旅の終わりの、更にその先の物語。   作:しろまち

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慎視点。


19:太陽(1)

 夜よりも暗い闇が、世界を覆っていく。

 空に、陸に。被さった深い闇から、不気味に蠢く影が生まれ出でた。

 あれは研究施設でも、それよりも前に稀人達に出会った時にも見たものだ。

 一体、あれは何なのだろう。見ているだけで、何だか心の奥底がざわついて落ち着かなくなる。だがそれを疑問に思う暇は無かった。這い出て来た影が通行人に襲い掛かり、襲われた人間が廃人状態になっているのを目の当たりにしたからだ。

 あんなものが、綾凪市じゅうに広がったら。想像するだに恐ろしい。

 そんな事があってはならない、と思うと同時、湊と美奈子が慎達に託した言葉を思い出す。

 この場所を頼んだ、と。恐らく、湊と美奈子はこのような事態になる事も想定していたのだろう。何故、分かっていたのかまでは分からない。だがそんな事は今どうでもいい事だ。それよりも、この不気味な影をこれ以上広げないようにする方が先である。

 湊と美奈子がこの場所からあの巨躯の何かを追う際、群がって来る影を一掃しているのは見ていた。あれはペルソナで倒せる。だからこそ、この場を慎達に託したのかもしれない。ならば、たとえ非力だったとしてもその思いに応えたかった。

「クソッ! キリがねぇ!」

「どんどん増えていってる……」

 慎と同じように、この場所で拓郎とめぐみはペルソナで向かい来る影の迎撃していた。

 影はそこまで強力ではないようで、何とか慎達でも倒せはするが如何せん数に限りがない。ペルソナ使いではない者達――真田や戌井、ペルソナを使えなくなっている諒は慌ただしく周囲の住民の避難を促していた。

 半透明に透けた大剣が影を薙ぎ払い、消し去る。だがその端から新たな影が生まれる。その繰り返し。ペルソナを行使する毎に体力、それとも精神力とでも言うのだろうか。それが消耗していくのも感じていた。

 これではジリ貧だ。けれども、慎達が今出来る事はこれくらいしかない。湊と美奈子はあの巨体を追って行った。あれを放っておいたら、今以上の被害が出る。だからここは自分達で何とかしないといけないのに。

「慎!」

「神郷君!」

 焦りは油断を生む。拓郎とめぐみの声にはっと慎が我に返った時には、直ぐ目の前に影が迫っていた。

 避けられない。ペルソナの行使も間に合わない。辛うじて咄嗟に腕を前に出して頭を庇おうとした慎の前を、何かが立ち塞がった。

「!?」

しゃらり、と鎖が音を鳴らす。その一瞬後、放たれた一閃は慎に襲い掛かろうとした影を容赦無く斬り払った。

「あ……」

 目の前に現われたものが振り返り、慎は思わず引き攣った息を漏らす。

 黒い襤褸布を被ったその足元は浮いており、地に足が付いていないどころか足が無い。先程、影を葬り去ったのは、襤褸布の下から伸びるすらりと長く真っ直ぐな剣。両端に分銅が付いた鎖はゆらゆらと揺れ、頭部にあたる部分はまるで骸骨のようだった。

 これは、ペルソナじゃない。あの影のようでも、それよりも更に。

 向き合う足が震える。怖い。人類というものが存在して以来、決して切り離せぬ根源的な恐れの象徴。絶対的に抗えぬ行き先。

 身体が傾ぐ。体勢を取り直す事も出来ず、ふらついた慎の身体を支えたのは異変を感じて駆け寄って来た諒だった。

「諒兄、ちゃ……」

 縋るように慎が諒に目を向けると、諒も強張った顔で腕に力を籠める。よく注視すると、寒くもないのにそのこめかみから汗が一筋流れていた。

 目の前で黒い襤褸布の骸骨が宙に浮いている。それが僅かに動いたと思ったと同じくして、慎と諒の前へ洵――否、「結祈」が歩み出た。

「結祈!」

「大丈夫」

 「結祈」が手を伸ばす。するとその指先に合わさるように光が場に満ち、その眩しさが和らぐと目の前には長い髪を揺らした結祈と赤い髪の少女が立っていた。

「ありがとう、洵を連れて来てくれて」

 半透明の身体に、長い髪をなびかせた結祈が微笑む。

「結祈……洵、は……」

「洵は、洵の身体に戻ったよ」

 慎を支える腕とは反対側、諒の腕に抱かれて眠る洵に向けて結祈が言う。そうか、と小さく安堵の他に複雑な色が滲む諒の呟きに、諒も洵の中に結祈が居る事を感じていたのかもしれない。

 「洵」が無事であるという事に安心しながら、改めて慎は目の前に現われた結祈と赤い髪の少女を見つめる。赤い髪の少女は、以前見た事がある。一番古い記憶は、そう、両親を喪った10年前のあの日。

「君は、アヤネ――小松原 彩音か」

 小松原 彩音。小松原、という苗字は、あの小松原 啓祐と同じだ。という事は、この少女はあの小松原の娘なのだろうか。

 諒の問い掛けに赤髪の少女、アヤネは頷き、悲しげに表情を歪める。

「くじらは苦しんでいる……わたしは、おとうさんを止めたかった」

 研究施設の中で、叶鳴を傷付けられたショックで慎が反射的にペルソナを発現させてしまった時。あの時に巨躯から切り離されたペルソナとなった小松原と、慎が結祈に託されたくじらの羽根が触れた事によって、アヤネは小松原に残った精神に触れた。

「……くじらが、教えてくれたの。おとうさんは……わたしを、くじらの中から取り戻そうとしていた」

 かつて、神郷両親も関わっていた研究。人工的にペルソナを作り出し、人に植え付けるというもの。その第一の被験者であり、成功者が娘の彩音だった。

 だが、実験を繰り返すうち、ある意味で人の意識の塊とも言えるペルソナを重ねた彩音はこの研究が人理に反したものだと理解してしまう。これはヒトがしてはいけない事。けれども研究に邁進する父を止める事も出来ず、彩音は綾凪の海――くじらの許へ自ら沈んだ。

 被験者である彩音の行いにより、研究は水泡に帰した。神郷両親やひいらぎ製薬社長の柊も研究から手を引き、小松原と袂を分かって去った。父の小松原だけが、諦められずに寧ろ研究に対して執念を燃やしていった。

 恐らく、その頃からだったのだろう。小松原の目的が、有識と無意識の融合ではなく――その狭間に揺蕩う娘を取り戻す事に変わったのは。小松原自身はそうとは口にしていなかったが、あの研究施設の中に彩音を元にしたクローンまで作り出していたというのだから間違いないだろう。

 人のあるべき摂理をねじ曲げる行為。それは所詮、人には不可能な事であるし、実際それは大きな歪みとして現われた。

 最早、あの巨躯に小松原の精神は残っていない。あるとしたら、ただの妄執であり空っぽの器を満たす意識を求める本能的な何かだ。

「だから、止めなくちゃいけないの。このままじゃ……」

 アヤネの言葉を引き継いで、結祈が言う。その先は、慎でも察する事が出来た。

 広がり、増え続ける影。空に浮かぶおぞましい青緑色の月は、絶望的な状況をこれでもかと言わんばかりに照らし出して来る。

 その中で、慎は一際濃い暗闇が集まる一点を見つめる。あの巨躯が目指す方角。湊と美奈子が向かって行った方向でもある。

『それを止める為に、戦っているんだ』

 今まで黙っていた黒い襤褸布から唐突に言葉が発せられて、慎は思わず大きく肩を揺らす。

 話せるのか。びっくりした。意識すると、やはりどうしても恐怖を先んじて感じてしまう。だが、不明瞭でノイズ混じりな、この黒い襤褸布のようなものから発せられた声は何処か聞き覚えがあった。

 何処で聞いたのだろう。少なくとも、このような姿には見覚えが無いのだが。思いながらも、慎の口から出たのは別の言葉だった。

「……有里達なら、って事か?」

 くじらの許に居た洵の精神を連れ戻すよう、洵の身体に残っていた結祈が頼んでいたのは湊と美奈子の筈だ。だが、実際に洵の精神とアヤネを連れて来たのはこの黒い襤褸布。この襤褸布と湊と美奈子がどんな関係であるのかは分からないが、湊と美奈子にはこの黒い襤褸布の存在に心当たりがあるという事になる。逆に言えば、この黒い襤褸布も湊と美奈子を知っているという事だった。

『僕は信じているから。信じているんだ、だけど――』

 言葉は最後まで続かない。特に影が集まるその一点に夜よりも昏い闇色がたわみ、それよりも禍々しい混沌が膨らむ。

 淀んだ空気が噴き上がる。咄嗟にペルソナが持つ大剣を前に掲げるが、ほんの僅かな細い糸にも似た一筋の切れ込みが暗闇の中に入るだけ。あとはその場に踏み留まるだけで精一杯だけだった。

「有里っ……」

 あの中には、あの中心には、湊と美奈子が居るのに。今もきっとこうして、迫り来る危機を防ごうと、皆を守ろうとしているのに。そんな湊と美奈子を、一体誰が守って、助けてくれる?

 自分では力不足だ。そんな事は分かっている。だけど、願ったって良いじゃないか。湊と美奈子は、自らの身など顧みはしないだろうから。

 誰か、誰でもいい。どうか、と切なる祈りを籠めて、慎は叫ぶ。

「有里達を、俺の友達を……守って、助けてくれ……!」

 ――その声に。

『……まさか』

 黒い襤褸布が驚いたような、僅かに呆然としたような声を漏らす。

 それにどういう事だと顔を向け掛けた慎の横を擦り抜け、目の前に出来た一筋の空間の切れ目へ目掛け――「誰か」が二人、同時に飛び込んで行った。

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