旅の終わりの、更にその先の物語。   作:しろまち

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キタロー&ハム子視点。


18:月(2)

 海へ近付く毎に、空気に潮気が混じって来る。

 じくじくと胸が、心の奥底が痛む。新たに開いた傷が血を流すように、古い瘡蓋が剥がれて膿み出すように。

 歯を食い縛って、口許を引き結んだって、声が出ないだけで零れるものは止められない。止める術を知らず、癒す術だって分からない。自らで抱えるしかなくて、他と分け合う事も出来なかった。

 ただ身体は、足は今すべき事の為に躊躇い無く動く。あの巨体はゆっくりとした速度で綾凪の海へと向かっている。その目的は人々の集合的無意識でもある「くじら」なのだろう。「くじら」との接触を何としてでも阻止せなばならない。

 無意識と有識の融合の危険を示すように、湧き上がるシャドウを通過しがてら片付けていく。空の月は見慣れ過ぎていた青緑色――影時間の月。現実が侵食されつつあるという証拠でもあった。

「綾時」

 呼び掛けると、心の奥深くで共に在るものが応じる。

『それでいいのかい』

「思う所があるんだろ」

 音無く身に纏った鎖を引き摺らせて問い掛ける綾時――否、「デス」に対して、問い掛けが含んだ意味を知りながらも敢えて無視して言う。

 それでいいのか。そんな事を言われたって、だったらどうしたらいいとも言えない。言いたくない。「デス」の名を冠しながらも、長い間心の奥底に居た為か気遣うように少し悲しげな様に堪えているものが零れてしまいそうで、余計に言えなくなってしまう。ましてや、仕方無いだろう、なんて事も言いたくなかった。

「行って」

 勿論、それは綾時も分かっているのだろう。やはり気遣うような気配を滲ませながら、それでも駄目押しとばかりにもう一言告げると「デス」は襤褸の布を翻して湊と美奈子の頭上を飛び越えて海へ向けて飛び立っていった。

 「デス」ならば、「くじら」の中に居る者達を見つけ出す事も、接触する事も出来るだろう。くじらは人々の集合的無意識のひとつ、「死」の概念が人々に在る以上は拒まれる事は無い。

 綾時に頼まれた事は託した。あとは、あの巨体をどうにかするだけだ。

 海に近付き、湿り気を帯びた空気を吸い込む。

 ――そうだ、覚悟を決めろ。

 戦う覚悟を、止めるのだと、守るのだという決意を込めて。その為に「此処」に居るのだろう、そう選んだ責任だろう。

 地を蹴る足に力を籠める。綾凪の海際、まるで意識の彼岸と此岸を表すように、波打つ岸辺で巨躯と対峙した。

 広がっていく闇は霧のように濃く深く、まるで現実が侵食されていくかのよう。青緑の月の下では影の方が多く、一段暗い場所から新たにシャドウが湧き出て来るのが見えた。

 目の前の巨躯は、研究施設の時に遭遇した際とはその姿形が異なっている。巨大な体躯は変わらない。その周囲に浮かばせていたリング状の何かは身体に吸着させたかのように模様にも似た様相になっており、影時間に似た夜と同じ体色の上に這っていた。

「……っ」

 尖兵のように襲い掛かるシャドウを片端から斬り払い、姿形を変えた巨躯を睨み付ける。

 姿形を変えるのはこれまでも経験があった。それなら良くはないのかもしれないが、まだ良い。だが、この目の前のモノはそれだけで済まされるものではない。

だってそうだろう、形は辛うじて人の姿はしていても――頭部だけではなく両腕両脚が、手足の代わりに人間達が生えていて、しかもあの稀人達の姿をしていたのだから。

 おぞましく、悪趣味にも程がある。手足に成り果てた稀人達の眼窩はぽっかりと虚ろな穴を見せており、自我も意識も感じられない。この目の前のモノにペルソナを奪われ――つまり剥がされて取り込まれたのだろうが、それにしたってこんな姿として表さなくても良いだろうに。

 少し荒れた波が足下に打ち寄せると、同時に足場が不気味に光って景色が変わる。

夜よりも深い闇はそのまま、頭上どころか足下一帯まで広がっている。ただ、完全な暗闇ではない。足元に何の光源なのか分からない薄紫の光が這っていて、何かの紋様のような形を描いていた。

 例えるなら、影時間の時のように。この場一帯が異世界のようにでもなっているのだろうか。分からないし、きっと考えてもどうにもならない事なのだろう。今どうにかすべきなのは、この目の前のモノなのだから。

 目の前のモノの手足が動く。海辺に近付こうとする。飛び上がらないのは、対峙する湊と美奈子を脅威と認識しているのか。それはそれで都合が良い。こちらに関心が向かっている限り、こちらを排除しなければならないという意識が働いている限りは危惧すべき事態にはならない。

「ナンディ」

 召喚器の引き金を引く。それが、戦闘開始の合図でもあった。

 先に防御を底上げし、先んじて襲い掛かって来るシャドウを疾風で蹴散らす。続いて湊は剣を構え、目の前のモノへ向かって走った。目の前の本体らしき所から、灼熱の炎が放たれる。熱を持ち、嵐のように荒れ狂うそれを見切る一方で、美奈子がジャアクフロストを召喚して生み出した氷が炎を飲み込んでシャドウと目の前のモノの接近を防いだ。

 纏わり付いて来るように飛び掛かって来るシャドウが煩わしい。剣と薙刀、それぞれで斬り払い、湊はマリンカリンをぶつける。効果範囲にあるシャドウは悩殺状態になったが、目の前のモノに効いた様子は無い。他の強敵でもそうだったが、状態異常を引き起こす類は効果が無いようだ。この分だと、ある程度の属性耐性も考慮しないといけないかもしれない。

 間合いを詰める。つま先が地面を蹴り、袈裟掛けに一撃。手応えはある。ワンモア、とした所で右側からの腕が振りかぶられた。

 素早く美奈子がペルソナをセイリュウへ切り替え、マハタルンダで威力を減衰。湊は振りかぶられた腕を剣で受け止める。威力は落としたが、それでも随分と一撃が重かった。

 受け止めた腕から、何かが放たれる。それを感じて美奈子が続いて疾風の魔法を放つが、相殺しきれずに湊も美奈子も後方へ吹っ飛ばされた。

「……ナタタイシ」

 再び距離が離される。再度の接近を試みる為、ペルソナを切り替えて速度を上げる。湊よりも僅かに吹き飛ばされた距離が遠くなかった美奈子は、湊が体勢を立て直す間に目の前のモノの左足を削ぐように薙刀を横合いから振るう。身体が僅かに傾いたが、まだ浅い。横から振るった刃先を返し、そこから突き。右足から蹴りが繰り出されるのを避けたのを狙われて、目の前のモノの右足から空間が歪むような何かが放たれた。

「!」

 美奈子が咄嗟に追撃を中断し、身を捻るも全て避けきる事は出来なかった。喉から小さく苦悶の息が漏れ、ふらりと身体を傾かせた美奈子を所々で同士討ちを行っているシャドウの群れを擦り抜けた湊が庇って目の前のモノの腕を斬り付ける。

 先程の攻撃はかなりの高出力だと思うが、予め多少威力を減衰させておいたお陰で自然治癒で何とかなる。今は能力の底上げを惜しまず使う場面だ。間髪入れずに追撃を加えようとする湊に、美奈子は再びペルソナをジャアクフロストへ切り替えてタルカジャを掛けさせていた。

 全身に、左右手足。それらが本来腕や脚のようではなく人間が生えている様になっているように、それぞれが別々に特性を持っているらしい。形作っている人間の意思はもう存在していないだろうに、個々で動いているように見える分一層悪質だ。

 落ち窪んだ眼窩には何の感情も浮かんでいない。斬り付けても、痛みに呻いた様子も無い。呵責を生まないという点ではそうなのだろうが、ただ手足として生えているという部分が強調されているようで尚更にわざわざ人の形をしている意味が分からなかった。

 左から腕が振り上げられる。湊はそれを避け、美奈子がラクンダを掛けるのに合わせてカウンターの一撃を放つ。目の前のモノが少し退くのが見えた。

やや後退した目の前のモノを庇うように入れ替わりにシャドウが湧き出る。一体ずつの力はそう無いようだが、際限が無い。

 このシャドウは何処から沸いて出て来るのか。巌戸台の時も思ったが、それだけ人々の普遍的無意識が反映されているのだろう。倒した所でキリが無い。だが襲って来る以上はそのまま放っておく訳にはいかない。恐らくだが、この場所は目の前のモノの影響が大きい故に特に多く集まっているのだろうが、他の場所にもシャドウは出現しているのだろう。綾凪市内で密かにシャドウを湊と美奈子が討伐していた事実から、この場のみに居るとは考え難い。

 他は――他の者は。思考し、今の選択をした際に掛けられた言葉に詰まる息を飲み込む。突き放したのは自覚していた。深く沈んだ底で軋むものには目を背けた。この思考は、今は考えている場合ではないと。

 左右、両側から剣と薙刀を振るう。傷付いた体躯から噴き上がるのは血飛沫ではなく、黒い煙のようなもの。周囲の暗闇と溶けて霧散していくそれは、目の前のモノが如何にヒトと逸脱しているのかまざまざと思い知らされた。

 目の前のモノが右手を振り上げ、地面に叩き付ける。大きく足元が揺れ、仕方無く一旦攻撃を中止して剣と薙刀を支えにして食い縛る。

威嚇か、何かの予備動作か。ならばその次に来るのは回復か大きな攻撃のどちらかだろう。

 どちらもさせる気は無い。距離は離されてしまっている。直接的な攻撃が難しいのなら、残る選択肢はひとつ。

 召喚器を構える。引き金を引くタイミングは互いに合図を交わさずとも分かり切っていた。故に、青い欠片が舞い散ったのは全く同時。

 心の海に揺蕩う存在に向けて呼び掛け、喚ばれたのは敵対者の名を持つ悪しき蛇と、天界から堕ちた大天使――表す姿形は違えど、どちらも「同じ存在」。

 二体のペルソナの姿が重なり合い、ひとつの力を生み出す。

「ハルマゲドン!」

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