旅の終わりの、更にその先の物語。   作:しろまち

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慎視点。


17:星(2)

 叶鳴の案内を得て、慎達は研究所内へ入る。

 洵――否、「結祈」は戌井に任せて来た。戌井は未成年だけで危険も想定される場所へ向かわせる事に少なからぬ抵抗があったようだが、同時にペルソナを持たない為に足手纏いになるだろうという事も理解していた。それ故に申し訳無さそうに頭を下げる戌井に見送られ、慎は拓郎とめぐみ、それから叶鳴の案内を受けながら研究所に入った。

「有里達、何処に行ってんだろうな……」

「……あのさ、拓郎。腰引けてるなら外で待ってたら?」

「ななな、そ、そんな事ねぇって!」

 通路を反響するやり取りが何処かいつかの肝試しの時に似ていて、少しだけ緊張した意識が和らぐ。

 照明が全ては機能していないのか、通路は薄暗い。元々地下である為、外からの光も入って来なかった。

 足音が床に反響し、震動が伝わって来る。電気供給は成されているらしいから、何らかの機械が動いているのだろうか。

「この角を曲がって、それから――……えっ……?」

 外に出た時とは逆の道筋を辿る叶鳴が角を曲がった所で、その先に広がる光景に目を見開く。慎達も何だと前を向くと、同じように絶句した。

「……なに、これ」

 呆然としためぐみの呟きは、この場に居る者達の心境の代弁。

 明らかにそれらしい何かの施設といった風の無機質な通路。幾つかに分かれた部屋。それが続くものだと思っていた。

 対して、今目の前に広がっている状態は何なのか。

 狭い通路は無理矢理何かに広げられたように奇妙に壁が抉られ、隣接する空間を雑にぶち抜いたかのようにぽっかりと穴が開いている。側面に走る配管も奇妙にねじくれ曲がり、蛍光灯は粉々に割られていた。

 叶鳴が言葉を失っている事から、洵――ではなく「結祈」と叶鳴が研究所内から出た際にはこのような事にはなっていなかったという事が分かる。こんな事になったのは、その後。

 一体何が起こったのだろう。それにこの惨状はまるで、深夜に凪の杜学園で肝試しを行った時に似ていた。

 心の奥底から、何かがざわざわと騒ぎ立つ感覚がする。酷く不快なそれに意識が引かれて視線の先が壁端に寄ると、そこから黒い塊のような「影」が飛び出して来た。

「!」

 危険だ、と意識はする。だが思考に身体の反応が追い付かない。強張った身体は咄嗟に目を瞑るのが関の山で、その為に目の前に現われた姿に気付いたのはたっぷりと数秒が経過した後だった。

「有里……!」

 飛び掛かって来た黒い塊のような「影」は既に居ない。

 代わりに立っていたのは、それぞれの手にいつかも見た武器を携えた湊と美奈子だった。

 湊と美奈子がこちらを見遣る。同じように慎達も湊と美奈子の方を見て声を掛けかけた所で、思わず喉から出かかった息が引き攣った。

「……あ、有里、その……」

「怪我はしてないから」

 出掛かった言葉を予想し、且つそれ以上の問い掛けを封殺するように短く言葉が返る。

 無事で良かった。そう素直に言えたら、どれ程良かっただろう。確かに怪我は無いのかもしれない。だが、湊と美奈子が先んじて怪我は無いと言う意味は――凪の杜ではない黒基調の制服からでも分かる程、その身に掛かった血の事を問うてくれるなという事だった。

 本当はそんな事を言ったって、と問い詰めたい。しかし、続く言葉は慎達にそれすら許してくれなかった。

「それより早くここから逃げて」

「っ、有里達、何を」

「いいから」

にべもない。その言い草につい言い募ろうとした慎を、拓郎が諫めた。

「今はそれどころじゃないって事だろ? 確かに水臭ぇけどよ……こんな所、早く出ようぜ」

 拓郎も湊と美奈子の言葉と態度に思う所が無い訳でもないらしいが、こんな場所でどうこう言っている時ではないのだろうという思考は働いたようだ。うっかり感情的になってしまったが、確かにその通りではある。この場所は小松原の研究施設であり、稀人達の潜伏場所。今、ここに稀人達が居ないという事は湊と美奈子が退けたのか撒いたのか、どちらかだと思うが襲われない可能性が無いとも言い切れない。先程、襲って来た謎の黒い「影」にしてもそうだ。一刻も早く、外に出た方が良いだろう。

 まだ幾ばくか納得出来ない思考を引き摺りながらも、外で待つ戌井や洵と合流すべく来た道を引き返す。足下が少し覚束ないのは、この建物自体が些か震動しているからだろうか。

 後ろを振り返ると、湊と美奈子も油断無く辺りを警戒しつつ最後尾で付いて来ているのが見える。それに少しほっとした所で湊と美奈子が同時に慎の方へ勢い良く振り向き、思わず慎が足を止めてしまうと同時に横合いから衝撃を感じた。

「っ、うわ!?」

 予測など当然していない。思い切り身体がふらつき、床に全身が激突する――その直前。

 視界に映ったのは慎の目の前に立ち塞がった叶鳴と、その身体を貫く細長い刃。

視界がぶれる。心が揺さぶられる。それは10年前、両親を喪った時と重なって。

「――!」

 音を伴わない叫びはそれでも確かに、心の海に揺蕩う「もう一人の自分」を呼び覚ます。

 エメラルドグリーンの体色を持つ騎士姿のペルソナが己の衝動のままに、携えた大剣を振るう。向ける対象は叶鳴を貫いた刃であり、更にその先に在る多数の輪を従えた巨躯。

 得体の知れない巨躯から刃が切り離され、そこからどろりと半透明の何かが零れ落ちる。形の定まらないスライムにも似て、けれども何処か人のようにも見える。それが何なのか理解する手立ては慎には無く、ただ転げた拍子にくじらの羽根が胸ポケットから飛び出したのが見えた。

 あっ、と慎が気付いて手を伸ばすも、遅かった。ふわり、と宙を舞ったくじらの羽根が目の前の巨躯に触れ、瞬間。

 その場一帯を眩しく照らした。

 強過ぎる光量に、目を開けていられなくなる。反射的に目を瞑ってしまうと同時に大きな揺れが襲い、ただでさえ無様に床と身体が仲良くしている状態なのに更に動けなくなった。

 揺れはどれ程続いたのだろうか。そんなに長くはなかったのかもしれないが、いちいち数えてなどいられない。揺れが収まる頃には感じていた眩しさも無くなり、慎が恐る恐ると目を開くと天にはぽっかりと大きな穴が開いていた。

「な……」

 仰いだ空には、青緑色をした不気味な月が浮かんでいる。当然の事ながら、慎がここに来る時にはこんな天井の穴もあんな月も無かった。そういえば、あの妙な巨躯も居ない。逃げたのだろうか。

 しかし、それを考えるよりも慎の思考は直後に響いた悲痛な叫びに遮られた。

「叶鳴っ! 叶鳴、しっかりして!」

 何度も名前を呼び掛けるめぐみの声に、慎はつい先程の出来事がフラッシュバックする。

 そうだ、あの時。自分が地面に転がる前に見た情景。前に立つ叶鳴と、その身体を貫く鋭い何か。

 震える足を叱咤して、慎は立ち上がるとめぐみの声がした方へ向かう。そこには横たわる叶鳴を囲むようにして、めぐみだけではなく拓郎や湊と美奈子が居た。

「神郷……くん……よか、った……無事、で……」

「守本……? まさか……」

 薄らと目を開き、慎を見て微笑む叶鳴に慎は転ぶ直前に感じた衝撃の原因を察する。

 まさか、あの時。あの妙な巨躯から庇う為に。――自分の所為で。

 じわじわと胸底から言い知れない絶望が襲い掛かる。呼吸すら忘れてしまいそうで、はくはくと落ち着き無く言葉も出ないまま口を上下させる慎に、叶鳴は力無く首を振った。

「……これでいい、んです……きっと、これは……私の、私への、罰……。皆を騙して、沢山の人を傷付けた罪に対する……罰、だから……だから、仕方ない……きっと……」

「んな訳あるかよ! だからって、こんな、こんなのねぇだろ!」

「そうだよ、そんな事言わないで……!」

 悲しい告解を紡ぐ叶鳴に拓郎が激昂して声を上げ、めぐみが悲嘆に沈んだ声を出す。

 慎が叶鳴の身体を抱き起こす傍で、湊と美奈子が腹元に受けた叶鳴の傷に向けて何かしている。以前、八尾で見せたようにペルソナによる治療だろうか。前よりも強い緑の光が傷を中心として叶鳴の身体を包み、しかし直ぐに消えて行く。腹元の傷は塞がらない。拓郎が傷口を手で押さえ、めぐみが傷薬を出して包帯を巻いていたがそこからは止めどなく血が流れ続けていた。

「……もう、いい、ですから……私は、充分、ですから……」

「そんな……そんな事無いだろ……? 守本だって、こんな……」

 ふるふると弱々しく首を振る叶鳴に慎は否定し、湊と美奈子は言葉そのものを無視して治療を続ける。だが何度淡い緑の光が傷口を覆っても、一向に血は止まらず傷は塞がらない。「何で」「どうして」と呟く湊と美奈子の顔色は薄暗い中でも分かる程に青白く、その呟いた声音も酷く震えていた。

 床面を血が濡らす。血溜まりは広がり続けるばかりで、それが示す意味を理解などしたくなかった。

「……私……私も、私という存在も……全部、作り物だった……」

「そんな事無い! だって、叶鳴はここに居るじゃない!」

 塞がらない傷に自身も手が真っ赤に染まりながら言い募るめぐみに、叶鳴は微笑む。その焦点は、徐々に合わなくなって来ていた。

「……はい。全部……作り物でも……私は……居たんです。作り物なら、いっそ……忘れられた方が、いい……きっとそうかも、しれない、けど……」

 でも、とか細く弱くなり続ける声で、叶鳴は願う。

「皆さんが……私を、憶えていて、くれるなら……過ごした事が、ニセモノじゃないって……思える、から……」

「……何当たり前の事言ってんだよ。ダチの事を覚えてんのは当然だ」

「忘れる訳、ないじゃない……これからだって、沢山、一緒に過ごそうよ」

「そうだよ、守本。だから……」

 湊と美奈子は無言。俯いたまま、叶鳴の願いの代償のように示される残酷な事実を認めたくないように、治療を続けていた。

 慎はそっと叶鳴の手を握る。指先からはもう、ほとんど温度は感じられなかった。

「私……幸せ、でした。こんな風に、皆さんに……ああ、でも――……」

 微かに零れた望みは、叶う事も無く音に表す事すら許されずに。

 ただただ温度を、動きを、瞳の光を失って。

「守本……っ」

「っ、ちくしょおおっ!」

「叶鳴……叶鳴っ……いやあああぁ!」訪れた別れに、悲痛な慟哭が木霊した。

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