旅の終わりの、更にその先の物語。 作:しろまち
そんなこんなで、夜の凪の杜学園。
陽も沈んで些か肌寒くなって来た外気に一応着込んで来た上着の襟元を直しつつ、校門の前で他の者達が集まるのを待つ。
昼間は多くの生徒達で賑やかな学園だが、今は夜。当然、授業時間外でもあるので昼間の喧噪とは程遠く静かなものだ。外の街灯も控えめで、空を見上げると星がよく見えた。
「あ、来た」
「こんばんは」
「こんばんは、有里先輩達」
集合予定時間近くになると、段々と面々が集まって来る。特に遅刻するような面々でもないので、ほぼ集合時間になると同時に全員が揃っていた。
「よ、よよよし、行くか!」
「何で言い出しっぺが及び腰になってんのよ」
「イヤ別にそんなんでもねーし! 単にちょっと冷えるからだって!」
確かに昼に比べると少し冷えるが、ガタガタ震える程でもないと思う。
学園に入る前から何やら腰が引けている拓郎と、それを叱咤するめぐみに少し違うも懐かしい気分になっていると、そこでちょうど慎と目が合った。
「有里達、落ち着いているんだな」
「別に。変わり映えしないし」
「変わり映えって何だよ……」
見た所、迷宮に変化する訳でもないし、シャドウが出て来る事も無い。夜の学園というシチュエーションも別段新鮮みは感じない。タルタロスは月光館学園が影時間中に変化したものだったから、夜に学園に行くという事自体は片手で数え切れない程なので既に慣れ切ってしまっていた。
「まぁ……でも確かにちょっと冷えるし、入るなら早く入った方がいいかも」
「大橋先輩はどうして此処に?」
「あっ、そうですよ! 舞子先輩まで……」
何故かどんどん学園から離れていこうとする拓郎を冷めた目で見ていためぐみが、洵の問い掛けによって思い出したように声を上げる。
この場に居るのは湊と美奈子、拓郎にめぐみ、叶鳴に慎。それから慎が誘った洵と、舞子。
洵については慎が話して誘ったからだと分かるが、何故舞子まで。その疑問を向けられると、舞子はちょっと困ったように笑って肩を竦めた。
「ほら、めぐみってば部活の時にこの事話してたでしょ? 私も気になって……悠美からも、めぐみの事を気に掛けてあげてって言われてるし」
「悠美先輩まで……」
言葉を失っためぐみの頬が、仄かに赤くなる。続く言葉は無く、代わりに目の前でぎゅっと手を握り込んだめぐみに舞子は微笑みながらめぐみの肩を柔らかく叩いた。
「つーかさ、どうやって入るよ? 閉まってんじゃね?」
今は登下校でも授業時間でもない夜。確かに言う通り、普通は施錠されていてもおかしくはないがそれを言うには発言主がよろしくない。
言い出しっぺの癖に今更帰る隙を伺っている拓郎を横目に、湊と美奈子は校門に手を掛ける。軽く力を入れると、少し重い音を響かせながら校門が開いた。
「あれ? 開いてる……?」
「じゃあ入ろう」
「マジで入るのかよ!?」
「なら帰ったら」
「そ、そうは言ってねぇだろ!」
そもそも肝試しというなら校舎内に入らないと話にならないのではないか。そろそろ外に居るのも少し寒くなって来たので、取り敢えず屋内に居たい。
さっさと校舎内に入った湊と美奈子に続く形で、他の面々も校舎内に入る。辺りは暗い。当たり前だ、今は授業中でもないのだから電気が付いている筈も無い。
「特に何も無さそうですけれど……」
「そりゃあね……あっ、でも見てここ、点検中ってなってた場所だよね?」
めぐみの呼び掛けに持って来ていたハンディタイプの懐中電灯を向けると、空調の配管部が奇妙な形に曲がっているのを見つける。
あまりじっくりと校舎内を見た事は無いが、こんな風ではなかった筈だ。流石に、こんなに奇妙にねじれたような状態の配管があったら少しくらいは意識を向ける筈。デザイン的なものでもなくねじ曲がった配管の接合部から亀裂が入っている所からしても、元々の形状ではないのだろう。
「何だこれ……どうしたらこんな風になるんだ?」
怪訝そうにまじまじと配管を見る慎の言葉に、湊と美奈子は確かに、と頷く。
明らかに経年劣化ではない。一方で、人為的に依るものとも思い難い。少なくとも、こんな室内で取り外しもせず、専用の大型の機械も無さそうな場所で出来得るものではないだろうと想像に難くなかった。
だが何が原因に依るものか、と言われても、全く分からない。
故に目の前の奇妙にねじくれ曲がった配管をもっと調べてみようと配管へと手を伸ばした所で、後ろから鋭く声が掛かった。
「――おい! そこで何をしている!?」
「う、うわあああっ!? 出たっ、でたぁあっ!」
「近い」
「煩い」
正直、背後から掛かった声よりも間近に響いた拓郎の叫び声が煩かったし、しがみ付かれてちょっと鬱陶しかった。
うっかり間髪入れずに呟きを漏らしながらも一行が声のした方へ振り返ると、そこには一人の男性が立っていた。
「ごっ、ごめんなさい! えっと、あの……あっ、小田桐……先生?」
「君達は……」
咄嗟に謝っためぐみが、声を掛けて来た人物の姿を視界に認めて少し怪訝そうに首を傾げる。
声を掛けて来たのは、この凪の杜学園で教師をしている小田桐だった。
小田桐は手持ちの懐中電灯で一同の姿を確認すると、些か険しく眉を寄せる。制服姿ではなかったが、多少はこの学園の生徒の顔くらいは覚えていたのだろう。そんな顔だった。
「こんな時間に何をしている。下校時間はとうに過ぎているが?」
「えっと、それは、その……」
もっともと言えばもっとも過ぎる詰問に、当然の事ながら正直に言う訳にもいかずに全員の言葉が詰まる。
しどろもどろに回答に詰まって視線を彷徨わせる生徒達に小田桐は溜め息を吐き、続いて疑義を持った目で近くにあるねじ曲がった配管と生徒達を見た。
「……まさか」
「何もしてない。出来ると思う?」
「自分で見て確かめて」
続き掛けた言葉を、音として発される前に湊と美奈子は前に立ち塞がって遮る。
状況として確かに怪しいと思われるのは仕方無いだろうが、やってもいない以上素直に頷く訳にはいかない。それに、疑わしいのは夜中の学校に居る事くらいだ。一同が持って来たのは財布と携帯、懐中電灯くらいなもので配管やら他の学校設備をどうにか出来る用具など持って来ていなかった。
小田桐を真っ向から見据える湊と美奈子に、目を見開いた小田桐だけでなく後ろからもざわめく気配を感じる。そうして数秒そのままになっていた所で、不意に後ろに居た慎が声を上げた。
「……洵? ……洵が居ない」
「えっ!?」
振り返って確かめてみると、確かにそこに洵だけが居なかった。
「えぇっ!? ちょっ、ちょっとさっきくらいまで一緒に居たよね!?」
「一体何処に……」
「他にも誰か居るのか?」
「俺の弟なんです。中等部の生徒で……洵! 何処に居るんだ!?」
皆で洵の名を呼んでみたり、懐中電灯で周囲を照らしてみたりするものの返事も無い上に姿も見えない。
校門から校舎に入る時には一緒に居たと思うのだが、それからはどうだっただろう。いまいち覚えが無い。
いつの間にか居なくなってしまった弟に顔を真っ青にする慎とそれを気遣わしげに見つめる叶鳴の姿を数秒見つめた後、湊と美奈子は再度小田桐の方へ振り返った。
「手分けして探そう」
「え、あっ……いや……まぁ……そうだな。勝手に入り込んだ件はともかく、生徒が他にも居るのならこのままにしておく訳にもいかない」
突然言葉を向けられた小田桐が一瞬言葉を失い、それから暫く唸った後に渋々と頷く。
探すのなら、手分けして。ただあまりバラけるのも良くないという事で、結局二つのグループ――慎、叶鳴、拓郎、めぐみの四人と、湊、美奈子、舞子、小田桐の四人という形で分かれる事になった。
「ひぃぃい、うわぁあああ……!」
「元気だなぁ」
「元気だねぇ」
「あれを元気で済ませていいのか?」
「めぐみ、大変そう」
元気な叫び声が遠くから聞こえて来る。
多分、という副詞を付けなくとも、あれは拓郎だ。断続的に耳に届いて来る悲鳴に暢気に湊と美奈子が呟くと、小田桐が呆れたような視線を向けて来た。状況的にも切迫してはいないだろうと思うので、特にそう心配する事も無いと思うのだが。
今の所、いつの間にか居なくなっていた洵はこちらでは見つかっていない。もう一グループの方も元気な拓郎の悲鳴が聞こえているし、見つかったら連絡が来る手筈なのでまだ見つかっていないのだろう。
「小田桐先生は、この時間にどうして学校に?」
「学園の設備点検が続いているだろう。その関係で、教師らが持ち回りで夜間も巡回を行っている」
舞子の問い掛けに小田桐がそう答え、溜め息を吐く。
幾ら設備点検の為とはいえ、わざわざ教師らが夜に見回りを行う事などあるのだろうか。夜間に学園は入った湊と美奈子が言える事ではないと流石に自覚はあるものの、説明にしては不十分過ぎる。しかし、それは小田桐にも分かっていたのだろう。だからこそ詳細な説明まではしなかったのだろうという事も理解出来るので、敢えてそこから先は追及しないでおく。
「大体、幽霊だとかバカバカしい。大方、見間違いだろう」
「確かに、別に運んでるの隠してた訳じゃなかったし」
「ちゃんと後で堂々と返しに行ったのにね」
「ねぇ、何か違う話してない?」
そもそもあれはベルベットルームの住人からの依頼の為なので、別に好きこのんでやった訳でもない。
他にも色々やったなぁ、と生温い心持ちになった湊と美奈子を、舞子だけではなく小田桐までが何か変なものでも眺めるような視線を向けていた。
まだちょっと何処か遠くからの悲鳴を聞くのにもすっかり慣れ、懐中電灯で周囲や足下を照らしながら洵を探す。廊下は勿論、トイレから空き教室まで。中等部の一階の教室にも入ってみたが、やはりと言うべきなのか洵の姿は見当たらなかった。
「居ないね」
「うーん……飽きちゃって帰ったとかは無さそうだけど……」
「それならまだ良いが。……全く、ふざけた噂が流行るのも風紀が乱れている所為だろう」
再び嘆息を零した小田桐が、気難しげに眉間に皺を寄せる。
「影抜きだとかいう遊びも、何処の誰が広まらせたのかは知らないが……」
「……でも、そういうのをする気持ちは分かる気がするかも。あっ、わ、私は勿論影抜きなんてしてないですよ!」
胡乱な目を向けられて慌てて否定しながらも、舞子は少し視線を落とす。吐息を零すと、僅かに空気が震えたのを感じた。
「こういう夜中に一人で居ると、何処か違う場所に迷い込んだみたいで、それが知っている世界じゃないみたいで――」
紡ぐ言葉が全て言い終えるよりも前に。
湊は舞子の前に被さるように身を挺し、美奈子は小田桐の腕を引いて頭を低くさせる。
直後、頭上の蛍光灯が砕け散った。
割れる前、消灯されていた筈なのに一瞬だけ点灯した所為で教室内が僅かな時間明るくなる。刹那の明滅の後、破裂音が響いて蛍光灯の破片が床に散らばった。
「なっ――」
「伏せてて!」
思わず顔を上げ掛けた小田桐の頭を美奈子は押さえ、
「まだ立っちゃ駄目だ」
「え、っきゃあっ!?」
湊も舞子の眼前を手で制すると、窓際のガラスが立て続けに割れた。
蛍光灯と同様、ガラス片が辺りに勢い良く飛び散る。窓が割れた為に外から風が入り込み、冷たい風がカーテンを強くはためかせた。
蛍光灯が割れる前の不自然な明滅は一瞬のみ、あとは暗闇のままで風も収まると、湊と美奈子は周囲を確認してから小田桐と舞子を見た。
「怪我は無い?」
「一度外に出よう」
このまま教室内に留まっているのは良くない。そう判断して視線を落とした先に見た小田桐と舞子の表情は、どうしてか二人とも同じだった。
目は見開かれ、口許は半開き。微かな呼吸に混じって言葉は無くとも何かを言いそうで、けれども紡がれるべき言葉が何なのかは湊と美奈子には分からない。
きっと、突然の事に驚いて怯えてしまったのだろう。周囲の暗さにつられて過ぎる思いをそう差し替えて、湊と美奈子は小田桐と舞子の腕を引いて一旦教室から廊下へ出た。
「中、見て来るね」
「分かった」
腰元のホルスターに手を掛けて再び教室内に入っていく美奈子に、湊は頷いて見送る。余計な事は言わない。既に心の内に在る綾時が知らせていたので、その行動の意味は知っていた。
青い煌めきは一瞬。直ぐに元の夜の暗さに戻り、美奈子も教室から出て来る。今度は美奈子から湊へ頷きを寄せて来るのを確認すると、小田桐と舞子が口を開いた。
「君は――」
「……ねぇ」
「凄い音がしたけど大丈夫だったか!?」
しかし、二人の問い掛けは途中で遮られる。
慌てたように口を閉ざした小田桐と舞子に少し眉を寄せながらも、湊と美奈子は声がした方を見る。そちらには、慎と叶鳴が駆け寄って来るのが見えた。
「こっちは平気」
「いきなり蛍光灯とガラスが割れて……」
「えっ」
驚いたように声を上げる慎と叶鳴に事情を聞いてみると、あの後めぐみと拓郎ともはぐれてしまった慎と叶鳴は仕方無く二人で洵を探していたらしい。そこでこちらと同じように教室内に入った所で、突然ガラスが割れたり辺りの物が倒れてしまったそうだ。慎と叶鳴に怪我は無いという事らしいが。
「そちらでも、同じような事が起きるなんて……」
「……地震か、局地的な竜巻かもしれない。この所の設備不良もその為だろう」
「でもっ……」
少し視線を落として首を横に振る小田桐の言葉に、慎が思わず何かを言い掛けて俯く。
地震や竜巻。そうは思えない。ただ、他に何の原因があるのか。それを言えない以上、異論を唱えても意味が無いと思ったのだろう。地震や竜巻の所為だと言った小田桐自身がそうは思っていないという事も、察したのかもしれない。
明らかに不自然な現象に対して湊と美奈子は沈黙を保ったまま、それ故に耳に届いた靴音に音がした方へ目を向けた。
「……慎兄ちゃん」
「洵!」
控えめに呼び掛けながらひょっこりと現われた洵に、慎は慌てて駆け寄る。洵も、兄の他に人の姿を認めると軽く頭を下げて近寄った。
「一人で勝手に何処か行ったら駄目だろ!? 皆探してたんだからな」
「怪我は無いですか? 合流出来て良かった」
「うん……心配掛けてごめんなさい」
流石に兄らしく叱る慎に洵もしおらしく慎や他の者に頭を下げて謝ると、新たにめぐみと拓郎とも合流する。
めぐみと拓郎の方も、慎と叶鳴の二人とはぐれてから二人で探していたらしい。もっとも、拓郎がめぐみに縋り付いているような格好になっている事から、及び腰な拓郎をめぐみが引き摺っていたという方が正しいかもしれない。
「あー、もー、何だよー。スッゲェ音したし、やっぱゆ、ゆ、ゆうれ……」
「ちょっと拓郎! いい加減離れて……って、うわっ、ガラス割れてる!? 大丈夫だった!?」
「そうなんだ。俺達の方もガラスが割れたりしてさ……拓郎や茅野は大丈夫だったか?」
「これが大丈夫に見えるかよぉおお……」
「えぇっと……」
「情けない声出さない! 洵君も見つかって良かった」
拓郎とめぐみは大丈夫そうだ。怪我をしているようにも見受けられない。拓郎の腰は抜けているかもしれないが。そこはまぁどうでもいいだろう。多分。
「めぐみ、大変だったね……」
「……はぁ。君達はもう帰りなさい。もう留まっている理由も無いだろう」
「でも、小田桐先生は」
恐らく始終あんな感じに拓郎に縋り付かれていたであろうめぐみを同情気味に眺めていた舞子が、溜め息混じりな小田桐の発言に顔を上げる。
「言っただろう、教師は持ち回りで巡回をしていると。この状況をそのままにしておく訳にもいかない。此処の処理は大人しく教師に任せて生徒は帰るべきだ」
確かに、普通は教師に見つかった時点でこの時間に居てはいけない生徒達は帰らされる所だ。それが引き延ばされていたのは、洵が途中で居なくなってしまったから皆で手分けして探す事になったからに過ぎない。全員が合流出来たのなら、もう生徒達は帰るべきなのだろう。幾ら不審な出来事が気になるといっても、一介の学生に何が出来ると言われてしまうし、事実それが正論に違いなかった。
今度は誰もはぐれないように、と揃って校舎から外へ出る。肝試しとしては些かの消化不良な終わり方だが、仕方の無い事だろう。校門へ向かいながら校舎の方へ一度振り返り、湊と美奈子をやはり何か言いたげに見つめる小田桐の方には向かずにガラスが割れた教室の方角を確認するに留める。
それから再び前方へと向き直る前に、校舎ではない方角を見つめる洵に目を向けた。
「……大丈夫?」
何が、とは問わず、ただそう紡いだ問いに対して、
「……多分」
何が、と同じように言わぬ答えを洵が返して視線を逸らす。
その言葉と共に、誰かのテスト用紙が風に吹かれて何処かへと流れていった。