旅の終わりの、更にその先の物語。 作:しろまち
一方、美奈子は電車の発車時刻までの間、駅内の花屋へ立ち寄っていた。
店先に並んだ色とりどりの花や植物。それらを眺めていると店の奥から店員が出て来て美奈子は顔を上げるが、その店員の姿を認めると目を見開いた。
「あれ……?」
「ここのバイト、始めてみたんだ」
美奈子の疑問を汲み取って、花屋の店員――暁が答える。
濃い緑色のシックなエプロンはよく似合っていて、花屋のバイトではなくともぴったりに思える。今の時間、暁以外の店員は居ないようだった。
この店がバイトの募集をしていたかどうかまでは記憶が曖昧だが、その辺りは大した疑問ではない。暁の返答を聞きながら、美奈子はポケットから一枚のカードを取り出した。
「これ。もう、来られなくなったから」
そう言って差し出したのは、この花屋のスタンプカード。暁は美奈子から差し出されたそれを受け取り、裏面のスタンプ台紙面を見た。
一定金額毎に押されるスタンプ。カードに印刷された台紙には、上限のスタンプ数が全て押されて埋まっていた。
ただ一度、二度来るだけではスタンプ満了にはならない。つまりは全てスタンプが押されるくらいにそれだけこの花屋に訪れたという証拠で、その事実に暁は黒縁眼鏡の奥で双眸を細めた。
「……ずっと、見守ってくれていたんだな」
あの長いながい眠りから目覚めた時。病室のゴミ箱に、この花屋のシールが貼られたビニールが捨ててあった。暁がこの店のバイトをしたいと思ったのもその為だ。
勿論、溜まったスタンプ分全てが暁だけの為という訳ではないのだろう。ただのついでなのかもしれない。だがゴミ箱には萎れた花もあって、ベッド脇のテーブルには花以外も置かれていた。それは、一度だけではなく少なくとも二度以上病室に訪れていたという事だ。
他の誰にも、気付かれない中でも。暁自身が自分の事も他の事も考えたくないと思って、眠り続けていた中でも。いつ目覚めるとも分からない中でも。
気付いてくれていた。暁の事を考えて、思っていてくれた。ひとりきりなどではなかった。
「ちょっと待っていてくれ」
一人深い息を漏らした後、暁は美奈子にそう言い留めてガラスのウィンドウケースを開ける。
美奈子は不思議に思いつつも電車の発車時刻にはまだ余裕もある為、取り敢えず頷いてから言われるままに待ちながら暁の行動を眺めた。
暁はガラスのウィンドウケースからバラの花を取り出し、作業台の上に置くと手慣れた手つきでラッピングしていく。取り出してから幾分も掛からない。仕上げにピンク色のリボンを持ち手に結び、それを携えて再び美奈子の許に戻って来た。
「これ、俺から」
これ、と示されたのは、暁と美奈子の間に挟んだ真っ赤なバラの花束。
「……お金は?」
「スタンプカード貯まった分の割引と、あとは俺のバイト代から天引きして貰う」
店のスタンプカードは満了すると幾らか分の割引があると書かれていたが、目の前にあるバラの花の本数は割引分を軽く超過しているだろうと美奈子でも分かる。些か伺うような美奈子の問いと視線に、暁はやや気恥ずかしげに眼鏡を弄りながら続けた。
――俺の気持ちを受け取って欲しい。
鮮やかな深紅のバラへ吹き掛かる吐息に花弁が揺れながら暁はそう告げ、花束の向きを変えて美奈子へ差し出す。美奈子がそれを受け取り、腕に抱えると柔らかなバラの花弁が頬や口許を擽った。
「ありがとう」
目の前の瞳とよく似た色のバラを抱える美奈子の姿に、暁は口許を緩めながらも僅かに眉を下げる。
「……俺にはまだ、見合う言葉を口に出来る資格はないけれど」
ずっと眠りの淵に逃げ続けていた。
何も選びたくないと、何も考えていたくないと、そう思って閉じ籠もっていた。その結果、自分は何も変えられず、自分も何も変わらず、ただ時間の経過によって全てが変わって選択や思考すら意味を成さなくなった。
けれども、もうそんな風には思いたくない。もうあの時と同じ思いも選択も出来ないけれど、これから何かを選び、何かを考える事は生きている限り終わらないから。それが人間というものだと思うから。
どうしたらいいのかと考えて、そうしたいと思い、選ぶ自分の未来を――必ず取り戻して、自分の答えを掴めるように。
そうして、またいつか。自分が秘めたものに相応しいと思えた時、今度はちゃんと口に出して伝えよう。
敢えて約束はしない。離れていたって、同じ星を見ているから。ならばきっとまた会える、と。
赤いバラ→「あなたを愛しています」