終末世界でガチ上位者が一般人やってる話 作:MORGANSLEEP / 統括導光
「アルバートさん」
「何かな」
「そういうの、止めた方が良いと思います」
「え?」
チャルは、アルバートの目を真摯に見つめて言う。
揺らめく紺碧の瞳は、まるでアルバートの全てを見透かしているような鋭さを持っていた。
「こういうことは、誤魔化しても良い事ない、と思います」
「……ふふ、敵わないね。じゃあ言うけど、先日ボクはフリスさんに──」
「それを言ってます」
遮る。
彼女は、強い意思を持って、アルバートの言葉を止める。
「自分を誤魔化して、無理矢理に好きだって勘違いさせるの……やめた方が良いです」
「……」
今度こそ、アルバートは固まる。唾も言葉も飲み込めぬままに、唖然とした表情で──目の前の少女を見る。
だってそれは、アルバートが誰にも悟らせないよう、自分の記憶をも飛ばして忘れていた事なのだから。
蘇る。
自分の本当の気持ちが──何度もあり得ないと頭を振って、否定した感情が。
「君は」
「カンビアッソさんに告白したんですよね。わかります。アルバートさんの中にあった本当に大切なものが、顔の見えない、髪の長い小さな女の子から、カンビアッソさんになったのがわかりましたから」
「な、ぜ……そこまでのことを」
「けど」
髪の長い小さな女の子、まで聞いて、さらなる動揺をする。
アルバートにとってそれは、過去の、ガルラルクリアの姓でなかった頃の彼女の思い出は、今生において口にさえ出したことの無い話だ。
「そのどちらもが、偽りですよね。偽りというか、あなたが自分にかけた、『そうであると思い込むための自己暗示』」
「なん、」
「わかります。その後ろに、朧気にですけど、もっと大切なものが見えるので」
それは。
「ボールと積み木と、男の子。読み取れるのはこれだけですけど、アルバートさんが本当に愛しているのは彼なんじゃないんですか?」
「──……」
唖然、呆然。
聞く人が聞けばドン引きするような、というか盗聴しているフリスが既に「うわぁ、もうちょっと手加減とかさ……」なんて独り言をつぶやいてしまうくらいの、踏み込み。
恐らくアルバートが自分さえ騙してひた隠しにしてきた真実を暴き、それを当の本人にまざまざと見せつける暴挙は──けれど、よく効いたらしかった。
「……そうらしいね。ああ、そうだった。ボクは忘れたくて……新たな生を歩みたくて、
「はい。アルバートさんにとって、あの男の子は、誰よりも大事に見えます。そんな取って付けたような恋心なんかより、遥かに。そもそもアルバートさんがカンビアッソさんに感じたのって、恋心じゃなくて脅威だと思います。私も一瞬勘違いしそうになりましたけど……あの人は多分、もっと別の」
「うん。使徒の類だろうね。つい先日フレイメアリスに会ったばかりだし、そろそろ動いていてもおかしくはないだろう。あの横臥チトセというメイドも使徒だった。ただ、フリスさんはもう少し上の存在な気もするけど……」
「使徒……って、なんですか?」
「ありゃ、その辺りは知らないのか」
腰を据えて。
アルバートは、静かに語り始める。その語りには多分、もうこれ以上踏み込んでほしくない、という思いがあったのだろう。アルバートの秘密。原初の記憶。それが語られる日は──少なくとも今ではない。
「いいかい、この世界には、神と使徒と人間がいる。まず人間とはボクらのことだ。いつの時代も最も数が多くて、増えすぎたり滅亡しかけたりを繰り返す。今は滅亡しかけている時期だね」
「……言い回しが完全に新興宗教……」
「うーん、でもこれ以外に説明のしようがないからなぁ。だから、続けるよ。それで、次に使徒。これは天使とか使徒とか上位者とか色々呼び名があるんだけど、得てして『刃の通らない身体』を持ち、『目に見えない力を操り』、『至る所に現れる』……『人間社会に潜み、世界を眺める端末』を指す」
どこかで誰かが「ぶふっ!?」と噴き出したりしていなくもない。
「え、えーと。ごめんなさい、ちょっとよく……」
「混乱するのも無理はない。というか普通は信じられないよ、こんなの。けど、事実だ。ボクはずっと見てきたからね。彼らがこの世に齎した叡智と暴虐を。ふふ、しかもその使徒は、世界中に何万人もいるんだ」
「……それが、カンビアッソさん」
「あと、ボクは直接見たわけじゃないけど、以前ホワイトダナップに現れたというキューピッドというのもそうだろうね」
「え……」
「ああ、けれど、勘違いしてはいけない。使徒は必ずしもああいうのばかりではないんだ。勿論人類に害を齎すタイプも多い……というか半分くらいはそうなんだけど、逆に益を与えてくれる使徒も少なくない。ホワイトダナップにも二人程人間の味方をしている使徒がいるよ」
「ホワイトダナップにもいるんですか……?」
「いる。けど、害を及ぼさない方は、ただの死なない人間でしかない。勿論『刃の通らない身体』と『目に見えない力場』は持っているんだろうけど、攻撃されない限りそれをひけらかしたりはしないさ。彼らは人間社会に溶け込む事を目的としているから、人間との不和を起こしかねない言動はしないのさ」
どこかで誰かが「ま、まぁ僕バランサーじゃないし……」とか言ってたりしない。
「つまり……カンビアッソさんは、特に問題ない人、でいいんですよね?」
「多分ね。科学開発班で真面目に働いているあたり、益を齎す側だろうし……何よりこうやって、チャルさんやアレキさんの願いに答えて通信機を作ってくれるくらいには人間を見てくれている。害を齎すタイプの方は基本、自分の興味あるもの以外に興味が無いんだよ。一切の興味を向けない。恐ろしい程にね」
「……使徒が、自分を使徒だと忘れて、仮人格を持つ、ということは」
「あぁ、たまにあるよ。というかよくそんな可能性を思いつくものだね。結構なレアケースなんだけど」
「そう、ですか」
否定して欲しかったのかもしれない。
チャルの知る彼が、仮人格ではない、と。
けれど、チャルは首を振る。そうだとしても、彼はオルクスをチャルに預け、殺せ、と言っていた。それは彼が仮人格以上のものを手に入れていた事に他ならない。
「神、というのは?」
「名前くらいは聞いたことあるだろう? フレイメアリスだよ」
「……皇都フレメアの由来になった、空の神」
「フレメアの事も知っているのか。ああ、そうか。アレキさんの刀はフレメアで見つけたと言っていたね。……けど、よく降下許可が下りたものだ。あそこはホワイトダナップにとって最大の汚点。現政府は隠したがると思っていたんだけど」
「それはちょっと、裏技を」
ケルビマ・リチュオリアが探してこいと言って、その後全責任を彼が負ったからうやむやになっているけれど、たとえ隠されていた国であったとしても、禁書や武器を拾ってくるのは盗掘行為。本来はケルビマ・リチュオリアが罰する対象である。
無論、その盗掘対象がその直前くらいに作られたものである、など、ここにいる二人には知る由もないのだが。
「……まぁ、いいや。それで、フレイメアリス。これは空の神の名なんだけどね、実際にいる」
「神様が……」
「昔からいるんだよ、この神は。フレイメアリスの名が本当の名ではないかもしれないけどね。聖都アクルマキアンで己を崇めさせてからというもの空の神で定着したけど、昔は不死の王フェルトゥノスとか、精霊主ズァルテュスとか、反神トゥキパト、タブリスグリヌス……とまぁ、色々ね」
「……ごめんなさい、あんまり一気に言われても……」
「まぁ、過去の名前は覚えなくていいよ。今はフレイメアリスだから」
怒涛の、しかも知らない言語体系の名前に、さしものチャルも頭が追い付かない。
今さっきまで鋭く踏み込んできた彼女とは打って変わっての、そんな年相応な様子に、アルバートはくすくすと笑って──さらに畳みかけることにした。
「フレイメアリス。聖都アクルマキアンに行ったことは……もちろんないよね。そう、昔、聖都アクルマキアンに彼の神は降臨した。手の一振りで山を作り、目線を向けただけで小隕石を消滅させ、死んだ人間を蘇らせ……それはまさしく神の御業だった」
「……神話、じゃないんですか?」
「実話だよ。ボクが生き証人……というには、何度か死んでいるけれど。まぁそんな話は良いんだ。重要なのはこれが事実であるという点と、その御業は全て
「気まぐれ……?」
「そう。さっき崇めさせて、といったけど、彼の神は人々に自分を崇めさせるためにそういう御業を披露したわけじゃない。山を作ったのは『もう少し夜明けを遅らせたかったから』。小隕石を消したのは『折角書いた神話が後世に残らないのが嫌だから』、死んだ人間を蘇らせたのは『その方が面白そうだから』。彼の神の最大の特徴はね、どこまでも無計画である、という所なのさ」
人間にはできないことを、そんな、ちょっと気に入らなかったからとか、面白そうだから、とか、そんな些細な理由でやってのけてしまう。
それはまさしく神の性分であり、所業。そんなものが当然のようにいるという事実に、チャルは身震いする。
「なんでそんな、神様の言い分……動機? とかまで知ってるんですか?」
「あぁ、まぁ、飲み仲間だったからね」
「……?」
「ふふ、わけがわからないって顔だね。君にその顔をさせたことがボクの勝利かな。で、説明すると、所有する肉体によって性格が微妙に変わるんだよ。穏やかになったり残酷になったり、友好的になったり敵対的になったり、色々ね。前回ギンガモールの中で出会った時は、かなり穏やかな方だったかな。肉体は消し飛ばしてしまったから今は新しい肉体を得ている頃だと思うけど、今思えばあの状態で縛り付けて置けば、もう少し世界は平和だったかも」
「……じゃあ、今は、怖い神様になっているかも、ってことですか?」
「そうだね。でもあの神にもボクの剣は効くから大丈夫。出てきたら叩き斬って、倒すよ」
最強の名に相応しい自信。
それは、見たものを安心させる顔。未だ少しだけ自信の持てないチャルにはないもの。
「お話の……八割くらいは、わかりませんでした。でも、つまりカンビアッソさんはカンビアッソさんで……アルバートさんは、カンビアッソさんへの想いを見つめなおしてくれた、ということでいいんですよね」
「それはどうかな。複数の人間を好きになる事もあるからね」
「……」
「ふふふ……おや、どうして睨むのかな、そこで。それではまるで、君が──」
その時、なんともまぁ絶好のタイミングで、地面が揺れる。
明らかに自然現象ではない揺れ。それは一頻りネイトの地を揺らした後、地面を突き破って出てくることになる。
出てきたのは、真っ黒な。
「結構深いですね……」
「ええ、私も行きすぎるのはどうかと思ったけど、ちょっと気になるものが見えてしまって」
「……法国家ネイト。かつて黒魔術に傾倒した国、でしたっけ?」
「偉い。この前教えた事、覚えてたんだ」
「はい。頑張り屋さんなので」
「自分で言わない」
実はというほどでもないが、アスカルティンの一般常識の先生はアレキが務めている。彼女が病弱ゆえに行っていなかった分の教育を、ここで。
ホワイトダナップには義務教育の制度など存在しないから、学のない者は学のないまま一生を過ごす可能性だってある中で、奇械士ゆえにかなりの高等教育と言える勉学を、アスカルティンはものすごい速度で吸収していく。
記憶の集積回路と化した脳が、超効率的に学びを得続けているため、アスカルティンはあんまり努力せずとも頭が良くなっていっているのである。だから偉いなどと褒められる筋合いはないのだが、わざわざ言い出すことでもないのでアスカルティンはふふんと鼻を鳴らした。
「それで、気になるものとは?」
「見たらわかる……というより、見ないと説明できない」
「そうですか」
階段を下っていく。
今まで入り組みに入り組んでいた地下通路が、一気に狭くなって、一本道の階段になった。
それは些か不気味ではあったが──残念ながら、九割九分九厘機奇械怪であるアスカルティンにはもう、寒気を覚える機能が存在しない。気温を測る機能はあるが。
隣でアレキが肌をさすっているから、「あぁ、これくらいが人間って寒いんだっけ」と思うくらいだ。
「そういえば、ケルビマさんから預かった禁書ってどうしたんですか?」
「持ってるけど」
「後でアルバートさんに見せてみませんか? 読めるかもですし」
「それは……そうね。失念してた」
ケルビマより預けられた、『歴史の真実を記した書』。
しかしながら、表紙も中身も、酷く難解な言語で書かれていたがために、未だ解読は成っていない。この修行の旅で聖都アクルマキアンに寄ったらそこで解読を頼むつもりではあったが。
ただ、アレキの心情としては自分で読み解きたい、という部分もある。なんせ、ケルビマが「お前たちなら読めるだろう」といった感じで*1これを渡してきたのだ。その期待に応えたい部分は大きい。
「そっちの刀も、ちゃんと見せた方が良いかもですね」
「アルバートさん、武器にも詳しいの?」
「あ、いえ、フリスさんにです。科学開発班なら何か知っている事があるかもですし」
「……それも確かにそう。ダメね。私、どうにも……あの二人を信用していない、みたいで」
「あー。まぁどっちも胡散臭いので仕方ないです。何よりアレキさんはチャルさんに底根なので、周りが怪しく見えるのも仕方がないかと」
「そ、そういうわけじゃ」
「いえそういうわけでしょう。傍から見てちょっと引くくらいというか、危うく感じるくらいにはチャルさんのこと好きですよね。先日のフリスさん拒絶事件も、普通にやり過ぎだったじゃないですか」
「ぅ……」
勉強を教えているのはアレキだ。が、アスカルティンは普通に年上で、幼さは機奇械怪が表に出ている時にしか現れない。
普段はお姉さんなのである。身長は四十センチメートルくらい違うとはいえ、お姉さんなのだ。
「……あ、そろそろ」
「話題逸らしましたね。まぁ十六歳の時分ですから青春も良いですけど、慎ましさとかお淑やかさとかも必要だと思いますよ」
「……機奇械怪の群れに突っ込んで、パーツとか動力炉とかをむしゃむしゃ食べながら高笑いしている姿が慎ましいの?」
「私、機奇械怪暦はまだ二歳くらいみたいなので許されます」
尤も、タガを外してなくても行儀の悪い食べ方はするのだが、アスカルティンは黙っていることにした。
「ここ」
「……機械の、扉?」
「ええ。機奇械怪ではないようだけど、果たして斬っていいものか、と思って。カンビアッソさんを連れてくるのが一番なんでしょうけど、その」
「フリスさんと二人きりになりたくなかった──と? 大丈夫ですよ、あの人アレキさんにほとんど興味ないじゃないですか」
「……それはそれで思う所あるけど」
それじゃ、と。
アスカルティンは扉に手を当てる。
そしてバッと引いた。
「アスカルティン?」
「……斬らなくて正解です。この扉……触ったものを取り込むみたいです」
彼女の指先。
五指の全てが、ざっくりと斬られている。
「!」
「問題ありません。これ、自分でパージしたので。……しかし、困りましたね。これはちょっと……私達じゃ無理な扉かもしれないです。今、私の指先が呑まれていったの、見えましたか?」
「いいえ。扉に変化が起きた事さえ見えなかった」
「ですよね。私もです。つまり、それだけの速度で飲んできます」
「じゃあ、飲まれる前に斬ればいい。そういうこと?」
「え、いや、ですから」
アスカルティンは止めようとする。
ラグナ・マリアで、横臥チトセと対峙した時の事を思い出したのだ。アルバートとチャルの踏み込みは見えなかったけれど、アレキのものは見えた。つまりそれは、アレキの速度がかなり劣っていると──。
ズシン、と。
──扉が奥に落ちる。
抜いて、斬って、納める。
その動作の一つとして、アスカルティンは見ていない。
ただ扉が斬られた事実が残るのみ。
「……アレキさん、ラグナ・マリアでは手を抜いてたんですか?」
「いいえ?」
「……まぁ、深くは聞きませんけど」
この短期間で成長した、とでもいうのだろうか。
あり得なくはないが。
けれどやはり、考えられない。
だが、一つの可能性には思い至った。
「あの、アレキさん。一つ良いですか?」
「なに?」
「人って、斬ったことありますか?」
「……人型なら、ある。あと吸血鬼」
それで理解する。
ああ、だから、と。横臥チトセとの闘いの最中、チャルは「人殺しに抵抗はない」と言っていた。
でも、アレキにはあるのだろう。アスカルティンにとって人殺しも食人も何も思うことの無い行為だけど、それがかつて忌避されるものであったことは覚えていなくもない。
彼女の足を遅くさせていたのはソレで。
それ以外の相手なら、問題ないのだと。
「それがなに?」
「いえ、なんでもないです。それより……中のアレ、やばくないですか」
「ええ、見ないふりしてたけど、ちょっとどころじゃないくらい……気色悪い」
「ヒトでしょうか」
「ローリー種が吐いてくるコールタールの類に見えなくもない、かな」
扉の先にあったのは、手術台。
そこに寝かされている──真っ黒なヒトガタ。全身から黒を滴らせ、それが床に落ちて、部屋一帯を真っ黒に染めている。
ぎょろり。
突然だ。
何の前触れもなく、ヒトガタの頭部と思われる場所で、二つの眼が開く。
瞬時に身構えるアレキとアスカルティン。
だが、そんな彼女らには目もくれず、黒は何度か首を振った後──上を見る。
そして、「オオオオオオ」という、凡そ現代で聞くことの無い叫び声をあげた。
声は部屋を揺らし、地下を揺らし、否、法国家ネイト全体を揺らしていく。
「不味い、アスカルティン!」
「はい、脱出しましょう。最悪崩れます」
最悪、どころではなく。
もうすでに、パラパラと天井が落ちてきている。当然だ。長い間何のメンテナンスもされていなかった国の地下が、突然の揺れに耐えられるわけがない。
ズシン、と、更に揺れた。
アレキとアスカルティンが駆け出すと──同時。
黒は背中から翼のようなものを生やし、直上へ飛び立つ。
天井も地面も全て貫いて──黒は。
「鳥……いや」
「ひと……?」
飛び出してきたもの。
それは真っ黒な翼と真っ黒な身体を持つ、鳥のような、人のような──あるいは天使のようなもの。
直後、ドンと横の扉を突き破って、フリスを抱えたアスカルティン、アレキが出てくる。
「アスカルティン、アスカルティン。連れ出してくれたのはありがとうございます。ですが、僕の身体はそこまで強くないので、あなたの腕でラリアット気味に持ち出されたら折れてしまいます」
「チャル、大丈夫!?」
「あ、うん。大丈夫だけど……アスカルティンさん、そろそろ離してあげないと、カンビアッソさん死んじゃう」
「大丈夫ですフリスさんは丈夫なので」
「だから、丈夫じゃないんですってば」
真っ黒な天使は、ぼたぼたとボトボトと黒を垂らし、落とし、耳を劈くような声を上げて、周囲を見渡している。
明らかに機奇械怪ではないその姿を視認し、顔を歪ませたのは二人。
アルバートと、フリス。フリスは本当に微かにだが、額に皺を寄せて。
「あれは……」
「アレキさん、チャルさん。あの黒いのに触れてはいけませんよ」
「カンビアッソさん。何か知ってるんですか?」
「文献資料程度ですが……あれは"罅"。触れたものを侵蝕して粉砕するエネルギーです」
「罅?」
「どう見ても液体ですが……」
「まぁ、その辺は僕にも」
"罅"。
あるいはここで、今の様子を上空から見る事ができる者がいれば、納得することだろう。
黒い天使を中心に、地面が罅割れるようにして黒が広がっていく様が見えるだろうから。
それはネイトに残された廃墟や家屋を飲み込んで砕き、粉々にして広がっていく。
「みんな、下がって。アレはボクが消し飛ばす」
「それはやめておいた方がいいでしょうね。あなたじゃ力負けします」
「どういう……」
「それより、アスカルティン」
「私?」
フリスが声をかけるのは、近接がダメなら出番はないな、と逃げる気満々だったアスカルティン。
先程自分が飲み込まれかけたことを含めて、アレには勝てないと計算を終えていたところだった。そこに。
「チャルさん、《茨》を出せますか?」
「……! ……はい、出せます」
「茨?」
何故知っているのか──ということを聞かない理由。
それは、ラグナ・マリアでの初日にまで遡る。チャルがフリスに肩を抱かれたあの日のこと。チャルはアレキに、あの時あったことを説明していた。
実演することで、それを。
「どれくらい必要ですか?」
「エタルド一回分で構いません」
「わかりました」
少し前までのモード・エタルドは、チャルの全体力を食らい尽くして撃つものだった。そして、その失った体力を《茨》を介してアレキから供給できる、という仕組み。そこにフリスが介入した。
《茨》側の制御で消費体力を調整できるよう、チャルの腕に刻まれた"華"の紋様に違う形を施していたのだ。それゆえに、チャルのエタルドは戦場でも何度か使用できる武器に変化した。もう、撃った瞬間に倒れる、なんて危険なことにはならない。
アレキが態度を改めたのもこれが理由であり、けれど何故そんなことができるのかと問う暇なく今に至っていたが、先の話題。
アルバートとした、使徒の話で、ようやくチャルは納得した。だから弄れたのだ、と。
まぁ全くの勘違いで大体後付けなフリスの行動結果なのだが、辻褄さえあっていればそれでいいのが世界というものだ。
無計画でも帳尻さえ合わせればそれは計画的に見える、の権化。
そうして調整できるようになった体力消費は、さらに《茨》を出すことで体力の分割までもを可能とした。元よりダムシュの時点で《茨》の操作ができるようになっていたチャルにとって、それは造作もないことで。
アルバートが不思議がっている中、チャルは腕の紋章をさすり……その身からズルりザラりと《茨》を出す。
「アスカルティン。これ、食べてください。食べて、理解してください。食べ方を」
「え……あ、はい」
奇しくもアスカルティンが疑った、「あの二人絶対なんかヤってる」の真実。
エタルドを使った後のアレキによる体力譲渡を、今度はアスカルティンが受ける。しかし此度は体力譲渡ではなく──。
「《"
「理解できなかった場合は?」
「ここで全員アレに飲み込まれて死ぬんじゃないですか?」
トゲのたくさん生えた《茨》。その先端が、アスカルティンの口へ近づく。
アスカルティンはごくりと……喉を鳴らそうとして、この口は唾が分泌されないことを思い出し、やめた。
「い……いただきます」
「うん。いっぱい食べていいからね、アスカルティンさん」
「大丈夫。食べ過ぎても、私があげる」
絶望的な黒の怒涛。
その片隅で行われる──なんだかよくわからない供給会。
「……何故だろう。何故かインモラルに見えるよ」
「それはアルバートさんの心が汚れているからでしょうね」
「突然刺してくるじゃないか……」
"罅"は尚、広がり続ける──。
TIPS
《茨》
"毒"、"種"、"罅"などの性質・形状の変化を持って世に蔓延るエネルギー。
機奇械怪を動かしている動力にもなっている他、一部の機奇械怪が攻撃として用いてきたり、一部の上位者が植え付けてきたりする。昔は錬金術、黒魔術などの呼び名で呼ばれていたりもした。
見た目は銀色の茨。味はアスカルティンのみぞ知る。