旅の終わりの、更にその先の物語。 作:しろまち
陽が落ちて、代わりに恐ろしく不気味な青緑色をした月が浮かぶ。
叶鳴の身体を抱えた慎は何かによってほぼ半壊状態となった研究施設から外に出ると、車の傍で待機していた戌井と洵と合流した。
「……慎」
慎達が研究施設へ入っていた間に追い付いたのだろう。洵と戌井の他に、真田と諒も居る。諒は慎の様子を見て、何かを察したように声を掛けながらも無言で居る慎にそっと目を伏せた。
その場に居る者達は何も言えず、重々しい沈黙が流れていく。そんな中、湊と美奈子が相変わらず何も言わないまま海がある方角へ身体を向けた。
「……有里?」
言い知れぬ予感に思わず慎は湊と美奈子に向かって呼び掛けるも、それに対して湊と美奈子が振り返る事は無い。寧ろ直ぐにでも駆け出してしまいそうな様子に、つい湧き上がった焦りのままに語気を強めた。
「待ってくれ! 何処行くんだよ!?」
そう言わないと、きっと湊と美奈子はまた黙って行ってしまう。それが酷く怖く感じて、咄嗟に声を上げると湊と美奈子は少しだけ慎達の方へ向いた。
「止めないと」
「止めるって……あの、デカい何かをか?」
「……未確認の何かが、海へ向かっているという報告を受けたが……」
研究施設に居た奇妙な外観の巨躯。叶鳴を傷付けた存在。それから恐らく、小松原の執念の残骸であり無意識と有識を融合させようという欲望の成れの果て。
真田が呟くように、あれは研究施設を出てから海へと向かっているらしい。綾凪市の海底、そこに在るという心の海の意識の集まりでもある「くじら」と接触すべく。
もしもそうなったら、人間は人間たる意思を失う。自己という境が曖昧になり、精神的な死から肉体的な死まで導かれる事になるだろう。
そうさせない為に、あれを止めないといけない。そう思う理由も、その為に動こうとするのは分かる。けれども。
「……何で、それを有里達がやらなくちゃいけないんだ」
口から零れたのは、ずっと思っていた事。
あの巨大な何かは、人の身から独立して存在を成したペルソナだ。ペルソナに対抗出来るのはペルソナ使いが扱うペルソナ使いのみ。湊と美奈子が口にした事は無いが、今までも何度か見て来たから湊と美奈子がペルソナ使いであり、それも恐らくかなりの使い手であるのだろうというのも分かる。止める力があるのなら、それを使う。今、そういう状況でもあるのだろうというのも分かっている。だが、それでも他ならぬ湊と美奈子がやらねばならないという事がどうしても納得出来ないままだった。
「あれは、有里達の所為じゃない。有里達がそんな風にする必要なんてない。確かに、このままじゃいけないっていうのは分かるけど……だからって、何で有里達ばかり……こんなに背負わないといけないのは間違ってる」
慎自身、そう言っている場合ではない事も、身勝手な言い分だとも分かっている。だが、そう言わないと、何よりも湊と美奈子がただただそれを受け入れてしまっているように思えて、誰も慮っていないように思えて、湊と美奈子もそれを感じないかのようにしていて辛かった。
綾凪に越して来てから、出会ってから、共に過ごした時間を長いとは言えないかもしれない。けれど、短過ぎるとも言えないと思う。たとえ全てを知らなくとも、知らされなくとも、分かる事はある。感じる事もある。
過ごした他愛の無い時も、自分達が傷付けられようとした時も、叶鳴を助けられなかった時も。湊と美奈子は、慎達と一緒に感じたり思ったりしていたのだろうから。
「……そう選んだから」
「その責任、だから……」
「バカな事言ってんじゃねぇ! オレ達と何も変わんねぇだろうが、なのにどうにかとか何かしなくちゃとかそんな責任も何もねぇってのに!」
「ねぇ……選んだ事かもしれないけど、そう選ばなくちゃいけない事だったの? そう選ばなくちゃならなくて、そう選んだとしたら……それは、悲しくて……寂しいよ。……頼ってくれないのも、信じてくれないのも」
短い湊と美奈子の言葉に、拓郎が詰め寄ってめぐみが掌を握り締める。それに湊と美奈子は無言。肯定でも、頷いていけないから沈黙を選んだ事を示していた。
拓郎もめぐみも、慎と同じ思いだ。きっと力不足なのだろう、足手纏いであるかもしれない。だとしても、湊と美奈子に行かせたくない。湊と美奈子ばかりに押し付けたくない。
そんな事をさせるのは――友達ではないと思うから。
「……行って来る、から」
「有里!」
「この場所をお願い」
少しだけ振り返っていた顔が再び海へ向けられ、前触れも無く走り出される。
呼び止めようと腕を伸ばしても、既に距離は取られていて捕まえられない。その前を湊と美奈子が行く先を阻むように複数の黒い影が現われ、対して湊と美奈子は腰元から銃のようなものを取り出した。
引かれる引き金。淡い青の光と共に、また見覚えの無い半透明のペルソナが現われて影を消し去っていく。その後ろ姿は、もう慎達へ振り向く事は無かった。
「有里……」
行かせてしまった。止めたかったのに、止めたとしても行くのだろうとは分かっていても。
忸怩たる思いを抱える慎に、成り行きを見守っていた真田が近付いて来る。一度、腕に抱えていた叶鳴を見遣り、そこから再び慎を見た。
「……『彼女』の事についてだが。こちらに、似たものを研究していた施設がある。既に稼働は停止し、研究データもどれ程残っているか定かではないが……治療を引き受けさせて貰えないか。出来る限りの事をしよう」
「……何でそう言って来るんですか」
叶鳴の正体は戌井から聞いていたのだろう。知っていてなお、「治療」などと言い換える真田に少しの警戒を混ぜて問う。
「……そう頼まれたからだ」
「……っ」
慎の問い掛けに、真田は海辺の方角へ目を向ける。そこには誰の姿も無い。既に走り去った後で、今まさに海へ向かって走っているであろう者は。
やっぱり、行かせたくなかった。慎達には言わずに真田にそんな事を頼んで、誰にも何にも巻き込ませないよう駆け抜けるその様が、余計に寂しそうに見えるから。