西の森のパォ。
「足は折れてはいない。肋(あばら)は多分ヒビ。内蔵は大丈夫そうだけれど当分安静で様子を見よう。額は俺が縫ったから、痕が残ったらごめんな」
「いえ……」
「しばらくトルイを滞在させるよ」
「大丈夫です。薬が効いてきました。貴方、お城に戻らなきゃ」
「ヴォルテに任せて来た。俺より仕切りが上手い。『若い二人の旅立ちに拍手を』とか言って城門を閉じちまった。お陰で大部分の者が演出だと思ってくれている」
「あらまあ……」
女性は笑ったが、力が弱い。
目立たないが筋肉やら血管やら、あちこち潰しているのだろう。
「間抜けね、戦場でも怪我なんかした事なかったのに」
「間抜けなもんか、あの娘(こ)は無傷だ」
「……あの子ね……あの子……」
「うん……」
「イルアルティっていうの」
「うん……」
「ごめんなさい、アルはお腹に赤ちゃんがいました」
「俺の?」
「はい」
王は、動揺を表に出さないように、努めて冷静に聞いた。
「アルは?」
「亡くなったそうです。拐われた時に呪いを掛けられていたと」
「…………」
少し時間を掛けてから、聡明な王は呑み込んだ。
そんな目に遭ったのなら、子供を自分から遠ざけたいと思われても仕方がない。
「アルの遺志なんだね? 子供は俺と関係のない人生を歩ませたいって」
「……はい」
「君は大切な友人の願いを守った。では俺もそれに沿おう」
小狼は目を閉じて、心からの感謝の礼を述べた。
よかった…………
ただもう一つ、今話さなかった事は、自分が墓まで持って行く事だ。
――アルカンシラが、敵方の国の間者だった事。
(せめてテムジンの中では、無邪気で純粋な乙女でいさせてあげたい)
パォの入り口が揺れた。
銀の瞳のトルイと、後ろに居心地の悪そうなイルアルティ。
「何でその娘を連れて来た!?」
テムジンが怒鳴った。
「だ、だってこいつが……」
「ひっく……」
大声に驚いて息が止まっている娘。
話を聞かれていた訳ではなさそうだが……
「ほら言うんだろ? 無理矢理にでも着いて行くって大暴れした癖に」
トルイが娘を押し出した。
「あ、あのあの、きちんとしなければいけないと思って。い、命を助けて頂いて、ありがとうございましたっ。そしてトンでもない怪我をさせてしまってごめんなさい!」
小狼はテムジンと顔を見合わせた。
「大した怪我ではないのよ。綺麗に治るから大丈夫」
「ほ、本当に?」
「本当ですよ。妖精は身体の傷は人間より治りやすいの」
「すごい……あ、良かったです、良かったぁ」
心から胸を撫で下ろす娘に、小狼も痛みが癒された気がした。
きっと素晴らしい両親の元で育ってくれたのだ。感謝せねば。
「あ、それでですね。皇子様に聞いたんですけれど、お母様は妖精さんだから他の人には見えないって。だったら、もしも嫌じゃなかったら、治るまでイルに看病させて下さい! お掃除もお洗濯も何でもやります!」
決死な顔で一気に言い切って、黒髪がピョコンと頭を下げた。
夢のような申し入れ。しかし小狼は王を見て目を游がせた。
今しがた、関わらないようにしようと話し合った所なのだ。
「うん、じゃあお願いしちゃおうかな」
テムジンが軽く言って、周囲を驚かせた。
「君、イルアルティだっけ? ここへは家族と? ……あ、族長? では手紙を書こう。もう少し滞在して皇子の乗馬指導を頼む、って名目でいいだろ。トルイ、後でこのお嬢さんと一緒に宿舎まで行って、先方を安心させて来なさい」
「何で俺が!」
トルイは不満いっぱいだ。
自分ばっかり叱られるし、母を付ききりで看病するのは自分だと思っていたからだ。
「皇子なら民がいらぬ心配をしないよう采配してやる物なの。嫁入り前の嬢ちゃんを王宮が引き留めるなんて、あらぬ噂が広まったら可哀想だろうが」
王はさっそく腰掛けて、羊皮紙を引っ張り出して書状を書き始めた。
本当に決めるのも動くのも早い人だ。
イルはクルクル進む話に目を白黒させていたが、希望どおり看病出来そうなのでホッとしている。
「あ、皇子様、無理言ってごめんなさいでした」
「はいはいどういたしまして」
「おじさまも有難うございます」
手紙を書いていたテムジンが顔を上げてキョロキョロした。
「え、おじさま……俺の事?」
「はい、駄目でしたか、何とお呼びすれば」
「いやむしろ俺を誰だと思ってた?」
「はあ、そういえば、あの、どなた様で」
口をポカンと開いて何も言えない男性と、忍び笑いが肋(あばら)に響いて悶絶している女性の代わりに、トルイが口を開いた。
「この人、俺の父親」
「父親、皇子様の父親、ち、ち、お、や、、、」
イルアルティの口が秒刻みでヒキガエルみたいに横に伸びて行く。
「お、う、さ、ま? 王様! へほほほ!?」
飛び上がる娘を眺めながら、テムジンがトルイに耳打ちする。
「面白いな、この娘」
「面白れぇだろ」
***
兄にはなるべく連絡しないで……というのは事ある毎の小狼の口癖だが、今回は上空で待機していた鷹が一部始終を眼(まなこ)に記録して帰ったので、一気にバレた。
競馬大会の翌日には、蒼白な蒼の長と赤鬼のようなオタネ婆さんが、ハヤブサの如く飛んで来た。
「あああ、やっぱりあの王に関わっているとロクな事にならない」
「受け身が甘いからそういう事になるんじゃい」
などとブツブツ言いながらも術で骨を継ぎ、特製の膏薬で足をぐるぐる巻きにしてくれた。
妖精の治癒の術はけして万能ではなく、身体が直そうとする力を後押しする物だ。
それでも施して貰うと痛みがすうっと引く。
小狼は素直に感謝した。
「お忙しいでしょうに、すみません」
「いやいや今回は私の不手際が発端です。貴女はよくやりました。よくイルアルティを守ってくれました」
入り口にパサリと音がする。
街へ買い物に行っていたイルが、荷物を足元に落っことした音だ。
小狼に誉めてもらった髪はおさげに編んで下ろしている。
長が振り向いて感動の瞳を潤ませた。
ずっと成長を見守って来た赤子。いつも遠目でしか見られなくて、こんなに近くで対面するのは初めてだ。
「貴女が……ぐふ!!」
「お父さん! イルのお父さんでしょ!」
背の高い長にチビッ子のイルがタックルすると、丁度鳩尾(みぞおち)に入る。
痛そう……と思いながら小狼がベッドから見上げると、兄は『お父さん』と呼ばれて抱き付かれた事にじ――んとしている。
訂正しないで放って置いてあげた方がいいのかしら。
「人の娘よ、お主には歴とした両親がおるだろう」
オタネ婆さんが思いっきり怖い顔をして娘をねめつけた。
「だって……」
「お主を育んでくれた者がお主の両親じゃ。人の娘が人外と関わりたがるとロクな目に合わぬぞ。とっとと故郷へ帰りなされ」
厳しい。でもその通りなのだ。
誰も味方してくれないので、イルは泣きそうになった。
「帰しちまっていいのかよぉ?」
戸口に片足を掛けて、オタネ婆さんの天敵が現れた。
可愛かったのは赤子の頃だけの、赤毛の小悪童(わっぱ)。
「少なくとも風の制御方法ぐらい仕込んでやんないと、こいつ同じ事を繰り返すぜぇ」
トルイは落ちていた荷物を拾って、イルと長の間に挟むように押し付けた。
「知った風な口をききおって、お主が挑発したせいではないか」
婆さんが小突いて来る杖を掴んで、皇子は空いた片手で蝋印された羊皮紙を、長に突き付けた。
「親父から。外せない会合で挨拶に来られなくてゴメンって内容」
「トルイ、親書は両手で正面に立って渡しなさい」
「この態勢でどうするんだよ!」
「礼儀が優先です。小突かれておきなさい」
「うう」
母子が言い合っている間に長は手紙を開いて目を通し、丁寧に畳んで懐にしまった。
「イルアルティの風の制御についての相談も書かれていました」
「ああ、母さんには無理だし、長に頼みたいって言ってた」
隅に突っ立っていたイルはビクッと顔を上げた。
もしかしてお父さんに教えて貰えるの?
「蒼の長を何と思っておるのか。長様にそんな暇はお有りでない!」
婆さんの一喝がイルの期待をペシャンコにする。
「俺が教える?」
「ヒヨッコがさえずるでない!」
「じゃあ……」
「仕方がない、この婆が直々に一肌脱いでやろう」
イルはまたヒキガエルみたいな顔になった。
よりによってこの場で一番怖そうなヒトが師匠だなんて。
と、思う暇なく、鼻先にビッと杖を突き付けられた。
「挨拶は!?」
「よ、宜しくお願いします……」