旅の終わりの、更にその先の物語。   作:しろまち

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キタロー&ハム子視点。


7:戦車(2)

 影時間にしては遅く、夜明けにはまだ少し早い。

 招かれるままに意識を此岸に戻すように目を開けると、敷いた布団の傍らで綾時が湊と美奈子を覗き込んでいた。

「早く行った方が良い」

 何を、と訊く前に、綾時がそう告げる。

 明るくなるには早い時刻の気温はやや低く、肌寒い。行儀が悪いのも承知で浴衣を脱ぎ捨て、簡単に着替えを済ませてから部屋を出る。この旅館の客室はほとんど離れの為に渡り廊下から夜間用の出入り口にまで向かった所で、背後から駆けて来る音に湊と美奈子は振り返る。そこには、慎、拓郎、めぐみの三人がこの時点で既に息を切らせて走って来ていた。

「有里……!?」

「どうしたの?」

 問われる前に、逆に問い返す。質問する間にも、外へ出る準備の手と足は止めない。

 先んじて問いを向けられた三人はお互いに顔を見合わせた後、些か返事に迷うように戸惑いがちに声音を落とした。

「それは、その……」

「……何だか呼ばれた気がしたような、ってか……」

「そ、それより! 悠美先輩が居なかったの! 何だか胸騒ぎがして……」

 不安気に声を上げためぐみの言葉に、湊と美奈子の表情が同時に強張る。

「分かった」

「一緒に探そう」

 所持品は最小限に。靴を履いて外に出ると、外で柱に繋がれた老犬が緩く瞼を開ける。

 白い体毛は歳経た為にやや色褪せて、落ち窪んだ眼が今はじっと湊と美奈子を見つめていた。

「……お前はここで待っていてくれ」

 伏せた老犬の目線と合わせるように屈み込み、短くそう告げる。

 時間は等しく流れても、その感じ方や与える影響はそれぞれ違う。それが人と犬とでは、違いも尚更だろう。

 小さく告げた言葉に老犬はクゥン、と一鳴きし、瞼を閉じる。まるで分かっている、と言っているようで、それが微かな寂寞を伴いながらも嬉しかった。

「悠美先輩、何処に行ったんだろ……」

「とにかく、手分けして探してみようぜ」

「じゃあ、俺はこっちの方を探してみる。見つかったら連絡するって事にしよう」

 何処に居そうかという心当たりも無く、人数が居るのなら周辺を手分けして探すのが一番だろう。慎、めぐみ、拓郎がそれぞれ別々の方角に向けて走り出し、湊と美奈子も同じく悠美を探すべく動き出した。

 とはいっても、湊と美奈子も悠美が行きそうな場所の見当が付いている訳ではない。故に手始めに、湊と美奈子を叩き起こした存在へ心中で問い掛けた。

『残念だけど、僕にも分からない。ただ、死に向かう気配を感じたから』

 綾時にも場所までは分からない、という答えを聞きながら、同時に告げられた言葉に焦燥が高まる。

 死に向かう気配。つまりそれは、死にたいという意識の表れ。悠美が死のうとしているという事だった。

 早く止めなければ。綾時が死に向かう気配、と言うのなら、まだ死に至ってはいない。まだ間に合う。心の中の『死』を思い、故に焦りばかりが募りそうな自らを制する。

 慎、拓郎、めぐみが探しに向かった方向とは別方向、ちょうど商店街がある方向へ向かって湊と美奈子は悠美の姿を探す。

 まだ夜明け前という時間帯の為か、商店街に人の気配は無い。誰か、住民を見つけて尋ねるのも難しそうだ。どの店もシャッターが下りている。旅館に向かう前に色々見て回った時にもここには立ち寄ったが、その時もシャッターが下りた店は少なくなかった。

 この辺りには居ないのだろうか。他の場所を探した方が良いのかもしれない。一旦、何処か見晴らしの良い場所で、と湊と美奈子が周囲を見回した所で、物陰から何かが顔を出したのが見えた。

 商店街の中にある神社の一角。鳥居の柱に居たのは、こがね色の毛並みにピンと立った耳、赤の布地にハート柄の前掛け、左目辺りと右目の上辺りに傷のある――

「……キツネ?」

 ちょっと目付きの悪いキツネだった。

 周囲に、他の人や他の動物の姿は無い。この一匹だけだ。山もそれなりに近いから野生だろうか、と思うものの、それなら前掛けなんてものはしていないだろう。飼いキツネ、というのも聞いた事は無いが。

 現われたキツネは鳥居の柱の陰から、湊と美奈子の方へ向かって来る。警戒するような様子は無い。随分と人慣れしたキツネらしい。

 どうしたのだろう、と思えども理由が分かる訳もなく、ただ目の前に行儀良く座って見つめて来るキツネに湊と美奈子は膝を折った。

「あのさ、人を探しているんだ」

「髪の毛が肩ぐらいで、私達と同じくらいの女の子。ここの人じゃないの」

 どうしてこんな行動に出てしまったのかは正直、湊と美奈子でもよく分からない。ただ、何となく――否、同じように思えてしまったからだろうか。

 傍から見ると動物相手に真面目に話し掛けているという奇妙な状況で、しかしそれを指摘するような人間は周囲に無く。静かに湊と美奈子の問い掛けを聞いたキツネが、コーンと頷くように高く鳴いた。

「知ってるの?」

「何処で見掛けたの」

 言葉を重ねると、一鳴きしたキツネが湊と美奈子を再びじっと見つめる。

 まるで値踏みするように、否、値踏みしている目だ。そう感じると、湊と美奈子は揃って迷い無くキツネへ一万円札を差し出す。細かいのを出すのは面倒臭かった。

 キツネは目の前の一万円札へ暫く鼻先を寄せると、それを前足で押さえてから何処からか数枚の葉っぱを取り出す。そしてその少し大きめの青々とした葉を、湊と美奈子へ差し出した。

 お返しか何かだろうか。取り敢えず受け取っておこう、と湊と美奈子がキツネが咥えている葉っぱを受け取ろうとすると、その内の一枚を取り損ねて葉が宙に舞った。

「あ……っ」

 葉が宙を舞い、近くに落ちる。それを拾い直そうとすると、葉は風に揺られてまた少し離れた場所に落ちた。

 何だか葉に弄ばれているような気分になりそうになっていると、そこで先程のキツネがまだ湊と美奈子を見つめている事に気付く。その視線に湊と美奈子がキツネを振り返り見つめると、キツネは地面と中空を遊ぶように揺れ動く葉を鼻先で示した。

「……追い掛けろって事?」

 コーン、という甲高い鳴き声で答えが返って来た。

 キツネの言葉は、否、他の動物の言葉も解せる訳ではないが、多分肯定だろう。

 思案は刹那にも満たず、湊と美奈子は頷きの代わりにキツネの頭を撫でる。何処か心地良さそうに目を眇めるキツネに暫し表情を緩めた後、再び身体と目は地面と低空で遊ぶ葉に向いた。

「ありがとう」

 礼を紡ぐと共に、風に揺れる葉を追い掛けるように走り出す。背後から、もう一度キツネの鳴き声が聞こえた。

 葉は夜風に揺れ、湊と美奈子を誘う。一つ所に留まらず、しかし湊と美奈子が追い付けない程に遠くにもいかず。まるで意思を持っているかのようだった。

 商店街を抜け、そこから何処まで走ったのだろう。分からない。しかしそこまで長くは走っていないと思いたい。まだ夜は明けないながらも少しだけ夜闇が薄くなって来た頃、少し離れた川沿いに出た所で葉が大きく舞い――それに視線がつられた先に、人の姿が見えた。

 コンクリート製の橋の上。道路に面した高欄を越えてそれを背にし、直ぐ真下に流れる川をぼんやりと見つめる悠美の姿があった。

 ――飛び降りるつもりだ。

 行われようとする意味を理解し、みるみる内に心臓から血が引いていくような錯覚が襲う。

 早く止めなければ。そう思い、更に走るペースを速めた所で湊と美奈子が走っていた方向とはそれぞれ別の方向から、慎と拓郎、そしてめぐみが橋に居る悠美に向かっていくのが見えた。

「悠美先輩!」

 息を切らせためぐみが叫ぶが、悠美にその声が届いているような様子は無い。虚ろに、頼りなく高欄を背に立つ悠美は、身体も魂も生から離れようとしているようだった。

 一刻の猶予も無い。気ばかりが急きながらも足を止めぬ一方で、湊は念の為にと持参していた召喚器を腰から引き抜いた。

「ヤタガラス!」

 喚び出したのは、太陽のアルカナに属する三本足の烏。付け替えた仮面から、スクカジャを最も悠美に近かっためぐみに掛けた。

「え!? な、何!?」

「――茅野! 急ぐんだ!」

 自身に掛けられたものが何なのかは分からなくとも、何がしかの変化は感じ取ったのだろう。おろおろと当惑するめぐみへ、慎の鋭い声が響く。

 思わず慎の方を見ると、慎は言葉無く頷きを返す。めぐみも慎の叱責にも似た声を聞いて我に戻ると、強く地面を足で蹴った。

 橋の高欄を越え、めぐみが悠美へ手を伸ばす。だがめぐみが悠美の腕を掴んだ時には、悠美は橋から離れて川へと身を投げていた。

「茅野! 田坂先輩!」

 悠美が川へ目掛けて身を投げ出し、その腕を掴んだめぐみも上から下に落ちていく重力に引かれて川へ落ちていく。めぐみは咄嗟に悠美の身体を自分の方へ引き寄せたものの、落下に逆らう事までは出来なかった。

 川はそこまで大きくもなく、天気も良かったからか増水もしていないし流れもそこまで急ではない。だがそれは気休め程度にしかならない。それが無事を示すものであるとは、誰の、何の保証も無いのだから。

「クシミタマ!」

 二人分の重さが落下に速度を上げて、川目掛けて真っ逆さまに落ちていく。それが水中に消える前に、川面に接触する前に美奈子はペルソナによる強風の魔法を放った。

 ブースタ付きの強風。シャドウを容易く切り裂く威力も持つ風はしかし、今はそれが目的ではない。

 巻き上がった風が重力に逆らい、川へ落ちて行こうとするめぐみと悠美の身体を捕らえて川面から岸へと押し出した。

「茅野、田坂先ぱ――っ、うっ……!」

「いっ、てて……」

 風によって浮き上がった身体は川から地面へ、落下先から着地先へ変わる。やがて風の力が失われると少しだけ滞空した後、再び重力の支配を受けて下に落ちていくめぐみと悠美の身体を橋下の川辺まで駆け寄った慎と拓郎が受け止めた。

 無事に受け止めたは良いものの少々勢いが強過ぎたからか揃ってしたたかに尻を地面に打ち付けたらしい慎と拓郎の呻き声を聞きながら、めぐみは悠美を強く抱き締めた。

「悠美先輩!」

「……めぐみ……?」

 落下の際に気を失ってしまったらしい悠美の目が開き、緩やかな瞬きと共にめぐみを見る。

 声も小さく、いまだ何処か茫洋としている悠美に、しかし怪我も無く間近に伝わる呼吸や体温にめぐみは益々抱き締める腕の力を強めた。

「駄目……! 駄目だよ、悠美先輩、だって、そうしたら、私……!」

 口から零れる言葉は上手く文にならない。ただただ感情ばかりが先行して、頭の中で纏まる前に溢れる思いが堰き止められずに流れていく。間近にある悠美の顔が、めぐみには潤んで揺らいで見えていた。

「だってまだ、話したい事一杯あるのに! 新しい部員も入りそうで、こうして一緒に色々過ごして、だから、だから……!」

 沢山伝えたい事がある筈で、けれども何から言って良いのか分からずに結局まともな言葉にはならない。後半の方はもう、嗚咽に近かった。

「めぐみ……」

 まるで迷子のように取り縋って泣くめぐみを、悠美は言葉少なく見つめる。

 これまで全力で走って来たのだろう。身体は汗ばんでいて、呼吸も鼓動も荒い。漸く陽が昇り始めた時間において些か冷えている身体で、けれども抱き締める腕の力の強さと温かさ、それ以上に五感を越えて伝わる感覚に悠美はそっとめぐみの背を撫でた。

「……ごめん。めぐみ、ごめんね……」

 それは泣きじゃくる妹をあやす、姉のように。

 川原で抱き締め合っためぐみと悠美に拓郎が自分の上着を脱いで羽織らせてやるのを視界の端で捉えつつ、湊と美奈子は川岸よりも離れた場所に立つ人物に声を掛ける。

「ねぇ、何やってるの」

 慎や拓郎、めぐみや悠美達が居る川岸と、湊と美奈子が居る場所とは些か距離が離れている。姿は視認出来るが、声までは聞こえない距離だ。

 故にこの距離で、向けられる問いが聞こえている人物は他に一人だけ。

 静かに、沈黙を許さない言葉を向けられた目の前の人物――戌井は僅かに肩を強張らせながらも、その面に軽薄そうな表情を浮かべて片手で頭を掻いた。

「……ああ。起きたら皆居ないものだから驚いたよ。全く、最近の若者は起きるのも早――」

 全て言い終えられる前に。

 湊は召喚器のグリップで戌井がもう一方の手に持っていたビデオカメラを叩き落とし、美奈子が地面に落ちた拍子に外れたビデオカメラの記録媒体を踏み潰す。

 一体、いつからそこに居たのか細かくは分からない。悠美を助ける方に必死だった。なので気付いたのはめぐみと悠美が慎と拓郎によって受け止められた直後くらいだが、ビデオカメラを持った様子からそれより少し前には既に居たのだろう。

 ほぼ一瞬で行われた一切躊躇いの無い行動に戌井が目を見開き、面から軽薄そうな色が消える。代わりに向けられたものを真っ向から見据え、再び問い掛けと呼び掛けを向けた。

「何やってるの、って訊いているのだけど」

 奥底のさざめきに、知らぬ振りの仮面を着けて。

 ――ねぇ、(けん)

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