旅の終わりの、更にその先の物語。   作:しろまち

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キタロー&ハム子視点。


10:運命(2)

 心の底が波立つ。

 衝動とも感情とも言えぬそれを何と呼ぶのか分からず、けれども身体はそれに急かされるようにして突き動かされる。

 外の空気は澄んでいた。その上いやに静かで、そんな時は雪が降る前触れなのだと聞いたのは、何の噂か、テレビか、ネットからだっただろうか。

 以前、アイドルのライブイベントがあって来た事のある場所。その、海沿いに掛かる大きな橋。少しだけ巌戸台のムーンライトブリッジに似ていて、あの青緑色の月が浮かんでいやしないだろうかという思いすらも擡げて来る。実際には厚く暗い雲に覆われて、月は見えなかった。

 それから「影」も――……否。

 上へと仰いだ視線の先。そこにはひとつの姿が在った。

 赤い髪の幼女。今は幼女の姿だ。着ているものも、髪と同じ色の服ではなく白い病院着のようなものだった。

 赤髪の幼女は、眼下に見える筈の湊と美奈子を見ていない。見た目にはそぐわない固まった表情で、髪をなびかせながら中空に浮いていた。

 声は発せられない。湊と美奈子が赤髪の幼女を見つめても、反応を返す事は無い。これはただ気紛れに浮かび上がった泡沫――「影」に過ぎないのだというように。

中空に浮かぶ赤髪の幼女の身体が傾ぐ。頭と足、その位置を反転、まるで身を投げ出すかのように。

 真下はコンクリートの地面。普通の人間ならば、頭から落ちたのなら到底無事には済まされないだろう。赤髪の幼女の身体は妨げるものもなく落ちて行く真下、湊と美奈子が反射的に動いた身体で手を伸ばし掛けたその先に。

 ――光が生まれ、そしてそれも束の間、どろり、と月下に闇が原形質の塊と変わった。

「!」

 そこから生まれた、否、存在した同色の鉤爪が襲い掛かる。

 伸ばし掛けた手はそれぞれ武器を掴み、向かい来る脅威が害を成す前に斬り払う。

 手応えは感じたが、音は生まれない。薙がれたそれは再び夜の内に溶け、瞬きひとつ分の時間を経て現われたのは車椅子に乗った一人の男だった。

「――君達が、あの者達を退けたというペルソナ使いか。成程、確かに興味深い」

 男が湊と美奈子を見つめ、言葉を紡ぐ。その口許は、全く動いていなかった。

 あの者達。恐らく、湊と美奈子が対峙したペルソナ使い達の事だろう。確か、統馬という男は「あの方」と上位の命令系統に値する人物を示唆していた。だとすると、「あの方」とはこの男の事を示すのだろう。

 びりびりと空気を通して、否、物質的なものを越えて痺れるような感覚が伝わって来る。それが何なのかは考えない。思考し、意識してしまったら、それに支配されてしまいそうだった。

『気を付けて』

 自らの内から、綾時が囁く。シャドウの上位存在である「デス」でもある綾時がそう言うという事は、この目の前の男は。

『彼は、もうヒトじゃない』

 ――「人間」から、逸脱した存在なのだと。

「何が目的?」

 駆け引きの類は得意じゃない。それでも、この男の思惑を知る為に問い掛ける必要があった。

 この綾凪市で起こっている無気力症候群。肉体が表裏反対になってしまったかのような反転死体に成り果てる、他人のペルソナを奪うという行為。「影抜き」だとかいう妙な遊びも、この男が関わっているのかもしれない。今まで綾凪市で出会ったペルソナ使い達から察するに、誰もかれもと無差別に襲っている訳ではないようだった。悠美や拓郎の友人だという岡崎という少年もだが、ネットから噂されている行方不明者、つまりペルソナ使いに襲われて反転死体となってしまった者達は主に20歳前後、「影抜き」が流行っているのも主に10代の若者達。「影抜き」が、ペルソナ使い達のターゲットとなる何かしらの基準になっているのではないか。

「この世界を、どう思うかね?」

 問い掛けに対してそんな問い返しが来て、何の心算かと眉を潜める。

 訝しむ湊と美奈子の様子に問い掛けたにも関わらず男は意識を向ける様子は無く、言葉を続ける。

 この世界は、今生きる人々にはそぐわない。

 世界に蔓延っているのは、人々にとっては苦しく辛く、悪いものばかり。多くがあらゆる事柄から目を背け、自分の都合の良いものだけを感じる。何かを決定する事すら苦痛に感じ、他の誰かや何かに任せきりにしていたいと思ってしまう。各地で起こっている無気力症候群は、「自らも消えてしまいたい」という者達が願った結果なのだ。

 それはとても不幸だ。ならばどうしたら良い? ――簡単だ。差違があるから、そう感じる。ならば、その境を無くしてしまえばいい。そう思う意識も、思わずとも底に抱く無意識も。

 今こそ意識と無意識を融合させるその時だ、と。

「そんな事はさせない」

 それは自己の喪失だ。

 何も感じなくなってしまえば、何も生み出されなくなる。そして後に待つのは緩やかな滅び――ニュクスの到来と同じく「死」だろう。

 それを望む者も、多様に在る意思のひとつなのだから存在するかもしれない。だが、この男は人為的に人々の意識と無意識、それらが存在する世界そのものを変革させようとしている。

 積み重なった大衆の意識が、認知が、人非ざる存在を引き寄せ、成す事はあっても。

 「ヒト」如きが人智を超えたモノを完全な制御下に置こうとするなど、傲慢に過ぎるだろう。

 だからなのだろうか。この男は既に「ヒト」ではないと、綾時は言う。人間であったが、男はこの男の語る目的の為に人間という軛を捨てたのか。

 到底、理解出来るとも、理解したいとも思わない。そんな事を思おうものなら、と奥底に沈むものが思考を拒みながら、湊と美奈子は目の前の男を見据える。

「協力は出来ない、と?」

「当然」

「当たり前だ」

 ――迎え来ようとする世界の、人々の滅びを、起こさせない為だったから。

 きっぱりと決裂の言葉を返す湊と美奈子に男は感情も薄く目を伏せ、再び目を開く。男の背後から眩しい光を感じ、湊と美奈子、そして男もまた、背に受けた眩しい光の方向へ振り向きながら小さく呟いた。

「それは残念だ。彼も――」

 男の声を、最後まで耳が聞き取る前に。男の背後から感じた眩しい光が生み出した影――湊と美奈子から見ると男の前にあたる場所から、シャドウが出現する。

 通常のシャドウよりも大きい。色は夜のように深い闇色。泥から成形したかのように外形を作りながらもその端から崩れていく、そのちぐはぐなシャドウの姿はあの巌戸台で戦った大型シャドウに似ていた。

 数は二体。エンペラーとエンプレス――二体一対。ならば、と湊と美奈子は同時に召喚器を構え、引き金を引く。

「オベロン!」

「ラクサーシャ!」

 それぞれの弱点は覚えていた。故にオベロンはエンペラーに雷撃を、ラクサーシャにはエンプレスへと斬撃を放つ。

 夜の帳を雷光が照らし、冷えた空気を剣が裂く。そうして生まれた衝撃と土埃が静まると、そこにはもう男の姿は無かった。

 ――逃げられた?

『そうなるね』

 男が居た場所、正確に言うのならシャドウが出現する直前に感じた眩しい光。その方向。そこには先程の男ではなく、新たな人物が車から降りて来た所が見えた。

 綾凪署の署長であり、慎と洵の兄である神郷 諒。眩しく感じた光は、車のヘッドライトだったらしい。今は少し光量も落とされていて、周囲に照らすものといえば橋の電灯のみ。橋下のライトアップはこちらに届くには遠い。ただその中でも、互いの顔が見えるには充分だった。

 小松原 啓祐(こまつばら けいすけ)。――あの人は、死んだ筈だ。俺が……。

 ほんの微かな、独白にも似た諒の言葉は最後まで続かなかった。ただ聞こえなかっただけかもしれない。

 それに湊と美奈子はつい口を開き掛け、結局やめて口を閉ざす。きっと、言えた事ではないから。

 僅かに震えた口許から白い息が漏れ、空気に溶けていく。

 あの男の名前は、諒の呟きが正しいとするのなら小松原というらしい。それがどんな人物なのか、湊と美奈子は人名に詳しくないから分からない。ただ、諒は少なからぬ何かを知っている事だろうという事は分かった。

 そこから諒は湊と美奈子を見て、微かに眉間の皺を深くする。湊と美奈子から、進んで言葉を発する事は無い。流石にこの状況下で、自分から何か言えるとは思ってはいない。

 ただ、向けられる諒の視線を逸らすように見つめた橋下の海面は。

 行き場を失った大量の白い羽根が、水面を覆い尽くさんばかりに揺蕩っていた。

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