旅の終わりの、更にその先の物語。 作:しろまち
授業終わりの放課後。
他の生徒達が帰り支度をしながら日々の他愛無い話をするのを、慎は特に聞き耳を立てる訳でもなく耳に流していく。
今度また転校生が来るとか、ちょっと有名なアイドルのライブイベントがあるとか、何でもスポンサーであるひいらぎ製薬はこの綾凪市が地元だったからでラッキーだとか、もしかしたら雑誌の取材とか受けるかもしれないとか何とか。
耳に入るのは取り留めも無い話題ばかりで、あのカラオケ店で起こった事件の事など誰も知らないようで。諒が何も教えてくれないのは相変わらずだったが、伊藤という刑事も捜査状況が芳しくないのか、それとも別件で忙しいのか大した話は聞けないままだ。新聞やニュースでも取り扱っているような様子は無く、流石に慎でもあの時の事はメディアには伏せられているのだろう、と考えられる程であった。
「やっぱりあの時の事、全然知らされてないままなんだな……」
「……そうだね。ちょっと噂っぽいのにはなっているみたいだけど、何年か前に何処か……何処だっけ、何処かでも変な事件があって、それで騒ぎになった事もあったんだけど結局いつの間にか聞かなくなっちゃったし……確か逆さま……何だったっけ、拓郎、覚えてる?」
悩ましげに溜め息を吐いためぐみが近くに居る拓郎に問い掛けたものの、拓郎からの返事は無い。帰り支度もそこそこに、まるで話が聞こえていなかったかのようにぼんやりとしていた。
「ちょっと、拓郎?」
「へっ、う、うわっ!? 何だよ、びっくりさせんなって……」
「いや、さっきから普通に声掛けてたんだけど……」
そこで我に返ったかのように大仰に仰け反る拓郎に慎は呆れつつも、まだぼんやりしているような心ここに在らずといった様子に些か心配が擡げる。
「拓郎、どうしたんだよ。いつもと違うっていうか……何かあったのか?」
「いや、別に……」
別に、という割には明らかに歯切れの悪い様子に、めぐみがふと思い出したように声を上げる。
「あー、あれでしょ。朝、女の人に声掛けられてたんだよね。それででしょ」
「まぁ……」
「えっ、それって所謂逆ナン……ってやつか?」
「そんなんじゃねーっての!」
目を丸くして驚く叶鳴と慎に慌てて拓郎が声を張り上げて否定するも、直ぐにはぁ、という重い溜め息に変わる。
「いいからもう帰ろうぜ。ほとんど俺達だけじゃねーか」
露骨に話題を逸らされた感はあるものの、確かに教室内に居る生徒の数は随分と少なくなっている。そこまでではない心算だったが、考え込んでいたり話していたりする内に随分と経っていたらしい。
慎自身は洵を迎えに行く予定だったのもあって、自分も途中で止まっていた帰り支度を進める。
「私も部活、行かないと……あっ! そうだ、叶鳴。また影抜きなんてしないでね。この間、空き教室で影抜きやってたのが見つかって、学校でも処分厳しくなるらしいんだから」
「それ、俺も知ってるぜ。小田桐が……」
「小田桐先生、ですよ。榊葉君」
「へいへい。小田桐先生が見つけたんだっけか?」
「そうだよ」
「合ってる」
頭を掻きながら何人伝手なのかも分からない話を思い出して言う拓郎に、湊と美奈子が頷く。その間髪入れない肯定に、慎は思わず不思議そうに首を傾げた。
「あれ? 有里達はもう他から聞いてたのか?」
「資料運ぶの手伝ったから」
「そんなとこ」
事も無げに言われた返答に、慎もつられてふぅん、と相槌を打つ。湊と美奈子、どちらも学校内外問わず慎達以外とも話し掛けたりだの何だのしているようだから、それでだろうか。
「でもまぁ……仕方無いよね。小田桐先生ってさ、厳しいもんね」
「あれは煩いってやつだろ」
如才無い拓郎の言い方を窘めつつも、ともすれば煩いとも取られかねない評価であるのは否定しないのか、めぐみも肩を竦める。
慎自身、苦手ではないが得意でもないので曖昧な首肯をするに留めつつ、でも、と慎は湊と美奈子の方を見た。
「けど、有里達には当たりが柔らかいっていうか……他より、優しい気がする」
弟の洵程ではないし、当の洵からは呆れられる事もあるが、そこまで鈍くも無い心算ではいる。それほど注視している訳でもない上に何となく程度ではあるのだか、ただの気の所為とも思えない印象を口にする慎に、叶鳴とめぐみ、拓郎はピンと来ないのか怪訝な顔をした。
「そうでしょうか……?」
「んー……まぁ、有里君と有里さん、どっちも成績良いから……?」
「そういや有里達から、結構話し掛けにも行ってたりしてた気ぃする。けどよ、それって度胸あるっつーか、ああいうの好きじゃねぇとか、苦手じゃねぇのか?」
成績が悪い訳でもなく、かといって教師に媚を売るような性質でもない。
それなのに、苦手とする生徒達も多い教師相手にも隔てなく関わろうとしているのか。何気無く振った問い掛けに、湊と美奈子は同時にきっぱりと否定した。
「それは無い」
「そんな訳無い」
別に、とか、そんな事無い、とか。そんな言葉ではなく。
否定の言葉には違いなくとも、秘められた意味は明確に違っているようで。
言葉少なくも明瞭にもたらされた否定に慎はどうしてか自分が思いの掛け違いをしているような気がして、胸の奥底がざわめく。
どうしてだろう。自分は何か思い違いか、それとも思い出せない何かが――
「ともかく! 影抜きなんかやっちゃ駄目なんだからね! 叶鳴、わかった!?」
「は、はいっ。ご、ごめんなさい!」
「話がループしてんぞ」
パン、と景気良く打たれた柏手に慎は我に返り、それまでの思考も霧散する。
ぼんやりとしているのは、拓郎だけではないかもしれない。密かに嘆息を零しながら鞄にノートや教科書を仕舞っていると、鞄の底にくしゃくしゃになった紙を見つけた。
「これ……」
鞄の中に教科書類を仕舞うと入れ替わりに底にあった紙を取り出し、皺を伸ばして広げる。それは少し古びた手紙で、以前に家の物置を掃除した際に見つけた物だった。
掃除した際に取り敢えずで鞄の中に突っ込んでおいたのだが、色々あった所為で今の今まですっかり忘れていた。
「神郷君? それ、お手紙みたいですけれど……」
「……ああ。掃除した時に見つけてさ。何となく気になって……両親宛に、子供が書いた小説の挿絵を描いて欲しいって」
絵本作家だった両親。慎が幼かったのもあって、両親が絵本作家としてもどのような活動をしていたのかもあまり覚えていない。兄の諒ならば覚えているのかもしれないが、まるで両親の話を避けているかのように話が出る事も無かった。
そんな中で、両親に宛てて出された手紙。自分が知らない両親の事を知りたくて、気付いたら鞄の中に仕舞っていた。そのまま仕舞い込んでしまって忘れていたのは、ご愛敬という訳にはいかないかもしれないが。
「……ふーん。でも聞いた事ねーな、そういう話」
「私も聞いた事無いかなぁ……」
「そうですね……他のお手紙とかは無かったんですか? それか、出来上がった本とか……」
手紙の中に書いてあった話の概略に揃って覚えが無いと振る拓郎とめぐみに同じく覚えが無いと頷きながらも問い掛けて来る叶鳴に、慎は首を横に振る。
「無かったんだ。……もしかしたら、返事も出していないのかもしれない」
便箋の消印は10年前。日付も、両親が死んだ時よりも少し前だ。
それにあの時、両親は他の絵本を手掛けていて――浮き上がり掛ける何かに、しかし同時にそれを阻害する何かに、慎の頭がずきりと疼く。
まただ。また、何か大事な事を忘れているから思い出しそうで、けれど思い出せないのとは違うようで。痛む頭と心の奥底に半ば振り払うように頭を振り、何でもないように取り繕おうとした所でふと慎は湊と美奈子へ意識が向いた。
慎が手紙の事を話す間、湊と美奈子は何も言っていなかった。単に聞き役に徹していただけか、それとも気を遣っているだけで然程楽しい話題でもなかったから何も言わなかったのか。
確かに別段聞いても楽しい話ではなかったな、と少し反省して慎が謝罪を口にしかけた所で、それまで黙っていた湊と美奈子が同時に慎を見て口を開いた。
「連絡してみたら?」
意味を理解するまで、数瞬掛かった。
連絡をする。何処へ、何を。この手紙の差出人へ、絵を付けて欲しいという話の事を。
「で、でも、随分前の事だし、それにこの手紙に書いてある話じゃ、話の終わりは……」
つい鞄の中に突っ込んでしまうくらいには、気になっていたのは事実だ。
死んだ息子が書いていた小説に絵を付けて欲しい、という子供の母親の願いが書かれた手紙。神木、という差出人に慎自身は面識が無く、この手紙もかなり前のもの。その上、手紙の内容を読む限りでは、と些か後ろ向きな言葉ばかりが出てしまう慎に対し、湊と美奈子はまるで構わずに言葉を続ける。
「知ってる」
その言葉は明瞭ともたらされたにも関わらずあまりにも小さく、慎にしか聞き取れなかった。
しかし他の者には聞こえずとも確かに言葉を聞き取った慎が思わず湊と美奈子を見ると、湊と美奈子が浮かべた表情に慎は次句を紡ぐ息が詰まった。
特に意味も無く述べられた何気無い言葉でも、軽い冗談でもない。故に何故、という疑問が出てしまう程に、そして揃って浮かべたその表情を何と形容するのか分からずに。
ただどうして、と何に対してなのか分からずに漏れた慎の言葉に、湊と美奈子は静かに返す。
「生きた意味、だから」