翌朝、飲み過ぎで頭痛のする頭を抱えながら待ち合わせの墓地に出向いたが、約束の時間が過ぎてもデンジくんらが現れることはなかった。岸辺さんと二人して顔を見合わせ、「逃げたんですかね」「寝坊か?」などと言葉を交わし、しばらく待ったあとデンジくんらの住む家へと足を運ぶことにした。
念のため電話もかけたが応答の気配はなかったので、実際に見に行くことにしたのだ。
「あいつら、俺の指導サボりやがったな……」
「まあ昨日は朝から晩までずっとやっとったわけですし、疲れて寝とるだけかもしれませんよ」
「だといいんだが。……反発するようなら、できなくなるまで殺すまでだ」
階段を登り切ると、風に乗ってつんと鼻をつく血の匂いがした。それは朝の涼やかな風には不似合いな生温い手触りであった。昨日はたくさん殺し合ったので、そのとき彼らの身体についた血が床に付着して残っているのかもしれない。あとで掃除するよう言っておくべきかと思いながら血痕を探すが、それらしいものはどこにも見当たらず、不思議さから首を傾げた。
「どうかしたか」
「いえいえ、なんも」
キョロキョロ周りを見ていたから不審に思われたらしい。岸辺さんは眉根を寄せて訝しげにこちらを一瞥した。
ま、今はデンジくんたちの指導が最優先だ。昨日電話したときは元気そうだったけれど、今朝のこの消極的な態度からしてなにも思いつかなかったのだろうか。……もっと分かりやすく言った方が良かったかと思いながら、指導をサボっているのならそれ相応の対処はしなければならないなと、物憂げに頭髪をかいた。
「ここです」
いくらかある番号を見比べて、そこがデンジくんらの住む部屋だということが分かった。表札にはご丁寧に早川と書かれてある。
「…………」
部屋の前はやけに静かだった。バタバタ忙しく朝の支度をしているわけでも、また寝息が聞こえてくるわけでもない。まるで誰もいないみたいに──それこそ、そこにいる何かが息を殺して今か今かとチャンスを待ち構えているかのような、獰猛な静けさであった。
なるほど、これが彼らなりの作戦なのか。
となると血の匂いの出どころもある程度察しはつく。デンジくんとパワーちゃんの二人で、彼らなりに頭を絞って考えたのだろう……私にバレてしまっている時点でダメと評価するのはさすがに可哀想であるし、なによりひとまず引っかかってみないことにはなにも判断できないと考え、既に彼らの罠の中にいると分かっていながらも呑気な声で名を呼んだ。
「デンジくーん? パワーちゃん?」
言いながらインターホンを押した。岸辺さんはそれを後ろで見ている。だが呼び鈴の余韻が消え去っても特別変化がないので、どうしたものかと肩をすくめて岸辺さんの方を振り返った。
その時である。
まるでタイミングを見計らったかのように廊下を駆ける足音が聞こえたのだ。咄嗟に構えをとったその瞬間、扉がメリメリと裂かれ、そこから突き抜けるように槍が飛び出してきた。
「!」
飛び出してきた槍を避けようとしたが、後ろに岸辺さんがいるのをすんでのところで思い出し、的確に頭を狙って振り抜いたのだろう槍を左手で掴み叩き折った。
勢いそのまま返しの力で槍を投げ返そうとしたが、間髪おかずに上から複数の槍が降ってきた。
否、降ってきたというより生えてきたと言った方がいいのだろうか。一人の人間では補きれない数の槍が同時に現れたのだから。
おそらくこれはパワーちゃんの力を使ったものだろう。タイミングはズレてしまっているが、一人じゃ対応しきれないように同時に攻撃することで、なんとか傷をつけようという意思が感じ取れる。
だが生憎、こちらは二人いるので、岸辺さんがなんの驚きもなしに天井から降り注いだ槍を殴り折った。
「よう考えたな」
「タイミングが合ってないな」
折られた槍がバラバラと形を崩して地面に散った。色から察するに、血からできているらしい。さっき匂いがしたと言ったが、おそらくこれが匂いの元だったのだろう。
しかし気になる。今のところ使われているのはパワーちゃんの力だけだ。となると、デンジくんはどこにいるのだろうか。
横から来て、上から来て、となると次は下だろうか?
そう考えていると、突如横からブゥゥンとエンジンをかけるときに鳴る独特の音がした。通路でも、扉でもなく。その音の発生源は“外”だった。
「死ねぇ!」
デンジくんはチェンソーの悪魔になれる……。上の階から外を伝って現れた彼は、“頭だけ”チェンソーの姿にして強烈な頭突きを行うのだった。
⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎
「奇襲作戦はまあええやろ。頭よう使った方や思うわ。せやけど……」
あれから何度か死んで馬鹿になったデンジくんを伏し目がちに見る。
「頭使うってそういうこととちゃうやろ?」
奇襲作戦までは(容易に防がれたとはいえ)成長の兆しがあるものだった。今まで使ってこなかった頭を頑張って使ったんだろうなと、ある程度の推察ができる。
ただ、だからって“そういう頭の使い方”は得点をあげられるものではない。
「頭だけチェンソーになるゆうんは、失血する量を減らす策なんやろうけど……」
チェンソーの悪魔になれるのならなった方がいい。ただの人間であった頃に比べて明らかに身体能力が上昇するし、なによりチェンソーという複雑な傷跡を残す武器は血を用いて回復する悪魔相手に非常に有用だ。
一文字に肉を切られただけなら傷跡は綺麗なのでただ繋ぎ合わせるだけで十分に動かせる場合が多い。ただ傷跡がぐちゃぐちゃになっているとそうはいかない。欠損した肉片の再生、失った血の補填、なにより複雑に混じり合った肉や骨を再構成する必要が生まれる。
正直言って彼の刃は厄介だ。もっともそれも、攻撃を喰らうようなことがあればの話だが。
「せめて頭の他に一つくらいチェンソーにしとかな利点ないやろ? 頭突きしかできやんとかむしろデメリットやで」
「う〜ん。難しいんすよね、これが」
「アホ言っとらんと練習し! 昼までにできやんかったらご飯抜きやからな」
「昼飯あるんすか!」
「用意しとる!」
お昼ご飯の話をするとデンジくんは嬉しそうに表情を明るくした。どうやら昨日用意しておいた豚汁は夜のうちにすっかり食べきってしまったらしく、どこからともなくお腹の鳴る音が聞こえてきた。
「パワーちゃんは……さっき岸辺さんに言われとったな。血の使い方、量考えてやりや」
彼女に関してはとにかく多量に、とにかく派手にという特徴がある。それは威力こそあるがそれだけで失血からすぐに倒れてしまうのが難点であった。そこさえ改善できれば、継戦能力も十分なものになるだろう。
「しっかし……」
そうして叱責をする私を、岸辺さんはタバコを吸いながら遠目から見ていた。昨日もそうだが、指導にあまり深く関わってこようとしていないように感じる。
「岸辺さん、ええんですか? ……うちが言うのも変ですけど」
普段なら率先して組手(という名の殺し合い)に参加してきそうなものの、岸辺さんは改善点を少し述べるくらいで遠目から俯瞰しているのだった。
私はあんまり殺し合うのに乗り気でなかったからそれで良くはあるのだが、岸辺さんがこうも大人しいと不気味に感じてしまうのだ。
不信感もあって尋ねると、岸辺さんはタバコの煙をくゆらせながらこう答えた。
「技術を教える気はなかったが、お前のやり方も悪くはないと思った。だから、しばらく任せることにした」
「はあ?」
「悪魔との闘い方は俺が秀でてるが、悪魔としての闘い方は分からない。こういうのは、お前の方が秀でてる」
「はあ……」
信頼されているのか単に放任されているのか……。
ふと気になってデンジくんの方を見ると、片手だけ片足だけチェンソーというのは難しいらしく、感覚もうまく掴めていないのか両手の指をわきわきと開いたり閉じたりしている。
うーん……これ上手くいけてるのかな?
「しかし、昨日の夜の電話だが……」
ものぐさに岸辺さんは話し出した。
「お前、元はどういう目的でアドバイスしたんだ?」
確認の意味もあるのだろう。岸辺さんならよく分かっていることだろうが、私にこうして確認を取ったのはなにかしら指摘をしようと考えているからかもしれない。
助言をいただけるのならありがたいと、私は素直に胸の内を話した。
「元々うちが言おうとしとったんは、怪我することを怖れんなっちゅうことですわ」
拳と手のひらをパシンと叩き合わせ、まっすぐな目で前を見た。
その目線の先ではデンジくんとパワーちゃんがあれこれ自分の身体で試行錯誤をしている。
「欠損したとしても、血を飲めば元に戻る。……今の彼らは強敵を相手に無傷で勝利するなんて不可能や。泥臭い戦いしかできひん。せやから、肉を切らせて骨を断つ、骨を断たせて臓を突く……それくらいの気概がないと勝ち目ない言いたかったんです」
そのために私は“彼らの半不死性”について言及した。悪魔、魔人としての特異性。傷だって欠損だって血さえあればすぐに治ってしまうその立ち姿は化け物と形容して違いない。
「刺し違えてでも殺すゆう気持ちがあれば、格上にも勝ち得る……!」
拳を強く握って、私はそう語った。
すると岸辺さんはこともなさげにこう返してきた。
「それに関しちゃ、心配はいらないだろう」
「? どういうことです」
「あいつらは立派に狂ってるよ」
薄く笑って、彼はタバコの火を消した。
私も同じように笑っていた気がする。