旅の終わりの、更にその先の物語。   作:しろまち

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キタロー&ハム子視点。


9:隠者

 外は少し気温が低めなものの、日差しがあるお陰か暖かく感じる。

 天気も良い。天気予報の通り、傘も要らないだろう。風に乗って来る潮の匂いを感じながら、湊と美奈子は海沿いにあるイベント会場に来ていた。

 ここはこの地域でも有数の観光スポットだ。この場所の名前の由来にもなっている大型帆船が海沿いに停泊しており、そこを中心として周囲には遊具やバーベキュー場、展望台も存在している。普段も多くの人で賑わうというこの場所は、今日は特に人が多く居るようだった。

「おっ、有里達! こっちだぜ」

 待ち合わせ場所にほぼ時間ぴったりに辿り着くと、既にそこには慎と洵、めぐみや拓郎、叶鳴の姿があった。

「守本は慎達と一緒だったんだよな。一緒に来るって言ってなかったけどよ」

「ああ……洵と来る途中、道端で守本を見つけて」

「ぼうっとしてたけど、大丈夫?」

 少し心配そうな慎と洵の視線を受けて、叶鳴が困ったように首を傾げる。

「えぇ……めぐみさんと榊葉君に差し入れを持って行こうと出掛けた筈なのですが、いつの間にかあんな場所に……」

「差し入れ?」

「あー、朝ちょっとな」

 めぐみと拓郎は午前中、他の場所で何かやっていたらしい。

 他にも他愛ない話を交わしながら、一行はイベント広場に向かう。ここは公園のような場所の他、ちょっとしたイベントにも使える広場があった。

 イベント広場は既に人が集まっており、結構な賑わいだ。全員、無理して前列に行こうという意見も無かったので、程良くステージ上が見える位置を探す。ベンチ席の用意はそれ程無く、特に座りたいという事も無かったので落ち着いたのが運営側のテントに程近い場所になった。

「何やるんだっけ」

「聞いてただろ!? 今日、りせちーが来るっつって!」

「りせちーって?」

「知らないの? アイドルの……あ、でも、確かに久々に見るかも。長い事休業してた事あるんだっけ」

 聞いた事がある気がする。つい最近のような、そうでもないような。

 ふぅん、と相槌を打っていると、ステージ上に今日のメインであるらしいアイドルが立つのが見えた。

 別段特に惹かれるようでもない挨拶を前列のファンらしき声援が交じりながら聞いていると、こちらに向かって一人の女性が近付いて来た。

「ねぇ、キミ達ちょっと良いかな?」

「何ですか?」

 見覚えは無い。他の者も特に知り合いという訳でもなく、近付いて来た女性を不思議そうに見返していると、女性はバッグから名刺を差し出した。

「あっ、ゴメンね。私はこういう者よ」

 女性が差し出した名刺を慎が受け取り、他の者達はそれを覗き込む。

 名刺には、「キスメット出版 月刊情報誌『クーレスト』編集記者・天野 舞耶(あまの まいや)」と書いてあった。

「へぇ、こういうイベントとかにも来るんだな」

「榊葉君、御存知なのですか?」

 女性が差し出した名刺を共に覗き込んでいた叶鳴が問い掛けると、ああ、と拓郎が頷く。

 拓郎によると、ティーンズ向けのそこそこ人気のある雑誌らしい。拓郎のバイト先のブランド服も偶に載っているそうで、それで知っているという事だった。

 説明を聞いて改めて女性を見ると、プレス用の腕章を付けている事に気付く。ステージ近くの地元ケーブル局らしきカメラマンも同じような腕章を付けていたので、女性も同じようにこのイベントの取材にやって来たのだろうか。

 湊と美奈子と視線が合った女性――舞耶は、にっこりと笑みを向ける。化粧っ気は無さそうだが間違いなく美人と言えるであろう顔に引かれた、ワインレッドのルージュが弧を描いた。

「あら、ウチを知っているのね。嬉しいわ。取材といっても、ウェブ掲載の方なのだけどね」

 紙媒体の雑誌の方には、あまりこういったイベントを取り上げる事は無いらしい。担当の編集記者も舞耶一人だけとの事だった。

「簡単な感想をくれるだけでいいの。ああ、勿論、顔出しはさせないわ。直ぐ終わるから、ね?」

「まぁ、俺達で良かったら……」

「そうですね……それくらいなら……取材の御仕事も大変でしょうし」

 個人を特定するような情報は出さないという説明の上で、他の皆も揃って舞耶の取材を受ける事にする。

 取材と言っても、内容はイベントについての簡単な感想と知ったきっかけの聞き取りなどで、どちらかといえばアンケートに近かった。恐らくだが、他の者達にも訊いているのだろう。読者ターゲットでもある10代が固まっていたので、多く意見を求めるにはちょうど良かったのかもしれない。なので全員分でも取材は然程時間は掛からず、ステージ上で特別パフォーマンスが始まって少ししたくらいに終わる。

 広場がポップ調の音楽を響かせる中、聞き取り内容を纏めた舞耶は改めてこの場に居る者達に笑い掛けた。

「助かったわ、ありがとう。それじゃ、キミ達もイベント楽しんでいってね」

 チャオ、と手を振って舞耶が人混みの中に紛れて去って行く。

 何処か包容力があって、まるでお姉さんのような。そんな印象を残しながら舞耶を見送った後、一同はステージ上で行われる特別パフォーマンスへ目を向ける。

 生憎と歌には詳しくなかったので、曲名を聞いてもどのくらい人気があるものなのかはよく分からない。ただ、キャッチーな曲調はイベントにはぴったりなようで随分と盛り上がっているように感じた。

「……洵、どうしたんだ?」

「……ううん、何でもない」

 隣で、ひそひそと慎と洵が言葉を交わしているのが聞こえる。

 どうやら、洵はステージ上ではなく何処か他の事を気にしているようだ。しかし洵の視線の先を追ってもそこに在るのは協賛したらしいひいらぎ製薬のテント席くらいなもので、ちょうど盛り上がりのサビに入った事もあって人の頭に隠れて様子はよく分からなかった。

 洵の様子を少し気にしつつも、ステージ上のパフォーマンスは続く。盛り上がりも中々だ。イベントの終了時刻と照らし合わせても、まだまだ続きそうであった。

「お花摘んで来る」

「トイレだって」

「空気読み人知らずしないで」

 じろり、と美奈子が湊を半目で睨む。

「僕も小腹空いたから何か買って来る」

 念の為に他の者達にも何か要るかと訊いた所、特に無い、という事なので、その場を離れるのは湊と美奈子だけになる。

 ステージ上のパフォーマンスを楽しむ他の観客の邪魔にならないように気を付けつつ、それじゃ、と簡単に一言残してから、湊と美奈子は一旦ステージが見える場所から離れた。

 空の下、帆船が浮かぶ海面が陽光に反射してきらきらと煌めいている。

 擦れ違う人々の表情は明るく楽しげで、とても無気力症候群が増えているという風には見えない。

 けれども、それは「今の所」というだけかもしれない。いつ、再び世界が死の影に覆い尽くされるのかも分からない。生と同じように、死もいつだって共に在るのだから。

 忘れ得ぬ死を思いながらも、湊は小腹を満たせる店を探す。美奈子とは既に別れていた。

 広い上に休日なだけあって、敷地内にはキッチンカーや屋台も出ている。しかし何となくこれといって心引かれるものが無く、どうしたものかと思う。

 屋内のカフェやレストランに入るのは流石にどうか思う程度の良識はあるので、もう少し探してみようかと視線を巡らせた所で一人の青年と目が合った。

「あ」

 音に出た声が、前と同じになったのは多分偶然だ。

 湊と同じように、青年――総司も気付いたのだろう。ただ通り過ぎるには距離が離れておらず、目も合ってしまった以上そのままというのも気が咎めたのか総司が湊の方へ近付いた。

「どうも」

「……ああ。君は今日どうし――」

 問い掛けに言葉ではなく、腹の音が答えた。

 ぐう、とあまりにも素直過ぎる主張が響く。問いが途中で止まったという事は、多分総司にも聞こえていたのだろう。湊と総司の視線がほとんど同時に湊の腹元に向き、その視線が持ち上がると再び両者の目が合った。

「……良かったら、なんだが」

 近くのベンチに座り、総司が持っていた布包みを開ける。

 現われたのは、二段のランチボックス。フタを開けると、明らかに手作りだと思われるおかずやおにぎりが詰め込まれていた。

「いいの?」

「いいんだ。つい習慣で作って出て来たけど、今日は仕出しが出るみたいだから要らないっていうのも思い出して」

 尋ねると、困ったような笑みを浮かべて総司が肩を竦める。

 習慣で作って、今日は仕出しで。とすると、この弁当は元々誰かに作っていたものなのだろう。それも習慣、と言っていたから、毎日ではないかもしれないが日常的にという事になる。今日もそんな風に作って、弁当を持たせている誰かが忘れてしまったと思って届けようとしたが、今日は偶々弁当が要らない日だと途中で思い出してしまった――という所か。以前、スーパーで出会った時には一人暮らしだとキャベツ一玉の消費に困るとか言っていたが、あれは単なる雑談だったか――それともやっぱり、他の誰かの事を言っていたのだろうか。

 しかし幾ら必要が無くなってしまったといえど、良いのだろうかと思うものの、当の作ったらしい総司が良いと言っているのだから、それ以上湊が言える事は無い。腹が空いていたのも事実なので、有難く弁当を頂く事にする。

「美味しい」

「ありがとう。良かった」

 総司が安堵したように、ほっと胸を撫で下ろす。

 実際、弁当は美味しかった。湊的に量はちょっと物足りないが、昼食ではなく小腹を満たすにはちょうど良い。目に見えて鮮やかだとか何とか映えするとかいう訳でもないが、しっかりと彩りはあるし栄養バランスが考えられていた。

 何となく、荒垣先輩を思い出す。多分家庭的な味とはこういう味なのだろう。もっと心的なハードル低い事を言うなら、食べても倒れない手作りは有難い。食べたら瀕死という事態など、他にそうそうないとは思うが、いや、あるかもしれない。今は気にしない方が良さそうだ。

「今日はどうしたんだ?」

「アイドルが来るから、一緒に見に行かないかって」

「ああ……そうか、そうだったな」

 些か距離のあるイベント広場の方を見て、総司は静かに呟く。

 ステージ上で行われているであろうパフォーマンスに対する歓声の熱に対して、呟きを漏らした総司の表情は全く正反対。それも冷たいのではなく、暗い。僅かに伏せ気味になった灰色の瞳が、陽を通さない分厚い暗雲のように曇っていた。

 ――どうしたのだろう。湊としてはおかしな事を言ってはいない心算だから、湊の言葉によってもたらされた何かによっての反応だ。けれどもそうだとしても、何かが不釣り合いのように見えた。

 暖かな晴天ではなく、暗い曇天。それがどうしてか今にも泣き出してしまいそうにも見えて、湊が総司へ声を掛けようとすると、別の声が掛かった。

「あれ? 君、何してるのさ」

 呼び掛ける声に、傍らに座る総司の双眸が僅かに細まる。そこから、顎を掬い上げるようにして声がした方へ顔を向けた。

「渡し忘れたと思って持って来た弁当、食べて貰っていたんです。――サボりは駄目ですよ、足立さん」

「……ちゃんと仕事中だよ、一応」

 湊が少し遅れて声の方へ顔を向けると、そこには何処かやる気無さそうな男が溜め息を吐いてぼやいていた。

 男――足立には見覚えがある。綾凪署の刑事だった筈だ。

 発した言葉から推測するに、総司とこの足立という刑事は互いに顔見知りらしい。見た目からすると親子でも兄弟でも無さそうで、病院の清掃スタッフと刑事とはどういう関係性だろう。何かの事件絡みで知り合ったのだろうか、それにしては――

「ホント、可愛くないよねぇ。……で、君は行かなくていいワケ?」

「貴方がそれを言いますか?」

 分かっている癖に、とでも言いたげな。そんな言葉は音として紡がれずに、口唇の動きだけで止まる。咎め、詰る響きは果たして、どちらになのか。分からない。

 総司の、眉を隠す前髪の直下にある双眸が再び灰色の色を濃くする。それを見返す、足立もどうしてか無表情に見えて。

 緊迫とまではいかない。だが和やかでもない。妙な距離感で、それは湊ではいまいち想像し難い総司と足立との関係性によく似ている。よく空気読み人知らずと言われるが、どうしてだろう、何故かよく伝わって来る気がする。ただ、それが何なのかは分からない。それでもどうしても気になって両者を見ていると、不意に携帯の着信音が鳴った。

 湊のではない。総司のでもないようだ。となると、と残る一人へと目を向けると、ちょうど足立がスーツの胸ポケットから鳴り響く携帯を手に取った所だった。

「はい、足立です……今何処にって、えっ、いやいやサボってなんかないですってホントに!」

 相手方の話し声は勿論聞こえないが、同じ刑事からなのだろう。それも恐らく、足立よりは年上か立場が上か。どうにも話をしている者からも、些か真面目ではないと思われているようだった。

「……はい、ハイ、勿論聞いていますってば。分かりました、今から向かいます……はー、参っちゃうよ、全く……」

 暫く何やら色々と話した後、通話を切った足立が愚痴っぽい溜め息を吐く。

 今から向かう、と電話口で答えておきながらもまだ些かグダグダとその場で面倒そうに頭を掻き毟った後、足立は湊――というよりはその隣に居る総司へと顔を向けた。

「それじゃ、僕は若者に構っている暇無いから」

「ちゃんとお仕事して下さい」

「うっるさいなぁ、もう!」

 少し前までの何とも付かぬ表情は何処へやら。穏やかな表情で手を振る総司に、足立が益々嫌そうに顔を歪める。

 しかしながら、流石にいつまでも此処に留まっている気ではなかったらしい。何やらぶつくさ言いながら去って行く足立を見送った所で、湊はふとある事に気付いた。

「……あ」

「どうし……誰か待たせていたのか?」

「忘れてた」

 つい、のんびり弁当を食べていたが、時間としては結構経っているのではないか。 否、実際結構経っていると思う。すっかり意識が何処かに行ってしまっていた。

 美奈子もトイレなど女子とはいえそこまで長く並んでいたり居る訳でもないだろうし、ステージの方に居る者達もテイクアウトで何か買って来る程度だと思っているだろう。

 そろそろ自分も戻った方が良いかもしれない、と思いながらも、湊は食べかけの弁当を見る。途中で話し掛けられていた事もあって、まだ弁当の中身が少し残っていた。

 当然のようにこれくらいで満腹になる胃袋は持っていないし、残すなど勿体無い。何より美味しかったし、と眼下にある弁当を湊が見つめていると、湊の様子を見守っていた総司が声を掛けた。

「……残り、よかったら持って帰って食べて貰っても構わないか?」

「えっ」

 思わず聞き返してしまった。

 残りを食べるのは一向に構わないが、良いのだろうか。このランチボックスは使い捨ての物ではないから、そのまま捨てる訳にもいかない。だから、という湊の懸念も予想していたらしい総司は、頷いて言葉を続けた。

「容器は……綾凪の中央病院でバイトしている時でも、それかさっきの、足立さん……綾凪署の刑事なんだ。その人に渡してくれても大丈夫だから」

 フルネームは足立 透(あだち とおる)というらしい。それは割とどうでもよかったが、やっぱりこの目の前の青年――瀬田 総司とはどういった関係なのだろう、と改めて疑問が生じる。

 綾凪署の刑事。それは、以前に他の場所でも会っていたから知っていた。苗字が違う事から恐らく兄弟や親子関係でもなく、先程の妙な距離感といい、その人に空の容器を渡せばいいと言う所といい、ただの知り合いに片付けるにしては少しばかり難しいのではないかと思う。勿論、湊の方とて一概に説明しきれるものばかりではないと自覚していたし、深く詮索するものではないというのも分かってはいたが。

「分かった。洗って返すよ」

「気にしないでくれ。作った分が無駄にならなくてよかった」

 結局、疑問は表に出されないまま。まだ中身の残る弁当と同じく、フタを閉めて仕舞う。

 それじゃ、とやって来た方向を辿るように去って行く総司を暫し見送り、湊は美奈子と合流しようとベンチから立ち上がった。

 一方、トイレを済ませて来た美奈子は小腹を満たす物を買って来るという湊を探すべく周辺を見回していると、そこで何やら立ち話をしている一組の男達に意識が留まった。

 この辺りには人通りにそれなりに居て、通りすがる人々一人ずつにいちいち気を留める事は無かっただろう。ただ偶々聞こえて来た話に、どうしてもそのままにして流す事が出来なかった。

「あとは金が振り込まれんのを待つだけだ」

「……なぁ、本当に上手くいくのか?」

 男達の会話や様子が分かる程度の距離に居ながらも、その場に留まっていても不思議ではないように人との待ち合わせをしているようなフリをして会話を盗み聞きする。この場に留まっているような人々は居ないものの人の通りは多少あるので、美奈子の存在に関して男達に不自然には思われていないようだった。

「自分の息子達が可愛けりゃ条件呑むだろ。何だ、今更怖じけ付いたのか?」

「別にそうじゃねぇって」

 男達のやり取りを最初から聞いていた訳ではないが、それでも多少なりとも推測出来る事はある。

 金が振り込まれるのを待つ、自分の息子達が、そんな言葉に、やや視線を外した男達と共に美奈子が素早く周辺へ目を巡らせると、少し離れた位置に二人の10歳前後の男の子らが遊んでいるのが見えた。あれが息子達、とするのなら、兄弟だろうか。

 まさか、というこの思いがただの勘違いであると良い。だが、そんな思いは得てして無情に裏切られるものであろう事も分かっていた。

「そうはいってもよ、こんな『心の怪盗団』って……何だったか? いつだったかに流行ったので名乗り騙るって……そりゃ、何処とも知らねぇヤツよりかはマシっつっても」

 男達の一方が、胡散臭そうにポケットから何やらカードらしきものを取り出して目の前でひらひらと翳す。

 注視するのは流石に怪しまれるので、男が取り出したカードがどんなものなのかまではよく分からない。その代わりというように、美奈子は先程確認した兄弟の子供達の前へ飛び出した。

「ねぇねぇ、お姉さんも遊びに混ぜてくれる?」

 いきなり話し掛けて来た面識の無い者に、子供達が驚いて警戒するのは無理ならぬ事だろう。だが、そんなものは些細な事。女は度胸、ならぬ、勇気は漢だ。

 自分よりも年下に対しての扱いなら、これまでも経験がある。意識してカンストしきった魅力も併せて、美奈子は子供達を自分のペースに引き込んだ。

「あ! あれとか楽しそうだからやってみない?」

 一先ず、この子供達を安全な場所へ連れて行った方が良い。男達から引き離さないと、とアスレチックのある広場の方へと誘うように装って子供達を連れて行こうとする美奈子の前に、あの怪しげな会話をしていた男達が立ち塞がった。

「オイオイ、困るなお嬢ちゃん」

 威圧的に声を掛けて来る男に対し、美奈子は当然のように無視。子供達を背中に庇いつつ、怯えた様子の子供達へと尋ね掛ける。

「知り合い?」

「パパの知り合いだって、でも……」

「知らないおじさん、だね」

 恐らく、子供達を連れ出す為にそう言っただけで、実際は知り合いでも何でもないのだろう。

 ――ならばこれは、誘拐だ。

 子供達から男達の方へ視線を戻し、美奈子はその場を立ち去る事もせず仁王立ちで向かい合う。

「いやいや、俺達はその子達のお父さんの知り合いなんだって、少し面倒を見てくれって頼まれてるんだよ」

「じゃあ、知り合いっていうなら今、連絡取って。確かめるから」

 出来ないだろうけど、とまでは流石に言わないが、男達が一瞬言葉に詰まったのは見逃さなかった。

 話し声は大きくしていない。だが、何か言い合っているのなら少なからずの人々が何事かと気にする筈。それはこの男達にとって、決して望む所ではないだろう。

 男達の言葉から考えられる、誘拐と脅迫行為。それは勿論、許される事ではない。

けれどもそれとは別に、深く、心の奥底で怒りにも似た衝動が沸々と煮えたぎっている。

 思い出されるのは、男達が口にした「心の怪盗団」という言葉。その名を使ったらしいという事。

 よく知っている訳ではないと思う。その筈は無いと思う。けれども、しかし、と抗する想いは、確たるもので。

 ――「心の怪盗団」は――「彼ら」なら、きっとこんな事などしない、と。

 だから、と許せないような、そんな思いのままに、美奈子は目の前の男達を強く睨む。

 一歩も退く気の無い美奈子に対し、男達が思わず気圧されたように一歩下がる。だが、このまま後に引く訳にもいかなかったのだろう。男二人の内、少し血気盛んそうな方が無理矢理美奈子と子供達を引き離そうと手を振り上げた。

 子供達に危害を加えさせる訳にはいかない。美奈子は少し身を屈め、備えようとし――

「そこまでだ。綾凪署まで来て貰おう」

 男の手は振り下ろされる事は無く、別の手によって阻まれた。

 美奈子と男達の間に、スーツを着た一人の男性が立っている。赤々とした少々派手なシャツをスーツの下に着たその男性は、男の手を掴みながら美奈子と子供達の方へ目を向けた。

「お巡りさんが来たから、もう安心だ」

 ここは笑う所なのだろうか。割と本気でちょっと悩んだ。

 赤シャツに黒スーツ、更にサングラスという出で立ちは下手すると色々事情ある筋の人かと思いかねない。しかしながらお巡りさん、という事はどうやら男性は警察官のようで、サングラスの奥にある瞳を美奈子と子供達から鋭く男達に向けるとそのまま掴んだ男の腕を捻ってその場に取り押さえた。

「ひっ……!」

 手慣れた確保劇に、もう一人の男が引き攣った声を上げる。

 美奈子と子供達はカウントに含まないとして、二対一の筈であるが警察相手にまともにやり合う度胸まではなかったのだろう。取り押さえられている男を見捨てて、もう一人の男が逃げようとする。

 このままでは逃げられる。そう思うよりもどちらかといえば感覚に従って、美奈子は咄嗟に近くの壁に立て掛けてあったホウキを手に取った。

 呼吸は一息。柄頭は下に、そこから逃げようとする男の足下に向けて、掬い上げるように足払いを掛ける。当然、美奈子の行動など頭に無かったであろう男は容易に足払いに引っ掛かり、無様に地面に転がった。

「え!? 何なのこの状況!?」

 色付き眼鏡の男性の登場から僅かに遅れて、若干やる気が無さそうな雰囲気の男が駆け付けて来る。あちらは覚えがあった。綾凪署の刑事だった筈だ。

 ちょっとやる気無さそうな男はある意味当然といえば当然のようによく分からない状況に出くわして困惑しながらも、色付き眼鏡の刑事の指示を受けて慌てて地面に転がった男を取り押さえる。双方動きを封じられるともう抵抗する気力を失ったのか、男達は呻きながらも大人しくなった。

「……危険な行動は慎むように」

「ごめんなさい」

 咄嗟にしても、流石につい、で済ませるには手際が良過ぎたかもしれない。色付き眼鏡の刑事が何やら物凄く疑わしそうな目で見て来たが、何とか必死に気付かないフリをして受け流す。

 流石に確保を手伝う事まではせずにホウキを立て掛けてあった位置へ戻してそのまま眺めていると、背の後ろに庇っていた子供達が不意に声を上げた。

「パパ!」

「とうさん!」

 子供達が向けた声の方へ目を向けると、そこには息を切らせて此方へ走って来る男性と同じく駆け付けて来る諒の姿があった。

「お前達……! 無事で……」

 子供達の姿を見て目を潤ませる男性に、何か見た事がある気がするな、と思うと、そういえばステージの協賛席に居たような気がする、と次いで思う。確かひいらぎ製薬の社長で、社名の通り柊ナントカとか言った筈だ。名前までは忘れたが。

「……何かあったの?」

「そっちも何持ってるの」

「弁当。食べかけ」

 お互い抱き合って無事を確かめる親子の姿に少し温かい気持ちになっていた所で、食べ物を買いに行った筈の湊も戻って来た。ただ食べ物を買いに行くだけならばそこまで掛からない筈なのだと思うが、一体何処まで行っていたのだろう。その上、店売りではなさそうな包みまで持っていた。

 事情については美奈子自身も深く知っているという訳でもないので多分、という前置きを付けて軽く流して話すに留める。視線を下に落とすと犯人らしい男が持っていたらしい薄いカードが地面に落ちていて、美奈子は湊に事情を話しつつそれを拾い上げる。湊は美奈子が赤いシルクハットの描かれているそのカードをポケットを仕舞う様を眺めながら、黙って事情を聞いていた。

 そうしている間にも、この場の騒ぎに通行人達の目に付くようになったのか、にわかに辺りが賑やかしくなる。スーツ姿とはいえ警察官が三人も居る上に、うち二人はそれぞれ男達を取り押さえているという状況なのだから、目に付くといえば当たり前だ。

「……あ! もう、何処まで行ってたの!?」

 そんな少しばかり騒がしい場の中で立っていたら、多少他の目に付きやすくもなるだろう。掛けられた声に湊と美奈子が声の方向へ顔を向けると、ステージパフォーマンスを見ていた筈の慎や洵、めぐみや拓郎に叶鳴の五人全員が揃って駆け寄って来た。

「イベントは?」

「もうとっくに終わったっての」

 尋ねると、拓郎が呆れたように返す。

 すっかり意識に無かったが、結構な時間が経ってしまっていたらしい。考えてみたら、とっくにステージイベントが終わってしまっていてもおかしくはない。イベントが終わってもいつまでも戻って来ない湊と美奈子を、他の皆が探しに来たという事か。

 取り敢えず探させてしまった事と恐らく心配させてしまったであろう事は素直に謝った所で、慎を見ると慎は同じくこの場に居た諒を見つめていた。

 諒は少し前までは他の刑事二人と話していたが、今はひいらぎ製薬の社長である柊と何やら話していた。

 ここに来た時は共に居たし、実際に誘拐と脅迫行為があったのなら警察に相談もしているのだろう。だとするのなら話をしている事は何の不思議も無いが、それにしては何処か違和感があるように思えた。

 慎の視線に諒が気付くよりも、柊の方が慎とその隣に居る洵に気付いて慎達の方へ身体を向ける。遅れて諒も、慎と洵の方へ振り向いた。

 柊は慎と洵を見て、何やら驚いたように目を見開いている。面識があるのだろうか。一方で慎と洵は柊の事にそこまで親しい面識は無さそうで怪訝そうな顔をしており、諒はそれを思惑の読めない無表情で見つめていた。

 暫しそんな不可思議な状態が続いた後、柊は固い面持ちで諒と向き合う。

「……私が知っている限りの事を話そう。私達の……大人達の過ちを、子供達にまで背負わせるべきではない」

 そう言って、柊は息子達の頭を撫でながら首を振る。

「それは諒君、君にもだ」

「……」

 向けられた言葉に、諒は無言。感情の読めない無表情は、敢えて零れ出してしまいそうな感情を押さえ付けているようにも思えた。

「……兄貴、帰ろう」

 沈黙が支配していきそうな場の中、慎が諒に告げる。少し不安気で、しかし決心したような表情で諒を見つめる慎に諒も慎の方へ目を向けてからその視線を外した。

「いや、俺は……」

「署長。ここはもう僕達だけで事足ります」

 首を振り掛けた諒の言葉を遮ったのは、色付き眼鏡を掛けた刑事。

 慎と諒が反射のように揃って色付き眼鏡の刑事の方へ目を向けると、色付き眼鏡の刑事は慎とその隣に居る洵を視界に認めて目を細める。

 サングラスのレンズで少々分かり難いが、慎と洵を見つめるその眼差しは何処か羨むような、悔いているような、何か眩しいものを、否、何か眩しいものと重ねて見ているようで。

「……家族を、大事にした方がいい」

「……しかし」

「ですから、問題ありません。いくぞ、足立君」

「えぇっ、あー、はい、分かりましたって……周防(すおう)さん、待って下さいよぉ」

 なおも難色を示す諒の言葉を断ち切り、周防というらしい色付き眼鏡の刑事が取り押さえていた男を立たせて何処かへと連行していく。もう一人の刑事、足立も周防に急き立てられ、慌てて確保していた男を引っ張りながら後を付いていった。

 ひいらぎ製薬の柊親子も、後日警察に事情聴取に来るという事で一旦は帰される事となった。そして後に残るのは、ステージを見に来た七人と諒のみになる。

「……一緒に帰ろうよ、諒兄ちゃん」

 洵が諒に歩み寄り、そっとその腕を取る。更にもう片方の手を慎の腕へと伸ばして、諒と慎の間に洵が挟まる形となった。

「ほら、もうこんな時間」

 空の色は、赤みを帯びた橙色。もう夕方だ。

 ステージ広場でのイベントも既に終わった為、行き交う人々もこれから帰るのだろうという印象を受ける者達が多い。海面とその上に浮かぶ帆船の帆が夕陽の色に染まる中、見つめて来る慎と洵を諒は暫く言葉無く見つめ返した後に頷いた。

「オレ達も帰ろうぜ」

「そうですね、もうこんな時間……」

「帰る頃にはすっかり暗くなってそう」

 神郷兄弟達のやり取りを見守っていた拓郎とめぐみ、叶鳴もほっと胸を撫で下ろして互いに頷き合う。

「こ、こら、洵、引っ張るなって。危ないだろ」

「こうして一緒に帰るのって、久し振りだね」

「……そうだな」

 はしゃぐように少し跳ねた洵の言葉に、諒の小さく静かな同意が空気に溶けていく。

 そうやってそれぞれの帰途についていく皆を見送り、湊と美奈子も現在寝起きするマンションに戻る事にする。

「戻ろうか」

「うん」

 その頃にはもう陽が落ちて夜に傾きつつある空の下は、肌を刺す風が少し冷たかった。

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