「起――き――ろ――!」
やっぱり子供は寝過ごしてしまった。
今回はノスリに毛布ごとひっくり返される。
洞穴から転がり出ると、ツバクロが焚き火を起こし、カワセミは朝の修練に行く所だった。
「来い・・ キミ、修練次第では何かの術が降りるかもしれない」
「えっホント? じゃなくて、はい!」
滑るように歩く水色の髪の後ろを、子供はバタバタと着いて行った。
湯を沸かすツバクロの横で薪を削りながら、ノスリが微笑まし気に見送る。
「俺、最初、長があの子を里に関わらせる事に、結構ビビった。何を考えているんだ、って」
「ああ、実は僕も。あのヒト、慣例を無視して飄々と色んな事を変えて来たから……今度は何をやらかすんだ、って」
「長があの子をどうされるつもりなのかは分からんが…… 俺はあの子は好きだ」
「僕も好きだよ」
「そうですか、それは良かったです」
木々のざわめきの中に声がした。
二人が飛び上がって振り向くと、長い群青色の髪を揺らして、蒼の長が涼しげな顔で立っていた。
「お、さ、!」
「直接来られたんですか!?」
「早く貴方達に会いたくて、ダッシュで用件を済ませて来ました。何か飲ませて下さい」
「あ、あの、長……」
「最初に言っちゃいますが、
「は、はい」
ツバクロがカップに紅茶を注いで、長に差し出した。
「長、だけれどあいつ、中々のタマだ。人間の将軍だけに納めておくのは勿体ないですぜ」
「ふふ、ノスリは私と同意見ですね。あの子の落ち着き先は、彼の父親と話が着いているんですよ、あちち」
「はあ」
長の人脈って……
「北の草原台地の領主の席です。蒼の里のある所ですね。貴方達と彼と、仲良く平和に治めて行って下さいね」
「…………」
「…………」
二人の青年は口をパカンと開けた。そういう事ですかっ!
「仲良しになって貰えてとても良かったです」
長はすまして紅茶をすすった。
ツバクロがそぉっと切り出した。
「僕達、その……あの子の母親、長の妹君に、お会いしました」
長はカップから口を離して、二人から顔を背けて地面を向いた。ヒクヒクと肩を震わせている。
勝手に王都へ行った事を怒っているのか、妹君の事を想って涙を堪(こら)えているのか。
実は思い出し笑いを噛み締めているだけだが。
「そうですか、で、どうでした? 私の妹、どうでした?」
やっと顔を上げた長は、目をうるうるさせている。
「えぇ? えと、その、綺麗な方だなぁ、と」
思っていたのと違う質問をされて戸惑うツバクロ。
「綺麗だけれど、おっかなかったっス」
素直なノスリ。
「誰がおっかないの?」
カワセミが上半身裸のズブ濡れで戻って来た。
後ろから同じような格好の子供が着いて来るが、こちらは朦朧(もうろう)として足元が千鳥っている。
「おやおや」
「あ、長ぁ!」
「ちゃんと修練は欠かしていませんね、エライエライ」
長は立ち上がって、カワセミの濡れた髪をクシャクシャと撫でた。
子供はどんな修練をやらされたのか、フラフラで長にも気付けていない。
背中のタテガミを晒したまま、地面にグニャリと倒れ込んでしまった。
「お――い、長が見えているぞ」
「お、長、ふにゃ……」
立ち上がろうと頑張るが、手足に力が入らない感じで、うつ伏せたままアメンボのようにもがいている。
「珍しい弟子入りポーズですね。名前は貰えたんですか」
三人は顔を見合わせて子供に向いた。
「ほら頑張れ」
「名前ってのは自分で名乗るモンだろ」
子供は歯を喰い縛って顔を上げた。
「キ……キビタキ!」
言い終わるや、また地面にバタンキュウ。
「ほお」
長は三人を見回した。
蒼の里で鳥の名前を貰ったのはこの三人だけだ。彼らはそれを誇りに思っている。
しかもキビタキというのは三人にとって特別な鳥だ。
この子は相当好いて貰えたようだ。
「おや?」
長が森の入り口を見やった。
青年達も釣られてそちらを見て……
「ヒッ」
三人一緒に電気に弾かれたように飛び上がった。
森の入り口に気配もなく現れた、馬を連れた人影……
「あらら貴女、どうしたのですか?」
長が驚いた感じで立ち上がった。
逆光の中の冬空の髪、氷のような表情……件(くだん)のアイスレディだ。
昨日はローブ姿だったが、今日は真白い甲冑に身を包んでいる。
「かっけぇ……」
ノスリがポツと呟いた。
女性は朝の木洩れ日の中を静かに歩き、長の前まで来て、やにわに跪(ひざまず)いた。
「長、申し訳ありません」
「何かあったのですか?」
***
「遠征が早まったのです大陸で急な動きがあって」
「それは、また……」
「急ぎ出立(しゅったつ)せねばなりません。トルイも、初陣は発表されています。父と共に国民の前に立って宣誓をせねばなりません」
「そうですか……それは……仕方がないですね。今回の弟子入りは見送りにしましょう、残念ですが」
三人の青年はハッとして、うつ伏せたまま意識を失くしている子供を見た。
あんなに楽しみにしていた弟子入りを取り止めて、戦争に行ってしまわねばならないのか……
「まあ、トルイ」
女性は弟子達の陰になっていた我が子をやっと発見した。
「だらしのない、長の御前で!」
「わぁあ!」
カワセミが弾かれたように子供に被さる。
「ボクがシゴキ過ぎたの、ビンタは勘弁してやって!」
ノスリもその前に立ちはだかった。
「昨日から飛ばし過ぎたんだ。こいつ吸収が早いからつい熱が入って、すんません!」
ツバクロは一歩前に出る。
「この子は僕の弟弟子です。不備があるのなら、あ、兄弟子の僕に、せ、責任が、ありまひゅ」
ちょっと噛んだ。
弟子達に見えない後方で、長が目を三日月にしてニコニコと眺めている。
女性は口の端を震わせて、何かを懸命に抑えているようだ。
ツバクロは歯を喰い縛った。
しかし子供が目を覚ましたので、女性の意識はそちらへ行った。
「ふわ…… あれ、母さん?」
「遠征が早まったのです。急ぎ城へ戻らねばなりません」
「え、えぇっ?」
「今回の弟子入りは見送りとなりました。帰宅の準備をして来なさい。出陣に際して、初陣の皇子の顔見せがあります。貴方がいなくては始まりませんよ」
「は、はい……」
子供は三人の方を哀しそうに見てから、千鳥足で洞穴へ駆けて行った。
三人はというと、女性が今言った言葉の中身に、やや凍り付いている。
長が改めて女性の隣に来た。
「本当に残念です。皇子として世間にお披露目してしまうと、そうそう自由もなくなる。今回が良い機会だったのに」
「大陸から帰ったら……もしかしたら何年か先になるかもしれませんが、またお頼み致します」
「ええ。貴女も病み上がりなんだから無理をしてはいけませんよ」
女性は少しだけ目をしばたいた。
子供が身支度を整え、三人の青年の前に来た。
「えっと、ありがとう、ございました……カワセミさん、ノスリさん、ツバクロさん……」
「おう、俺らの事はもう、さん付けで呼ばなくてもいいぞ。同じ名を持つ仲間だ」
子供の堪(こら)えた目の下が、ブワッと膨らんだ。
それを見ていたツバクロが、意を決したように女性の前に駆け出た。
「あ、あの! 出陣式と、その後、大陸の砦に居ればいいんですよね!?」
女性は固まった表情で癖っ毛の青年を見つめている。
今度こそビンタが飛んで来るかもしれない、しかしビンタの一つ二つ受ける覚悟だ。
「大陸までの移動に何十日も掛かるでしょう? そのタイムラグに、少しでも蒼の里で勉強出来ます!」
「ほぉ、そしてその後は?」
長が口を挟んだ。
「僕が砦まで送ります。僕が風を読んだら、どんな草の馬よりも何倍も速い。長もご存知でしょう? だから、えっと、大陸まで飛ぶ許可を、下さい……」
「順序が逆でしたね。宜しいでしょう、許可します」
言いながら女性に向き直る。
「・と言う事です。どうです? このツバクロなら、二人乗りでも大陸の砦まで半日掛からずに飛べます」
女性は氷の像のように微動だにしない。
子供はすがるような目で彼女を見上げる。
やがて女性は目を臥せて、ツバクロに深々と頭を下げた。
「宜しく、お頼み致します……」
「あ、いえ、はいっ」
テンパる青年に背を向け、女性はスタスタと自分の馬に向かって歩き出した。
子供も慌てて着いて行く。
「ここで待っていますよ、式典なんて面倒な物、チャッチャと済ませて来て下さいね――」
長が朗らかに声を掛け、女性は鞍上で目礼して、子供と共に飛び去った。
(あの子、色んな物を堪(こら)えるのに、一杯一杯でしたねぇ)
「お~さぁ~~」
しみじみしている長の後ろから、三人の弟子が折り重なって抗議の目で圧を掛けている。
「キビタキの父親が帝国の大王だなんて聞いてませんよぉお――!」
「あのガキンチョ、皇子サマかよぉ」
「あのヒト、大王の妃なんダ・・」
「まあまあ、丁度時間も出来ました。ちょっと座りましょう。ノスリ、焚き火が消えそうですよ。ツバクロ、お茶を入れて下さい。カワセミ……」
長はまだ上半身裸のままの弟子に、上衣を掛けてやりながら言った。
「あの子は妃ではありません。王の子を一人送り出したけれど……それだけです」