旅の終わりの、更にその先の物語。 作:しろまち
――それは、予感でもあり、予兆でもあった。
『急いで。あまり良くない状況みたいだ』
心の内で、綾時が急かす。急かされなくても分かっている。背中から這う得体の知れないこの感覚は、一体何と呼んだら良いのだろう。
「誰かが、世界の『死』を望んでいるの?」
『違うよ。寧ろ、逆に「死」という「絶対」を否定する意識に近い。でも、「生きたい」というポジティブ・マインドでもない』
「分かり難い」
もっと簡潔に言え、と文句を投げ付けるものの、綾時からそれ以上の説明はない。代わりに、ほんの少し悲しそうで寂しそうな、複雑な気配が心の底に流れていくだけだ。
授業は当然のように、途中ですっぽかして来た。そもそも、間は開いているとはいえ二学年の授業内容は一度聞いているので一回くらい抜いたところで問題は無い。
寝起きしているマンションから、武器も取って来た。本当は綾時が急かす場所へと直行したいところなのだが、「何」が待ち構えているのか分からない。腰元の召喚器だけでは心許無かった。
明確な「何」が起こるのか、それは分からない。だが、忌避すべき何かが起ころうとしているのは間違いない。だからこそ、此処に在るのだから。
思い出すのは、綾凪の大きな橋で遭遇した小松原という男が語った事。無意識と有識との融合。それが行われたら、この世界は、人々は「死」を迎えると同義だ。だからこそ、こうして綾時が知らせているのだろう。
――否、それだけじゃない?
ふと沸いた思いに、心の内に在る綾時は静かで悲しげな気配のみで返す。答えの言葉こそないが、否定が無いという事は肯定の意だ。
それだけではないのなら、何が――誰の死の気配を、綾時は感じ取ったのだろう。
分からない。分からぬまま思考を巡らせ、街中を走り続ける。
学園を飛び出してから、ほとんど走り通しだ。体力もある方だが、それでも目指す場所は遠い。タクシーを拾おうか、否、途中までだとしても、その途中で何が起こるのか分からない以上、一般人を巻き込む訳にはいかない。
どうするべきか選択に迷い、けれども気ばかりが急く中で。
カチン、と直ぐ傍で音がした。
大きな音でもない筈なのに何故だか不思議とよく耳に響いて、自然と身体ごと目が音の方へ向いた。
そこに居たのは、一人の青年――いや、少年だろうか。湊と美奈子、双方とそれ程年齢は変わらないように見える。湊と美奈子よりも長身である事と、険しげに寄った眉根が少しばかり年上のように見させているのかもしれない。それに、何処かで見掛けた事のあるような――そんな面影を感じた。
湊と美奈子、両者の視線が一瞬だけ互いに交わされる。どちらも覚えは無い。着ている制服も、凪の杜のものでもなければ月光館のものでもない。故に誰、と問い掛けるよりも早く、青年が口を開いた。
「使え」
そう言って移動させた視線の先には、一台のバイク。
キーは既に刺さっている。湊と美奈子がバイクを見る間に青年はメットインから二人分のヘルメットを出し、湊と美奈子の方へ投げて寄越した。
「行こう」
「うん。あの! ありがとうございます!」
疑問に思う暇は、今は無い。故に湊は短くすべき事を告げて、ヘルメットを被るとバイクに跨がる。美奈子もまた、湊の言葉に小さく頷くと青年に向けて礼を放ってからヘルメットを被った。
シートに跨がり、ハンドルを握るのは湊。美奈子はその湊の後ろに座り、腰へ腕を回す。サイドカーがある訳でもなし、バイクは一台のみなのだから致し方ない。
エンジンが掛かる。力強い駆動音と共に、震動が身体を揺らした。
前を向く。前方は信号の無い横断歩道があり、今ちょうど一人の見覚えのある女性が歩道から横断歩道を渡ろうとしている所だった。
あれは確か、前にイベントで会った――舞耶という雑誌記者。
湊と美奈子が舞耶の存在に気付くとほぼ同時、舞耶の方も不意に顔を上げて湊と美奈子の方を見る。
今はイベントの時のように私服ではなく制服姿である上に、湊も美奈子も既にヘルメットを被っている。勿論声を掛けた訳でもなかったが、舞耶は湊と美奈子を見つめてから今まさに横断歩道を渡ろうとした足を止めた。
視線が逸らされ、ルージュの引かれた口許に浮かんだのは月のような微笑み。横断歩道の前で立ち止まったまま、鞄から手帳を取り出してぱらぱらと捲っている。それはまるで、横断歩道を突っ切ろうとしている湊と美奈子の存在に気付いていないかのように――気付いていないフリをしているかのようだった。
「……急ごう」
「うん。……そうだね」
美奈子が腕に力を込め、湊はそれに頷いてからヘルメット越しに小さく舞耶へ頭を下げて前へ向き直す。
「ところで、運転した事あるの?」
「一回、美鶴のバイクに乗った事が」
「それと免許は」
「舌噛むよ」
答えが無いとはそういう事だ。そもそも、抗議も何も言っていられる状況でもない。
従って、ただ今は向かうべき所へとバイクを走らせた。