旅の終わりの、更にその先の物語。 作:しろまち
スピーチコンテストの日。
慎は拓郎とめぐみ、湊と美奈子の五人で綾凪市の市民会館に来ていた。
スピーチコンテストに出る叶鳴は先に会場に居て、一緒には行動していない。始まるまで少し時間があるらしいので、その前に少し会っておこうという事になっていた。
「ほー、結構人、居るんだな」
「叶鳴、応援してるからね!」
「めぐみさん、ありがとうございます」
きょろきょろと辺りを見回す拓郎の横で、張り切った様子のめぐみが叶鳴に激励を入れる。何だかコンテストに出る当人よりもやる気に満ちた様に、少し困ったように戸惑いながらも叶鳴が嬉しそうに微笑んで頷いた。
二人から滲み出る微笑ましさに慎の方まで何だか温かな気持ちを覚えつつ、慎も叶鳴に声を掛ける。
「俺も応援してる。洵も連れて行きたかったけど……ごめんな」
「いえ、洵君も御予定があるでしょうから」
気にしていないというように穏やかに答える叶鳴に、つい慎は申し訳ないような罪悪感を覚える。
今日、洵はこの会場には来ていない。何と、出掛ける用事があるというのだ。しかも、よりにもよって当日に。洵も叶鳴の応援に行くと思っていた慎は当然慌てた。
どうして。何の用事だ。そういうのは早めに言うものだろ。そんな風に問い詰めた慎に対して、洵から返って来たのは突き放すようなもので。結局、洵の言う用事が何なのか詳しく訊く事も出来なかった。
洵とて、他の用事くらいはあるだろう。それは分かっている。だが、何の用事かくらい言ってくれたっていいのに。帰る時間とか、まさか洵に彼女とか――考えれば考えるほどおかしな方向に思い詰めていく慎に、兄の諒は洵の事は見ているから、と声を掛けて来たのだった。
諒がそう言うなら、と慎は洵の事を任せながらも、それでもやはり気になるものは気になるもの。些か気もそぞろに、コンテストの参加者はこちらにというアナウンスを受けて叶鳴と別れて自分達も見学者用の席へと向かおうとすると、そこで声が掛けられた。
「アラッ、アナタ達……」
振り返ると、そこには以前出会った雑誌記者――舞耶が居た。
「天野さん?」
「取材っすか? 何か珍しいってか……」
めいめいに挨拶を述べてから、拓郎が訝るように首を傾げる。
確かに拓郎の言う通りだ。舞耶が担当している雑誌は、こういう少しお堅めの催しは扱っていないと聞く。その疑問に、舞耶は他の者が急に来られなくなったからと答えた。つまりはピンチヒッターというやつらしい。
「へー……そりゃ大変だ」
「今回は偶々よ。アナタ達は今日、どうしたのかしら?」
「叶鳴が……前に天野さんとも会った友達が、このスピーチコンテストに出るんです。私達はその応援で」
「そうなの? 凄いじゃない」
当の叶鳴はここには居ないが、それでも褒められると嬉しいものだ。自然と笑みが零れる中で、慎は舞耶に話し掛けた。
「あの……天野さん。本の事、ありがとうございました。担当じゃないっていうのに、紹介までしてくれて」
慎が舞耶に持ち込んだのは、前に家の倉庫で見つけた両親宛の手紙の事。子供が書いた小説に挿絵を付けて欲しいというものだ。
あれから、手紙の差出人へと慎は良かったら自分が挿絵を描かせて欲しいという旨の手紙を書いた。随分と前、10年前の手紙だ。行き先不明で返って来てもおかしくはなかったし、相手方もすっかりそんな事など忘れているだろうと思って半ば以上は駄目元だったが、幸いというべきか住所も変わっておらず、そして相手方も両親へ宛てた手紙の事を覚えていたらしい。少し経ってから、是非、という返事が来た。
だが、問題はその後だ。挿絵を描きたいと伝えて、是非という承諾を得た。その後はどうしたらいい。スケッチブックに自分なりに絵を描いて、それを送るのもいいだろう。しかし元々は絵本作家である両親に対しての頼みなら、本にして出版する事も考えていたのだろう。ならば、と思っても、慎自身にそういう出版だのどうのという知識は全く無い。
それでどうしたらいいのかと悩んでいた慎は、以前にアイドルのステージイベントで舞耶の名刺を貰っていた事を思い出す。あの時は何となく慎が皆の代わりに受け取っただけなので、全然意識はしていなかった。正直、ちょっと何処仕舞ったっけと探すにもそれはそれで時間は取られた。それはともかくとして、名刺を探した慎はほぼ勢いそのままに舞耶に連絡を取ったのだった。
「私は担当の所に投げただけだから、気にしないで。でも良かった、どうやら良く話が進んでいるみたいね」
「はい。……あ、実際にそういう話をしているのは俺じゃなくて兄貴……兄ですけれど」
明るく何でもないというように軽く片手を振る舞耶に、慎は恐縮しながらも安堵に胸を撫で下ろす。
舞耶が担当しているのは若者向けの雑誌。絵本は明らかに担当違いだ。その上、慎自身はイベントで他の皆と纏めて差し出された名刺を預かっただけ。大して親しくもない。普通に考えても相当図々しい上に迷惑だっただろう慎の相談に、舞耶は快く聞いてくれた。勿論、快く聞いてくれたといっても舞耶は絵本やらそちらの出版担当ではなかったので、舞耶に担当を紹介して貰う形ではあったのだが。
今は、兄の諒が出版に関しての細かい話を出版社の担当や話を書いた者の家族と連絡を取って進めている。出版社にも、挿絵を描いて欲しいという家族にも、慎が連絡を取ったのは最初だけ。というのも、連絡を取ったは良いものの慎には出版に関する話の進め方など理解している訳がなく。困り果てた末に、洵の授業参観だった日から少し経った時――兄がまだ病院に入院している時に、慎は相談を持ち掛けたのである。
諒が慎の話を聞いて先ず見せたのは、驚き。それから、困惑と呆れと、僅かにくすぐったくなるような何か。その何かは、慎には分からなかったが。
実はという訳でもなく、慎は諒に相談をした時点で挿絵を付けたり出版したりという手の事はほぼ考え無しだった。当然のようにその事に関しては、諒からは説教を食らった。しかし小言は忘れないながらも、諒は慎の相談を決して無碍にはせずに「お前がそうしたいのなら俺は反対しない」という事と、「手紙の家族と出版社との連絡や打ち合わせは引き受ける」という了承を伝えて来たのだった。
相談を持ち掛けたのは慎自身ではあるのだが、元は慎が勝手に連絡を取ったもの。それなのに諒に負担を掛けて良いのだろうか――そんな風に心配した慎に対し、諒は再び小言付きで「お前も少しは兄を頼れ」と言われてしまってはそれ以上慎から言える事は無かった。
実際、出版社や手紙の差出人とのやり取りは、諒の方がずっと適任であった。退院はしたものの、いまだ自宅療養の身。少しずつ仕事はしているようだが職務上、出来る事などたかが知れている。故に、取れる時間はたっぷりとあった。更に言うと、警察署長という諒の立場も大分有利に働いた。諒も人との打ち合わせには慣れていた上に、療養中とはいえ警察官という職業は信頼を得るには抜群の効果を発揮する。諒が言うには、手紙の差出人とは勿論、出版社の方も絵本作家であった両親との縁があったかららしいが。
もしかしたら、諒は慎からの相談からというだけではなく、両親へ向けた依頼だったからというのもあるのかもしれない。慎と血の繋がった兄弟であるのだから、諒にとっても大事な父と母だから。
そんな訳で、慎は挿絵を描くのみに専念している――そういう話を舞耶にも明かし、慎達は舞耶とも分かれてスピーチコンテストの発表会場へ向かう。流石に開始時間近くなると人もそこそこ混み合って来て、ただ見ているだけの慎も些か緊張した。
スピーチコンテストでは、叶鳴は入賞を取った。凪の杜学園では珍しいようで、学園でも話題になるかもしれない。そんな風に話しながら、慎は湊と美奈子と帰りを共にする。拓郎とめぐみ、叶鳴とは少し前の道で既に別れていた。
「……なぁ、有里。有里達は……夢ってあるか?」
神郷家へ向かう道を歩きながら、慎はふと湊と美奈子に問い掛ける。
脈絡のない問い掛けだったのだろう。湊と美奈子が揃って、どういう事だとばかりに視線を向けて来て、慎は少し頬を掻きながら首を傾げた。
「ほら、進路の紙書くようにって言われただろ? あれでさ、守本にも夢って何だって話になって」
スピーチコンテストの少し前の日。公園で偶然出会った叶鳴と、そんな話になった。
かくいう慎自身も、進路など他人に言える程決まっていない。叶鳴と話した時も、逆に慎の方が叶鳴は凄いと思ったくらいだ。恐らく、クラスや学年でもはっきりとした進路が決まっている者は多くないかもしれない。だから慎としては本当に、何となくという気持ちで話を振ってみたのだが――湊と美奈子の返答は、僅かに遅れてやって来た。
「――知らず、周の夢に胡蝶と為れるか」
「胡蝶の夢に周と為れるかを」
「え?」
突然、湊と美奈子の口唇から紡がれた言葉に、慎は目を瞬かせる。いきなり紡がれた言葉を繰り返す事も出来なかったので、意味を理解するなど以ての外。しかし何処かで聞いたような気がして、戸惑いの後に頭を抱えて唸る。
「何か聞いた事あるような……」
「ついこの前のテストで出たばかりだけど」
「え!? 嘘だろ!? いや待った、今思い出すから!」
確かに聞いた事がある気がする。この間のテスト。もう記憶が既に怪しい。
うんうんと唸る事暫し。考えた時間の割に、思い出せた事項は僅かだった。
「えーと……古典の、漢文のやつだよな? それで、何の……どういうのだったっけ……」
「蝶になった夢を私が見ていたのか」
「私になった夢を蝶が見ているのか」
分かりやすい現代語訳で言われると、何となく思い出して来た。ただ、やっぱり何となくなので細かい所までは全然である。ついでにその時の古典の成績も思い出したくない。
というか、何の話をしていたのだったか。話が逸れていないか。
「有里、夢は夢でもそっちじゃなくて――」
話題を戻そうとするも、そこで湊と美奈子が前方へと目を向けるので慎は仕方無く前を向き直す。ちょうど、家に着いてしまった。
玄関先には偶々出ていたのか、それとも今から帰るからという慎の連絡を聞いていて待ってくれていたのか、諒と洵が立っていた。二人の姿を見て、じゃあ、と踵を返す湊と美奈子を言葉少なに見送り、慎は諒と洵の許まで向かった。
「……慎」
「兄貴。ただいま……それから」
洵も、と言い掛けた慎の口許が、音を失う。
「慎お兄ちゃん、おかえりなさい」
耳に届く、柔らかな声。
それは弟の声だった。目の前に居るのも、間違いなく洵だった。
けれど何故だろう。何か違う。別のようで、そうではないような、ずっと前から知っているようで。
思わず次句を継げずに持ち上げた視線は、何とも言い難い表情をしている諒を映す。
何よりも慎自身が、何と言ったらいいのか分からない。
間違えようのないのに、ずっと前から知っていて、きっとその筈なのに。その先を決して口に出す事は出来ない。言ってしまったら、それこそ「違う」気がして。
恐らく区別はあっても絶対的な違いなど無いような――それこそ湊と美奈子が言うような、「胡蝶の夢」のようだった。