張り番の兵士に敬礼されながらテムジンが天幕に戻ると、床に敷物のように赤い狼が寝そべっていた。
黙って彼を避けながら、王はベッドに寝転んだ。
「バーカ」
「ほっとけよ」
「ホントにバーカ」
「だっていつまで経っても子供だし」
さっきと同じ台詞を王は口の中で呟く。
「なぁ、蒼の妖精が人間と寿命が違うのは知っているけれど、あんなに育たない物なのか?」
「さぁてな。あいつと会って何年経つんだっけか、見た目が全然変わんねぇな。蒼の妖精ったってそこまで長命じゃあない筈だが」
「何でだと思う?」
王は上物の穀物酒の封を開け、狼用の平たい盃に注いだ。
「もしかして里でないと成長出来ないとかあるのかな。または人間の食べ物が良くないとか」
「知るか」
「…………」
困り顔のテムジンに弱いのは小狼(シャオラ)だけではない。
狼はフフン、と鼻を鳴らして考えてやった。
「場所も食べ物も関係ないと思うぜ。少数だが里の外で育つ妖精も居るし。まあ、ムラがあるんじゃないか? 偏った成長の仕方をするケースもあるらしいぜ」
「どういう時?」
「必要に応じて成長が早くなるってのは珍しくねぇ。例えば今の蒼の長が就任した時は、見た目ほど年長けていなかった。だが遅いってのは、どういう必要があるんだか」
「……俺の役に立っちゃいけないのかな」
「役に立つって、あいつ、戦場は向いてねぇぜ」
「違うよ、妖精の血を持った子供が欲しいって事」
「阿呆ぅ!!」
狼が首を上げて、銀の眼を光らせて睨み付けた。
「そういう目的で人外に関わるな。ロクな事になんねぇぞ」
「何で? 俺の一族に妖精が見えるのは、先祖に妖精の血が入ったからだと聞いているぞ。交わって呪われたりはしないのだろう?」
狼はまた王をギロリとねめつけた。
自分が呪われていないとでも思っているのか・・?
小狼(シャオラ)はベッドにうつ伏せて身じろぎもしなかった。
テムジンが冗談の中に紛れ込ませた一つの本音が刺さっている。
(本当に何で私、いつまでも子供なんだろう)
兄さまは成長するのが凄く早かった。
偉大な父親の後を引き継ぐ為、一日も早く成人になる必要があったからだ。
勉学も修練も寝ないでやって、父に厳しい事を言われながらも後を着いて回っていた。
あれぐらいの根性がないと駄目なんだろうか。自分は生まれもっての資質を何も持っていなかったから、兄の苦労を尻目にノホホンとしていた。だから今、罰が当たっているのかなぁ。
分からない。
ここには相談出来るヒトも居ない。
「はぁ~あ」
せめて偵察くらいはきっちり出来るよう、寝ておこう。
入り口に落ちた枕を拾いに行き、妖精の子供はパフンと横になった。
「こういうのはどうだ?」
こちらは眠れない面々。
赤い狼が口を開いた。
「蒼の長に手紙を書くんだ。それをどチビに頼んで届けさせる。あんたからの緊急の用事とか言って。中身は告げ口一色でいい。こちらの人外一族に侮られて毎度襲われそうになる事とか、今日も敵方の鴉に落とされそうになった事とか、とにかく危なっかしくて目も当てられないと」
「えっ、ちょ……」
「そんな手紙を読んで、長がどチビを返す気になるか、って事だ」
「良い手だけれど、パス」
「なんでだよ」
「小狼は側に置いておきたい。返すのは嫌だ」
「じゃあとっとと押し倒しちまえ!」
「出来る訳ないだろ! あの外見年齢で、どうしろっっってんだよ!」
狼は自分で自分に呆れていた。誇り高い戦神の俺様が、何でこんなくだらない与太話に付き合ってやらにゃならんのだ?
「それよりさっきの話。小狼、今日も危ない目に遭ったって?」
「ああ、もうあいつ使うのやめろよ。ヘボ過ぎて見ていられないわ。魔性使いを何とかするまで、偵察は俺様が行ってやるから」
「何か仕事を与えてやらないと、小狼すぐへこむんだ」
狼は思いっきり眉間に縦線を寄せた。
あのな、いつもの合理的で鮮やかな手腕の賢王はどこへ行った?
しかしやはり「勝手にしろ」と立ち去る事が出来ない。
この王の、ヒトを惹き付ける謎の磁力は尋常ではない。自分がこいつに興味を持っているのはそれもあるからなのだが、分かっていても術中に嵌まっていやがる。
「押し倒す、押し倒す…………はっ、そうだ!」
「本気でやるなよ」
「良い事思い付いた!」
眠気を通り越してハイになった脳ミソに閃くのは、ロクな事じゃない。
「ご用とは何でしょう。偵察ではなかったのですか?」
「うん、偵察は狼が行ってくれるから」
「……やはり私では至りませんか……」
「違う違う、小狼にはもっと大事な仕事が出来たの。小狼にしか頼めない事」
「どのような事でしょう」
「あのね、地元の部族から、俺ん所にお嫁さんを一人くれるんだって。その人が顔を見せに来るから、専属で護衛に付いて欲しいの。ほら、こんな事、小狼にしか頼めないからさ――」
妖精の娘の額に縦線が入り、ピシリと空気が凍り付く音がした。
上空で赤い狼が八の字に飛び回りながら叫んでいる。
「阿呆ぅ――――!」
***
小狼だって、最初からこんな複雑な感情は持っていなかった。
獅子髪の少年の所へは、好意、心配、守りたい、そういう単純な気持ちで参じたのだ。
何せ、テムジンと行動を共にして最初にやった事が、囚われの彼の妻を取り戻す戦だった。
「さ、妻帯者だったのですか!?」
「小さい頃、親同士が決めた許嫁(いいなずけ)。けど俺にとっては残り少ない大切な家族だ」
無事奪還した彼女を正室とし、世継ぎに恵まれ、統治事業はトントン進み、その頃のテムジンは順風満帆だった。
后(きさき)のヴォルテ妃には妖精や狼は見えなかったけれど、自分の夫が何か人知を超えたモノに守られているのは理解して、夫の決め事に従い、言われた場所には踏み入らなかった。
小狼は、后や側室に対してこれと言った感情はない。テムジンの家族なら健やかでいて欲しい、くらいに思っていた。
揺らぎが見えたのは、正妃に跡取りになるべく男の子が生まれた頃だ。
生まれた子供の目が開く度に、小狼はこっそり引き合わされた。
そして幼子(おさなご)が妖精を目で追わないのを見る度に、テムジンは少なからず落胆するのだった。
「兄弟で人外が見えるの俺だけだったし……血が薄くなりつつあるのかなぁ……」
深刻に呟く王の横で、小狼はそれならそれで良いと思っていた。
蒼の妖精の矜持に、『摂理に沿う』というのがある。天がそう決めたのなら、それに従い地上の者が変わる。妖精の里で育った彼女には、息をするように身に付いた考えだった。
しかしテムジンは天に抗(あらが)う人間だ。
そもそも己の力で過酷な運命を打破して来たのだ。天に委ねたって欲しい物は手に入らない。
思えばテムジンがやたらと側室を集め出したのは、三番目の男の子も人外が見えないと判明した頃だ。
自分の家系には太古に妖精の血が入っていた。ではあらゆる血筋の娘を集めれば、どこかに同じような血の者がいるのではないか? と。
表向きは、跡取りは正室の皇子でいい。しかし世界に覇権を広げるには、絶対に人外と通じる身内が必要だ。
ヴォルテ妃は忠実に、どんどん大きくなる後宮の世話と管理をした。この世界の権力者が血縁で周囲を固めるのは当然な事。
小狼は一抹の危うさを感じたが、テムジンは全員を家族と呼んでそれなりに大切にしたので、口出ししなかった。
***
そして陣中。
先日平伏して来た近隣の小さな氏族に、急遽側女(そばめ)を差し出せと申し付けたのだ。この暴君は。
赤い狼は上空を旋回しながら、歯をガチガチと噛み鳴らした。
どチビに安全な護衛任務に専念させる為とか、・・阿呆か!
「まどろっこしいにも程がある」
風の末裔と繋がる子供が欲しいなら、それそのモノが目の前にいるだろが。守備範囲とやらに育つまで待ちゃあいいだけだ。
そこまで思い巡らせて、狼はふと思い至った。
「あいつ無意識に勘付いて、それで成長を止めているんじゃねぇか?」
高原の小さな氏族にとって、王に側女を差し出すというのは、そう悪い事ではない。生まれる子供の先行きによっては、一気に良い思いが出来る。
差し出される本人がそれで良ければ……なのだが。
急ごしらえの輿(こし)一つで、花嫁は陣にやって来た。
小康状態とはいえ戦の陣中なので、華やいだ雰囲気は無く、『陣中見舞い』の体裁を取っていた。
小狼は崖の上から見守っていたが、輿から小柄な人影が降りた所で、草の馬に跨がって岩肌を駆け下りた。
気が進まないが王の決め事だ。
天幕の御簾の隙間からそっと滑り込むと、護衛すべき娘は王の前で重そうな被り物を外した所だった。
古い刺繍の襟飾りに包まれた、くっきりとした顔立ちの十代であろう娘。
黒々とした髪が墨で線を引いたように腰まで波打ち、肌は糖蜜のような飴色。
へぇ、綺麗だ、と単純に眺めていると、娘はツンとした唇を開いた。
「アルカンシラと申しま……す……??」
言葉を途中で止め、真っ黒な瞳は入り口を凝視する。
「どうしたのかね?」
「あの、ここは戦の陣中と聞いていました。何故にあのような幼子(おさなご)がおわすのですか?」