。

 

「心配すんなって。俺も一番始め、落っことしそうになった」

 王がオタネ婆さんを引きずったまま、長の横へ来て赤子を覗き込んだ。

 

「心配するなって、心配するなって……心配じゃないのですかぁああっっ!!」

 速攻妹の手に赤子を返し、長は王の胸ぐらを掴んだ。

 母は困った顔で赤子の耳を塞ぐ。

 

 赤子の髪は生まれたてなのにフサフサで、血のように真っ赤。

 既にパッチリ開いている瞳は銀にランランと光り、瞳孔は動物のように縦に割れていた。

 

 

 ***

 

 

 赤子の背中には、首筋から繋がって真っ赤なたてがみもあるという。

 

「それって、それってまるで……」

 呆然と震える長の前で、胸ぐらの手を掴んで、王は真顔で言った。

「俺の子だよ」

 

「いや、だって……」

 

「テムジンの子なの」

 

「…………」

 

 長はチラリとオタネ婆さんを見た。

 婆さんは心得た感じで一礼し、王を睨み付けながら外へ出た。

 

「いいですか、二人ともよく聞いて下さい。貴方達の気持ちはね、分かりました、よ――っく分かりましたっ。しかし現実的な問題を考えなくてはならません。混血児はどちらの資質が出るか分からないし、きちんと考慮して資質に合った教育を施してやらねば、当人の不幸に繋がります。そういう意味で受け継いだ血をはっきりさせておく必要が……」

 

「ね、テムジン、もう歯が生えて来たのよ、ほら」

「ホント? おお、犬歯じゃん、かっけぇ――!」

 

 のどかに赤子を覗き込む王を、青筋立てた長が引き剥がし、胸ぐらを掴んでガクガクと揺さぶった。

「貴方ね、貴方! 能天気過ぎやしませんか? 男として、妻が産んだ子供が明らかに……あ――・・」

「うゎっ、嬉し! 俺、そんなぶっちゃけトークしてみたかったんだ! 『お兄さん』と!」

 長はテムジンを突き飛ばしてパォの壁に張り付いた。

 

 しばし、長の荒い息と沈黙。

 

 妹が静かに切り出した。

「確かに最初は戸惑ったけれど……本当にテムジンの子なの、兄様」

 

「小狼がそう言うならそうなんだ。だって小狼は俺に嘘を言う必要なんかないもん。いつだって、どんな時だって」

 

「…………」

 

「ね、兄様、もう一度この子をよく見て」

 長は少し落ち着きを取り戻して、赤子に近付いた。

「このゲジゲジ眉毛とか、小憎らしく上むくれた口の端とか、テムジンにそっくりじゃない?」

 

 ・・言われてみるとそうかもしれない。色を考えないでよく見ると、この子は王とそっくりだ。

 

「兄様なら分かるかもと思って、オタネお婆さんに頼んで手紙を書いて貰ったのは私なの。これってどういう事なのか。もしも病気か何かだったら治療をしてあげなきゃならないし」

 

「あ、ああ、そうですね……」

 長はやっと冷静になって、両手を出して赤子を受け取った。

 銀の瞳は臆する事なく長を見ている。

 その眉間の奥、深い深い所に、長は意識を送り込む。

 

 王も隣に来て、口を結んで大人しく待った。

 永いか短いか分からない時間が過ぎ……

 顔を上げて長は、潜水から上がって来たように息を吸った。

 

「何か分かった?」

 

「呪い……」

 

「えっ?!」

 妹が赤子を受け取りながら強張った。

 

「あの獣……は、大陸から戻る少し前に、フィといなくなったと言いましたね?」

「ああ、小狼が身籠る前だよ」

 だから長は今こうして、王とも普通に話せるようになったのだが。

「去り際に呪いを掛けて行ったのです。次にこの子から生まれる赤子には、生まれながらに狼の呪いをと。そういった所でしょう」

 

「あいつが?」

「あの、兄様、呪いって、具体的にどんな災いが?」

 妹は母らしくうろたえている。

「いえ、直接悪い事を起こす物ではありませんが……この容姿が、災いといえば災い……」

 

「見た目だけかよ!」

 王が叫んで、両手を頭上に突き出した。

「ついでにあいつの強さと図太さも乗っけてくれればよかったのに!」

 

 長がまた胸ぐらを掴みに行こうとするのを、妹がそっと止めた。

 

「イタズラ、なんだわ」

 

「いた……ず……?」

 

「自分がいなくなっても覚えていて欲しいって、ホント、タチの悪い、子供じみた、

イ タ ズ ラ 」

 

 

 ***

 

 

 オタネ婆さんが戻って来て、授乳の時間だと、男二人はパォの外に追い出された。

 

 王はスタスタと高台へ歩き、先に座って長を振り向いた。

「ありがとうね、長。やっぱり小狼も不安で思い詰めていたみたいでさ。真相が分かってスッキリした」

 

「それは良かったです」

 長も息を吐いて、少し離れた隣に座り、意味ありげに聞いた。

「あの子は絶対に貴方に嘘は吐かないですか?」

 

「うん、必要ないもの」

 王も意味ありげに答えた。

「隠し事はあるかもしれないけれどね」

 

「隠し事……について、貴方は問いただしたりはしないのですか?」

「うん、しない」

「どうして?」

「言える時になったら、ちゃんと話してくれるから」

 

 

 数ヵ月前、兄の元を訪れた妹が、懐妊の報告の後にした事は、アルカンシラの墓参りだった。

 里の近くのハイマツの丘で、玉石が二つ積まれた小さな墓を撫でながら、彼女はアルの出自(しゅつじ)を打ち明け、改めて彼女の子供の先行きの見守りを兄に願った。

 元より長は、あの子供の事は全て引き受けるつもりでいた。

 

 アルの子供の存在を王に告げるつもりのない妹に、心中で安心した。

 王はどんな子も皆を大切にするだろうが、平凡に安らかな人生を過ごさせてやりたいとのアルカンシラの願いを、一番に尊重してやりたかった。

 

 ただ、お腹の目立つ妹に一抹の不安を抱いた。

 まさかアルカンシラの身代わりになるつもりなのか? と。

 

(今日の様子を見た感じでは、幸せそうで良かった。これからも気は抜けないが……)

 

 

 

「長、生まれた子は人間だった!」

 王の声に、長は我に返った。

「俺の勝ち!」

 

 口端を上むくれたさせて勝ち誇る王に、長は眉間に縦線を入れた。

「そうですね、見た目はアレですが人間です」

 

 

 懐妊を聞いてから、長は一度、妹を通さずに王と会った。

 混血児の扱いについて知っていて欲しかったからだ。

 

「どっちだって俺の子じゃん!」

「妖精の子供を人間が教育出来ると思いますか。ましてや長の本流の血筋。妖精として生まれたなら里で引き取ります。そこは曲げられません」

「鬼が生まれようと蛇が生まれようと俺の子だ!」

 

 険々豪々の問答の末一触即発までになり、とにかく生まれるまでお互い頭を冷やそうと、その時は物別れした。

 結局王の遺伝子が勝利し、オタネ婆さんに報らせを受けた時は、長も内心で胸を撫で下ろした。

 

「人間の母親を決めておくって約束してたろ」

「ええ、王の子息として生きるのに母親不明では、あらぬ苦労をするでしょうからね」

「ヴォルテが引き受けてくれるって」

「ヴォルテって……! それは無理があるでしょう!?」

 ヴォルテは王の正妃だ。既に三人の皇太子がいる。

 

「その位置が一番安全だからさ。中途半端な側室に頼んでみろ。男児が生まれたとなると、絶対本人も知らない親族がウジャウジャ湧いて出て、いらん画策をやり始めるぞ」

「大変ですね、王様というのも」

「長ん所はそういうのないの?」

「そもそも蒼の長なんて、誰もやりたがりませんからね」

 

 それから王は、二枚の羊皮紙を取り出した。両方に同じ文が書かれている。

「頼まれていた誓約書、一応作っておいたけれど、いいの? こんな紙切れ一枚で」

「私が不破の術を掛けますから。共に内容を改めましょう」

 

 証紙には、子供の将来に付いての約束事が記されている。

 『妖精の血を持つこの子はけして王位には据えない』『大人になって子を成した時は報告する』等、あらかじめ長が依頼していた事柄とは別に、『王亡き後の相続は、北の草原台地のみ』の一文。

 

「これは……?」

「蒼の里のある場所だよ。いいだろ、それくらい」

 

 二枚の証紙にそれぞれ署名をし、長が最後に祝詞をあげた。

 

 何やかやの手続きを終えて、長はやっと肩を降ろした。

 パォから小さなむずかり声が聞こえ、何とはなしの感情がジワジワと胸に広がる。

(甥っ子なんですよねぇ……)

 長だって本当は手放しで喜んでいたい。

 

「さてと、祝福を授けて帰るとしましょう」

「あの婆さんも連れて帰ってよ!」

「それは妹に聞いて下さい」

 

 男性二人は草を払って立ち上がり、明るい光の当たるパォへ向かって歩き出す。

 

 

 

     ~鎮守の森・了~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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