満天の星だ。
白い森の四人は焚き火を離れ、草地に仰向けに寝転んで空を眺めている。
でも話しているのは三人だ。
ノスリはさっきから軽いいびきをかいている。
「兄貴ってこんな感じなのかな」
子供は午後一杯稽古を付けてくれた彼を、目を細めて見つめた。
「キミ、一人っ子なの?」
カワセミは反対側に寝転んで、ノスリの顔の生傷に軽く呪文を施してやっている。
「腹違いの兄弟は一杯いるよ。でも誰ともあんまり話した事ない」
「ふぅん、まぁ無理に付き合わなくてもいいと思うよ。この世の必要なヒトには自然と巡り会うようになっているから」
「そうなの?」
「そうだよ」
ツバクロが努めてあっさり聞いた。
「君のお母さんが、師匠で、蒼の狼?」
「うん」
「そうか」
何でこの子に妖精の資質が? というそもそもの疑問も、出奔したという師匠が女性だった事で合点が行った。
自分には想像も出来ないが……そういうロマンスも、アリなんだろう……
「あんなおっかないヒトを守れるようになるつもりなんだ」
「うん」
「遠い道程(みちのり)だね」
「うん」
カワセミが星を指差して、細い光でつなげながら言う。
「長はさぁ、あの女性の事、ボクらに内緒にして、しょっちゅう会いに行ってたんだぁ。ちぇっ、ちぇっ、ちぇ――っ、だよね」
ツバクロも頭を手の後ろで組んで、つなげた星を眺める。
「ぜぇんぜん知らなかったよ。長があちこちから来る縁談をノラリクラリかわしてるの理由がやっと分かった。あんな綺麗なヒトがいたんじゃねぇ」
「綺麗なの? 母さん」
子供がキョンと聞く。
「綺麗だよぉ。蒼の里でも十人中十一人が振り向くよ」
「へぇ、やっぱり綺麗なんだ。長も親父はそんな事一言も言わないし」
「男ってそんなモンだよ」
カワセミが髪をかきあげて知った風な口をきいた。
「まぁ安心したよ。長がいつまでも独り身なもんで、里では噂好きにあれやこれやと言われ放題だったから。きちんと健全にお付き合いしている女性がいてくれて良かった」
妖精は寿命が長い分、連れ合いを亡くして新たに結ぶ事を繰り返すのは珍しくない。そのあたりは人間と少し感覚が違う。
「あの……」
勘違いさせたままなのが申し訳なくなって来て、子供は口を開いた。
「長はただ、大事な妹が親父にぞんざいに扱われていないか心配で見に来るだけで……」
「…………」
「・・・・」
二人の妖精がガバリと上半身を起こした。目を丸くして息が止まっている。
やっぱり言わない方がよかったのか?
「い も う と って言った?」
「長、妹がいたの? 直系の?」
いや、妹がいたような話は小耳に挟んだ事はあるが、古い大人もその先に触れないから、てっきり幼くして亡くなっていると……
「長の血筋・・」
カワセミが乾いた声で呟いた。
「血筋の能力者が極端に居なかったから、今の長はたった一人で苦労しなきゃならなかったんだ。それが、貴重な血も持ちながら自分の色恋を優先して里を捨てたって・・」
「カワセミ! この子に言う事じゃないよ!」
制止するツバクロの声も上ずっている。
「ね、君のお母さん、里へ…………た、例えばさ、一人になった後、里へ戻る……は無理か、 ……えっと、里との交流は復活出来るんじゃないか? きっと歓迎される。そうしたら寂しくならないで済むだろ?」
「余計に寂しくなると思う」
子供は立ち上がった。
「歓迎するって何を? あのヒト自身をじゃないよね? 里で生きている価値を見失ったから、母さんは外へ顔を向けたんだと思う。親父に聞くだけだから細かい事まで知らないけれど、母さんが里を出たのって、今の俺より小さい子供の頃だったんだ」
「…………」
二人の妖精は言葉を止められてしまった。
種族も育ちも違うから価値観がすれ違うのは当たり前だ。
だけれどこの子の言う事は、胸に刺さった。
「ごめん、俺、頭冷やして来る」
子供は岩山の方へ駆けて行ってしまった。
二人は引き留める事も出来ずに無言だった。
「お前ら、馬鹿野郎だ」
振り向くと、いつの間にノスリが起き上がっていた。
「お前らは物事を理屈で考え過ぎるんだ。俺が行く。お前らはお子ちゃまのご機嫌取りに甘いお茶でも沸かして待っていろ」
ノスリは大股でズンズン、岩山に向いて歩いて行った。
呆気に取られて見送るツバクロだが、ふと隣を見ると、カワセミは何故だか空を見上げている。
「どうしたの?」
「・・あ・・!」
彼は何かを思い出したように目を見開いた。
***
岩山の天辺で、子供は膝を抱えていた。
二人の事は大好きだ。
好きなヒトと分かり合えないのは、そうじゃない奴に分かって貰えないより、ずぅっと辛い。
こんな気持ち初めて知った。生まれてこの方、好きなヒトがあんまりいなかったからだ。
いつの間にかノスリが隣に居た。
「俺はお前が羨ましいぞ」
「…………」
「俺達三人な、長に弟子入りを志願した時、親族や教官には反対されたんだ。あんな血じゃ修行する価値もないって」
「え……」
「長は血に関係なく、やる気のある者を受け入れてくれた。その代わり、通常七年程掛かる修練所を半分で修めた。昼間正規の授業を受けて、深夜まで一コ上の勉強をするんだ。次の年、もう一つ飛び越したクラスに入る。俺はキツくて弱音を吐きそうだったが、ツバクロは年上の子に混じってずっと主席だったぞ」
「…………」
「正式に弟子に付いてからも、どんなに頑張っても出来ない事がある。長は出来る事だけ伸ばせば良いと言ってくれた。最初、カワセミが一番何も出来なかったんだ」
「え? まさか……」
「本当だ。身体が弱くてすぐにぶっ倒れる。何一つ満足に出来ない。いじけて拗ねては逃げ出す。脱落するだろうと誰もが思った。
でも長だけは思わなかった。逃げるのを追い掛けて捕まえては、根気よく地道な訓練をした。長だけは奴の本当を分かっていた。だから奴にとって長は絶対なんだ。奴が長中心の考え方になってしまうのは、許してやってくれ」
「あ、うぅん……」
ノスリは一息付いて、もう一度子供に向き直った。
「お前、長の名前、知っているか?」
「えっと?」
そういえば、母が兄を呼ぶ時も、『兄様』か『長』としか呼ばない。
「あのヒトな、名前が無いんだ」
「ええっ?」
「蒼の妖精に名前を授けられるのは長だけだ。あのヒトは名前も貰えないまま、自分が長になってしまった」
「えぇ…… それって、何とかならないの?」
「何ともならん。前例がないんだ。ここまで血縁が絶えた時代はなかった」
「…………」
「俺達は、お前のお袋さんの寂しさ辛さを分かっとらん。だがそれと同じに、お前も長の大変さを分かっていないんじゃないか?」
子供は胸に手を当てた。たまに母親のパォへ押し掛けて、のんびりと日和見話(ひよりみばなし)をして帰る長しか知らなかった。
「そうかも……」
「俺ら、早く一丁前になって、長の役に立ちたい一心で頑張っている。お前もそうだろ、早く母親を守れるようになりたい……一緒だ」
「ノスリさん……」
「俺らがちゃんと通じ合う事は、長とお前のお袋さんの為になるんじゃないか? そう思う、お前はどうだ?」
「……うん、そうだね、そうだ」
子供は八重歯を見せて微笑んだ。
砂利を踏む音がして、二人の妖精が星空を背景に歩いて来る。
ツバクロは熱い馬乳酒のポットを、カワセミは温めたカップを四つ持って。
「もうじき月が昇るからねぇ。天の川が見えなくなる」
カワセミが独り言のように呟きながら、カップを配った。
「天の川、見える内に話したかった」
そう話す彼の口調は、今までの突き放した感じとは少し違っていた。
四人、岩山に腰掛けて馬乳酒をすする。
「ずうっと前にさ、もう本当に修行が嫌になって逃げ出した。こんな風に満天の星の夜でさ。
例によって長に捕まって、でもその時はボクも結構追い詰められていて、キレて反抗したんだ。
そしたらね、長が急に静かになって、違う話をし始めた」
三人とも無言でカワセミを見ている。他の二人も聞いた事のない話なのだ。
「過去に、『何も出来ない』からって見捨ててしまったヒトがいる。何も出来ないけれど、存在するだけで構わないからと放って置いた。
そのヒトは、遠い所へ行って手が届かなくなってしまった。そして今も寂しい目をしている。もうあんな後悔は二度としたくない、二度と誰も見捨てたくないと」
子供はハッとして水色の妖精を見つめる。
「その時は、(( 勘弁して――!))って思ったけれどね。結果今のボクがある訳で」
カワセミは一息付いて、空を見上げた。
「さっき唐突に思い出したんだ。あの夜も、長の後ろで天の川が凄く綺麗だった」
子供のみつめる水色の瞳は、霞のような星々を映している。今この時でない星も混じっているような気がした。
「長は妹君の事、ちゃんと話してくれていた。隠されてはいなかったんだ。僕達の事をどういう資質でも弟子に取ってくれたのは、そのヒトの存在があったからだよ」
他の二人も釣られて空を見上げた。
星々が慧砂の帯のように流れる地平が、薄ら明るくなって行く。
「月が昇ったら、命名の儀式をしようか……」