旅の終わりの、更にその先の物語。   作:しろまち

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キタロー&ハム子視点。


1:魔術師(2)

 空には月が浮かんでいる。

 欠けの無い丸い満月。月色とも呼ばれるような、淡い青を宿した色だ。あの見慣れ過ぎた青緑色ではない。

まだ日付が変わるような遅い時刻でもない。だがファミレスで注意されたように、制服姿の男女がうろつくには不審に思われても仕方の無い時間だろう。幸いにも巌戸台ほど人の流れは多くはないようだから、駅に居てもあからさまに不審気に見て来る者も居なかった。

 繁華街らしい駅前から離れると、随分と喧噪から掛け離れた場所も多い。静かだとも言っていい。今は人も周囲には居ない。

 駅と比べて、照明の類も少ない。視界に映る街灯の明かりは不規則に明滅し、辺りを照らしてはまた暗闇に戻すを繰り返している。

 そんな頼りない街灯の光につられたのか、こんな夜に羽を瞬かせる――あれは。そう認知した瞬間、街灯の下に佇む姿が映って目を見開く。

「……イゴール」

 名を呼ぶと、ベルベットルームの主であるその者はぎょろりと見開いた目を動かして少年と少女を見た。

「――御久し振りで御座いますな、お客人方」

 長い鼻の下にある口から紡がれる声は、あの青いベルベットルームで聞いた声。

 しかし、今少年と少女が居るのはベルベットルームではない。綾凪市という街の、人通りも少ない一角。エレベーターを思わせる室内でもなく、扉らしきものを開いた覚えも無い。イゴールの目の前にあるのもアンティーク調の執務机などではなく、地味な布で覆っただけの長机に見えた。

 これではまるきり、怪しげな辻占いだ。見た目が怪しいのは否定出来ないが。

「お客人方の知りたい事は、承知しております」

「その為に、此処に居るんでしょう?」

 問うと、イゴールは少年と少女に向けていた目を僅かに逸らす。

 是とも非とも言えない。そうかもしれないが、それだけではないかもしれない。何処となく古びた印象を受けるテーブルクロス上にある三つの仮面を見て、少年と少女は思う。同時に、疑問を知りながらも全てを提示してくれるとも限らない事も。

 それでも、知らぬ事を幾らかは教えてくれるだろう。そうして、幾ばくかの沈黙を経て前に手を組み直したイゴールが口を開いた。

「まず、此処は貴方がたの知る世界ではありません」

 既に感じている事かと思いますが、と呟き、続ける。

「しかし、全く別の世界という訳でもありません。例えるのなら、平行世界――数多に枝分かれした可能性であり未来のひとつ、といった所でしょうか」

 未来は一つではない。過去に行った事が今に繋がるように、今の行動が未来がどうなるか変わる。

 過去に行った事が異なるだけで、在る今も、未来も違う。その積み重ねによって、かつての起点は同じでも帰結する所が全く異なる可能性も有り得るのだ。

 更に極端に言うのなら。そう、たとえば、「ある一人」が「男」か「女」か――それだけでも、変わる事はあるだろう。

 イゴールが言うには、今居る世界はそういった枝分かれした未来であり世界なのだという。

「何が異なるのか、何を違えた故の枝分かれした未来なのか。それは、お客人方で確かめるのがよろしいでしょう」

 それもまた、お客人方の旅路なのですから。

 旅路。ベルベットルームで、それから答えを見据えた戦いの中で、聞いた言葉だ。

知恵の実を食べた人間は、その瞬間より旅人となったように。アルカナの示す旅路を巡り、未来に淡い希望を託して、そして。

 ――いかなる者の行き着く絶対へ、向かう衝動をこの魂を以て封じた筈だった。

 なのに何故、と自然に浮かぶ疑問にいつの間にか伏せていた目を持ち上げた所でイゴールと目が合い、イゴールは再び言葉を続ける。

「今、あらゆるものの可能性が閉ざされ、途絶えようとしています。……そう、再び訪れようとしているのです」

 その言葉に、思わず少年と少女の表情が固く強張る。

 何が、とは敢えては紡がれない。言われずとも相対し、体験したのだから知り過ぎる程に知っている。

 遙か古代、生命に死を与えたといわれ、そして死そのものでもある存在――ニュクス。そのニュクスを地上へ君臨させない為、人々の破滅的願望でニュクスを呼び起こさない為、己の命を代償とした「大いなる封印」を施した。当然、ペルソナ使いを導くベルベットルームの主たるイゴールも知っている筈だ。その上で、イゴールの言葉の意味を考えるとするのなら。

 この命を軛として、全ての生命が死に消える未来を封じた。ならば、逆を言うのなら。人々が死に近付く衝動が強まったのなら――封とした魂もそこから離れた。故に「此処」に在る。そういう事なのだろう。

 だが、そもそも何故世界に死が迫り来る危機が訪れる事になったのか。

「……関係、あったりする?」

 イゴールを、否、厳密にはイゴールの周りの空間を見て、問う。

 かつて少年と少女が出会ったこの老人が座していたのは、夢と現実、精神と物質の狭間の場所であるベルベットルーム。青に統一されたあの部屋は影時間時のタルタロスとも異なる特殊な空間らしく、その内装は訪れた者の精神の在り方によって異なるらしい。という事は、他にベルベットルームへ訪れた者も、あのエレベーターのような内装以外も存在するらしいという事なのだが、住人以外の者と会った事が無いので分からない。

 しかし、今少年と少女が居る空間は、他と隔絶した空間とは言い難い。目の前の長机はともかく、周囲の景色は綾凪市街の一角だ。

 何故、ベルベットルームではなく街の一角に現れたのか。イゴール以外の住人はどうしたのか。

 問い掛けにイゴールが暫し目を机上へ落とし、そこから言葉を紡ぐその前に。

「――!?」

 急に差し込んで来た感覚に思わず頭を跳ね上げ、少年と少女は走り出す。

 あの時。この綾凪市の駅に着いて、鳴り響くサイレンの中で映り感じたもの。それと同じだった。

 己に宿すもうひとつの自分のように振り返る事は無く、少年と少女の姿が夜闇に溶けていく。

「……今の私どもには、かつてのようにお客人方を導く事は出来ません。ただ、貴方がたに――アルカナの導きがあらん事を」

 既に見えなくなってしまった少年と少女の背中へ向けて、イゴールは静かに告げる。

 机上の三つの仮面はいつの間にか無く、代わりに「死神」のタロットが一枚、逆さ向きで置かれていた。

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