旅の終わりの、更にその先の物語。 作:しろまち
遠くで聞こえる波の音。その音と合わせるようにして、心の海底へ打ち寄せるものを手繰って足を進めさせる。
海沿いにある研究施設。真田が稀人達の潜伏場所だろうと言っていた場所だ。そこまでに至る道はロクに舗装されておらず、しかしそれ故に真新しいタイヤ跡を見つけるのは容易い。敷地内に停められた車の近くにあった出入り口から内部に入ると、無機質で広々とした地下施設が広がっていた。
明かりはほとんどないが、電源は生きているのだろう。何かの僅かな駆動音が聞こえて来る。多少趣は違っていたが、かつて映像越しに見た桐条の旧研究施設と似ていた。
特に隠れる事はしない。監視カメラの類はあるだろうが、いちいち気にするのも面倒な上にそもそも潜入という意味でここに来ていない。目的は洵と叶鳴の救出だ。
奥深くに揺蕩う波のさざめきに従って、向かうべき場所へ。単調な通路と幾つかの部屋を経て、辿り着いたのは広さのある一室だった。
中央には幾つかのカプセルのようなものと、モニターや操作盤がある。カプセルのようなものの中には洵が寝かされており、その傍らには叶鳴が倒れ伏していた。操作方法など分かる訳もないので、湊と美奈子はそのまま真っ直ぐにカプセルの許に向かうと、カプセルの蓋をこじ開けて先に洵を出し、それから叶鳴を助け起こした。
「うっ……」
「ん……」
腕の中で、洵と叶鳴が微かに息を漏らす。洵の身体は少し冷えていたが、二人とも怪我をしている様子も無く安堵に胸を撫で下ろす。
洵は美奈子が、叶鳴は湊が背負って室内を出る。この場所が何なのかは知りたくない。どうせロクでもないものだと、考えずとも分かっていた。
「えっ……? 有里さんに、有里君……?」
背中から意識を取り戻したらしい叶鳴の驚いた声がして、湊と美奈子はそちらへ向く。洵も同じく目が覚めたようで、ぱちぱちと瞬きして湊と美奈子を見つめていた。
どうして、と叶鳴の口が動いてから、躊躇うように閉ざされる。それに強く先を促したりはしない。ただ歩けるか、と尋ねて、洵と叶鳴がどちらも頷いたので湊と美奈子は少し屈んで洵と叶鳴を下ろした。
「あの……私……私、は……」
「あのね。洵を、助けて欲しいの」
「洵君?」
何か言おうとして、しかし言えずにただただ口籠もるばかりの叶鳴をそっと制するように言い出した洵の言葉に、叶鳴が驚いて目を見開く。
それはそうだろう。自分自身を助けて欲しい、などと言うなんて。もっともな叶鳴の困惑を余所に、『洵』は続ける。
「……洵は、わたしとずっと一緒だったから。ひとりで居たい時だって、ひとりで居られなかったから。だから、あの子の所に、くじらの許へ行ってしまったの」
兄達の事は嫌いじゃない。けど、それが時として息苦しくも感じてしまう事があった。だから、安息を感じられたものの手を取ってしまった。だがこの身体は洵のもので、洵は生きているのだから、ここに戻るべきなのだ、と。
「他には何が出来る?」
『洵』と目の高さを合わせ、湊と美奈子は問う。
他の疑問は投げ掛けない。ただ短く、そう尋ねる言葉に『洵』は瞠目し、やがて小さく微笑んだ。
「……洵と、洵と一緒に居るあの子を助けて。そして、どうか止めて欲しいの」
「……止める」
言葉のままに反芻すると、『洵』が頷く。
「あ、あの、洵君……? 先程から、何を言って――」
傍目から見たら、明らかに意味の分からないやり取りだったのだろう。叶鳴が困惑しきった顔でおろおろと呼び掛けるもの、奥から聞こえて来た足音と気配にはっとして顔を上げた。
「出口はあっち。このまま走って」
感じる気配とは反対側、湊と美奈子が施設内へ入って来た出入り口方面を示す。それに叶鳴が出入り口方面を一度振り返り、しかし直ぐには走り出さずに身体を震わせて俯いた。
「で、ですけど、でも、わた、私は……私、なんて……」
「他に頼めない」
「任せたから」
思い悩むよりも、すべき行動を。
思考する事が悪い事だとは思わない。人は考えるが故に人なのだから。だが、時として今成す事を指し示す事でただただ沈むばかりの思考を一時引き上げる事は出来るだろう。それが単なる一時しのぎでしかない事も分かっている。けれども、今の状況は正しく一時しのぎが必要な状況だった。
言葉を失って顔を曇らせる叶鳴に『洵』が近付き、その手を取って引く。そこから柔らかく「行こう」と告げる声に、はっとしたように叶鳴は顔を上げた。
「……ごめんなさい……」
「謝る必要なんてない」
いえ、と叶鳴が首を横に振り、滲む目許を拭って口唇を震わせる。
「でも……私……謝りたいんです。めぐみさんにも、神郷君にも、榊葉君にも。それで許されるとは思っていませんけど、でも……謝って、それから……有里さんと有里君にも。だから、また……助けに、行きます」
そう答えた叶鳴の手は、まだ小さく震えていた。
『洵』もそれを知りながらも言葉に出さずに一度頭を垂れてから、ぎゅっと繋いだ手を握り直すと叶鳴と共に出入り口方面に向かって走り出していった。
湊と美奈子は暫くそれを見送り、その背中が見えなくなった所で少し前に感じていた気配と足音の方へ身体を向ける。しっかり武器は持ち出して来た。
頼りない照明の下、徐々に近付いて来る姿が見えて来る。八尾で見た複合ペルソナ使い。全員ではなかったのは、他の場所で何かしているのだろうか。分からないが、二人を逃がした方面に稀人達が居ないのは確認済みだ。ならば今は、この目の前の稀人達を相手にするのみ。
「ここは通さないから」
「行かせない」
片手は武器の柄を、もう片方は召喚器のグリップを。戦う覚悟は既に出来ている。
故に、その為の行動を己が意思に乗せた。