旅の終わりの、更にその先の物語。 作:しろまち
洵と共に買い物を済ませ、家まで戻る。
普段通りに鍵を出して解錠をしようとすると、そこで玄関の鍵が開いている事に気付いた。
出掛ける時に、戸締まりはきちんと確認した筈だ。不審に思って玄関のドアを開けると、玄関先に出掛ける時には見なかった男性用の靴が一組揃えて置いてあった。
「兄貴……?」
「違う、諒兄ちゃんじゃないよ。こんな靴は持ってなかったと思うから」
思わず入院している筈の諒が戻って来たのかと思って呟く慎に対し、洵がそう答える。
確かに言われてみると、今置かれている靴に見覚えは無い。勿論、慎や洵のものでもない。
だとしたら一体誰のものなのか。つい玄関先で思案に暮れて突っ立っていると、背後から声が掛かった。
「どうしたの?」
振り返ると、そこには湊と美奈子が立っている。今日は湊と美奈子と共に、入院している諒の見舞いに行くという事で神郷家まで来て貰う事になっていた。
「あれ? 時間にはまだ早かっただろ?」
「言ってた通りだと思うけど」
「え? あれ? そうだっけか?」
時間を確認しながら、伝えていた事を思い返す。その日は午前中買い物に行くからと慎が時間を決めたのだが、うっかり時間を言い間違えてしまったらしい。自分の失態だという事に思い至ってあからさまにばつの悪い表情を浮かべた慎に、洵が呆れた目を向けた。
「慎兄ちゃん、しっかりしなよ」
「うっ……ご、ごめん。時間、言い間違えたみたいで……今、買い物から帰って来たばかりなんだ。病院に行く用意がまだ出来ていないから、取り敢えず家に上がっててくれないか?」
些か居堪れない気分になりながら慎がそう伝えると、湊と美奈子は構わない、と頷く。そこから改めて、何故玄関先に立っているのかという話に戻った。
買い物から帰って来たら、掛けた筈の鍵が開いているという事。玄関先に見知らぬ靴があって、それは恐らく諒のものではないという事。それを聞いて、湊と美奈子が表情も変えずに相槌を打った。
「泥棒かな」
「撃退用に傘とか取って来ようか?」
これに何と言えば正解なのだろう。取り敢えず、そこまで先制過激派でもない慎は必要無いからと宥めつつ、それでも多少不安はあるので湊と美奈子に付いて来て貰う旨を伝えて家の中に入った。
キッチンから何か音がする。リビングは荒らされていない。しかもこの音は家捜しというよりは、と音がするキッチンの方まで向かうと、そこには見知らぬ男がフライパンを握っていた。
「よっ、おかえり」
慎達に気付き、男が振り返って軽く片手を上げる。あまりにも家に馴染み過ぎていて、慎は一瞬自分の家じゃなかったのかと錯覚した。
「た……だいま……?」
「何返事してるの」
つい反射的に答えてしまった慎に向ける、洵からの目が冷たい。いや、確かにそんな返事をするべき状況ではないとは思っているのだが。
いまだ呆けたように突っ立ったままの慎に、男は気にした風も無くフライパンを振る。キッチンに香ばしい匂いが漂いながら、男は更に言葉を続けた。
「悪いが皿を出してくれないか」
「え、いや、その前に……誰?」
男の名は、
「それはそれとして住居侵入罪」
「しかも勝手に冷蔵庫漁ってる」
湊と美奈子のコメントが手厳しい。実際、その通りではある。真田自身が警察に籍を置いているが、これは普通にお巡りさんを呼ぶ案件になっていた所だった。
「しかし何だ、冷蔵庫にはあまり物が入っていなかったな。ちゃんと栄養をあるものを摂っているのか。入っている水も古い、育ち盛りの若いもんが生命の根源たる水を軽んじるんじゃない」
「いや、だから買い物行って来たんだって」
一体何なんだこの人は。自己紹介はされたが。
買い物に行って買って来た物を仕舞いながら、慎は思わず溜め息を吐く。勝手に家に上がって来て、勝手に冷蔵庫を漁られた上に勝手に料理までされて、その上に栄養がどうのとか言われる筋合いまでは流石に無いと思う。
「有里達は昼、済ませて来たんだろ?」
「うん」
「食べて来た」
時間的に、病院に行ってからでは昼食には遅過ぎる。予想して来た答えに、慎は昼食にと買って来た袋を見遣る。チェーン店で、最近綾凪市に出来たというハンバーガー店だ。それは元々慎と洵と二人で食べる為に買って来たから良いのだが、その上に真田が勝手に昼食を作ってしまったのでそれをどうしたら良いのかと頭を悩ませる。
「だよな。食べて来てなかったら、良かったら……って思ったけど……」
「食べるよ?」
「余裕」
「そっかー」
食べられるんだな。しかも余裕なんだな。何か普通に納得してしまった。
あっさり問題が解決してしまいながら、慎と洵、真田に湊と美奈子はテーブルを囲んで昼食を摂る事にする。
「遠慮せずに食え。あり合わせだが中々いけるぞ」
そう言われても、その材料は神郷家の冷蔵庫から出したものなのだが。それであり合わせだがと言われても。しかも取って置いたお高めのカニ缶まで使われて、慎は地味に落ち込んだ。
「牛丼かプロテインくらいしか言わなかった真田先輩が栄養価がどうとかなんて……」
「でもチャーハンな辺り、やっぱり明彦先輩って感じ」
「だね」
ひそひそと、湊と美奈子が何やら言葉を交わし合っている。昼は食べて来たと言いながらも普通に一人前を苦も無く平らげていく様に胃袋凄いな、とのんびりと思考を飛ばしていた慎は、そんな湊と美奈子を洵が些か訝るような目で見ていた事に気付かなかった。
「御馳走様。プロテインとか混ぜてなくて良かった」
「プロテイン混ぜるって何だよ」
「生憎と持ってなかったからな……俺とした事が」
「……うわぁ」
持って来てなくてよかった。心底からそう思う。
ボリューム的にはそんなに変わらない筈なのに先に湊と美奈子が食べ終わる中、真田が慎を見る。
「いふからでふように――ぐっ、ふ!」
「御行儀悪いですよ?」
「水どうぞ」
チャーハンを食べながら何か言い掛けた真田に対し、美奈子がテーブルの下で何やら行い、湊がコップを掴んで中の水を真田の口に突っ込む。
床の辺りから何やら鈍い音がしたから、多分、真田の足を踏んだかしたのだろう。勿論確かめる勇気は足りてないのでしない。上に下に、同時に攻撃を受けた真田は奇妙な呻き声を漏らして暫くの間、テーブルの上に突っ伏した。
大丈夫なのだろうか。それに湊も美奈子も何かやたら真田に容赦が無いというか、微妙に扱いが雑というか。ここで出会ったばかりなのに、第一印象があまりにもアレだったからなのだろうか。そうではないような気もするが、そうあってもおかしくない気もして、慎は結局そっとしておく選択肢を取る。
そうして昼食も食べ終えて、諒の見舞いに行こうとなった所で今度は洵から突然の宣言が放たれた。
「僕、行かないから」
「えっ」
「夕飯の準備とかしないといけないし」
「そんな長く居る訳じゃないし、夕飯の準備くらい俺も手伝って……」
「良いから僕の事は放っておいてよ!」
弟からの思わぬ強い語気に、慎は驚いて二の句が継げなくなる。呆然と目を見開きながら見つめて来る慎に洵は数瞬、はっとしたように気まずげな表情になったものの、それ以上何も言わずに一人で二階へと上がって行った。
「洵、どうしたんだよ……兄貴の事、心配してたのに」
「何かあったの」
洵が上がって行った二階の方を見ながらいまだ少し呆けたように慎が呟くと、食器の片付けを終えた湊と美奈子が様子を尋ねて来る。やや声も大きくなってしまったから、先程のやり取りも聞こえていたのだろう。
何かあったのか、と訊かれてこの所の事を思い返してみても、慎には心当たりがいまいち思い当たらない。ただ、慎には思い当たらなくとも、洵には何かあったのかもしれない、と思うとあまり洵を悪く言う事も出来ずに悩ましげに首を横に振る事しか出来なかった。
「そんな覚えは……確かにこの間の夕飯は、ちょっと……あんまり、美味しく出来なかったけどさ」
「まだおにぎりしか作っちゃ駄目だったんだね」
「それ本当に食べ物になってた?」
「なぁ、地味に馬鹿にしてないか?」
「世の中には生命の危機を感じるのを意識なく作る人も居るから」
「明らかに馬鹿にしてるよな?」
絶対馬鹿にしてる。しかも冗談っぽくなく、妙に真顔なものだから慎はちょっと傷付いた。
一先ず、慎も二階へと上がって洵の部屋の前で呼び掛けてみる。返事は無い。そっとドアに耳を寄せてみると何か話しているような声が聞こえて来たが、慎に向けてではないだろう。何となくそれ以上は無理に言うのも良くない気がして、仕方無くドア越しに自分達が出掛けたら玄関に鍵を掛けるように伝えてから再び慎は一階へと下りた。
慎が下りると、既に用意も終えた湊と美奈子、真田が待っていた。湊と美奈子から、どうだった、と直接声には出さずとも含んだ視線を受けると、慎は静かに首を横に振った。
「やっぱり、付いて行かないみたいだ。折角、有里達と行くって事だったのにごめん」
「大丈夫、気にしてないから」
「帰ったらまた改めて話したらいい」
「そうだな、兄貴にもちょっと相談してみる」
気にした風も無く答える湊と美奈子に慎は少し安堵して胸を撫で下ろし、諒にも話そうと頭の中で話題のひとつに加えつつ慎は手早く用意を済ませる。真田も慎の返答を聞いて、特に気分を害した様子も無く首肯した。
「そうか、君の弟は行かないのだな……偶々、そういう気分の時もあるだろう。病院までは、俺が車を出すから乗って行くといい」