旅の終わりの、更にその先の物語。   作:しろまち

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キタロー&ハム子視点。


19:太陽(2)

 身体から気力がごっそりと抜けた感覚が襲う。

 今まで使っていたペルソナよりも遙かに強力なペルソナによる合わせ技だ、その分負担も大きくなる。意識していないと足元がふらつきそうで、何とか臨戦態勢は崩さないままに目の前へ放たれた光が治まっていく様を注視する。

 ニュクスを封印した時以外で、出来得る限りの最大出力。その筈だ。周囲にシャドウは居らず、闇も薄らいでいる。ならば、無意識と有識との融合を阻止出来た筈だ。

 だから、でも――。

 そう浮かび上がる泡沫は、何からであったのだろう。

分からなくて、しかし意識的であれ無意識的であれ、思いは「現実」を招く力となる。それを知っていた筈なのに、我に返った時にはもう遅かった。

「――っ!?」

 薄らいでいた筈の暗闇の色が元のように、否、もっと色濃く変わっていく。一気に膨らんだ闇が弾け、その衝撃で湊と美奈子は立っていられず何メートルか弾き飛ばされた。

 曖昧模糊とした輪郭が膨れて弾け、茫洋とする内に流動的な肉体を形成していく。光すら吸い込む黒い体色に点々と影時間の月のような青緑色の斑点が這い、手足は手と足という境を失って長短様々な幾多の触手が伸びている。辛うじて人のような姿形はしていたがその体長は人間のそれではなく、顔のない頭部には代わりに血濡れたような真っ赤な舌が伸びていた。

 あれを、何と呼んだら良い。元の月色に戻らぬ青緑色の月下で咆哮する、闇色のあれは。

 名状するにも心の奥底が拒む感覚。闇より深い混沌が形を成したそれに、ただただ向き合う恐れが逆に立ち上がねばならぬ危機意識を働かせた。

 闇と共に触手が広がり、襲い掛かる。半ば反射的に武器を振るって払うが、闇は――現実への侵食は止まらず速度を増して全てを覆っていく。景色はあっという間に闇に呑まれ、不気味に光っていた足元すら今は空虚な黒ばかりでそこが地面であるという事すら分からなくなってしまうようだった。

『お前達がする事には、何の意味も無い』

 目の前のモノが声を発する。小松原のものでも、誰のものでもない。泥の中に居るようにやけにくぐもっていて、その癖やたらよく響いて来る。

「そんな事無い」

 武器の柄を握り直し、目の前のモノの触手を斬り払う。再び横合いから新たな触手が生まれ、それに対しても薙ぎ払うが目の前のモノが効いているような様子は無かった。

『お前達は何の為に「此処」に在る?』

 目の前のモノが問い掛ける。決まってる。何でそんな事を訊くのだろう。

 このままでは、無意識と有識が融合されてしまう。それはイコール自己の喪失であり、緩やかな人類の停滞と死だ。

「世界を、『死』で覆わせない為」

 巌戸台の時のように。ニュクスの降臨を防ぎ、人類に「死」を触れさせない為。

 その為に「此処」に居る。「此処」に在る。だからこそ、今の状況を止めねばならない。

 目の前のモノの両脇から、新たなシャドウが現われる。召喚器を素早く引き抜き、破魔の魔法で蹴散らす。眩い光が一時周囲を照らしたものの、直ぐに深過ぎる闇に呑まれて戻った。

『それこそ、無意味だというのに。お前達の存在そのものが、無為なのだからな』

 目の前のモノの声は嘲うように言う。全てを呪い、罵倒し、詰る音。

 聞きたくない。そう思うのに、声はやたらとよく聞こえる。聞こうとしないように意識する程、それが強く感じられるようだった。

『お前達は、知っている。分かっている筈だ』

 どきり、と本来なら止まっていた筈の心臓が強く高鳴る。

 何を、何が。咄嗟にそう言い掛ける口は動かない。詰まらせた息に目の前のモノは嘲う。知らぬ訳がない。分からぬ訳がない。相対しているのは普遍的無意識でもある。ならば、自分自身も当然含まれるのだから、と。

『元より、「此処」にお前達は存在しないのだ』

 この綾凪で活動するにあたって、能動的に調べるだけではなくただ過ごすだけでも流れて来る事柄で、湊も美奈子も差違と有無は感じていた。例えば、巌戸台で関わった組織や、絆を深めた者達。それに、とイゴールに言われた言葉が蘇る。

 ――此処は貴方がたの知る世界ではありません。

 此処は幾多にも枝分かれしたひとつの可能性なのだ、と。

 そう言われた時点で、否、それよりも前に、感じてはいた。何かが異なる。それは「ある」事であり、「ない」事でもある。

「……だからって、何もしない事にはならない」

「このまま何もしないままなら、それこそ『此処』に居る意味が無くなるから」

 たとえ、そこに「自分」が存在しなくとも。

 絞り出した声は固く、伴う表情も硬くなった。けれども反駁しないままであったのなら、どうしたらいいのかすら分からなくなってしまいそうだった。

 そんな恐れなど見透かしているかのように、目の前のモノはただただ狂った嗤い声を上げる。シャドウは増えながらも襲い掛かって来ない。代わりに深い闇が這い回り、何処とも知れぬ深淵へと手招きするように蠢く。同じように、湊と美奈子も武器の柄を握り締めるだけで精一杯だった。

『違うだろう?』

 混沌より這い出たモノが嘲う。

 違う、そうではない。そんな事を言った所で、ただの戯れ言にしかならない。

『世界に「死」を広がるのを防ぐ為に「此処」に在る? そんなモノ、元からお前達は居ないのだ。お前達が居ない世界を、お前達がやらねばならぬ理由は何処に在る?』

 ――何でお前なんだ。

 違う。あれは、そういう意味じゃない。かつての言葉が悪意となって突き刺さる。そんな事で、そんな思いで、思い出したくなどないのに。

 此処には、「自分」を知る者は居ない。覚えていないのではなく、元々「自分」が存在していないのだから、当たり前だ。「自分」が知っていても、「自分」を知らない。知らなかったのだ。「自分」が存在していないまま、関係無く彼等や彼女等は生きている。あの出会った日々も、無くても同じだったのかもしれないという思いと共に。

「で、も……」

 でも。だけど。そんな逆接の言葉から先は続かない。

『人類に「死」を近付けさせぬ為。それはただお前達が「此処」に居る為の言い訳でしかない』

 目の前のモノは容赦無く続けられぬ先を勝手に紡ぎ、嘲う。酷く耳障りで、けれども塞ぐ事は決して出来ない。聞きたくない思っても、それは聴覚を越えて伝わって来る。

 違う、嘘ではない。そう思うのに、「自分」を否定するなと何処かで声がする。何処か、何処までも昏い深淵の水底。

『「此処」に在るのは、「此処」に居る意味は、他でもないお前達が望んだのだ』

 望んでなんていない。望んではいけないと思っているのに。

 目の前のモノは言う。心の海に揺蕩うそれに代わって。

『「生きていたい」のだとな』

 それは、許されぬ望みだった。

 大いなる封印。自らの魂を代償にして、「死」の普遍的無意識でもあるニュクスを封印するもの。魂を引き換えにするとはすなわち、肉体的な死を意味する。

 あの時。自らの命の意味を見出したが故に、選んだ道に後悔は無かった。仲間達を信じてもいた。だから、この魂を賭けると決めた。

 大切だったから。ずっと何もかもがどうでもよくて、「自分」すらなくて、生死の境すらよく分からずにただ在るだけの日々だったのに。それが「自分」と向き合い、仲間と出会って、共に日々を過ごして。どうでもいいような事だってあったけど、それがとても掛け替えのないものとなっていた。

 この魂を賭けても救いたいと思った。守りたいと思った。その為なら、この魂など惜しくないとも思った。それは、偽りではなく本心だった。だからそう選んだ。

 けれど――もっと生きていたかった、と。

 まるで死んでいたようになっていた自らが、駆け抜けた日々で生きて進み出したのを感じたのと同じように。「その先」を考えるようになったのも、事実だった。

「そんな、事……」

 無い、と否定の言葉を続かせる事は出来なかった。辛うじて出た声すら頼りなく掠れていた。

 手が、足が震える。ぐらぐらとする脳を直接揺さぶるように、嘲弄が続く。

『無い? 嘘を吐くな。幾ら口先で誤魔化した所で、心は偽れまい。望んだのだろう、此処はお前達から先の世界。ただし、お前達は居ない。存在しない。お前達に何の意味も持たない』

 感謝するがいい。そう尊大に、残酷に、目の前のモノは嘲う。

 もしも。あのまま皆と同じように、同じ時を生きられたのなら。もっと沢山の思い出を、絆を、一緒に笑って紡いで過ごせたのなら。守った世界がどうなっていくのか、生きて確かめていけたのなら。

 それを人は、未練や心残りとも言うのだろう。本当に後悔など無かったとしても、一方で浮かんでしまう思いもある。だが、それは「自分」が取った選択に対して矛盾したものでもあった。

『気付いているだろう。本来ならば、有り得ぬ事が在る事を。お前達が居なくば、起こらなかった事を』

 本来なら、有り得ぬ事。「此処」が「自分」の存在しない世界だとしても、本来ならば起こり得ぬ事があったのは分かった。それはシャドウの出現であり、そして――目の前で零れ落ちたものたちの光景。

 「自分」が居なかったら。そうとは限らないだろうという事も分かっている。目の前のモノが言う事は全てその通りではない筈だ。それでも、そうだとしても、その上でもっと他の可能性を探してしまうのは人の業でもあるのだろう。

『それらは全て、お前達の罪なのだ。許されざる事を願い、在るべきではない意味を知りながら望む。何と傲慢で、愚かな事か。所詮、お前達はこの世にあってはならず、何の意味も無いというのになぁ!』

 全ては無意味で無価値。そう目の前のモノは繰り返す。

 何をした所で、何を言った所で。全ては何にもならない。元々存在しないのだから、何を及ぼす事も出来やしない。

 ただ、ひとり。他にも、何にも、誰にも、顧みられる事も無く。それは許されない思いを抱いた報いで、それ故に「自分」が存在してはいけない世界を引き寄せた。

 夜よりも昏い闇は全ての境目を失わせていく。息も、鼓動も、聞こえない。当然といえば当然なのかもしれない。本当ならもうとっくに止まっていて、肉体すら無かったであろう筈だから。

 思考が奪われていく。闇に足が取られて動けなくなる。

『お前達の所為なのだ。こう在る世界も、全てに……そしてお前達が望んでしまった先も』

 抗えない毒の囁きが耳元へ、否、心の奥底へ流し込まれていく。苦しくてどうしようもなくて、目の前のモノが嘲っているのだけが分かる。

 あの時、自らが選ぶべき道を。命の答えを、見つけた筈なのに。

『生に意味などないと知るがいい! 答えなど、どこにもないと泣くがいい!』

 目の前が真っ暗になる。八つ裂きにされたように感じたのは身体か、それとも身体に宿る心か。

 天地も前後も左右も分からなくなる。ただもがいて足掻いて、それでもどうにもならなくて。

 そんな「自分」は助けを、救いを、そうではないような何かを求めているかのようだ。助けは自分から振り払ったのに、助けを求めるなんて何て身勝手だろう。此処にはかつての仲間は居ない。助けを求めようとしたってそんな資格も、そもそも元より「自分」は居ないのだから、誰にも何にも気付かれる筈なんてないのに。

 武器を掴む手が緩む。絶望に塗れながら倒れ伏しそうになる。深い闇が手招くのは、底無しの地獄で。

「あとは任せてくれ」

「バトンタッチだ」

 そんな湊と美奈子を支えたのは、小さな笑みを携えた総司と暁だった。

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