旅の終わりの、更にその先の物語。   作:しろまち

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18:月(3)

 外がざわざわと騒がしい。

 足立はさっき出て行った。急な出動らしい。ミカンを食べる手を止めてぶつくさと言いながら出て行く前に、こちらを見遣る目に居堪れず逸らした。

 総司とて、言いたい事は分かっているのだ。足立がそれを口に出して言わなかったのは、それが一番の意趣返しだからなのだろう。

 気付いていた。この綾凪市で起きている無気力症候群も、足立が駆り出されているという事件も、今この状況にも。気付いていても、知らないように、見えない振りをしていた。そうした所で何かかが変わる訳でもない。自分には何も変えられないから、それならば最初から知らないものとして、見えなかったのだとしたらいいのだと。

 今だって、そうしたらいい。事件なら警察の領分だ。自分に出来る事なんて何も無い筈、なのに。

 ふと、次なるミカンへ伸ばそうとしていた手がテーブルの上に置きっぱなしになっていた幾枚かの葉に触れる。前に、空のランチボックスを返して貰った時に袋に入っていたのだ。何処かで紛れただけなのかもしれないが、見覚えがある。見覚えがあるように思えた。

 ひとつ思い出すと、そこから芋づる式に掘り起こされるのが記憶というものだ。今も深い霧の中、止まない雨の中の記憶。それから逃げ出してこの綾凪市に来た今も、消えなくて止まない。

 もういいじゃないか。内側から囁く声がする。ああそうだ、と受け入れて飲み込んで、あの時だって結局「真実」を知りながらもここに居る。

 ――本当に?

 己が眼を見開いて、発するべき事があるだろうとはじまりの自分が囁く。

 何を今更。そんなものは、もうここには何処にも無いじゃないか。それは消えた筈で、必要無い筈で。

 ――違う。

 どちらともつかない自分が言う。消えてなど居ない。自分が思う限り、自分は消えない。ただ心の海に還っただけ。だってそうだろう、「もう一人の自分」は自分が否定したい自分。今なお目を背けて見ない振りをしている自分が居て、けれども同時に真実を明らかにしようとしていた自分だって居たのだから。

 窓の外から、見た事は無い筈の不気味な月が見える。心の奥底のざわめきは波のようで、突き動かすものが果たして何なのか自分でも分からない。

 けれどもそうしたいからと、そう約束したからと、誰に何に言う訳でもない想いのままに身体は外へ飛び出していた。

 

 

 

 

 

 

 暗い昏い、心の海の底。

 儚い星の光など届かない。冷たい帳が下りたまま、流れていく記憶の波に身を委ねる。

 ――行けよ、偽善者共……。

 隔たれたものは深く厚く、近付いたと思ったら離された。

 あんな事をさせたかった訳じゃない。そうさせたくなかった。たとえ許されない事だったとしても、だからこそああなるべきじゃなかった。

 ならばどうしたら良かった? 何を選ぶべきだった? 何が正しかったのだろう。

 ――選択を迫る事が、かえって君を苦しめているんだね。

 もう何も考えていたくない。ただただ眠っていたい。だから眠り続ける。赤子のように膝を抱えて身体を丸め、誰からも何ものからも自分を守るように。

 そうした所で何の解決になっていないのだろうという事は分かっている。分かっているが、その事実すらも考えていたくない。思考しなかったら、何も感じない。傷付かない。だから眠り続けていたい。

 もう考えたくないんだ。向けるべき相手すら居ないのにそう訴えた思いに、頭上から溜め息が降って来る。

 ふわりと香る甘い匂いが、ああ何処かで聞いた声だと記憶の引き出しを漁る。鈍い思考は大した事も考えられず、ぼんやりと顔を上げるとそこには実父への復讐の為に二代目探偵王子として数々の事件を解決させていきながらも、その一方でそれらに関わる精神暴走事件を引き起こしていた者――明智 吾郎が居た。

 何で明智が居るのだろう。これは自分の認知が生み出したシャドウなのだろうか。だとしたら、この明智はこんな自分を笑いに、もしくは詰りに来たのか。そうかもしれない。

 お前ならそうするかもな、と思いながら、見上げる自分の面はさぞや間抜けに見えただろう。呆けた顔を晒す自分を見下ろす明智は、酷く忌々しげに舌打ちを零した。

「誰がテメェの思い通りになんざしてやるかよ」

 嫌悪と憎悪が混じった声が懐かしい。

 しかし、思い通りにしてやらないというのなら、何をしに来たのだろう。それはそれで神経を逆撫でしそうな事をつらつらと思っていると、眼前に銃口が突き付けられた。

 ああ、成程。自分にはこうして野垂れ死ぬのが相応しい。そういう事だろうか。

 誰にも気付かれず、何も残す事も目覚める事も無く。それも良いかもしれない。

 こちらを見つめて、同じように見返した明智の顔は、やっぱり酷く面白くなさそうに歪んでいた。

「……いい加減に」

 ぎり、と歯噛みした音が届く。

「いい加減、目を覚ましたらどうだ? お前がウダウダ悩んでる事なんざ、お前が見てる夢でしかねぇんだよ」

 指が引き金に掛かり、それが引かれると同時。誰かが自分の手を引いた。

 ――これだけ寝こけていたんなら、「現実」だって同じ事だろう?

「――……」

 目が覚める。途端に視界に広がったじゃあくなフェイスに、冷静に意識が巡らず慌てて飛び起きた。

「うわっ!?」

 叫び声を上げ、上半身を起こすと手許にジャアクフロストのぬいぐるみが転がり落ちて来る。目を覚ました直後、視界に映ったのはどうやらこれらしい。ただ、見覚えはあっても心当たりは無かった。

 室内を見回す。病院の一人用の個室。カーテンを捲ると、見た事の無い青緑色の月が浮かんでいた。

 常とは異なる色合いの月は、見ていると心の奥底を無遠慮に掻き乱して来る。嫌な感覚だ。まるで嫌な夢でも見ているかのような――否、きっとどちらでも同じ事だろう。

 窓から視線を外すと、ベッド近くのサイドテーブル上に何か置かれている事に気付く。カードのようだ。手に取ってみてみると、それが何なのか瞬時に理解した。

 何処かの転載コピーなのか、画質が荒い。色も何処と無く褪せていたそれはとっくの昔に人々の記憶から忘れ去られてしまった証左のようで、自分の行いが無駄でしかないと突き付けられているようだった。

 こんなもの、今になって。一体何になるんだ。湧き上がった怒りの感情に従って、持ったカードをゴミ箱へ捨てようとするも、そこでゴミ箱の中に既に何か捨てられている事に気付いた。

 花屋のシールが貼り付けられた包装紙とビニール、それからしおれた花。枯れてはいるが、完全に色褪せてまではいないからそこまで日は経過していない。その上に、食べられて皮だけになったミカンが捨てられていた。

 サイドテーブル上、花瓶に生けられたデュランタの甘い香りが鼻腔を擽る。

夢うつつの挾間に、感じた温もりが指先に蘇る。ほんの微かで、気の所為だったのかもしれない。けれども気の所為ではないと、示すものがある。

 心の奥に炎が灯る。否、きっとずっと、はじめから在ったのだ。それを考えないようにしただけで、思いたくないとしていただけで。そして自覚したのなら、すべき事は決まっている。

 故に自らから生まれ出でた衝動のままに、暁は病室を飛び出した。




デュランタ→「あなたを見守る」
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