旅の終わりの、更にその先の物語。 作:しろまち
総司が湊を、暁が美奈子を支えながら、数瞬お互いに顔を見合わせる。
――誰なのだろう。
浮かんだ思考は全く同じ。何処かで、否、何処で出会ったのか。そう思いながらも、それを深く考える暇は与えられなかった。
目の前のモノが形を変えていく。鮮血のような舌は体色と同じ闇色に変わり、四肢が幾重にも分かたれて伸びていく。ぬめった表面はまるで海洋生物のようで、その表層に這っていた点々とした斑状のものは無機質なヒトの容貌を模したモノ――「仮面」が張り付いたようになっていた。
背筋に改めて、怖気が張り付く。同じくして左右から現われたシャドウからは、耳障りな金属音のようなものが響いていた。
おぞましさが増したそれにふらつきながら前に出ようとした湊と美奈子を総司と暁は背中に庇い、目の前のモノと相対する。
あれは何と呼ぶべきなのか。幾つもの名が思い浮かびそうで、そのどれもが正しくどれもが正しくないようにも思える。まるで、「誰にでも成れるが誰でもない」であるかのように。
目の前のモノの脇に控えていたシャドウが襲い掛かって来る。人間の普遍的無意識のひとかけら。もう一つの側面。
それに対抗するのは――「もう一人の自分」。
息を深く吸い込む。心の海にゆっくりと波が広がっていく。長らく意識していなかった。目を逸らして、考えないようにして、逃げていた。だがずっとそこに在ったもの。
我は汝、汝は我。我は汝の心の海からいでし者。
『ペルソナ!』
闇色を逢魔の黒翼が喰らい、青白い稲光が撃ち払う。
はじまりの「仮面」。幾多の仮面を変えて何者に成ろうとも、己のはじまりだけはきっと他に無かった。だからたとえどんなに目も当てられないような己であっても、自分であるが故にこの「愚者」は共に在る。
『ククク……愚かな者達よ。道に迷い、外れしお前達が出る幕なぞ既に無いわ』
左右のシャドウが倒されても、目の前のモノは嘲う様を変えずに再び新たなシャドウを生み出す。
愚者から始まるアルカナの旅路。それを辿りながらも、結局は明確な答えを出せぬまま逃げてしまった。確かにそれは目の前のモノの言う通り、「愚者」に違いはないのだろう。
それでも、と総司と暁は手に持って武器を握り締める。この武器は持ち込んだものではない。流石にそんな事をしたら銃刀法違反まっしぐらだ。この武器は、ここへ飛び込んだ際に足下に落ちていた。
何故なのかはさっぱり分からない。それでも、本当に出る幕など無いというのなら。
「それなら、此処に居る事だって無かった筈だ」
だが「此処」に居る。それは、「此処」に在りたいと思うから。そこで、何かを望まれているから。その何かが、何なのかを総司も暁も全て知る訳ではない。ささいなものから、身勝手なものだってあるだろう。大衆とはそういうものだ。自分ではない何かに、自分の願望を押し付けて委ねようとする。あるいは、それこそ出来の悪い自作自演なのかもしれない。
それに、と過ぎ去った光景は、戻らないから戻れないと知っていても。
「戻れなくても。取り戻せなくても。そこから歩み出す事が出来ない訳じゃない」
前へ踏み出し、迫り来るシャドウを斬り払う。シャドウがどろりと闇に溶ける中、目の前のモノがその巨体から幾多も触手を伸ばして来た。
「来い、イザナギ!」
総司は己が「仮面」の名を呼ぶ。眼前に現われたカードを握り潰すと、青い欠片が砕けると共に冥府へ下りた国産みの一柱が顕現した。
目の前には深い闇。それはかつて、総司自身が逃げ出してしまったあの場所を覆っていた深い霧のようだ。あれも現実を侵食するモノであったのだろう。
今、ここではない場所。真実から目を背けて、晴らされるべきものを消して飲み込んで。
『無駄な事を! 今更悔いて、罪滅ぼしとでも考えるか!』
一斉に伸ばされて来た触手を斬り払うと、その先端から黒い靄のようなものが噴き上がる。
罪滅ぼし。そう、知りながらも明らかにしなかったのは、紛れもなく自分の罪なのだろう。あれは総司自身が選んだものだと、かの共犯者となった時から、否、それよりも前から分かっていた。
あの時こうしていたら。そんなもしもは数え切れない程考えた。けれども考えた所で何かが変わる筈も無く、ただただ精神をがりがりと削られるだけ。擦り切れてしまった心は耐えられずに逃げ続けたままで居る。
「そうかもしれない」
噴き上がる黒い靄は武器を振るっても消せない。そのまま総司を覆い隠さんとする前に、イザナギの青白い閃光がそれを撃ち払った。
愚かな自分を、それでも痛みに耐えられなかったから少しでも和らげたくて。誰の為でもなく、ただ自分の為にと今ここに居るのも違いない。
だから総司は目の前のモノの言葉に否定せず頷く。それはかつて、もう一人の自分に対して受け入れる事と同じように。
本来なら許されざる事に対して、逃げてしまった事。仲間を思いながら、それ故に寂しさからかの者の手を取ってしまった事。それは大いなる罪なのだろう。
今更どう足掻いた所で、犯した罪が消える事は無い。目の前のモノが言う通りだ。過去に戻りたいと思っても、それが出来ないと同じく。
けれども。総司が抱えた罪に堪えきられずどうにかしたいと思うと同時、どうにもならないと分かっている上で他の思いを抱く事があったとしてもそれは矛盾にはならない。戻れぬ過去を思い、その上で未来へ手を伸ばして進む事があるように。
黒い靄が雷撃によって散らされ、前方が開ける。周囲は暗く、しかし退けるべきモノが目の前に分かりやすく在った。
「だが、それだけじゃない。だから――無駄だと勝手に決め付けるものじゃない!」
振り上げた刀が、目の前のモノに張り付いた仮面の貌のひとつを両断する。
青白い光を発して割れ消える面。続けて次撃を放とうとした総司に目の前のモノが太い触手を振りかぶり、叩き付ける前にそれをイザナギが受け止める。直後に迸った電流が、靄から何かへと形になろうとしたものも焼き散らした。
ゆらゆらと黒い靄が集まる。絶えず揺れ蠢いて不定型な何かが新たに形を成す前に、それを暁が斬り裂いた。
怪盗服のコート裾が揺れる。この怪盗服を身に纏ったのは、どれ程久し振りだっただろうか。どうするべきか選択に迷い、しかしどちらも選べなかったまま、ただ眠りの中を貪り揺蕩い続けた。
『かつては疾うに過ぎ去った。今のお前達が成すべき事など何も無いのだ』
目の前のモノが嘲い、シャドウをけしかける。シャドウが振るう腕を暁は後ろへ飛び退いて躱し、そのまま勢いを付けて横合いから武器を振るって腕を薙ぐ。長らく動いていなかったというのに、身体は鈍さを感じないのはここが一種のイセカイだからであろうか。怪盗姿になったのもそうだろう。
どうする事も選べずに、現実を考えないよう深い眠りの中に居た。だが、そんな風に眠り続けた所で変わらないままで居られるのは自分だけ。自分がどうしたって、周りはそのままでは居てくれない。歳月はいつだって誰に対しても等しく流れていく。故に自分へ無情に選択を迫って来ていたのだというのは知っていたのに。
「知っている」
そう、知っているのだ。何も考えたくないとした事は、自分が変わらないままで時間が過ぎる事で選択そのものも何もかもが消え去った。どちらかを選んだ先にある結果すらも。
今はもう、あの時どうするのかとすべき選択も行動も意味は成さない。目の前のモノが言う通り、成さねばならぬと課された役割は無い。
「今成すべき事は無くとも、これからしたい事が無くなる訳じゃない。戻れない時があっても、これから進む時はある」
深いふかい眠りの淵に逃げ込んだ代わりに、何も変えられずに置き去りにしていったのはきっと、選べなかった自分に対する消せない罰なのかもしれないと思う。
それでも、時間は等しく流れていく。どんな者に対しても、何があったとしても。
心に蒼い炎が宿る。考えたくないと思っていても、忘れ得ず心の海で燃え続けた反逆の精神。
「奪え、アルセーヌ!」
奈落に繋がれた略奪者が翼を広げる。同時に放たれた呪怨の波が、目の前のモノの面のひとつをどろりと溶かした。
際限の無かったシャドウの出現がふっつりと止まる。代わりに目の前のモノの再生が先程よりも早まっていく。シャドウを生み出すよりも、回復や再生を優先させたのか。つまりは、ダメージが通っているという証拠でもあった。
地を這うようにして伸びながら襲い掛かる触手を斬り払う。僅かに止まる動き、それが再び動きを見せる前に流動的な身体部分と思しきものへとペルソナによる攻撃を行う。
黒よりも黒々しく思える巨体に何か変化があるようには見受けられない。だが、目の前のモノは明らかに総司と暁を排除しようと動いている。総司と暁の攻撃が無意味ならば、そんな事はしない筈だ。
そう思いながら総司と暁がペルソナと武器による攻撃を行い続ける一方で、目の前のモノの聞き煩わしい声が続く。
『まるで、否、正しく負け犬であり敗者の遠吠えだな。全て、お前達にとっては終わった事。「旅路の果て」なのだ』
知恵の実を食べた人間は、その瞬間より旅人となった。
アルカナが示す旅路、淡い希望を託した未来。
それは可能性を掴む強い意志と努力。
心の奥底へ耳を傾け、生きる輝きを見つめて。
答えを決する為に向き合う勇気、知り得た導きを経て、心を通じ合わせながら。
命から得た可能性で可能性へと進み、正しい答えに辿り着く為に、己を見つめて決した道が、永劫に時を巡る残酷な運命でも。
苦難に耐え忍ぶような窮状でも、故にこそ新たな道があり――そして先に待つものが、いかなるものにも等しい絶対の終わりだと。
そう、アルカナは示した。
『――ペルソナ!』
かつて巌戸台で限り無くニュクスに近いものと相対した時のように、目の前のモノから闇より深い波動が放たれる。
対して身構える総司と暁の背を見た湊と美奈子は、その隣へと駆け出すと共に召喚器の引き金を引いた。
常世に下った奏者が二体、同時に炎を放つ。押し寄せる波動と炎がぶつかり、周囲に火の粉を撒き散らす。幾ばくかは威力を減衰出来たようだが、充分ではなく防ぎきれなかった余波が襲い掛かって湊と美奈子、総司と暁は膝を付いた。
「……でも、それなら、どうして」
目の前のモノに張り付いた無数の面がこちらを見る。それが浮かべる表情は何なのか。嘲笑か、それとも他のものか。分からない。恐らく、見る者によって変わるのだろう。人があらゆる時や状況、人に対して幾多の仮面を被って生きているように、こちらから見える表情が変わって思えるのと同じように。
身体的にも、気力的にも大分消耗している。それを自覚しながらも、湊と美奈子は総司と暁と共に決して諦める事無く目の前のモノを見据えた。
「『死神』の後の、アルカナがあるの?」
「愚者」から始まり、終わりを示す「死神」まで。
そこから「命の答え」を見つけて「世界」――「宇宙」まで至ったが、本来、タロットで言う大アルカナの数は始まりでありゼロを示す「愚者」を含めて計22。
「死神」の後、「世界」の前。つまり、「節制」から「審判」まで。死を越えた旅の成功の間。
一体、それには何の意味がある? 意味が無いのなら、人は「その先」など思わない。作らない。
「それはきっと、『死』の先にも意味があるから」
湊と美奈子が、「命の答え」を見つけた世界。あの場所に、肉体的な死を迎えた湊と美奈子は居ない。けれども、湊と美奈子が守りたいと思った大事なものたちはそこに居る。その先がある。それが「死」を越えたその後となるのだろうか。
翻って、今立つ世界。綾凪市という、湊と美奈子が存在していなかった場所。存在しない筈の場所に、けれども今確かに此処に在る。
ならば、今在る「此処」は――きっと「死神」が示した終わりの先。その意味を成す為に、在るのだろう。
『ふはははは! ならば、その先さえも無に、終点とさせてやろう! この世には、どうにもならぬ事があるのだと、それが運命なのだとな!』
嘲弄に満ちた哄笑と共に、目の前のモノから絶えず膨らんでは弾ける泡が生まれて浮き上がる。
来る。心の奥底から警鐘が鳴らされるのを感じる。迎撃しなくては。湊と美奈子、総司と暁が同時に思い、しかし身体が行動として反応を起こさせるよりも早く、真っ黒な泡沫は直ぐ目の前まで迫って来ていた。
「――!」
ぞわり、と背筋に得体の知れない何かが這い、それが跡形も無く消え去るまで一瞬。
眼前に広がったのは、赤々とした鮮やかな焔。煌々と、直接目にしたら視覚まで焼き尽くされそうな程の眩しさは、決して手が届く事無くどうにもならなかった「太陽」のようで。
紅蓮の焔は襲い掛かって来た形にならぬ泡沫だけでなく、目の前のモノをも容赦無く包んで焼いていく。その焔に対して目の前のモノが全身を震わせて纏わり付いた焔を振り払いながら、黒い体表から、そこに張り付いた仮面から、そのどちらでもない所から、焔と共に現われた姿へくぐもった怨嗟を吐き散らした。
『やはり貴様か……!』
「それはこっちの台詞だ」
湊と美奈子、総司と暁の目の前。混沌の中に這いずる目の前のモノに立ち塞がる者が居る。
カチリ、と青年が手にしたジッポが音を鳴らす。
生み出された焔にも似た、鮮やかな赤いライダース。少し硬そうな毛質の茶色髪は特徴的で、何よりも驚いたのはその青年が――以前、湊と美奈子にバイクを貸してくれた者であった事だった。
『周防……達哉ぁ……!』
――周防?
周防。湊と美奈子には、その苗字に聞き覚えがある。確か、綾凪署に周防という苗字の刑事が居た筈だ。
眼前に現われた青年と、あの周防という刑事。瓜二つという訳ではないが、面差しが似ている。だからなのだろうか、否、違うかもしれない。湊と美奈子を見つめる達哉の眼差しを受けて、心の海に揺蕩う、ほんの微かな温かさに自然と身体に再び力が灯った。
「相変わらず、運命だの何だのと同じ事ばかり言う」
巨躯を焼き払わんとする焔を振り払った目の前のモノに対して、達哉は静かに言う。
『影は、闇は、お前達人間そのものだ。お前達の意識に在る渇望から、生まれて来る。いつだろうと、ずっとなぁ……』
「なら、また同じ事を言うだけだ。そんなものは後出しの予言と変わらないと、そして」
膝に力を入れた湊は総司を、美奈子は暁の身体を支えて共に立ち上がる。
湊と美奈子は共に改めて目の前のモノと向き合う総司と暁を見つめ、総司と暁も同じように見返して同じ眼差しで頷く。そこから湊と美奈子、総司と暁を見守る達哉に力強く頷き返した。
『ハーッハッハハ! よかろう、貴様ごと、また絶望を抱いて滅びの世界に堕ちるがいい!』
目の前のモノが嘲いに来る。けれども今は、湊と美奈子、総司と暁に背を向け、同時に目の前のモノへ真っ向から向き合う達哉の声の方がよく聞こえた。
「見せつけてやれ。――これも全部、運命だったってな」
心の海がざわめく。我を、自分を喚べと声がする。
向かい来る日が、決して明るいものだとは限らなくとも。突き付けられた「旅路の果て」の方がやさしく、その先が更に辛い終わりなき戦いだとしても。
この心が、意志が、此処に在るから。故に心の海からの喚び声のままに、己が「仮面」を叫んだ。
『オルフェウス!』
湊と美奈子の声が重なり、姿形は異なりながらも同じ「もう一人の自分」が現われる。
目の前のモノが触手を伸ばすよりも早く、二体のオルフェウスが腕を掲げて炎を生み出す。同質量の炎が互いの熱量と威力を高めながら、同じ一点を穿つ。
形状を黒い靄と化して炎撃から逃れた一部の触手が足下を這って湊と美奈子へ襲い掛かって来たが、その先にはそれを予想していた達哉が待ち構えていた。
「ペルソナ……ッ!」
赫々とした衣が同じ色の焔と共に翻る。
烈日と蒼穹の支配者には、目の前の黒い闇も宿弊とはなり得ない。すべからく照らす源が、形になりかけた靄や触手をことごとく射し焼いた。
幾多も伸びていた触手がぼろぼろと焼けて崩れていく。それを恨むように、黒い体躯に這った表情の無い貌が首となって擡げ、言葉にならない叫びを上げた。
一息吐いている暇は無い。今はその時ではない。故に、湊と美奈子は続けて召喚器の引き金を引く。
『タナトス!』
幽玄の奏者と入れ替わりに現われたのは、冥府へ死者の魂を運ぶ役目を負った死の化身。
背負った無数の棺桶が、それを繋ぐ鎖と共に音を立てる。携えるのは飾り気の無い一振りの刃。目の前のモノを刈り取る為の得物。
感情の無い無数の貌が上げる怨嗟に被せてタナトスが吼え、駆け出す。その「仮面」の名に相応しく、向かう先に在る存在の命を死へ変える為に。
目の前のモノの幾つもの面から何かが吐き出される。衝撃波のようなものも一緒だ。それらが定める標的は大きく剣を振りかぶったタナトス。しかしそれらは、別の呪怨の波によって飲み込まれた。
「アルセーヌ……!」
タナトスの体躯に隠れて控えていたアルセーヌが高らかに黒い翼を広げ、感情の無い幾つもの貌が吐き出されるものを飲み込み、時として撃ち落とす。その間にタナトスは目の前のモノとの距離を詰めていた。
装飾の無い刃は、無慈悲に与えられる死の象徴。魂を刈り取る死神の鎌と同義だ。タナトスは一切の躊躇い無く、黒い巨躯から無数の貌へ伸びる首のような部分を刈り取った。
黒い体躯から離された貌が、別の何かへ形を変えようとする。そうはいくかと、アルセーヌが現われた反対側からもう一体が飛び出した。
「……イザナギ!」
長い鉢巻が揺れ動くと共に、その身から繰り出されるのは切り離された貌の数を超える斬撃。真っ二つと言うには生温い。その原型が留めぬ程に切り刻まれ、駄目押しとばかりに放たれた雷光が跡形を消し去った。
目の前のモノの巨体に、幾多も伸びていた触手も、張り付いていた無数の貌も今は無い。原形質の黒い何かだけが在る。
「湊」
「美奈子」
美奈子が湊を、湊が美奈子を、同じタイミングで呼ぶ。抱く思いも同じ。従って、それに伴う行動も同じだった。
刻印が施された召喚器を持ち上げる。銃口を突き付ける先は、お互い直ぐ隣に在る湊であり美奈子だ。
通常、召喚器によるペルソナ召喚は自らが自らに向けて撃つもの。他人に対して向けるものではない。だが今、直ぐ傍らに在るのは他人ではない。本当ならば、巡り会う事も無かっただろうから、ある意味で誰よりも何よりも遠かった。けれども同時に、何よりも誰よりも近い存在――「もう一人の自分」。
故に、その引き金を引く事に何の躊躇いも無かった。
『メサイア……!』
心の海で幽玄の奏者と死の化身が溶け合い、白き救世主の姿を成す。
場に光が満ちる。闇を退け、影を払い、明けぬ夜を打ち消す。
『グッ、ヌウウウ……ッ!?』
目の前のモノが呻き、僅かに後退する。
ここに、かつて結んだ絆や存在は居ないけれど。此処で感じたものもあるから。
それを感じられるから、走り続けよう。目の前の悪意を知っていても、向き合おう。
……だから。
「――終わりにしよう!」
今、此処に在るから。目の前のモノが嘲うなら、それの望む通りに人の可能性を示そう。
メサイアから放たれる極彩色の一撃。更に、全方向から全員による総攻撃を叩き込んだ。
『これが……これが、何という矛盾か……!』
黒い巨躯はもう無い。在るのはそれの残骸。既に、夜と共に消え掛けている何かだ。
泥か、霧か。液体とも気体とも、ましてや固体とも判断付かない。何かも分からないまま、目の前のモノが形を、姿を失っていく。
それでも、声は小さくなっているが目の前のモノからの声は聞こえて来た。
『いいだろう……だが、覚えておくがいい……! 全ては一にして、一は全て……お前達が、人間が居る限り、そう望む者が居る限り、決して滅びる事など無いのだと……!』
「どうでもいい」
否、実際はどうでもよくはないが、目の前のモノに対してはそう返す。
影は普遍的無意識から生まれ出でたもの。心の海から出でるペルソナと同じ。目の前のモノが言う通り、人間が在る限りは死の概念と同じく消えようのないものなのだろう。
「人間が在り続ける限り、望む者が居るように望まない者だって居る」
「それも知っているし、いつだって忘れない」
生を感じ、死を忘れ得ぬように。
嘲う声が次第に小さく、哄笑も聞こえなくなっていく。そうして黒い何かの滓が消え去っていった後の空には、淡く青白い月が浮かんでいた。