旅の終わりの、更にその先の物語。   作:しろまち

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慎視点。


7:戦車(1)

 窓から、流れていく景色を眺める。

 車内のラジオや高速内の電光掲示板を見る限り、目立った渋滞も無い。これなら順調に着けそうだ、と慎は車内に居る面々を見ながら表情を緩ませた。

 話は、温泉旅館の宿泊券が当たった事から始まった。

 当てたのは湊と美奈子。宿泊券を当てた事自体も勿論凄いが、湊はスーパーで貰ったふくびき券で、美奈子は駅内の花屋で貰ったふくびき券でそれぞれ別々に引いて同じ一等の四名グループ一泊の宿泊券を当てたのだというから驚きだ。

「タダで行けるんなら文句はねーけどよ、どんな強運だよ」

「本当、すごいですね」

「そう言われても」

 困る、というように続く湊と美奈子は実際ちょっと困った風で、何か仕込みだのそういうのがある訳でもなさそうだった。

 それぞれ四名分の宿泊券を当てたので、合計八名分の宿泊招待となる。

 当てた当人の湊と美奈子、二名では明らかに少な過ぎる。めぐみがそれならば、と漸く退院出来たという先輩である悠美の退院祝いを兼ねて、当たった温泉旅館へ行こうという運びになった。

「あ……そういえば、悠美先輩へのお見舞い、有里さんと有里君、あれから何度か行ってたんだってね」

「えぇ……花も、いつも持って来なくても大丈夫なのに」

「そんな高いの買ってる訳じゃないみたいだから」

「ついでだと思って」

 少し後方で交わされる話にへぇ、と相槌を打って耳を傾けながら、慎は兄や弟の事を思い出す。

 兄の諒や弟の洵に、この旅行の事は勿論話してある。今も兄の諒とは話をする事も多くなく、今回の旅行の件も勝手な事はするなと反対されるのかと思ったのだが――おそるおそる切り出した慎に対して、諒は素っ気無くも「構わない」と了承の旨を出して来た。てっきり駄目だの一点張りかと思ったので、あまりにもあっさりとした返答に思わず慎が聞き返してしまったくらいだ。

 どういう風の吹き回しだろう。いや、許可を出してくれたのは良かったとは思っているが、拍子抜けしてしまったというか。尋ねた時は驚きが先行していたので、諒の様子をつぶさに観察する余裕も無かった。

 諒からの許可を得た後に洵も一緒に行くか、と言ってみたのだが、洵からは行かないと断られてしまった。僕に気にせず楽しんで来て、と言われた時は弟に気を遣わせてしまったのかと少し落ち込んだのだが、洵はどうやら諒の事を気にしているらしい。

 洵曰く、「久々に会った時よりも顔色良さそう」だとか――慎からしたらその辺りはよく分からなかったが、洵が言うならそうなのだろう。綾凪署の署長という立場故、忙しいであろう事は容易に想像がつくものの、その中で少しだけでも余裕が出来ているのなら慎としても嬉しい事だった。

 そんな事を慎がつらつらと思っている内に、車は高速から降りて一般道を走っていく。法定速度を守りつつ国道沿いを走っていると、目的地がある市内まであと何キロ、と書かれた看板が見えた。

「温泉、有名なんですって?」

「そうそう、信玄の隠し湯だとかで由緒正しい謂われがあるそうで……まぁそこまで運転するのは僕なんだけど」

「運転出来るのは戌井さんしか居ないんですから、仕方無いですよ」

 旅行に行く事になったのは、ふくびき券で当てた人数分の通り八人。湊と美奈子、慎に拓郎、めぐみと叶鳴、退院祝いを兼ねてという事で悠美に、旅行先までの保護者兼運転手の戌井 暢(いぬい のぼる)という男の八人だった。

「温泉か……」

「処刑だね」

「されなかった?」

「私女子だけど?」

「何かずるい」

 温泉、と聞いた湊と美奈子が何やら物騒な事を言っている。処刑って何だ。温泉というワードに対して不穏過ぎやしないだろうか。思えど、何となく聞かない方が良いような気がして慎はそっと聞かなかった事にした。そっとしておこう。

 何か聞かない方が良い気がする事柄には思考を逸らした所で、慎はそういえば、と運転席でハンドルと握る戌井と後方に座る湊と美奈子を見遣る。

 凪の杜学園の学生寮の管理人である戌井と、湊と美奈子。湊と美奈子は寮住まいではなかった筈なので、戌井とは初対面の筈だ。だからなのだろうか、今の所誰かを挟んで話がぽつりぽつりとあるくらいで、何処かよそよそしく感じる。

 ――珍しいな。

 湊と美奈子は慎以上に行動力もあるようだし、戌井も少し前に知り合って話した限りでは多少軽薄そうではあるものの気の良い人物だと思う。それなのに感じる何処か妙な距離感というか感覚は、一体何なのだろう。もしかしたら知り合った際に何かあったのかもしれないが、一番最後に合流した慎では何があったのか分からなかった。

「先に旅館に行って、チェックイン済ませて来るよ。戻って来るまで適当に過ごしているといい」

 温泉旅館があるという市よりも手前にある、沖奈(おきな)市という街で戌井は他の七人を一旦車から降ろす。

 この市は旅館のある市よりも発展しているらしく、娯楽施設も幾らかあるようだ。予定よりも道程が順調だったので、空き時間が出来てしまったらしい。

「どうしましょう……」

「ここで待ってるよりは、時間決めてそれまでは自由時間って事にしない?」

 確かに、待つには時間が長く掛かるかもしれないし、色々施設はあるという事だからそれまで自由に見て回るのは良い案かもしれない。

 そうと決まると、一行はそれまで何をしようかとあれこれと考え始めた。

「ここ、結構あっちじゃ見ない服売ってんだよな……ちょっと見てみっか」

「悠美先輩、あっちに海があるみたいですよ。ダンスの動きも見て欲しいし、行きません?」

「あっ、ちょっと、めぐみったら……」

「ねぇ、走って回るのは難しそう?」

「ちょっとそれは……駄目みたいですね……。じゃあ、私はこの子連れてこの辺りを散歩していますね」

「そっか、じゃあね」

 そんなこんなで、慎が近くのトイレに行って戻る頃には既に他の皆の姿は無かった。

 周囲を見回すと、この近くを歩いていると言っていた叶鳴の姿も、戌井が旅行先にも連れて来た飼い犬らしい姿も無い。皆、思い思いに過ごしているようで、慎は自分はどうしようか、と思案を巡らせつつも取り敢えず歩き出す事にした。

 ここ、沖奈市という街は見た所、綾凪市とそう変わりない規模の街に見える。綾凪市よりも高層の建物が少ないくらいか。

 特に何か目的意識も無く、ぶらぶらと進めた慎の足は潮風に誘われてやがて海辺まで辿り着く。海近くの看板には、七里海岸、と記載されていた。

 本格的な海水浴シーズンではない為か、海岸沿いの道路を行き交う車は少なく、海辺にも人は居ないように見える。もう少し目を凝らすと、遠目にめぐみと悠美の姿が見えた。

 めぐみと悠美、二人は海辺で座りながら何か話しているようだ。そういえば海に行こう、と一旦解散する前にめぐみが悠美に言っていた気がする。

 ここからは会話は聞こえない。聞かない方が良いだろうし、今は下手に話し掛けない方が良いだろう。慎はそう思って、二人には声を掛けずに砂浜に出ながらも一人ぼんやりと海を見つめた。

 波間は穏やかだ。太陽の光を受けて、海面が眩しく輝いている。海独特の潮っぽい匂いが鼻腔を擽り、海風が柔らかく髪を撫でていった。

 天気も良くて、海を眺めるには絶好ともいえるだろう。ゆらゆらと揺れる波間に、思考までが何処かを揺蕩う感覚がする。

「……昔も、海に行った事あったよな……」

 そう、ずっと昔。まだ慎が幼くて、両親も居て、綾凪に家族皆で住んでいた頃。

 あの時に見た海は、もっと寒くて、それにもっと赤く――……視界一面に、鮮やかな赤が広がって、それから。

 ――それから、どうなった?

 誰とも、何とも分からない奥底からの囁きが聞こえる。誰かが呼んでいる、叫んでいた。赤く紅く、あの時に、あの場所で飛び散ったのは。

 ぶわり、と身体中の穴という穴から冷や汗が噴き出す。自分の心臓の音が煩い。全身が震え、上手く呼吸が出来ずに喉が引き攣る。足下がぐらぐらと揺れる。否、揺れているように感じているのは足下だけではない。頭も、目の前も、覆い隠していた何かが音を立てて剥がれて更にそこに隠れたもっと大事なものが暴かれてしまうようで。

 あの時もただただ頭の中が一杯になって、それは赤い色と同時に引き剥がされたのが――

「――お手上げ侍!」

「うわあぁっ!?」

 前触れも無く唐突に目の前にじゃあくな何かが現われて、慎は思わず叫び声を上げて尻餅を付く。

 勢い良く砂浜に着地した尻が痛みを訴えつつ混乱した思考のまま何事かと顔を上げると、そこには湊と美奈子が立っていた。

「立てる?」

 混乱状態で湊と美奈子を見上げる慎に対し、湊が手を差し出す。

 静かにこちらを見つめて来る湊と美奈子の視線を受け、慎が漸く冷静さを取り戻すとまだ煩い鼓動を感じつつも湊の手を借りて立ち上がった。

「あ、ああ……悪い。助かる」

 ついさっきまで、自分は何を考えていたのだろう。何かを考えていた気もするが、もう思い出せない。服をじんわりと濡らした何かでの汗も既に乾き始め、今は僅かに頭痛の名残のような感覚があるだけだった。

 寄せては返る波のように引かれる微かな違和感は残りながらも、分からないものは分からずに軽く頭を振って気にしないように努める。ちなみに、したたかに打ち付けた尻はまだちょっと痛かった。片手で尻餅を付いた際にボトムスに付いた砂を払いながら、慎は改めて湊と美奈子を見る。

「えーと。……何持ってるんだ?」

「ジャアクフロスト。……のぬいぐるみ」

「釣り竿。貸してくれるっていうから」

 ジャアクフロストというらしいぬいぐるみを抱えて答えたのは美奈子で、釣り竿を持ちながら答えたのは湊。

 尻餅を付く前、目の前に何かじゃあくなフェイスが見えた気がする。あれは美奈子が持っていたジャアクフロストのぬいぐるみで、不意打ちのドッキリに掛かったのだな、と慎は自分に起こった事を大分遅れて理解した。

 びっくりした。何も驚かせなくとも良いだろうに、と慎は思うが、同時にそんなにぼんやりしていたように見えたのだろうか、とも思う。

「というか、今まで何処行ってたんだよ」

 釣り竿を持っている湊は、この場所が海だという事を考えるに多分その辺で釣りをしていたのだろう。実際、湊は釣りを、という言葉少なな答えを返して来たので、美奈子の方はと問いを向ける。

 慎から問いを向けられた美奈子は緩やかな瞬きの後、抱えたぬいぐるみと共に軽く首を傾げた。

「ゲーセン。三体取れなかった」

「いや三体も要らなくないか?」

「三体要求された時の為に」

「だから普通三体も要らなくないか?」

 保存用とかそういう類なのだろうか。湊までやたら真剣に頷いているものだから、慎は自分の感覚が間違っているのかという気さえして来る。

 そんな風にいつだかに見たジャックフロストよりもワルな顔をしたぬいぐるみを眺めていると、美奈子が慎へ示すように抱えていたジャアクフロストを軽く掲げた。

「要る?」

「えっ」

「お土産」

 意味を理解するまで、数秒掛かった。

 お土産。誰が、誰への。誰が、はこの場では間違いなく慎。ならば誰へ、は、と思考が巡って、はっと慎は我に返る。

 思い浮かんだのは、間違いなく兄と弟の事だった。

「……いや、いい。洵だけじゃなくて兄貴の分もあるし、折角なら自分で選びたい。でもありがとな」

「そっか」

 今此処で土産物を探しに行くのは時間的に難しそうだが、温泉旅館のある所でも土産物のひとつくらいは扱っているだろう。そこで、何か探してみよう。兄の諒が喜ぶ様など想像も出来ないし、弟の洵もあれはあれで結構評価に厳しい所があるから、慎のセンスではあまり自信は無いが。

 気を遣わせてしまった事に謝罪を込めつつ慎が礼を告げると、美奈子は気にした風も無く首を振る。そうして「置いておくの?」「少しの間だけ」と美奈子と言葉を交わしていた湊が、慎と湊自身が持つ釣り竿とで視線を行き来させていた。

「……お土産……」

「それで手に入る土産はあげるのも躊躇うし貰うのも困るからやめような」

 やがて先にチェックインを済ませて来た戌井が戻って来て、一行は沖奈市から再び温泉旅館へ向かう。

 温泉旅館があるという市は途中で降りた沖奈市の近隣に位置している。沖奈市から山を越えた所に稲羽(いなば)市と呼ばれるその街はあり、綾凪市や沖奈市よりも小規模の市のように見えた。

「あれ? 有里達、まだ来てないのか?」

 温泉旅館に着いてから、旅館内の土産コーナーで兄と弟への土産を選んで来た慎は案内された部屋へ戻るとまだ揃わない姿に声を上げる。

 湊と美奈子は、稲羽市に入って少しした所で途中で車から降りている。湊が沖奈市で釣り竿を借りたらしい人物は稲羽市に住んでいるとかで、返す時は稲羽市まで来て欲しいとの事だった。なので湊と美奈子以外の六人は先に温泉旅館に来た訳なのだが、陽が暮れ掛けた頃になっても湊と美奈子は旅館へは訪れていなかった。

「大丈夫でしょうか……迷っていたりとか……」

「市内じゃ旅館はここしかないから、場所が分からなくても誰かに訊いたら分かりそうなんだけどね。降りる時も大丈夫って言ってたし」

 慎と共に一旦旅館の部屋から離れて戻って来た叶鳴が心配そうに呟き、室内ですっかり寛いでいる様子の戌井がのんびりとぼやく。

 稲羽市内唯一の旅館であり、ふくびきの賞品になるくらいにはそこそこ有名らしいこの場所は、地元民ならほぼ皆知っているようなものらしい。ここに来る途中に住民らしい人の姿はあまり見掛けなかったが、全く人が居ないという訳でもないから湊と美奈子ならば適当に誰か捕まえて場所を尋ねそうな気もする。

 否、そもそも車を降りる時に大丈夫と言ってた上に、方向音痴という訳でもなさそうだし――と思った所で、ふと慎の頭に疑問が浮かぶ。

 あの時の大丈夫、は、「どの意味での」大丈夫を示していたのだろう。

 単純に場所は把握しているから大丈夫という意味だったのか、それとも別の意味か。思えば、稲羽市に入った辺りから、美奈子が何だか落ち着き無さそうだったように思う。あれは単に旅館に近付いて来たから、期待やらで落ち着きないのだろうと自分も少し浮かれていたのでそう判断してしまっていた。

 もしかして車酔いとか、少し具合を悪くしてしまっていたのかもしれない。湊が途中で降りると伝えて来たので、気に掛けるまでの時間も足りなかった。

「もう直ぐ夕飯時だし、気になるよな」

「何の話?」

「だから、有里達がまだ来てないから――って、うわっ! 遅かったじゃないか!」

「色々見てて」

 いつの間に。今さっきか。振り返った先に話題にしていた湊と美奈子が立っていて、慎は思わず飛び退く。

 まだ戻って来てないから心配だ、と話していた人物達が普通に話に入って来たら、驚いたって仕方無いだろう。何か知らせてくれたら良かったのに、と思えども、つい少し前に慎と叶鳴が部屋に戻ったばかりでもあったので出入り口は開いたままだ。湊と美奈子からしたら、知らせるも何も無いのかもしれない。

「でも、良かったですね。遅くなったらどうしようかと話していましたから。それで、えぇと……」

 安堵に胸を撫で下ろすような仕草をした叶鳴が、湊と美奈子を見て次は困惑で口籠もる。

 叶鳴がつい戸惑ってしまったのも無理は無い。部屋に来た湊と美奈子、その口は動いて――というか、明らかに何か食べていた。

「……何食ってんだ?」

「牛じゃないビフテキ」

「それビフテキじゃなくない?」

「雨の日特製肉丼も食べてみたかった」

「夕食これからだけど!? まだ食べる気!?」

 色々見てたとは答えていたが、色々食べ歩きもしていたらしい。

 どうやら杞憂に終わったようで何よりだが、そんなに色々食べて夕食は大丈夫なのだろうか。否、大丈夫な気がする。何ならお代わりまでしそうな気もした。

 胃袋への心配も杞憂に終わりそうな気をひしひしと慎が感じていると、ビフテキ串を食べ終えた湊と美奈子が慎の方へ視線を向ける。慎が怪訝に眉根を寄せると、その視線が少しだけ落ちた。

「お土産、買った?」

「あ……うん。喜んでくれるかどうかは分からないけどさ」

 湊と美奈子の視線の先には、慎が旅館の土産物コーナーで買った土産がある。

 土産に選んだのは、豆絞りとおまもり。染物がこの稲羽市の伝統工芸品のひとつでもあるらしく、選んだ豆絞りもおまもりの布地もそれを扱ったものだ。おまもりに関しては一緒に土産物コーナーを見ていた叶鳴も興味を持ったようで、慎は叶鳴にも色違いのおまもりを買って渡していた。

 そんなこんなで全員揃って暫し部屋で寛いでいると、「失礼いたします」という声と共に着物姿の女性が入って来た。

 艶やかな黒髪に、雪のように白い肌。楚々とした所作は日本人形か、まるで大和撫子そのもののようで、そういえば若女将が美人だという所でも有名らしいよ、と車内で話していた戌井の言葉を慎は思い出す。

 着物姿の女性は部屋の中に居る皆を見回すと、丁寧且つ深々と頭を下げた。

「本日は、この天城旅館をご利用頂き誠に有難う御座います。私は――」

「……雪子ちゃん?」

 女性が自分から名乗る前にぽつりと呟かれた言葉に、女性も含めて皆の視線が声を漏らした方へと一斉に向く。

 小さくも響く声を上げたのは、こちらも少し驚いたように目を丸くした美奈子だった。

「え? は、はい、私は……この天城旅館の若女将をしております、天城 雪子(あまぎ ゆきこ)です」

「えっ、知り合いなのか?」

 言葉に詰まりながらも肯定する女性、雪子と美奈子を交互に見ながら慎が問うと、美奈子が何かはっとしたように息を飲んでから少し目を逸らした。

「……随分前に、泊まった事があって」

「お客様でしたか……申し訳ありませんでした。再度のご利用、有難う御座います」

「ううん」

 申し訳無さそうに謝罪する雪子に美奈子が首を横へ振るのを眺めながら、慎は稲羽市に入った時の美奈子の様子に少し合点が行く。前に来た事があったのか。それなら行く時に話してくれても良いような気はするが、随分前にと言っていたから、詳しい所までは覚えていなかったのかもしれない。

 気にしてないから大丈夫、と言いながらもそれきり口を噤んだ美奈子とそれを黙って見つめる湊が何故か気に掛かりつつも、慎達は若女将の雪子による旅館やこの稲羽市についての話に耳を傾けた。

「――泉質は酸性ラドン泉。疲労回復、筋肉痛緩和、冷え性改善等……是非とも当館自慢の温泉を堪能下さい。ただし、露天風呂は男女で入浴可能な時間が異なっておりますので、お気を付け下さい」

 付け足された最後の注意に、へぇ、とほとんどの者が相槌を打つ中で、湊と美奈子がやたらと神妙に頷く。

「くれぐれも間違えないように」

「間違えたら処刑だね」

「だから何で処刑とかそんな物騒な事になるんだよ」

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