旅の終わりの、更にその先の物語。   作:しろまち

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15:悪魔(3)

 静かな病院内のある一室。

 一人用の個室であるそこの、ベッドサイドに椅子を出して美奈子は座っていた。

 白を基調とした病室内で、サイドテーブルに集まる色彩が白に塗り込められた無機質な印象をほんの少しだけ和らげる。

 花瓶に生けられた紫とピンクのアネモネ。何かちょっと傾いて座っている気がするジャアクフロストのぬいぐるみ。コピーで画質が荒い予告状のカード。

 あとは、椅子に座ってミカンを食べる美奈子当人とこの病室の患者のみ。

 皮を剥いて、甘皮の処理もそこそこに一房ずつゆっくりとミカンを食べていく。めぐみの実家から送られて来たのを、お裾分けして貰ったものだ。実際はもっと多く貰っているのだが、こうして病室に持ち込んだのは一個だけ。『一個だけでいいの?』と綾時が余計な事を言って来たが、ここでそんなに食べる気はない。全く以て失礼だと思う。

 甘みと酸味が程良い加減のミカンを味わって食べながら、美奈子は病室内を改めて見回す。

 椅子の近くに置いてあるゴミ箱にしおれた花々を都度捨てているが、そこはいつも綺麗にされている。つまり、定期的に病室内へは掃除が入っているという事だ。患者が居るのに掃除がされないというのもそれはそれで病院としてどうかと思う所ではあるので普通そうだろうとは思うものの、この病室内に漂う空気に――何処か埃っぽいような、放置されているような、置き去りにされたような感覚に襲われて胸がざわついた。

 そんな胸のざわつきを誤魔化そうと目を外へと向けた所で、窓越しに一本の木が視界に映った。

 細過ぎる訳ではないが、大きいという訳でもない樹。何の樹なのかは詳しくないので分からない。外は風が少々強いようで、木の枝先に付いた幾らかの葉が揺れていた。

 ――あの木の葉が、全て落ちてしまったら。

 関係無く「どうにもならなかった運命」が心の海面に泡沫として浮かび上がり、弾けて胸底に異なる軋みを与えて来る。誰の所為でもないのだと、受け入れていても何も思わないのとは違う。

 口に入れたミカンの最後の一房を飲み込み、剥いた皮をゴミ箱へ捨てる。手持ちのハンカチで軽く指を拭ってから、立ち上がると美奈子はベッドを覗き込んだ。

 ベッドの上には、一人の少年が眠っている。名前を聞いた事はないが、ベッドに付けられたネームプレートには「来栖 暁」と書かれていた。美奈子が少年の顔を覗き込むように見つめても、少年が目覚める気配はない。恐らくだが、この病院に入院している他の意識不明患者と同じくずっと意識を取り戻していない状態なのだろう。規則的ながらも控えめに上下する胸と微かな呼吸音が、辛うじて少年が生きているという事を示していた。

 朝も昼も夕も夜も、いついかなる時も。ただただ眠り続けたまま。きっと、彼には夢の中が現実のようなのだろう。この現実だって、よく出来た夢のようなもので。どちらが夢現か分かったものではない。

 目覚めない方が、否、目覚めたくないから、この少年は眠り続けているのかもしれない。いつだって、日々が穏やかで幸せなものとは限らないから。奥底で軋みを上げる痛みに、誰しもがいつまでも見て見ぬ振りも堪えられるとも限らないから。そんな事を思ったって、彼が本当はどう思っているのか知りようもないから分からないのだと分かっているけれど。

 眠り続ける彼が見続けているのが果たして悪夢なのか、やさしい夢なのか――それとも現実と同じくらい、幸せで残酷なものなのか。美奈子には推し量る事は出来ない。

 けれど、と行き場のない逆接の言葉が口から零れ落ちながら、美奈子は己の手を伸ばしてベッドの上に置かれた少年の手にそっと重ねて握る。

 意識を取り戻さないままの期間が長かったのだろう。肌は日に焼けておらず、白い。ただ仄かに伝わって来る温もりが、ここに在るという安心感を与えてくれた。

僅かに奥底から込み上げる何かに対しては、振り向かない。少しだけ指先を引くようにして、手を離す。

 少しばかり捲れてしまったシーツは皺を伸ばして元通りにし、椅子はサイドテーブル近くに寄せてこちらも元の位置へ。

 そうして美奈子が病室を出ると、そこは再びしんと静まりかえる。――温もりを重ね灯した指先が求めるようにして僅かに動いた事に、誰も気付かないまま。




アネモネ→紫「あなたを信じて待つ」、ピンク「待ち望む」
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