恥ずかしい夢を見た。
好きな人と──キスをする夢。
そんなの柄じゃない。
俺は魔術のことだけを考えていればいいんだ。
「……」
目が覚め、ソルティアはゆっくりと体を起こす。
──俺は床で寝ていたのか?
曖昧な記憶を掘り起こしても、何も出てきはしない。
ただ疲れていたのだろう。それだけはわかる。
「妙にリアルな感触だった……」
夢の中でそれは起きた。
好きな人──そう。五月との口づけ。
思い出せば思い出すほど恥ずかしい。
「いやいや、あれはただの夢だ。リアルだとかそんなもの、くだらない私見にすぎん」
ソルティアはいつもの調子を取り戻すと、そのまま衣服を持ってバスルームへと移動した。
全く、この夢の正体はなんだ……?
二週間分の寂しさだろうか。そんなことを思いながら、シャワーを浴び始めた。
*
「あ、危なかったです……!」
ソルティアがシャワー室に消えたのを見届けると、ダンボールの後ろに隠れていた五月は大きく息をついた。
「まさか帰る支度をしている時に目を覚ますとは──」
つい先程の出来事である。リアルに五月の心臓が二秒ほど止まっていただろう。
すると、五月はふとキスのことを思い出した。
「あ、あ、あわわ……!」
顔を真っ赤にして、五月はバッグを持って逃げ出す。
「今、私には彼に合わせる顔がありません……!」
後ろは振り返らず、ただひたすらに走った。
恥ずかしい思い出。ただ、彼の隣にいたことだけはずっと忘れることはないだろう。
*
舞台は変わって、大学の食堂。
教育大の中でもかなりの広さを誇り、学生たちが和気あいあいと過ごしている。
「……ん?」
先に席についていた五月は、ふと食品トレーを持って歩くソルティアの姿を見つけた。
そういえば、彼は大学でも基本一人で行動している。やはり魔力? の存在に一般人は違和感を覚えるのだろうか。
であれば、こちらとしては好都合。このままラングくんを呼び出しましょう──!
「ら、ラングく────」
「ねーソルティアくん」
すると、どこからともなく現れた女子大生が、ソルティアの進路を塞ぐように立った。
「良かったら、私たちとご飯食べない?」
「!」
逆ナン。
少々派手な格好をしたイケイケ女子二人組が、大胆な行動に出ていた。
(あわわ……ラングくん!? 魔力で人が寄り付かないのでは無かったのですか!?)
五月は不安そうな顔でその動向を見守る。手付かずの肉まんだけが、テーブルに佇んでいた。
「食事? 君たちと、か」
「そうそう。最初はラングフォードくん怖いなぁって思ってたけど、やっぱりカッコイイなって!」
(!?)
コップを持つ腕がブルブルと震える。
これはまずい。大学のみんなが、ラングくんの魔力に慣れてしまった可能性がある。
そうなると危険だ。なんてたって彼は割と美形。髪の黒染めをやめたからか、金髪と高身長で女子受けもいい。
私は上っ面の部分だけで彼を好きになっている訳ではないのに──。
「ね、一緒に食べよ? お願いだからさー」
(しかも、あの生徒たちも派手ではありますが顔は整っている。教育大生とは思えないほどガツガツ行きますけども……!)
これはイケる、と思い口元を緩めている女子大生。少し遠くでジタバタしている五月。
一方、ソルティアは非常に落ち着いていた。
「申し訳ないが、先約があるので」
そう言うと、ソルティアは仏頂面で二人組の間を通った。
「んな……!」
「イツキ。座ってもいいか?」
端っこのこじんまりしたところに座っていた五月は、思わず目をぱちくりとする。
「え?」
「いや、だからその……もしかして見ていたのか」
軽く二人組の方を見やって、ソルティアはそう訊く。
「え、ええ──そうです。折角ですから、私なんかよりもあちらの方たちと食事を取られた方が宜しいのではないでしょうか?」
五月はビックリして、思ってもないことを言ってしまう。あまりに天邪鬼な自分が嫌いになった。
彼が折角自分のところに来てくれたのに。
こんな酷いことを言われてしまっては、きっと彼も居なくなってしまうだろう────。
「いや、その──お前じゃなきゃ駄目だ」
「えっ?」
ソルティアは顔を真っ赤にして、そんなことを呟いた。
いつも冷静な彼が見せるギャップ。
五月のハートがズキュンと割れる。
(え、えええええええ……!!)
意外すぎる。一見完璧のようにも見える彼が、こんな大胆な発言を……!
恥ずかしがるけれど、表面上はクールに振る舞おうとする。その頑張りが最高に嬉しい。
「……素敵、です」
「え?」
「な、なんでもないです! ええと、ラングくんの今日のメニューは──焼きおにぎり!? そんなに小さいものでは足りないでしょう!」
「君と一緒にするな! 今月は金が無いんだよ!」
言い争いをする二人。そんな彼らを見て、女子大生はフッと笑った。
「わかってたけど……やっぱり中野さんなのね」
「私らには付け入るスキも無いわ。あれはゾッコンよ、ゾッコン」
そうして早々に退散。この戦い、五月が勝者となった。
「それにしても……手慣れているのですか? ナンパをあしらうのには」
「人を退けることに関しては一流だ。ナンパはあまり経験したことが無いがな」
ソルティアはにべもなくそう言い放つと、少し冷めた焼きおにぎりをペロリと食べた。
「嘘でしょう。ラングくんはモテそうですし」
「本当だ。……一部の人間の前でだけだぞ? こんなにも人と会話する俺は」
「そんなこと言わないでください。あなたは優しい心を持っています。もう少し他人に心を開いても良いんじゃないでしょうか?」
ふと、ソルティアは気づく。
五月は自分の背中を押してくれているのだろうか。
「……わかった。善処しよう」
「な、ナンパに応えろとは言っていませんからね!?」
「それもわかってる。イツキ、ありがとうな」
いえいえ、と言って五月は深呼吸をする。
「そうやって、私の言うことに耳を傾けてくれるのが貴方の────すみません。電話に出させて貰いますね」
五月は席を立つと姿を消した。
突然の暇が訪れ、彼は残りの焼きおにぎりを口に頬張る。
「こんにちはー、ソルティアくん?」
すると、目の前にピンクがかった髪の女性が現れた。
大人っぽい雰囲気と、クールビューティーの女。……そう、建前は。
「イチカ……何故ここに?」
「おお、よく分かったね。変装用のメガネもしてたのに」
俺を舐めるな、と言ってソルティアは水を啜った。
「何の用だ。イツキなら電話に出るためにトイレに消えたが」
「わかってるよー。今日はね、ソルティアくんとお話しに来たんだ」
「なるほど。さてはニノも絡んでいるな? イツキを足止めして、俺を試そうってか」
やたら勘が良いなー、と言って一花は笑った。
「芸能人様が直々においでになられたと思ったら……作り笑いをする姉の登場か。全く過保護な奴だ」
「……」
作り笑いを見抜かれて、一花は舌を巻いた。
この男、他人をよく観察している。それも魔法とやらの力なのだろうか?
「女優の演技力、舐めちゃいけないよ?」
「別に舐めているわけではない」
五月と会話していた時とは対照的に、ソルティアはニコリともしない。
そう。姉妹で唯一自分に非協力的な一花をどうにかしなければならない。家族の信頼を勝ち取るのはボディーガードとしては肝心だ。
「言っておくが、別にやましいことはしていない。イツキとはただの親友だ」
やましいことはしていない──多分。
「へぇー……友人から親友に格上げ?」
「そうだな。向こうがどう見てるかは知らんが」
ふーん、と一花は適当に相槌を打つ。
そして。
「……じゃあさー」
セクシーな胸元をチラつかせた。
「……!」
ポーカーフェイスに定評があるはずのソルティア。しかし、女性経験が少なすぎるためか単純なトラップに反応してしまう。
(この女……年頃の男の子になんてことしやがる!)
「い、イチカ──趣味が悪いぞ」
「あはは、ごめんね〜」
何が目的なんだ? ソルティアには全く見当がつかない。
今のは無表情を貫くべきだったか……クソ、嵌められてしまった。
(なんだ……意外に普通の男の子じゃん)
一花は逆に安心していた。つまるところ、ソルティアの初々しい反応が功を奏したということだ。
「い、いつまでここにいる気だ。イツキも長電話に付き合わされているし、彼女の肉まんが冷めてしまうだろう!」
「確かに五月ちゃんには悪いんだけどね。……変な男の子を可愛い妹に近づけるわけには行かないんだよ」
一花は少々自信のない声でそう言う。ソルティアはそれを聞き逃さない。
「構わん、俺のことは好きなだけ品定めするがいい。ただし言っておく! イツキはもちろん大切だ。しかし……イツキが大切だと思っている君たち姉妹も同様に大切な存在だ」
彼の言葉に、一花はぱっと目を見開く。
「絶対にイツキを守る。そのために、君の協力が必要なんだ。イチカ」
ソルティアは立ち上がると、頭を下げた。
「ちょ、ちょっと! 注目が集まるからやめてよ!」
一花は慌てふためきながら、ソルティアを座らせようとする。
……やっぱりそうだ。
この人はずっとそう。あの時も、私たち五つ子とフータローくんの間にさり気なく溶け込んでいた。
今もそう。大好きな妹を汚す不審者として敵視していたはずなのに、不思議と──自然に話ができる。
そんな彼を、認めたくなる。
「どんな魔法なの? 人の間に入っていく、その世渡り術は」
「魔法じゃない。いいか、俺は有事の際でなければ魔法など絶対に使わない。君たち姉妹との交流もそう。一般の人に対して魔法で何か得をしようだとか、そんなことは更々思っていない」
ソルティアは言い遂げた。本心からの言葉だ。
自分は案外嘘をつくのが得意ではない。
信じてくれ、イチカ──。
「わかったよ。そこまで言うなら信じる」
「本当か……!」
ソルティアは顔を上げると、一花に向かって手を差し出した。
「……どうしたの?」
「友好の証だ。と言ってもイングランドではハグが普通なんだが……せめてもの気持ちだ」
ソルティアの茶目っ気に、一花は思わず表情を緩めた。
「あはは! 面白いね、ソルティアくん!」
──いいよ。
そう言って、一花はその手を握り返した。
少しだけでも、ソルティアを信じてみようと思えたのだ。
「ほらほら、大女優様のファンサービスだぞー。もっと握らなくていいの?」
「か、からかうのはよしてくれ……慣れてないんだ」
冗談だよ、と言って一花は笑った。それは作り笑顔ではない。本心からこみ上げてきた笑いだった。
「五月ちゃんを悲しませちゃ駄目だよ? ソルティアくん」
「当たり前だ。命を賭けてでも守ると決めたんだからな」
風太郎に述べた言葉と同じセリフを言うソルティア。ブレる様子は全く無い。
「それじゃあ、またね」
そう言って、一花は颯爽と席を飛び出す。
一応は在籍していない大学の食堂に勝手に侵入しているのだ。早歩きでここを去らなければ。
(それにしても──)
歩きながら、一花は思案する。
(握手の時の彼、可愛かったな)
──友好の証だ。
彼女は一人でそれを思い出しては、僅かに口角を上げるのであった。