旅の終わりの、更にその先の物語。 作:しろまち
尋常ならざる事柄が起きていても、時間はいつだって等しく流れていく。
「なぁ、今日帰りに……あ、今日バイト入れてたわ」
「自分から言い出しといて何それ」
「馬鹿じゃないの」
「っていうか、馬鹿でしょ」
「何で二回言った!?」
「……真似?」
「誰のだよ」
コントのようなテンポの良いやり取りに、叶鳴がくすくすと笑い声を漏らす。慎もつられて、小さく噴き出してしまった。
カラオケ店での反転死体の発見、それに続く怪しげな少年との邂逅。他にも一口には言い表せない程の出来事や事柄に遭遇しながらも、慎は今までと然程変わりない日々を過ごしていた。
あんな事があったというのに、新聞もテレビもそれらしい事は一切報道していない。それに相変わらず、兄の諒からは何も聞かされないままだった。
「でも、今日は俺も洵の付き添いで病院に行かなくちゃならなかったから……ごめんな、拓郎」
「洵君の付き添い……ですか?」
「ああ。といっても、今は単なる健診みたいなものだから」
10年前。綾凪市で起こった鉄道事故によって、妹の結祈を喪うと共に洵も頭部に重篤な怪我を負った。その際に受けた脳外科手術によって洵は奇跡的に一命を取り留めたのだが、今も定期的な経過観察が必要となっていた。
定期的に病院に通う必要があるとはいえ、特に何か障害が残っているような事も無く。今までも問題無かったから、と他の皆を安心させる為にも緩く首を振って言うと、暫く何か考えていためぐみが声を掛けて来た。
「ねぇ、神郷君。その病院って、中央総合病院?」
「そうだけど、どうかしたのか?」
脳外科という専門の都合上、どうしても行く病院は限られる。
問われるままに慎が頷くと、めぐみはまた少し考えた後に話を切り出した。
「なら、ついでで良いのだけど……お見舞い、一緒に付き合ってくれないかな」
「お見舞い……って、いつだったか通り魔に襲われたっていう先輩の事か?」
「うん。悠美先輩……田坂先輩っていうんだけど、ようやく面会出来るくらいになったみたいで」
拓郎の確認にめぐみが説明を続ける一方で、慎はめぐみが口にした名前を心中で反芻する。
田坂 悠美。
自宅の、兄の諒が使っているパソコンの中にあったデータに記されていた名前だ。あのカラオケ店で知り合った伊藤という刑事の言葉も気になって、つい兄のパソコンデータを見てしまったのだが、その中にはA潜在者というリストの中に先程めぐみが口にした田坂の名前と、拓郎の知り合いであるらしい
あのカラオケ店での事件、もっと言うのならばそこで出会った怪しげな少年がその岡崎に何かした――それこそ、カラオケ店で見た反転死体のように到底信じられぬ事をした、らしい。だからあの時、拓郎は酷く激高したのだろう。らしい、としたのは、動揺しきっていた当の拓郎が「今も何処かで生きている」と信じる事にしたからだ。自分の目で死を確認していないのなら、死が確定されないのと同じように。
故に、岡崎という少年は今も行方不明のまま。他にも少なからず、行方不明者が居るらしい。そんな中で兄が所持していたリストに記されていた人物の名の一致に、慎は気に掛かってしまった事もあって提案に頷く事にした。
「分かった。洵の定期検査が終わった後に、俺もその田坂先輩のお見舞いに行こう。後で洵に訊いてみる」
そういう訳で後から洵に訊いてみた所、洵からもお見舞いに行きたいという旨の了承を得られたので放課後、洵の診察と併せて病院に向かう。
結果から言うと、健診は特に問題も無く終わった。経過も順調で、このままなら定期的な通院もしなくても良くなるらしい。今までも特に何かあった訳ではなかったが、今回も何事も無く終えられて慎は少しほっとする。当の洵からは、心配し過ぎと呆れられてしまったが。
この綾凪市立中央総合病院は、名前の通り綾凪市で最も大きな病院だ。今日も通院や診察をするであろう者達で混み合っている。今は意識不明の患者――特に多くは無気力症と呼ばれる者達を受け入れているらしい。
無気力症。この綾凪市やその周辺都市でこの所よく見られる精神疾患をそう呼ぶらしい。発症した者は動く事どころか喋る事もままならなくなり、果ては衰弱していったまま死んでしまうのだという。治療法は確立されておらず、原因も分からない。
10年前、同じく綾凪市で無気力症が多発した時からいまだ詳しい事は分かっていないらしい。洵の脳外科手術を行ったのもこの綾凪市立中央総合病院であり、偶々綾凪市に訪れていた医者だったのだという話を明かされた際に、並行して聞いた事を慎は思い返す。
そういえば10年前――と、洵を担当した平賀という年若い医師が見せた何処か考え込むような表情が少しだけ頭の中で引っ掛かりながらも一階の受付付近に来てみると、人の邪魔にならない壁際で並んで立つ湊と美奈子の姿を見つけた。
「あ、慎兄ちゃん。あそこ。……こんにちは」
「だな……お待たせ。待たせたか?」
「別に、そうでもない」
「今来たとこ!」
何故か何処のデートの待ち合わせかという慎の言葉に、湊と美奈子もお決まりな言葉で返して来る。
めぐみの先輩の見舞いは、提案しためぐみの他、慎と洵、湊と美奈子で行く事になった。
拓郎は話題に出していた時の通り、バイト。叶鳴は放課後、英語教師に呼ばれてしまって一緒に行けなくなってしまった。成績優秀な叶鳴の事、何か学業面で問題があっての事ではないとは思うが、何だろうか。
明日にでも訊いてみよう。そんな風に考えていた慎の袖を、洵が引っ張って慎は我に戻る。
「めぐみさんの先輩が居る病室って、何処なの?」
「あっ、そうだな。えぇと……」
こうしてたむろしていても邪魔なだけだろう。めぐみは先に先輩の病室に行っているという事らしい。
病室番号は聞いていたのでそれを口にするものの、はた、と別の問題に行き当たって沈黙する。どの病室かは聞いたが、そこへどうやって行くのか聞いていない。
思わず黙り込んでしまった慎が湊と美奈子を見ると、湊と美奈子も揃って首を横に振る。そうしてどうしようか、と思った所で、湊が病院のスタッフらしき者の姿を見つけてそちらへ向かった。
「訊いて来る」
「あ、有里っ……ご、ごめん」
申し訳無さそうな慎の声を背中に聞きながら、湊はこの病院のスタッフらしき青年の方まで近付く。
「すみません」
声を掛けると、青年は湊に気が付いて湊の方へ振り向いた。
「はい、何です……」
恐らく何ですか、と言いかけた青年の言葉が、湊の姿を見て中途半端に止まる。
どうしたのだろうか。凪の杜学園の授業が終わってから、現在寝起きしているマンションには寄らず見舞いの為に駅内の花屋だけに寄って来たので制服のままだ。何処かで汚してしまった覚えもなく、TPO的にも問題無い筈だが、と月光館の制服を纏った湊は軽く首を傾げて青年を見返した。
少し珍しくも感じる灰色の髪。特に前髪は綺麗に切り揃えられていながらも眉毛を隠していて、ちゃんと前が見えるのだろうかと湊は自分の事を思い切り投げ捨てて疑問に思う。
「病室、どうやって行くのか知りたくて」
続けて見舞いに行く予定の病室番号を口にすると、青年は我に返ったように丸くしていた目を何度か瞬きさせた後に、ああ、と声を出した。
「ああ、そこなら――」
綾凪市内で最も大きな病院だけあって、広く少し構造も分かり難いらしい。青年の、分かりやすい説明に湊は耳を傾ける。
――何処で会ったっけ。
何処かで、ではなく、何処で。僅かだが明らかに違う意味合いを持つ疑問。
「今、そこの階は水回りの点検中だから、水道を使うのなら上か下の階を使うといい」
青年の丁寧な説明を聞きながら、泡のようにどうしてか浮かび上がった思いに湊は青年を改めて見る。
手にしているのは掃除用具。患者や見舞客がそんな物を持っているとも思えないから、普通に考えて清掃スタッフという所だろう。行き方の案内も分かりやすく、こういう説明は慣れているのかもしれない。このくらいの伝達力が欲しかったな、とちょっと思ったりもした。
「ありがとう」
「どういたしまして」
病室までの行き先を頭に叩き込み、青年に軽く頭を下げて礼を言う。
案内は慣れているのかもしれないが、元々の業務ではないのだからあまり引き留めるのも良くないだろう。言葉も最小限に、湊は青年から離れて慎達の方へ戻っていく。
青年の名札に書かれていた、「
だからきっと、ただのデジャ・ヴなのだろう。
「お待たせ。訊いて来た」
「訊いて来てくれてありがとな、有里」
そうして、四人で病室まで向かう事にする。
先に病室までの行き方も伝えておいた。言葉自体は、湊が青年にして貰った説明とほぼ同じだが。
分かりやすい説明もあって途中で特に迷う事も無く、めぐみの先輩である田坂 悠美が入院している病室まで辿り着く。病室の前で軽くノックをすると、先に病室に行っていためぐみが答えた。
「皆、ありがとね。悠美先輩、さっき話してたクラスメイト達と、その弟君」
「えっと……お邪魔します」
「こんにちは」
病室の扉を開け、中に入る。病室は個室のようでベッドは一つしかなく、そこには一人の女性が居た。
その女性――
「お見舞いの花も持って来てくれたの? 花瓶、何処にあったっけ……」
「水入れて来るね。この階は水道使えないんだっけ」
「そう。頼んだ」
めぐみから花瓶を受け取りつつ、花束を持っていた美奈子が湊を見る。湊も同じく美奈子と目を合わせながらも、お互いに表面上の言葉以外の意味を以て頷いた。
めぐみの先輩だという、今この病室に居る女性。あの女性は湊と美奈子がこの綾凪市に訪れたばかりの時、歩道橋で男に――もっと言うのなら男のペルソナに、襲われていた女性だった。
曰く、一命は取り留めたものの精神的なショックが大きいらしい。慎と洵、湊と共にめぐみからの説明を聞き、花瓶に水を入れる為に一度病室を離れた美奈子は小さく息を吐いた。
水道を使うなら、上か下の階。どちらでも良かったので、特に深い意図も無く下の階へ下りていく。
病棟は静かだ。めぐみの先輩、悠美が居た階も静かだったが、この階はもっと静かに思える。入院患者ばかりなのだろうから一階の受付付近と比べたら当たり前なのだろうが、それを差し引いてもまるで人が居ないかのようだった。
床に自分の足音が反響していくのを聞きながら、美奈子は水を使う為にトイレは何処かと見回す。
――そしてふと、ある一病室の扉が開いているのが目に留まった。
廊下に並んだ病室の扉。その内の一つだけ、扉が開け放されている。風で開いてしまったのか、それとも誰かが開けっ放しにしたままにしたのだろうか。分からない。けれども、美奈子の足は何故か気になって扉が開いていた病室まで向いていた。
この病室も個室だ。階こそ違えど同じ病棟内である為に悠美が居た病室と内装は変わらなかったが、病室に足を踏み入れた瞬間どうしてか埃っぽく感じて美奈子は思わず顔を顰める。
衛生管理は医療において、決して軽視されるべきものではない。然るべき清潔さは保たれている筈であるし、悠美が居た病室は病院らしい清潔さを感じたというのに。
病室内を見回してもそう目立つ不潔さがあるようにも思えなかったのに埃っぽいように感じてしまった事に首を捻りつつ、美奈子はベッドに横たわる人物を見つめた。
年嵩は美奈子と変わらないか、少し年上かもしれないくらいの少年。美奈子が病室へ足を踏み入れても起きる気配は無く、その瞳は閉じられたままだった。
悠美の病室に行く際、この病院は無気力症をはじめとした意識不明の患者を多く受け入れているらしいと慎から聞いていた。この少年も、何らかによって意識不明となっている患者なのだろうか。
何も知らず、何も分からない筈で、きっとそうである筈だと思いながらも、美奈子は改めて病室を見回してから少年を見る。
静かな、寧ろ静か過ぎる周囲において、少年の呼吸すらあるのかどうか分からなくなりそうだ。何処からも、誰からも隔絶されて、忘れ去られて。生きているのかも、生きていたとしても目覚めるかどうかも分からなくて。そうだとしたら、それはまるで。
心の奥底に沈んだ重石に美奈子は口許を引き結び、強く首を横に振る。滲み出す感情が、音の無い溜め息となって漏れた。
病室に備え付けられてあった洗面所を拝借し、持って来た花瓶に水を入れてそこに花を生ける。続けて、ベッド近くのサイドテーブルに置いてあった花瓶を手に取った。
サイドテーブルに置いてあった、というよりは、置きっぱなしになっていた花瓶。うっすらと表面に埃が被っていて、当然のように何も生けられていない。美奈子はその花瓶を軽く洗って拭いてから、中に水を入れてサイドテーブル上に戻す。
空だった花瓶に挿したのは、一本のウォールフラワー。
無機質で色の無い病室に、ほんの僅かに色が差す。美奈子は少しの間だけサイドテーブル上の花と少年を見つめた後、悠美の病室へ持っていく為に生けた花瓶の花を抱えて今居る病室を後にする。
ベッドのネームプレートに記された「
ウォールフラワー:花言葉「逆境に打ち勝つ」「愛情の絆」