推理要素は薄いです。
あたしの幼馴染、
小さい頃から聡明だった帆夢ちゃんは、大人顔負けの推理力を駆使して数々の難事件を解決していった。あたしはあんまり頭が良くないから、正直彼女の推理を理解しきれているわけではないのだけれど、それでも彼女がすごいってことは分かる。高校生になる頃には、帆夢ちゃんの推理力は刑事さんにも頼りにされ始めて、数々の現場にひっぱりだこだった。そして、幼馴染で親友(自分で言うのもなんだけどね!)のあたし——
今日もあたしたちは刑事さんに呼ばれて、とある現場に来ていた。場所は
「うーん」
「どう? 帆夢ちゃん、何か分かった?」
「ああ、和十ちゃん。分かったことは分かったさ。だけど……これは、何と言えばいいか……」
帆夢ちゃんは、被害者の首なし死体の側にしゃがんでうんうんと唸っていた。改めて考えると、首なし死体をのぞき込む女子高生二人って中々ショッキングな絵面だと思うけど、あたしたちはもう慣れっこになってしまっていたし、周りの刑事さんたちも何も言ってこない。
帆夢ちゃんは一度立ち上がると、最後の確認をするように周囲を観察していった。コンクリートに残る血痕、散乱した被害者の毛髪、周囲に飛び散った水の跡。彼女が歩くのに合わせて、腰ほどもある長い金髪がサラサラと流れるのがとても綺麗だ。帆夢ちゃんは頭が良いだけではなくて容姿にも優れていた。確かイギリス人のクオーターだそうで、背はあたしよりも低いけれど、スラっとした手足は日本人離れしたものを感じさせる。少し不謹慎だとは思うけれど、中には帆夢ちゃんを「殺人現場の天使」なんて呼ぶ人もいるそうだ。まあ、あたしに言わせれば彼女は何処にいても天使に違いないけどね。
「どうかな、帆夢さん。そろそろ君の推理を聞かせてくれないかい?」
「ええ、もちろんですとも……」
普段はすぐに推理を組み立てるはずの帆夢ちゃんが唸っているのを見て、刑事さんの一人が問いかけてくる。この刑事さんとも長い付き合いであり、お互いに気心の知れた関係だ。だけど、普段の帆夢ちゃんの鮮やかな推理を知っているからこそ、いつまでも推理を語りださない彼女を不安そうに見つめていた。
「もしかして帆夢さん、今回の事件は『アレ』なのかな?」
刑事さんは呟くように言った。そうであって欲しくない、という思い多分に含まれていたけれど、帆夢ちゃんはその問いかけにゆっくりと肯首した。その瞬間、周囲で様子をうかがっていた刑事さんたちにも落胆の色が見えた。
「はぁ……それじゃあ、今回は迷宮入りになりそうだね。一応、推理を聞いても?」
刑事さんたちが落胆したのは、もし『アレ』だった場合、その事件は間違いなく迷宮入りするからだった。まあ、そもそもこの事件では被害者の頭部を見つけることすら出来ていないらしいので、刑事さんたちも迷宮入りは覚悟していたのかもしれない。
推理を話すように促された帆夢ちゃんは、とても悔しそうに推理を語りだした。いつもはスラスラと流れるような喋りだが、今日は噛み締めるような喋りだった。
「数々の証拠、それから被害者の状態を見る限り、ボクの結論は一つ……被害者は川の上空およそ10mの地点で5分ほど強い力で拘束されたのち、頭部を切断——まるで齧られた様にね——され、そのまま落下した。いや、放り投げられたという方が正しいかな? そして肝心の犯人は足跡も残さず空気のように消えてしまった……どうです? 推理にもなっていない、妄想と言われても仕方のない結論でしょう。だけど、ボクにはこれ以上の推理はできないみたいだ……本当に申し訳ない」
『アレ』とはこういうこと。つまり、帆夢ちゃんは時々こういった不可能としか思えない突飛な推理をするのだった。いくら名探偵とはいっても、当然こんな推理が認められる訳もなく、その事件は迷宮入りになるのがいつもの流れだった。
今回の事件も迷宮入りということになり、結局何も明らかにできないまま、あたしたちは二人で帰路についていた。帆夢ちゃんは未だ悔しくて仕方がないようで、俯きがちでトボトボと歩いている。夕日に照らされて長く伸びた影が揺れる。
「元気出してよ、帆夢ちゃん。また次の事件で頑張れば良いんだしさ!」
「うう……和十ちゃん」
「帆夢ちゃんは誰にも負けない名探偵なんだからさ、いつか絶対解決できる日が来るって!」
「でも……でも、今日のボクの推理はサイテーだよ……」
あたし以外は知らないことだけど、帆夢ちゃんは結構引きずるタイプだ。刑事さんたちの前では爽やかで毅然とした姿(帆夢ちゃんの理想の探偵の姿らしい)でいるけど、一度現場から離れればこの通りである。普段の彼女を知っている人が見れば、ひどく驚くことだろう。あたしだけに心を許してくれていると思うと、少し、いやかなり優越感がある。
だけれども、流石にこのままでいいわけがない。あたしは帆夢ちゃんを抱き寄せて、自分の胸元に彼女の顔を埋めた。彼女は少しびくっとしたけど、なすがままにされてくれているようだ。彼女を抱きとめたまま、あたしは静かに語りかける。
「帆夢ちゃんは世界一の名探偵でしょ?」
「……うん」
「悔しい気持ちは分かるけど、もう落ち込むのはやめよう? 帆夢ちゃんが落ち込んでいると、あたしも悲しくなっちゃうしさ。それにね——」
「……?」
背の低い彼女は、あたしですっぽりと覆うことができる。あたしはささやくように彼女の耳元で打ち明けた。
「あたしはさ、今日の推理、いや、これまでの推理も全部……信じてるよ? 間違いだなんて思ってないからね」
「……!」
「ほ、帆夢ちゃん!?」
帆夢ちゃんはそれを聞くと、今度は自分からあたしに抱き着いてきた。ちょっとおどろいたけど、あたしはゆっくりと彼女の頭を撫でることにした。ちなみに、彼女の頭を触ることができるのもあたしだけの特権だった。
どれくらいそうしていただろうか。幸いにも人が通りかかることは無かったが、あたしは段々と恥ずかしくなってきたため帆夢ちゃんから離れようとしたが、彼女は強くあたしに抱き付いていてはがすことができなかった。こうなれば、力では勝てないあたしにはどうしようもない。
「ね、ねえ帆夢ちゃん? あたしちょっと恥ずかしくなってきたんだけど……」
あたしがそう言うと、それまであたしの胸に顔をうずめていた帆夢ちゃんが、やっと顔を上げてくれた。だけど彼女の眼は何処か濁っていて、どろりとした何かが垣間見える。そしてそのままに呟いた。
「和十ちゃんは、ボクが名探偵でなくなったとしても一緒にいてくれる……?」
それは質問のような、懇願のような言葉だった。彼女の濁った瞳は一直線にあたしを見据えていて、ここで間違った返事をしたら大変なことになるような気がした。でも最初から、あたしの答えなんて決まり切っているのだ。
「あったりまえでしょー? 何が起こったって、例え帆夢ちゃんが名探偵でなくなっても、一緒にいるに決まっているよ!」
「……! ありがとう、和十ちゃん」
「いいよ。これまでもずっと一緒だったんだもの、それはこれからも変わらないよ」
「……うん、ボクとしたことがついつい弱気になってしまっていたよ。面目ない」
嬉しそうにそう呟くと、帆夢ちゃんはやっといつもの調子を取り戻してあたしから離れた。その時にはさっきみたいな濁った瞳はしていなくて、いつもの綺麗な碧眼が夕焼け空を映していた。
さっきの彼女の異様な雰囲気は何だったのか、そんなことを考えるよりも先に、あたしの思考は今日の晩御飯のことに移っていた。だから、帆夢ちゃんがボソッと呟いた言葉は良く聞こえなかった。
「ずっと一緒だよ、和十ちゃん? 絶対にね」
〇▲〇
凄惨な現場を見た翌日、あたしたちは普通に学校へ行き、普通に授業を受けた。同級生から事件について聞かれる、なんてことは無い。なぜなら、帆夢ちゃんが探偵をしているという事実は先生方しか知らないからだ。そのため、同級生たちにとってあたしたちは「頭のいい子とちょっと頭の弱い子のコンビ」という認識でしかない。まあ、あたしに関してはその認識でなにも間違ってはいない。すごいのは帆夢ちゃんだけである。
そして現在の時刻は放課後。他の皆が部活動に勤しんだり、図書館で勉強していたり、家に帰ったりしている頃、あたしたちは校舎の片隅にある小さな部屋でおしゃべりをしていた。部屋の外には『たんていクラブ』という看板(あたし作)が掛けられている。
「ねえねえ帆夢ちゃん、これ見てよ! この間から狙ってたシークレットがついに当たったんだよー。ほらほら、どうかな!?」
「えっと……和十ちゃん? 残念ながらボクには良さがイマイチ分からない……っていうか、それは何だい?」
「もー、前に話したじゃん『ハダカデバネズミ忍者キーホルダー』のガチャガチャだよ! シークレットの『木の葉隠れデバネズミ』がやっと出たんだー」
「ああ、そういえばそんなことも言ってたっけ。よかったね……って和十ちゃん、いくら使ったの?」
「今月のお小遣いの半額使った! いやー手こっずたねー、だけど悔いはないよ」
「相変わらず、和十ちゃんの言うことだけは理解できそうにないよ……」
たんていクラブのメンバーは、あたしと帆夢ちゃんの二人だけ。活動内容はもちろん、事件の解決といった探偵らしいものだ。でも、繰り返しになるけど生徒は帆夢ちゃんが名探偵だってことは知らないから、わざわざ訪ねてくる人は少ない。そのため、基本的に放課後はおしゃべりの時間になっている。せっかく名探偵に依頼できるっていうのにもったいないなとは思うけど、あたしとしては帆夢ちゃんと沢山話せるのでラッキーだ。
だけど今日は違った。あたしたちがとりとめのない話をしていると、急にドアが開かれて一人の女子生徒が飛び込んできた。ひどく急いできたのか、息が切れている。
「あっ、あの! ここで依頼ができるって——ケホッケホッ」
「ああ、ここが『たんていクラブ』で間違いないですよ。和十ちゃん、彼女にお茶を。」
「はーい」
あたしは数少ない備品のティーポットを取り出すと、紅茶を入れる。ちょっと面倒くさいけれど、依頼人に紅茶を出すのは帆夢ちゃんのこだわりらしいので練習した。今ではかなり上手に淹れられるようになったと思う。
「どうぞー、温(ぬる)めに淹れましたからグイっと飲んでも大丈夫ですよ」
「あ、ありがとうございます。でも、それより——」
「まあまあ、落ち着きなさい。まずは紅茶でも飲んで、お名前を聞かせてもらいましょうか。それからポケットの中身を見せてくれないかい?」
あたしが紅茶を淹れている間に、帆夢ちゃんは既に探偵モードになっていた。ひどく自信満々で、相手に有無を言わせない圧を感じる。飛び込んできた彼女もそれを感じたのか、大人しく紅茶を一口すすってから語りだした。
「自己紹介が遅れてしまい、すみません。私は1年生の依山りんと言います。それで、あの、依頼なんですが」
「ちょっと待って。その前にポケットの中身を見せてくれないか、と言ったはずだけど?」
「そ、それは……」
依山さんの制服のポケットからはチャラチャラとした金属音が聞こえる。だけど彼女は不安そうにあたしと帆夢ちゃんを見ていて、中身を取り出そうとしなかった。そこで、ダメ押しとばかりに帆夢ちゃんが語りかける。
「実を言うと中身の見当はもうついているんだよ。だから、これは確認作業に過ぎない。さあ、見せてくれないか? 大丈夫、探偵は依頼人の秘密を喋ったりしない。絶対にね。ボクの助手——和十ちゃんもそうさ」
それを聞いて安心してくれたのか、依山さんはポケットに手を入れると中身をテーブルの上に置いた。それは、何かのカギと10円玉だった。
「……これで全部です」
「これは何のカギ?」
「恐らく、第2体育用具室のカギだろう……そうだね? 依山さん」
帆夢ちゃんの問いかけに、依山さんはひどく驚きながらも頷いてくれた。なんで分かったのかと言いたげだったが、すかさず帆夢ちゃんが言葉を重ねた。
「何を調べて欲しくてここに来たのか、もう分かっているから口に出さなくても結構。結論から言えば、
「——っ、本当ですか! じゃあ今何処に」
「その前に。一つひとつ確認していきたいのだけど、よろしいかな?」
「分かりました、お願いします」
あたしにはまだ何も分かっていないが、依山さんは一旦帆夢ちゃんの話を聞くことにしたらしい。とりあえずその子(誰のこと?)は無事だ、と言われたことも大きかったのかもしれない。あたしも帆夢ちゃんの後ろに控えながら、彼女の推理に耳を傾けた。
「まず目についたのは、あなたの靴下だね。白い靴下は汚れが目立つ、泥汚れならなおのこと」
そういわれて依山さんの足下を見ると、確かに彼女の白い靴下には点々と泥汚れが付いていた。あれ? でも——
「なんで泥汚れ? 確かに一昨日は雨が降ったけど、昨日も今日も晴れだったよ?」
「和十ちゃんの言う通り、最後に雨が降ったのは一昨日だから、当然校庭をはじめとした地面は乾ききっている。だからこの学校で、今も泥汚れが付くほどにぬかるんでいる所って言ったら、一つしかないさ。一日中日陰になっている体育館裏の、第2体育用具室周辺だ」
「あー、あそこは一度雨が降ると3日は泥だらけだからねー」
それなら納得だ。でも、それならもう一つ疑問が浮かんでくる。なんでそんな場所に依山さんはいたんだろう? 用具室以外に、あそこには何もないはずだ。
「依山さんの泥の飛び方を見るに、あそこから走ってきたようだね? 一体なぜ依山さんは用具室に行き、そこで何を見てそんなに慌てることになったのか……そのヒントが10円玉にある」
「10円玉に?」
依山さんが取り出した10円玉をじっと観察するけど、特に怪しいところはない。ただの10円玉だ。それを見た帆夢ちゃんがおかしそうに言う。
「そういうことじゃないよ、和十ちゃん。そもそも、何でたった10円だけ依山さんは持っていたと思う? それも財布じゃなくて、制服のポケットなんて場所に」
「えーっと、何でだろ?」
「校内にお金が落ちていることはあまりないし、依山さんはそういったものをネコババするタイプでもなさそうだ。となれば、理由は限られてくるだろう? 例えば、『何かを買った時のおつり』とかね」
「そうなの? 依山さん」
「ああ、はい。さっき自販機で飲み物を買って、出てきたお釣りをとりあえずポケットに入れておいたんです。」
なるほど。でも、それが何だというのだろう? この学校には確かに自販機が設置してあるが、そこで飲み物を買う生徒なんてたくさんいるし。
「和十ちゃんは自販機で売っている飲み物の値段を覚えているかい?」
「えーっと、学校のは安くてどれも基本は100円だよね……ん?」
「気づいたみたいだね。そう、ここの自販機で10円玉がお釣りとして出てくるような商品って珍しいんだ。っていうか、一つしかない」
「あっ! 牛乳だね!」
「そう、ここの自販機はいわゆる学校価格で基本100円均一だけど、牛乳だけはさらに安くて90円だ。なにせマズ……不人気だからね。喜んで毎日飲んでいるのなんて和十ちゃんくらいだよ」
「いや、美味しいんだよ? 帆夢ちゃんも飲もうよ、今度買ってきてあげるから」
「遠慮するよ。というか、この間ちょっと分けてもらったし。ボクの舌には合わないや」
「というか、依山さんはあの牛乳好きだったんだね! 同士よ!」
あたしが依山さんと強く握手を交わしていると、何故だか帆夢ちゃんの機嫌が悪くなったように感じた。わざとらしい咳払いと共に、あたしは依山さんから引きはがされた。
「オッホン! 和十ちゃん、ボクの推理が正しければ依山さんは牛乳ファンではないよ」
「えっ、そうなの?」
「す、すみません。その通りです」
どうやら、あたしの勘違いだったらしい。けど、なんで依山さんは好きでもない牛乳を買ったんだろう?
「さて、確認したいこともできたし、そろそろもったいぶった話は止めにしようか。依山さん、あなたが探しているのはこの子だね?」
そう言うと、帆夢ちゃんはスマホを取り出して一枚の写真を彼女に見せた。そこに写っていたのは、一匹の子猫だった。右足には包帯のようなものが巻かれている。
「そうです! その子は今何処に!?」
「ご安心を。体育教官室で、山田先生が面倒を見ているよ。すぐに会いに行くといい」
「ありがとうございます! 行ってきます」
「どうも、こちらとしても事件が解決して何よりだよ。——いや、最後に一つだけいいかな?」
「なんですか?」
「依山さんは、その子をどうするつもりかな? ああ、無理に答えなくても結構だけど」
帆夢ちゃんの問いかけに依山さんは一瞬考えたのち、彼女はしっかりとこう言った。
「家族としてお迎えします。昨日、両親に許可も貰いましたから」
「なら無用な心配だったね、引き止めて申し訳ない」
「いいえ、ではこれで」
依山さんが去って行った扉をしばらく呆然と見たのち、あたしは和十ちゃんに詰め寄った。
「ど、どーゆーこと?? あたし全然分かってないんだけど」
「いや、何とも単純な話だよ。実は今朝、山田先生から『第2体育用具室で子猫を見つけた。足を怪我している』と聞かされていてね」
帆夢ちゃんが探偵をしていることは先生方にとっては周知の事実であるため、時々こういった情報が流れてくることがある。でも、あたしの中ではまだ点と点が繋がらなかった。あたしが首をひねっているのを見て、帆夢ちゃんは語りだした。
「じゃあ、最初から話そうか。まず昨日、依山さんは恐らく昼休みの時間に、足を怪我した子猫を見つけたんだ。そして、その子猫を第2用具室に隠した」
「えっ、何のために?」
「動物の怪我なんて、その場で治療できるものでもないからね。薬を買うにしろ、獣医にみせるにしろ、とりあえず午後の授業が終わるまで子猫にはじっとしていてもらわなくちゃいけないだろう? でも子猫なんてじっとしている訳がないし、かといって先生に『子猫を預かっていてください』なんて頼めるものじゃない。仕方が無いから彼女は強硬策に出たのさ。つまり、第2用具室のカギを盗んできて、子猫を中に入れておいたんだ。一時的な隠し場所として利用したわけだね」
「だから、ポケットの中身を見せたくなかったんだね。盗んだカギが入ってるから」
「その通り。まあ、第2用具室なんて普段誰も使わないからね。ばれないと思ったんだろう。だけど、そこで依山さんに予期せぬアクシデントが起きてしまったんだよ」
「アクシデント?」
「和十ちゃんも昨日一緒に行っただろう? 例の凶悪な殺人事件が起こってしまったんだ」
そう言われて、つい昨日見た首なしの遺体を思い出した。確かに、これ以上ないような凶悪事件だ。現場は学校から少し離れたところだったけど、殺人事件ともなれば学校に多少は影響があるだろう。
「事件が発覚したのは、昨日のお昼過ぎ。ボクたちは現場に向かったけど、他の生徒たちはあの後すぐに集団で下校させられたらしいよ。だから彼女にとっては、子猫を回収する隙が無くなってしまったことになる」
「それでそれで?」
「仕方がなかったとはいえ、子猫を一晩置き去りにしたわけだ。子猫がお腹を空かせていると焦った彼女は、今日の放課後すぐに動いた。子猫用に牛乳を自販機で買った後、急いで第2用具室に向かったのさ」
「ああ、牛乳は子猫用だったんだ」
「そうだね。でも、依山さんが用具室の扉を開けた時、既に子猫はいなかった。それより先に、たまたま用具室を点検した山田先生が回収していたからね。かなり手厚く治療したみたいだよ? まあ、彼女にとってはそんなこと知るはずもないから、子猫がどうなったのか心配で仕方がなくなって、ここに飛び込んできた。以上がこの事件の流れだね」
そこまで話すと、帆夢ちゃんは紅茶を一口飲んだ。依山さんはカギを盗んだことを怒られるだろうけど、事件はあらかた無事に解決したようだ。そこであたしは、最後に気になっていたことを帆夢ちゃんに聞いた。
「あの最後のやり取りも何か意味があったの? 『その子をどうするつもり』ってやつ」
「ああ、それかい」
あたしの質問に、帆夢ちゃんは大きく一息ついてから答えた。
「今回の依山さんの行動は、子猫を想ってのことだったとしても、少々行きすぎた部分が多い。実際、仕方がないアクシデントだったにしても、子猫は空腹の夜を過ごさなくてはならなかったのだからね。だからさ、その、聞いておきたかったんだよ。彼女に、子猫の命を預かる覚悟があるのかをね」
探偵としては踏み込むべきではなかったんだけど、と帆夢ちゃんは頭をかいた。
「そしたら彼女はしっかりと『家族として迎える』と言ってのけた。覚悟ある者の目だったよ。自分のお節介が恥ずかしくなるほどにね」
「なるほど、帆夢ちゃんらしい心配だね」
とにかく子猫の未来が明るいようで良かったよ、とほほ笑む帆夢ちゃんは本当に安心したようだった。彼女もまた、子猫を案じていた一人だったのだろう。
そんな彼女を見て、あたしは改めて思うのだった。
——やっぱり、帆夢ちゃんの推理は美しい。
△●△
その後は特に誰が訪ねてくるわけでも無く、あたしたちは今日の活動を終えた。
今日もそうだったように、帆夢ちゃんは賢くて、かっこよくて、かわいい。本当に自慢の幼馴染で親友だ。彼女の隣で推理を聞いて、彼女の話し相手になって、彼女と笑い合って、そんな日々がどれもかけがえのない宝物。
だからさ、その宝物が、彼女の推理が汚されると——ひどく腹が立つんだよね。
「おい、聞いてるかバケモノ?」
ウォォォォ
もうすぐ日付が変わろうとする頃。あたしは例の殺人事件があった川の下流にある河川敷に来ていた。周囲にはコンビニもなく、ぽつぽつとした街灯以外は塗りつぶされたような闇で覆われている。人が通りかかる気配もない寂しい場所だ。
もうすぐ日付が変わる時間。いつもなら寝ているかベッドでスマホを見ている時間だけど、今日はどうしてもやらなくてはいけないことがあったからここに来ていた。一応、姿を隠すために黒いコートを羽織ってきたけど、誰かがこの場面を見たところで、どうせあたししか見えないし、川のせせらぎしか聞こえないだろう。あたし以外で、こいつらを見ることができる人間に会ったことがない。
「お前みたいなやつがさあ、帆夢ちゃんの推理の邪魔をする。それがどれだけ不快かわかるかな?」
ウゥゥゥゥ
相変わらず、目の前のバケモノはうめき声のようなものをあげてこちらを睨んでいる。それはどこか熊を思わせるような見た目だったが、大きさはあたしの5倍ほどもあり、全身をドロドロとした真っ黒い泥のようなものが絶えず循環しているようだった。夜の闇よりも濃い黒でできたその姿は、バケモノ以外の何物でもない。
あたしは物心ついた時から、こいつらを見ることができた。こいつらは物陰や路地裏なんかによく潜んでいて、時折通りかかる人に危害を加える。こいつらが何なのか、なんてことに興味はないし知ろうとも思わない。帆夢ちゃんだったら積極的に解明を試みるんだろうけど、彼女にもこいつらは見えていないようなので仕方ない。そしてあたしにとって重要なのは、こいつらが帆夢ちゃんを悲しませる、という一点のみだ。
「ほら、頭吐けよ」
グブゥッッ
こいつらは基本的に人間よりもずっと強い。だけど、あたしはこいつらが見えるだけでなく、こいつらに対する圧倒的な力も持ち合わせていた。今も、軽く腹部(と思われる場所)を蹴り上げてやるだけで、バケモノは体をくの字に曲げて口から何かを吐き出した。——それは、食いちぎられた被害者の頭部に違いなかった。
血だらけのそれを冷めた目で観察しながら、推理——ですらない事実を並べた。
「帆夢ちゃんは何も間違えてなんていない。お前は昨日の夜、現場の河川敷で被害者を持ち上げて散々甚振った後、頭を食いちぎって投げ捨てたな? 全部帆夢ちゃんの言った通りだ。間違えてなんていない。あの子を落ち込ませて、推理を汚して——許せないゆるせないユルセナイ!!!」
あたしの怒気を感じ取ったのか、バケモノは逃げるように背中を向けた。だけど、帆夢ちゃんを落ち込ませたこいつを逃がすわけがない。こいつらによる殺人事件が起こる度に、そしてそれを帆夢ちゃんが推理する度に、帆夢ちゃんの美しい推理が汚されるのだ。誰もが彼女の正しい推理を、でたらめな絵空事だと一蹴する。それがどれほどムカつくか!!
「せめて綺麗に散れ、クズが」
バケモノの背中を見据えながら、自分の手のひらをゆっくりと閉じていく。パーからグーにするような手の動作に合わせて、バケモノは徐々にひしゃげていき、やがて野太い悲鳴と共にチリとなって消えた。後には何も残らず、ただ川のせせらぎとあたしの踏んだ砂利の音が響いていた。バケモノが吐き出したはずの被害者の頭部も、一緒に消えていく。
「はあ、帰るか……あっ、帆夢ちゃんからLIEN来てるー♪」
さっきまでの出来事がウソだったように静まりかえる河川敷に背を向けて、あたしは帰路を急ぐ。
頭の中は既に、帆夢ちゃんから届いたスイーツバイキングのお誘いでいっぱいだった。