旅の終わりの、更にその先の物語。 作:しろまち
掠める夜風が少し冷たく感じる。
外気よりも熱の籠もった息を吐き、そして些か低い気温の空気を吸い込みながら、湊と美奈子は暗闇から這い出たような影――シャドウとの戦いを行っていた。
「エンジェル」
召喚器の引き金を引くと青い欠片が飛び散り、ペルソナが顕現する。
金の髪と白い翼を広げた天の御使いが行った加護を受け、目の前の手だけのシャドウが文字通り振るった手を避ける。狙いが外れて倒れたように甲の部分を見せた手だけのシャドウに対し、続いて湊が召喚器の引き金を引いた。
「ベリス」
先程の天使とは対称的な、赤黒い馬を駆る甲冑姿の悪魔が赤々とした炎を放つ。
まるで地獄の業火とも言わんかのばかりの攻撃を受けて燃える手だけのシャドウに、湊と美奈子はそれぞれ剣と薙刀を振って切り伏せた。
どろり、とシャドウが泥のように形を崩し、青緑色ではない月の光のあたらぬ陰の中に溶けていく。
それも束の間、新たに現われた長い髪をたなびかせる首だけのシャドウに美奈子は風の魔法で接近を防ぎ、湊が間髪入れずにペルソナによる連撃を食らわせて攻撃の隙を与えぬようにする。
更に背後から飛んで来たシャドウからの矢を振り向きざまに美奈子が払い、その間に距離を詰めた湊は跳躍した勢いを以て弓を構えたシャドウを頭から叩き斬った。
『うん、この近くにはもうシャドウは居ないみたいだね』
他と同じくシャドウがどろどろと形を崩壊させて消えていく中で、心の内側に在る綾時が告げる。周辺に脅威が無い事を知ると、湊と美奈子はひとつ息を吐いてそれぞれ構えていた武器を下ろした。
空を見上げると、電灯の明かりが少ない中で月明かりが眩しく感じる。ただその色はある意味で見慣れた青緑色ではなく白く蒼褪めて冷えた色だった。
ここは巌戸台ではなく、今は影時間でもない。
その事実が示すものに言い様の無い感情が湧き上がるのを自覚しながらも音には出さずに飲み込み、湊と美奈子はついさっきまで振るっていた武器を布で包んで隠す。それから一応周囲に人もシャドウも居ない事を確認してから、寝起きしているマンションまで戻る事にした。
湊がこの綾凪で初めてシャドウと交戦してから、夜にシャドウが現われるようになった。シャドウは無気力症になっている者達の近くに出現する事が多く、つまりはこの綾凪市で出現したシャドウも無気力症を引き起こすものでもあるという事だろう。
シャドウの場所はおおよその場所ならば綾時がいち早く感知出来ているので、湊と美奈子はそれに従って現場に向かっている。流石、と言うべきではないのだろうが、シャドウの上位存在であるデス故なのだろう。あまり褒めると調子に乗るので、綾時には言わないようにしているが。
「お腹減った」
「今日はラーメンの気分かなぁ」
あれから、この綾凪に来たばかりの時から、イゴールには会っていない。ベルベットルームにも入っていない。故にベルベットルームの住人にも会っていないが、と湊と美奈子は制服のポケットに手をあてる。
制服のポケットの中。その中には、湊の方には白金細工のしおり、美奈子の方には白檀香のしおりが入っていた。
かつて、力を司る者との手合わせで――正直ちょっと思い出したくはないが――貰った物。そのしおりはペルソナ全書のような役割があるようで、湊と美奈子はそのしおりを使って自らのペルソナの管理をしていた。ちなみに一部を除いて引き出す時はしっかり所持金が何の仕掛けでか減っていた。ちょっと多過ぎる生活費を貰っている身ではあるが、何か釈然としない。
なお、今手にしている武器は寝起きしているマンションに置いてあった段ボールの中に入っていたものである。宛先は掠れて読めなかったが、発送元は「闇ネットたなか」と書いてあった。何やっているんだ、たなか社長。あの時も結構そこそこ怪しかったし、冷静に考えて普通にシャドウを倒せるくらいの武器を売ってたりするのはアウトだったんじゃと今更に思う。流石に剥き出しのまま持ち歩くのは宜しくなかろうと布で包んではあるが、これでも結構怪しいのではないのだろうか。巌戸台の時は影時間の中だったからそんな心配は無かったのだが、もしも職務質問にでも遭ったらどう誤魔化したら良いだろう。怪しまれた時にどうにかこうにか誤魔化したり隠したりしていた経験のある者が居たら、是非とも教えて貰いたいものだと思う。普通、武器を持ち歩く事などは多分他に無いだろう、とは思ってはいても。
寝起きしているマンションについては、相変わらず家主と顔を合わす事も無い。ただ巌戸台の寮に居た時と同じくらいには少しだけ住まいに対する遠慮が減って、置いてあったこの武器やらパソコンを勝手ながら使うくらいにはなっていた。
パソコンを使うといっても、巌戸台に居た時もネットゲームくらいにしか使っていなかったので大して何かをやったという程でもない。した事と言えば、軽くネットニュースを見るくらいだった。ちなみにパソコンは特にパスワードも設定されていないセキュリティガバガバ具合だったし、ブックマーク内の闇ネットたなかには買うなら今しかないという衝動に駆られる所だった。本当、何やっているのだろうか、たなか社長。
聞き覚えあり過ぎるメロディのトラップに嵌まりそうになりつつも、湊と美奈子はこの綾凪市を主として起こった事やその噂話を多少なりとも知る事が出来た。
この綾凪市で頻出する無気力症患者に、10代後半中心の若者達の行方不明。
カラオケ店で見た反転死体の事は日頃のテレビ上でのニュースと同じく取り上げられているような所は無かったが、怪しげな噂にはなっているようで今は跡地になっているらしい何かのサイトの掲示板には解決を望むかのような書き込みも見られた。
この綾凪市で見られる無気力症は、10年前にもあったらしい。
10年前――と過ぎる感情を抱えながら、足は人通りの無い場所からそれなりに人の出入りのあるショッピングモールの近くまで辿り着く。
「あ、自販機。飲み物買っていこう」
「僕は剛健美茶で」
ショッピングモールの駐車場まで来た所で、自販機を見つけて立ち止まる。
湊と美奈子が自販機の前で少し前屈み気味になった所で、不意に駐車場に停まる二台の車が視界に映った。
駐車場に停まる車。それ自体は別段、珍しくも何もない。しかし横に並んで停まった二台の車の窓が開けられ、片方の車からもう一方へと何かが手渡されるのを見て目を見開いた。
あれは、と思わず声に出かかるのを、寸での所で飲み込む。だが、意識は目に映ったものに釘付けになっていた。
車のパワーウィンドウが閉められ、走り出す。駐車場から走り去っていく車は湊と美奈子に気付いた様子は無く、しかし湊と美奈子は一方の車に乗った人物が見えて再び驚きに息を飲み込んだ。
――神郷 諒。神郷 慎と洵の兄である人物。
それに、その諒がまるで人目を忍ぶように受け取っていたのは。
「あれって……」
「あれは、ひいらぎ製薬の……」
と、そこで声が聞こえて来て湊と美奈子は周囲を見回す。
先程の二台の車よりもやや離れた場所。そこに一台の車と、二人の男が乗っている。男達は湊と美奈子が見ている事に気付き、車から降りて近付いて来た。
「こんばんは」
「お仕事お疲れ様です!」
「えっ、あ、あぁ……こんばんは」
先んじて湊と美奈子から声を掛けると、長身のまだ若そうな男の方が困惑しながら挨拶を返す。
こういう時は先手必勝に限る。構える事も無く応対した湊と美奈子に面食らったらしい長身の男が、やや困ったような顔をして同じく近付いて来る壮年の男の方を見る。まるで助けを求めるかのような長身の男の態度に、壮年の男は呆れたように溜め息を吐いた。
車から出て来た二人の男。湊と美奈子には見覚えがあった。二人は綾凪署の刑事で、壮年の男の方が伊藤、長身の若そうな方は楢崎といった筈だ。伊藤と楢崎も湊と美奈子の事は覚えていたようで、伊藤は楢崎の隣まで近付くと二台の車が走り去った方を見遣った。
「お前等、さっき……いや、何でもない。それより、未成年がこんな時間まで外に居るのは感心せんな」
「確かに……君達、何してたんだ?」
何かを問い掛けて首を横に振り、途中で止めて別の言葉に擦り替えたらしい伊藤の言葉に、楢崎も頷いて湊と美奈子に問い掛ける。
先程、走り去った二台の車。一方の車に乗っていた綾凪署の警察官でもある筈の諒の事、諒が受け取っていた容れ物に入った錠剤の事について問う事を止めたらしい。恐らく、警察関係者でもない湊と美奈子に余計な邪推をさせない為なのだろう。
「課外活動です」
「あっ、良かったら飲み物どうぞ」
ついさっき買ったばかりの飲み物を刑事の二人に半ば押し付ける形で渡しつつ、カンスト勇気の心持ちで言ってのける。
課外活動。巌戸台のS.E.E.Sは「特別課外活動部」だったから、一応嘘は言っていない。
長物を持っていたとはいえ、布をきつく巻いて中身を隠していたのも幸いした。二人の刑事は堂々し過ぎたのが逆に不審気に思った様子を滲ませながらも、それ以上問う事はしなかった。
「あのカラオケの時の犯人、見つかったんですか?」
「……悪いが、それは守秘義務にあたるんでな」
テレビドラマのようにそう軽々は教えてくれないらしい。そこは予想通りだったので、特に気には留めない。
「じゃあ、この辺りの美味しいラーメン屋」
「はぁ? 何言ってんだ」
「まぁまぁ、伊藤さん。このぐらいの歳の子達で、部活動帰りならお腹が減ったっていうのは仕方無いですよ」
突然に方向展開した話題に伊藤があからさまに怪訝に顔を顰め、楢崎が困ったように笑って宥める。
取り敢えず事件の事についてはしつこく訊かれるような事も無いらしい、と判断したのか、やや呆れながらも伊藤は思案するように手を顎にあてて唸った。
「道案内じゃねえんだから……全く。ラーメン屋ってぇと、このショッピングモールの裏手側に一軒あったな」
「あ、知ってますよ。確かそこの女店主は元スパイだとか、裏メニューにバナナチャーシューがあるとか何とか……」
「ありゃ単にからかってるだけだろ、ただの噂話を本気にするな」
「ちょっと気になるかも」
「それどっちの事言ってる?」
すっかり話題がおかしな方向に流れてしまい、伊藤は何度目かの溜め息を吐くと湊と美奈子へ向けて犬猫を追い払うかのように手を上下に振った。
「ともかく、だ。未成年が遅くまでうろついてるんじゃない。今度こそ補導されない内に帰れ。……行くぞ、楢崎」
「あっ、はい。事件の事は教えられないけど、何か気付いた事や思い出した事があったらいつでも連絡して来てくれて構わないから。それじゃ、気を付けて帰るように」
「はい」
「分かりました」
警察官らしい言葉を残して乗っていた車に乗り込む伊藤と楢崎にこちらも素直に頷いておきながら、二人の刑事が去っていくのを見送る。
後には駐車場には湊と美奈子だけが残り、静寂と共に掠める風の冷たさを自覚する。
まるで人目を忍ぶように、ひいらぎ製薬とかいう所とやり取りをしていた諒。その諒が受け取った見覚えのある薬。更に、同じ警察でありながら諒の動向を調べているかのような刑事達。
新たに疑問が降りて来ながらも、しかし。
「ラーメン食べに行こうか」
「うん」
今は空腹を満たすのが先。
そうして同じく駐車場を後にし、向かったラーメン屋で食べたバナナチャーシュー……ではなく牛丼ラーメンは、とても不思議な味がした。