旅の終わりの、更にその先の物語。   作:しろまち

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キタロー&ハム子視点。


4:皇帝

 綾凪署で事情聴取を終え、その帰り。湊と美奈子は、俺のべこ――牛丼屋に来ていた。

 カラオケボックスでのリバース事件、それから外での出来事について事情聴取を受けていたら、随分と遅くなってしまった。警察の方も遅くに未成年だけで帰すのも良くないと判断して帰りは送るとの事だったが、湊と美奈子はそうなる前に一足早く綾凪署を出たので送って貰う事はしていなかった。

「私も毒防御付けてたのに」

「それはもういいだろ」

 運ばれて来た並盛りの牛丼を前に美奈子がぶつくと、特盛りの牛丼を前にした湊が事も無げに返す。

 随分と遅い時間の為か、他に客はほとんど居ない。湊と美奈子が入店してからも、入って来たのは一組の男女くらい。店員も一人の、いわゆるワンオペ体制というやつだろうか。

 いただきます、と食前の挨拶を済ませて、牛丼を食べ始める。食べるなら出来立てが一番だ。

「海牛の牛丼食べたくなった」

「いつも満員だったから、あんまり行けなかったよね」

 ここの味も悪くはないが、かつて食べた味が少し恋しくなる。

 他店の味と比較するという若干店にとっては失礼かもしれない言葉を交わし、その後は黙々と食べる。食べながら喋るという無粋はしない。

 それよりも、と問い掛ける先は心の内側。

 ――どういう事。

 ペルソナ使いの事、シャドウの事。カラオケボックスで起きた反転死体の事も諸々含めて、全部投げ付ける。

『どういう事、というのなら、そういう事、になるのだろうね。ただ恐らく、シャドウの出現は「此処」ではな本来存在していなかったのだろうと思うよ』

 心の内側から綾時が答える。綾時の言葉は、湊と美奈子にしか聞こえていない。

 酷く曖昧な言い方だ。もっとも、綾時とて全てを知っている訳ではないのだから曖昧な言い方になってしまっても仕方の無い事かもしれない。シャドウの上位存在であり、死たるニュクスの宣告者であるといっても、全てを関知している訳ではないのだろう。結果として影響を与える事はあっても、そうなる事を見越しているという訳ではないのと同じように。

 ただ、全てが分かっている訳ではないとしても。分かる事もあるのだろう。故に紡がれた応答に、湊と美奈子は思考を巡らせる。

 あの時の事と、綾凪市での事。それから、今日起こった事。何となく分かってはいたものの、首を突っ込まずとも巻き込まれるとは。否、これもあのベルベットルームの住人達の言葉を借りるなら、それも試練であり運命というやつだろうか。

 幾ら勇気は上げきったといっても、いつだって「何も思わない」訳じゃないのに。

 脱いだ筈の仮面が再び浮き上がって来るようで、湊と美奈子は牛丼を掻き込むペースを速める。このままでは、折角の食事が味気なくなってしまいそうだった。

「御馳走様」

「御馳走様でした」

 食後の挨拶も忘れない。きっちり綺麗に平らげて、会計を済ませて外に出る。

 勿論所持金は足りていた。地味に気になっていた金銭面については、現在寝起きしているマンションに生活費という書き置きで置いてあったのを使っている。湊と美奈子は一度も会った事が無いのだが、どうやらあのマンションには世帯主というか、家主らしき者が居るらしい。現在未成年である湊と美奈子の名義であのようなマンションの一室を借りられるとは思ってなかったが、イゴールが諸々直接の名義人となっている訳ではない事に少し安心する。流石に何というか、イメージがあるというか。なお、定期的に置かれる生活費はちょっと桁数多く間違えているようではあった。まさかブリリアントなご身分ではないだろう、と思いたい。

 それはさておきとして、牛丼屋を出て向かうのはその寝起きしているマンションではない。そちらとは反対方向、人気の無い場所を目指して歩く。とはいっても、いまだこの辺りは土地勘が然程無い為、人気の無い場所といったら足は自然とこの綾凪に来た初日に赴いた工事現場だった。

 とうに陽は暮れて、辺りはすっかり暗くなっている。

 赴いた工事現場も、既にこの日の施工時間を終えたようで静まり返っている。また無断侵入になってしまう事に心中で謝罪を述べておきながら、少し深く息を吐いた。

「……気付いてたのか。壮太朗(そうたろう)が言うだけはある」

 ある程度ひらけた場所まで歩いてから立ち止まり、振り返ると薄暗い中から男が一人、女も一人、現れる。男は湊の方を見遣ると、少しばかり感心したように片眉を上げた。

 ずっと尾けられていたのは分かっていた。

 恐らく、警察の事情聴取が終わった頃からだろう。あの時はまだ他の面々も居た為に誰へ向けていたのか分からなかったので、こうして湊と美奈子だけになる時までこちらからあからさまな反応を示す訳にはいかなかった。警察に送って貰うのを断ったのもそれが理由だ。ちなみに牛丼屋に寄ったのは単純にお腹が減っていただけである。空腹は良くないので仕方無い。

「見てた」

 目の前の男女を見据えて、言葉短く言う。

 カラオケ店で、反転死体に出くわした時。

 何を、誰を、見ていたのかまでは分からない。それらを含めて、確かめる為でもあった。

「……何の用? 言いたい事とか、訊きたい事とかあると思ったのだけど」

 訊き方があまりにも直截なのはどうしようもない。元より、そういう駆け引きに長けていない自覚はある。

 こちらとしても尋ねたい事は色々とある中でまずは相手の出方を伺うと、男は女と一つ頷き合った後に話を切り出した。

「――自分の中に、他人とは違うものがあると分かっているだろう?」

 誰の事だろう。

 つい浮かんだ疑問符と共に、こてん、と揃って首を傾げると、自分の内側に居る綾時が噴き出したのを感じた。

 僕の事かな? 挨拶した方がいい? デスの姿の方がそれっぽく見えるよね? と要らない方面でやる気を出し始める綾時に座ってろ、とすげなく心中で返していると、その間の沈黙を肯定と取ったのか男は更に言葉を続けた。

「その力、何の為にあるのか知りたくはないか?」

「どうでもいい」

「興味無い」

 ペルソナ。

 心の奥底に漂う「もう一人の自分」であり、「仮面」。

 神話や伝説、歴史上の英雄や神々の姿を取る事が多く、人智を越えた困難に立ち向かう為に同じく特異な力を持つ。あのベルベットルームの住人曰く避けられぬ「死」に向き合う為の心であり、その恐怖から心を守る為の鎧であるともいうが、それもペルソナの一側面にしか過ぎないのだという。

 人が時と場合、状況によって振る舞いを変えるように。己が纏う「仮面」も変わる。複数のペルソナを使い分けるワイルドの素質とも違う。

 ただ、自分達が見ていないだけで。自分が見ていたくない自らの一面であったり、何かに対しての強い感情を向けた一面であったり。心の海から生まれ出た「自己の人格」を、纏めてペルソナと呼ぶのだろう。

 故にとっくの昔に教えられた「ペルソナ」について今更知りたいと訊かれても、既に知っているのだからわざわざ知りたいとは思わなかった。

 揃ってにべもない返事を投げ寄越す様に男は多少予想していたのか肩を竦めた後、上着から手を出して身を低く構えた。

「……そうか。壮太朗を退けたらしいその力、あの方も興味があるらしい。その為に、少々強引になるが我々に付いて来て貰おう――沙季(さき)!」

 男の呼び掛けに男の身体から半透明の巨体が抜け出て来るのと、それまで男に寄り添うようにして立っていた女が動き出したのは同時。

 両サイドに大きな腕を持った半透明の巨体は湊の前に立ち塞がり、一方で沙季、と呼ばれた女が身を低くして駆け出し、美奈子へ向けて腕を伸ばす。その身体からは薄く、赤い髪をした半透明の人型が抜け出て来るのが見えた。

「悪いけど――」

「私、お姫さまなんかじゃないから」

 腰のホルスターから召喚器を取り出し、引き金を引くまで一瞬。

「ヨモツシコメ」

 喚び出されたのは、黄泉の国に住まうという鬼女。ヨモツシコメが細長い体躯と同じく垂れ下がった黒い髪を振り乱しながら、目の前に迫る脅威に対峙する。

美奈子に向かって伸びて来る手。迫る半透明の人型――ペルソナの腕を、ヨモツシコメの振り乱した髪の毛が大きく振り払った。

「……!?」

 ペルソナの腕が弾かれると共に、美奈子を捕らえようとした沙季自身の腕も硬直して引っ込む。怯んだように一度足を止める沙季とは反対に、美奈子の行動は止まらなかった。

 続けて放ったのは風の魔法。生み出された荒れ狂う強風に押され、周囲の物が散乱する中で沙季が美奈子から距離を取る。沙季がペルソナと共に後ろから飛び退くのを視認したまま、今度は美奈子の方が前へ駆け出した。

 先程の風で、周りは資材が派手に散らばっている。工事現場の作業員に対しての罪悪感に心中で謝罪を呟きながらも、美奈子は地面に散らばった資材のひとつ――ウッドスティックを蹴り上げた。

 細長い棒状の木材が目前の中空に浮く。その柄を掴み、更に前へ。駆けた勢いを殺さぬまま腰の位置で水平に構え、沙季の眼前まで迫ると重なった半透明の人型ごと真一文字に薙いだ。

「うっ……!」

 辛うじてペルソナが盾としての役目を果たしたらしく、しかしかといって無事にも済まずに沙季が横薙ぎに飛ばされて地面に膝を付く。赤髪のペルソナも顕現を維持出来ず、強制的に引き戻されるように沙季の中へ引っ込む形となった。

「沙季!」

「気を緩めてる暇、あるの?」

 美奈子の反撃に男が気を取られた数瞬。はっと男が湊に向き直ろうとするが、湊にとって男の挙動は遅過ぎた。

 いっそ振り向かないまま美奈子の方に向かうなら、まだマシだったかもしれない。否、結局あちらも同じ事か。そう、どちらも――「同じ」なのだから。

 既に行われた召喚により、顕現したジャックフロストの拳が男から抜け出た半透明の巨体――ペルソナとぶつかる。男のペルソナの方がジャックフロストよりも巨躯ではあったが、不意打ちに近い形となった一撃をまともに食らった男のペルソナは男と共に大きくよろめいた。

 足で蹴った地面が軽やかな音を立てる。美奈子の薙いだウッドスティックの先が地面に落ちていた鉄パイプを掬い上げ、湊はそれを拾い取った。

「くっ……まさか、二人ともペルソナ使いとはな……しかもこの力、確実に特A潜在クラス……」

 並び立った先に、体勢を戻した男と身を起こした沙季の姿が映る。ワンモア出来る所をわざとせずに済ませたのだ、こちらとてまた知らない単語が出て来て、訊きたい事が増えてしまってどうしてくれると言いたくなる。本当に言ったりはしないが。

 壮太朗という少年と戦ったのは湊だけだった。ペルソナ能力があると思ったのも湊だけだと思ったのだろう、故に共に居る美奈子を人質に取る事で湊に同行を強制しようとした――そういう思惑だったのだろう。残念ながらと言うべきか、上手くはいかなかったし容易くそんな事を許す心算も無かったが。

 男と沙季が険しい顔で湊と美奈子を見据えて来る。湊と美奈子としては仕掛けて来たから反撃したに過ぎない正当防衛の心算であるのに、結構に酷い反応だと思う。

「……統馬(とうま)

 沙季が男の名を呼ぶ。湊と美奈子と対峙したまま、統馬と呼ばれた男は重く頷いた。

「成程。二人とも、その上それだけの力を持っているというのならば他者の手など借りる必要は無いという事か」

 別にそんな心算は無いのに、勝手に決めないで欲しい。

 思わず些か顔を顰めてしまうも、統馬という男が気付いた気配は無い。何やら一人合点し始めた様に、ちょっと面倒臭くなって来てしまった。

「だが、こちらの邪魔をする奴らに力を貸すような事になっても厄介ではある。それとも、既に協力者か、そちら側なのか?」

「何それ。知らない」

「知らない……? それなら、一緒に来て貰う事くらいしてくれても良いんじゃない?」

「そっちの事もよく知らないから」

 そもそも、先に問答無用で人質取ろうとしてまで仕掛けて来たのはそちらだろう。よく知らない者にいきなり襲われて、やり返すのは至極当然の反応だと思う。そうしなくとも、何となく何処ぞかの理事長やら半裸男を思い出してしまって素直に頷く事も出来なかった。

 つい思い出してしまったついでに改めてぶん殴ってやりたい気持ちまで蘇って来て密やかに自らを宥める湊と美奈子を余所に、統馬と沙季は怪訝と警戒を交互に織り交ぜた視線を向ける。

「どちらも知らないというのならば――」

「だから、知る為に『此処』に居る」

 統馬の台詞を途中で断ち切るように、湊は鉄パイプで中空を切る。鉄パイプの少し曲がった先端を地面から少し浮いた所に下ろした湊と、ウッドスティックを垂直に持ちながらトントンとローファーの踵で地面を叩いた美奈子は統馬と沙季を見据え直した。

 言葉を引き裂いた後に紡がれる吐息は、夜の外気のように冷たく。

「殲滅する?」

「大量破壊は、無しにしておきたいけど」

 対称的、正反対とも言える印象の顔が全く同じ、静かな「死」の気配を帯びる。

 それはまるで、魂を刈り取る死神のように。

 いかなる者にも来たる絶対的な気配に眼前の者達が一瞬にして硬直し、身を震わせ、そして弾かれたように動き出す。それはまるで、己の震えを誤魔化しているかのようでもあった。

 統馬と沙季から、再びペルソナが姿を現す。あのペルソナは、一体何に対しての「仮面」なのだろう。分からない。此処はかつての場所でも時間でも無い以上、あの時と同じ意味ではないのだろう。ただ、今向かって来る意味は皮肉にも同じかもしれない、と思えた。

 先に立ち塞がったのは、統馬のペルソナ。身体から抜け出たような状態になっている分を抜いても些か大きな体躯を前に、美奈子は再び召喚器の引き金を引いてヨモツシコメを召喚する。

 再度喚び出されたヨモツシコメが、巨体の人型を前に身体をくの字に折り曲げて人ならぬ叫びを上げるかのような体勢を取る。それと合わせるようにして、目の前の空気が波打って歪んだ。

「そちらのペルソナは、こちらに対しては非力なようだな!」

 警戒に統馬が一度足を止めるも、眼前が波打ったかのようになりながらもダメージは無いと判断したらしく動きを再開させる。そのまま、好機とばかりに己のペルソナである巨体の腕を美奈子へ振り下ろした。

 振り下ろした巨体の腕の動きによって、風圧が生まれている。このまま無防備に受けたのなら、無事に済まされない事がよく伝わって来る。しかしその前提が成り立たないであろう事を知っている湊は、美奈子の前に振り下ろされる巨体の腕を鉄パイプで受け止めた。

「……っ!?」

 統馬の顔が歪む。ペルソナである巨体の腕をそのまま力任せに振り下ろそうとしているようだが、巨体の腕は鉄パイプを構えた湊と均衡を保ったまま。この時点で、想起しているよりも力が出せていない事に気付いたようだ。

 今此処に、いつも共に戦ってくれた仲間や、的確にサポートしてくれた仲間は居ない。けれど、共に戦った時の経験まで失われた訳ではない。海牛の牛丼をよく食べていた先輩が何故かやたらやっていたな、と少しばかり色々と複雑な気分が過ぎていく。

「統馬!」

 沙季がもう一人の仲間の名を呼びながら、己のペルソナが従える幾本もの剣を向ける。その間に、美奈子はペルソナの切り替えを行った。

「ヴァルキリー!」

 向かい来る剣の軌道を見切り、ウッドスティックを振るって弾く。

 先程の黒く長い髪が人型を成したような姿のヨモツシコメとは異なる、駿馬に跨がり双剣を携えた勇猛な戦乙女の姿に統馬と沙季の目が驚愕に見開かれた。

「俺達の他にも、複合ペルソナを……っ、ぐ! どれだけペルソナを奪ったら、これ程の力に……!?」

「ペルソナを……奪う?」

 巨体のペルソナの腕と均衡を保たせていた鉄パイプを湊は下から振り上げて払い除け、直ぐ様美奈子が接近を許さぬようスラッシュで牽制する。

思い出すのは、初日に歩道橋で見た光景。

 人の身体から抜け出たような半透明のものを、同じく半透明のものがまるで取り込んでいるかのようだった。

 あの半透明の人型らしきものは、この二人の発言からペルソナなのだと知った。今、統馬と沙季の身体から表われている存在と、歩道橋で見たものはどちらもペルソナという存在。更に先程の統馬の言葉を踏まえた上で、改めて歩道橋で見た状況を思い返す。

 あれは、他者からペルソナを奪っていた?

 まるで、「仮面」を剥がすように。だとするのなら、と思考が、カラオケ店の個室で見た反転死体と怪しげな少年とを繋げる。

 あの壮太朗とかいうらしい少年は、統馬という男と沙季という女と知り合いらしい。仲間、といった方が適切なのかもしれない。ならば反転死体とはただの変死体ではなく、ペルソナを奪われたが故の成れの果てだとするのなら。

「あの身体が裏表になった死体と、君達の目的と『やっている事』。関係ある?」

「だとしたら、どうする」

 逆に問い返され、無言になる。

 答えられぬ事をあちらは分かっていたのだろう。それもそうだ。このペルソナというものは、一般的には知られていない特異かつ超常的な力とも呼べるものだ。そんなものが世間にごく当たり前に認識されていたら、それこそ世界の認知がまるきり変わってしまう。

 あの時は、極秘裏ではあるが桐条を通して内々に警察の協力もあった。今はどうなのか分からない。大々的に公表されてはいないようだが、実はあの時よりももっと大きく関わっていたりするような事もあるのかもしれない。

 ただ、それを知る術も関わる伝手も今の湊と美奈子には持っていない。一見、そこらの高校生にしか見えない湊や美奈子が例えば警察に何かを言った所で、荒唐無稽過ぎてまともに取り合って貰えないのは明らかだった。

「なら、シャドウは……」

「……シャドウ? 何の事だ」

「え」

 思考を巡らせたまま滑り落ちた半ば無意識の呟きに対し、怪訝に返った言葉に我に返って短く声が漏れる。訝しげに見返す表情に、恍けているような様子は無かった。

 シャドウを知らない。否、知らないというよりも、むしろ。

 ――シャドウの存在自体、本来なら存在しない?

 綾時のあの言い方は、そういう意味だったのだろうか。

 現在、心の内で静観を決め込んでいる綾時がちょっと憎らしくなる。今姿があったら殴っている所だった。だからかもしれないが。

 既に出て来た単語やら何やらでキャパシティオーバーになりかけてはいるが、だからといって思考を放棄する訳にはいかない。此処に自らが在るのだから、その意味の為に思考する。

 シャドウの出現。それは、かつてニュクスが降臨し掛けたように「死」が世界を覆い付くさんとする事態によるものだった。この綾凪市という場所がかつての巌戸台と同じ事態になろうとしているが為に、シャドウも出現した。その流れなら理解出来る。

 しかし、シャドウの出現が本来イレギュラーだというのなら。否、そもそも湊と美奈子の存在自体がイレギュラーだ。綾凪で起こっている異常な事態の他に、それ以上に尋常でない事態であるからこそ湊と美奈子が此処に在るのだとしたら。

「何を知っている?」

「さぁ」

 返す調子が素っ気無くなってしまったのは、仕方の無い事だと思いたい。何を、と訊かれても何を答えたらいいのかも分からないし、正直こっちが知りたいくらいだ。

あの巌戸台とこの綾凪とを比べて幾つかの、幾つもの相違点が頭の中を行き交って絡まっていく。けれど、点と線は繋がって来ない。

 今分かるのは、この綾凪市内で起こった反転死体の事件が目の前の者達――ペルソナ使い達が関係し、しかし彼らはシャドウという存在を認知していない、という事くらいだろうか。それも暫定的な認識だ。単にシャドウという名称で呼んでいないだけかもしれない。

 気を抜くと散漫になりがちな頭の中を整理しようと、静かに息を吸い直す。分からない事だらけでも、今目の前に在る状況に目を逸らす訳にもいかない。

「アークエンジェル」

 再び剣を向けようとした沙季に対し、湊はペルソナを切り替えてエンジェルアローを放つ。だが命中は目的ではない。狙いは足下に絞り、一度行動が止まるのを見通す。統馬の方も美奈子が鋭くウッドスティックを突き出して、突撃を躊躇らわせているのが見えた。

 次の行動に移させる心算は無い。大天使の名を持つ天の兵士が剣を掲げ、そこから放たれたのは広範囲に広がる雷の魔法だった。

 夜闇に眩い閃光が数瞬、辺りを照らす。回避行動を許さない紫電が、統馬と沙季をペルソナごと縛った。

「そっちの知っている事と目的、教えて欲しい。全部」

 問い掛けがどんどん雑になっている自覚はあるがもう諦めた。伝達力が欲しい。

 先程の攻撃で感電状態にしたから、直ぐの行動は難しい筈だ。揃って膝を付く統馬と沙季に、湊も美奈子もそれぞれ鉄パイプとウッドスティックを突き出す。体力も気力もまだ充分に余裕はあるが、無限大という訳でもないから温存しておくに越した事はない。

「くっ……」

 湊と美奈子に見下ろされた統馬と沙季が、呻きながら見上げて来る。

 感電よりも悩殺状態の方が良かっただろうか。そんな風にペルソナの切り替えを検討し始めた所で、唐突に統馬の方が苦しみ出した。

「うっ、ぐ、うう……!」

「統馬! こんな時に……!」

 苦悶に満ちた呻きが大きくなる。それに合わせるかのようにして、背中を丸めた統馬の身体から再び半透明の巨体が抜け出て来た。

 しかし、半透明の巨体はまるで制御が効いていないかのようにその身が膨らみ始め、身の内から何かが零れ出しているように黄色い光が漏れている。その光は無数の人の形のようにも見え、それを収めた半透明の巨体は内側からの圧力に苦しんでいるかのように暴れ出した。

 巨体が滅茶苦茶に腕を振り回し、地面へ振り下ろす。狙いが定まっていないが故に見切りやすいが無差別な軌道に、湊と美奈子は一旦その場を飛び退いた。

 突然の異変に直面しながらも、湊と美奈子はどうするべきか暴れる半透明の巨体を見つめて考える。

 再度動きを止めた方が良いだろう。そう判断し、湊と美奈子が手持ちの鉄パイプとウッドスティックを握り直して――

「――!?」

 打ち寄せる得体の知れない感覚に、背筋が粟立った。

 それは恐怖であり、熱望だったのかもしれない。けれど確とは分からなかった。理解を超えた何か、思考を越えて心の内へ這い寄って来た。故に心の鎧とも言える「仮面」は、そちらへ意識を向ける事を優先させた。

 施工時間ではない工事現場に照明はほとんど付いていない。月明かりも雲で隠されて充分ではない夜、意識と目を向けた先は数メートル先も分からないような、深い霧がかったような暗闇で。

 それ程までに暗過ぎて、人どころか何が居るかどうかすら分からないのに――『見ていた』。

「……」

 浅く、掠れた呼気が漏れる。それによって我に戻り、同時に雲が流れて月明かりで少しだけ周囲が明るくなった。

 改めて目と意識を向ける。そこに在ったのは、工事現場によく置かれているマネキン。背の高い浅黒い男ではない。特に変哲も無く佇んでいるそれに、無意識に強張っていたらしい肩の力が一気に抜けた。

 絡んでいた糸が解けるように緩みきった意識のまま、随分と遅れて対峙していたペルソナ使いの二人の方へ目を向ける。しかしそこには、統馬と沙季の姿は無かった。

どうやら逃げられたらしい。些か気落ちしてしまったものの、あまり尋問の類に慣れていない為に上手く話を引き出せる自信も無かったので、まぁいいかという思いも無くはなかった。

 周囲にもう、不穏な気配は感じない。手にしていた鉄パイプとウッドスティックは元の片付けられていた所に置き直しておく。他にも周囲は資材やらが散らばっていたので、取り敢えず湊と美奈子で申し訳程度に綺麗にしておいた。半分くらいは自分達の所為ではないのだが、このままにしておくのも流石に良心が咎める。朝、やって来た作業員達は荒らされたような現場にさぞ驚く上に迷惑を被らせてしまう形になるだろう。それこそ、警察沙汰になるくらいには――とそこまで考えて、ふと、そういえば、と思い返す。

 綾凪市に足を踏み入れた初日、あの歩道橋の上で。女性がペルソナを奪われようとして所を助けた時。

あの場所には、既に警察が到着していた。襲われている女性と、襲っている男の他、地面に倒れ伏した幾人かの警察官の姿も見掛けた。周辺を立ち入り禁止にしていたのも知っている。

 つまり、何処までの範囲としてなのか、どういった認識下なのかまでは分からないが――警察は反転死体の事、あのペルソナ使い達が行っている行為の事を知っている。知っている上で、メディアをはじめとする一般には知らせていない。

 それから、ペルソナ使い達は警察ではなく他に邪魔をする者達が居るという事も言っていた。邪魔をする者達、とはシンプルに考えるとペルソナを奪う行為であり反転死体を出す事を止める者達の事なのだろう。そういった者達が、警察と協力して動いているのかもしれない。

 あの巌戸台の時の、桐条と同じように。

 頭に掠める単語が感情を揺さぶりながら、湊と美奈子はあらかた場を片付け終える。その手には、この場所に来た時には確かに落ちていなかった筈の一錠のカプセルがあった。

「……これさ」

「……うん」

 互いに交わす言葉は短い。

 交戦したペルソナ使い達が居た場所にあった一錠のカプセル。見た目には何の変哲も無さそうなそれはしかし、拾った状況を思うと捨て置く訳にはいかなかった。

懸念事項がまた一つ増えつつ、湊と美奈子は工事現場から出る。拾ったカプセルは取り敢えず湊が制服のポケットに入れておいた。後で何か別の保管方法を考えておかないといけない。

 工事現場から出て、現在の住まいであるマンションの方角へ足を向ける。

 もう、随分と遅い時間だ。まだ充分に明るいがそれなりに傾き始めた月の下――

「やぁ。お疲れ様」

 ひら、と手を振って、綾時が湊と美奈子を出迎える。

 そんな綾時に、

「殴られてくれない?」

「殴ってもいいよね?」

 なお拒否権は無いものとする。

 同時に持ち上げられた二人分の拳に、綾時のひぇ、という引き攣った声が暗闇に溶けていった。

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