旅の終わりの、更にその先の物語。 作:しろまち
冷えた外気が、吐く息を白く変える。
空は灰を被ったような曇り。それがまるでこの先行きを示すようで、零れ落ちそうになる感情に歯を食い縛って堪える。
綾時の導きに従って、辿り着いたのは人気の無い高原。時期が時期なら、季節の花々で観光客等も賑わっていたのかもしれない。しかし今は酷く荒涼とした空気が漂い、綾時に言われるまでもなく湊と美奈子もただならぬ気配を感じ取っていた。
バイクを適当な所へ停め、少し高さのある高原の道を走る。その先には、あの橋の上で出会った小松原という男と――諒が居た。
どうして、諒がこんな場所に。他人の事は言えないというのは放り投げて、思う。今日は洵の授業参観の日ではなかったか。洵の授業参観に諒が行ってくれるのだと、今朝も慎が嬉しそうに話していたのに。
『――心残りを、作っておきたかったのだと思う』
心の奥底、綾時が告げる。そのほんの少し悲しげな気配に、綾時が「それだけではない」と示していたのが誰なのか悟った。
諒と小松原、両者は対峙し、どちらも半透明に透けた存在――ペルソナを召喚させている。そしてその形勢は、明らかに諒の劣勢だった。
小松原の背後に控えた、巨大なペルソナから放たれた幾本もの鋭い刃が諒を襲う。諒もペルソナを駆使して撃ち落とそうとしているが、如何せん数が多過ぎる。
このままでは――そこから導かれる結果を今は想像せず、行動を以て蹴り飛ばす事を選んだ。
「ネコショウグン!」
「ナーガ!」
電光石火で第一波の攻撃を薙ぎ払い、来たる次撃を雷撃が撃ち落とす。
驚きに瞠目する諒の方へは振り向かない。諒には背を向け、湊と美奈子は小松原の前へと向かい合った。
思わず身体が強張ってしまうのは、どうしたって仕方の無い事だろう。心の内から波立った感覚が押し返されて、緊張が更に高まるのを感じる。目の前の男、小松原にはまるで生気が感じられない。それだけでも異様ではあるが――何よりもその後ろに、まるで「影」のように伸びるモノ。
向こう側が透けて見える半透明の体躯は大きく、戸建一軒分程の丈はある。中心部から幾筋もの光る線のようなものが伸び、一本一本が意思を持つかのように動く。一際突き出た天頂部が底知れぬ深淵を表すようにゆらゆらと波打っていた。
これはまるでペルソナではなく――シャドウのようだ。
否、ペルソナもシャドウも、元々は同一のもの。集合的無意識の内の精神の一部であり、自己の側面でもある。ただ異なるのは、それがペルソナ使いという存在の制御下にあるかどうかだ。
目の前に居る小松原という男が、この異様な風体のペルソナに振り回されているというようには見えない。だが湊と美奈子は、小松原は「既にヒトではない」という綾時の言葉を覚えていた。
『自分の異なる一面を否定すればシャドウとなり、受け入れればペルソナとなる。けれど、彼は違う。彼は、それらを自らと認めるのではなく――自らを、肉体を持たないそれらとした』
卵が先か雛が先か、そうにも聞こえるような言葉だが、実際はそんなものでは済まされないという事を今まさに目の当たりにする。
おおよそ、常人には理解出来ない行為だ。肉体と精神――魂は必ずしもどんなものでも同一ではなく、その言葉が存在するように分かたれている事を何よりも湊と美奈子は理解しているが、同時に無関係では居られないという事も何よりも知っていた。
正しく常軌を逸した行いだが、だからこそ小松原は無意識と有識との融合などという事を行おうともしているのだろう。それが可能なのだと示すように、何よりも自らの肉体と共にヒトという制約を捨て去って。
召喚器のグリップを握る手に力が籠もる。ここで小松原を止めなければと、誰に言われる訳でもなくただ心の奥底からそう直感した。
異様な見た目のペルソナ、異形のそれは標的を湊と美奈子に定める。貌の無い頭頂部が震え、空から降り出した雪が薄ら積もり始めた地面が抉れた。
顎下を狙うように、直下から闇色の鉤爪が襲い掛かる。湊はすんでの所で当たる前にバックステップで躱し、鉤爪を斬り払うように剣を振るう。美奈子はその間を縫うように前へと駆け出し、薙刀と合わせた二連牙を放った。
攻撃が異形めいた巨躯に吸い込まれる。鉤爪の攻撃をやり過ごした湊は自らも続けて二連牙を放つも、その隙間を突いて光る幾筋の線が飛び出す。美奈子は湊が召喚器から剣を握り直すよりも、線の脅威が届くよりも早く薙刀を自分の方へ引き寄せ戻す動きと共に襲い来る線を巻き込んで薙ぎ払った。
「あれは……」
剣に持ち替え直した湊が、美奈子の薙刀に絡んだ幾本もの線を断ち斬る。そこから改めて間合いを取ると、異形の内部から何かが零れるように出て来るのが見えた。
人型をした半透明の姿。見た覚えがある。この綾凪市に来た初日、歩道橋で悠美を襲っていた男の身体から表出していたペルソナだった。
どうして、このペルソナがこの異形のペルソナから出て来るのか。まさか同じワイルドの才能、否、違う。湊と美奈子とは違う。
あの統馬とかいうペルソナ使いが、複数のペルソナを使いこなす湊と美奈子をワイルドではなく違うものと思い違えたのと同じように。これはワイルドの才故ではなく、複合ペルソナというものなのだろう。それも、統馬が語った通りだとするのなら――他人から、あの歩道橋で見た男から、ペルソナを奪ったという事。
新たに現われた人型のペルソナが襲い掛かって来る。湊と美奈子は一拍のみで呼吸を合わせ、ほぼ同時に左右から向かって来た光の線を放って来た腕ごと斬り落とし、湊は半透明に透けた胴体部へアサルトダイブを差し向けた。
攻撃が命中し、半透明の人型のペルソナが傾いで消えて行く。
こんな風に他人からペルソナを奪って、反転死体を生み出し、目的を果たそうとしているのか。胸中に苦い思いが広がり、しかし不意にある事にも気付く。
小松原の目的は無意識と有識の融合。小松原自身の他に統馬や沙季、壮太朗というペルソナ使い達を指揮下に置いて、他人からペルソナを奪っている。ペルソナが奪われた人間は反転死体となり、襲われる基準に「影抜き」の何がしかの要素が関わっている。警察は隠蔽しているようだが、ネットなどで既にリバース事件についての事は噂になっていた。その密やかな噂が人々の不安を煽り、無気力症候群を引き起こし――世界や人々に「死」を招き、それが小松原の言う無意識と有識の融合になる。
「……でも、それだと効率が悪過ぎる」
幾ら、狂人の世迷い言であり沙汰だとしても。それなりの筋が通っていないとならない。
思い出されるのは、先程倒した半透明の人型のペルソナとその元々の持ち主であっただろう男と出くわした歩道橋での事。あの場には男と悠美の他、その場に倒れている警察官達が居た。リバース事件の事は世間には公表されてはいないが警察の間では捜査されているのだろう、とすると、あの時に倒れていた警察官は悠美を襲う男を確保しようとして返り討ちにされた可能性が高い。
湊と美奈子は己のペルソナを、ペルソナ使いではない人間に対して向けた事はない。だが、ペルソナは自らの心の鎧でもあるという。ならば、その心の鎧が無い状態で精神の一部とも言えるペルソナの攻撃を受けたらどうなるのか。
『心に、精神に直接ダメージを受ける。まるで無気力症候群に近い、廃人状態になる』
湊と美奈子の思考を引き継いで、綾時が淡々と残酷な答えを突き付ける。
そう。わざわざ対象を絞ってリバース事件を引き起こし、人々の不安を煽る事で無気力症候群を広げなくても、ペルソナを顕現する素養の無い者達を片端から襲えば良いだけの話なのだ。それだけで無気力症候群の患者は増え、顕在化もしやすくなるのなら人々の不安だって起こしやすくなる。ペルソナを覚醒させる可能性がある人間は無気力症候群になり難く、警察に協力しているらしい勢力に対ペルソナ使い候補として引き抜かれる恐れもあったのだろうが、未覚醒の状態ならまともにペルソナ使いへの対応も出来ないだろうから、「ついでに」襲ったら良いだけの事。その方が、わざわざ狙うよりも標的がバラける分、警察の捜査も攪乱出来る筈だろうに。
何処か、何かが食い違っている。全てを知る訳ではなくとも感じる違和に、今まで背後で無言で居た諒が口を開いた。
「……無意識と有識の融合、それ自体は目的ではなくただの過程に過ぎない」
諒の眼差しが、険しく小松原を見据える。
「無意識と有識という領域を、この現実に引き寄せるのも。素質ある者達を襲い、ペルソナを奪っていたのも。全ては、貴方は『彼女』を――」
「――黙れ!」
諒の言葉を、小松原が激しく遮る。先程まで一言も発しておらず、まるで幽鬼のようだったというのに、今は眼球が零れそうな程に目を剥き出しにしてこちらを睨んでいた。
瞬間、全身を震わせるような殺気が目の前から吹き上がる。それと同時、真っ黒い鉤爪と光る線が襲い掛かって来た。
「フォルトゥナ!」
「カハク!」
風が軌道を定めて切り刻み、炎が巻き上がって焼き尽くす。だが、足りない。今までよりも襲い掛かって来る数が段違い過ぎる。ペルソナ召喚と共に武器を振るって弾き返しているものの、それだけでは目の前の異形のペルソナへは刃は届かない。
「私だけではない! 人々が、人間が望んでいるのだ! 逃れられぬ不安に、この世界から消えてしまいたいと! ならばそれを叶えてやろう、と!」
頭を振り乱し、小松原が叫ぶ。その瞳は既に焦点が合っておらず、何か違うものを、否、それすら見えていないかのようだった。
「そんなの、貴方が勝手に決めないで!」
「そんな風に、望んでいる人ばかりじゃない……!」
地面を這って襲い掛かって来る鉤爪を氷結で止め、生み出した氷の塊を足場にして前へ駆ける。
異形のペルソナが攻撃を受ける度にその身から姿の異なった半透明の人型が零れ、溢れていく。自らの意思を失ったように同じく襲い掛かるそれらを斬り伏せながら、召喚器を握り締めた。
「故に私を止めると? ふ、ふははははは! 実に……ああ、実に愉快で皮肉な事だ! それこそ傲慢、自分勝手極まりないという行為ではないか! 死の運命に逆らうなどと!」
嘲弄が酷く耳障りで、不快で仕方無い。
「ああ、ああ、そうだ、だから私は、その為に――」
本当なら、とうに動かなくなっている筈の身体と心臓。思えば痛過ぎて堪えられないから目を閉じると、瞼の裏に心の海から浮かび上がった黒い襤褸の外套を纏った骸骨が、しゃらりと鎖を鳴らした。
「――『死』なら、もう抱いてる」
だから、もう言葉は聞きたくないと。
「アレス」
「ジークフリード」
引き金を引くタイミングは同時。被る仮面を替える事で、思っていたい自分を変える。
鉤爪の動きを止めていた氷塊が溶けていく。狂乱の軍神と勇猛な英雄が放つのは、広範囲にまで及ぶ強烈な斬撃。
「紅蓮華断殺!」
剣が、刃が、鉤爪と幾筋もの線を、異形を斬り裂いていく。千々に刻み、裂いて、降り積もる雪を巻き上げて払っていく。
そうして中空に巻き上がった雪が再び変わらず空から降る雪と共に地面に落ちていく頃には、小松原も、異形のペルソナの姿も無かった。
腹の奥に、まだヘドロのような嫌なものが溜まっている気分だ。何処までもこびり付いて来るようで、吐き気を催して来そうなそれを無理矢理飲み下す。堪えた所で、留まったまま何も変わらないとしても。
「うっ……!」
背中から聞こえた呻き声に、慌てて振り返る。その先には、膝を付いた諒が苦しそうに顔を歪めていた。
小松原との戦闘を優先した為に、諒の状態まで鑑みるのが後回しにしてしまった。ここに来る前に、大分負傷してしまったのかもしれない。
先ずは治療を、とペルソナチェンジをしようとした所で、諒の身体から現われたペルソナが大きく腕を振りかぶった。
「っ……!」
ペルソナ召喚を中断し、後ろへ飛び退いて距離を取る。反射的に構えを取りながら諒を見ると、諒は苦悶に満ちた表情で胸を押さえており、その身体からはペルソナが忙しなく透明度を変えていた。
諒のペルソナが腕を振りかぶり、手近な地面を叩く。地面が大きく抉れ、同時に諒が腕を押さえて苦しげな声を上げた。
――ペルソナの暴走。
こちらへ放たれるペルソナの砲門からの攻撃を避けながら、起こった事態に戦慄する。
明らかにペルソナの制御が出来ていない。制御の出来ないペルソナは使い手の意思を離れ、辺りに脅威を撒き散らすだけではなく使い手自身をも危険に晒す。
暴走を静めなければ。思うも、問題はその方法だ。ペルソナの暴走自体は見た事がある。だが、それをどうするのかまでは――脳裏に過ぎる選択肢はどうしても選ぶ事が出来ず、しかしどうするべきか分からずに居ると、新たな声が響いた。
「――兄貴!」
湊と美奈子が駆け付けた方向から、こちらへ向かって。
息を切らせた慎が、走り寄って来るのが見えた。