今日は家で留守番だった。珍しくアキがスーツを着て出かけるって言うもんだから、仕事なのか聞いてみたけれど、そうじゃないって言ってた。違うならきっと違うんだろうと俺は「ふうん」って納得して、パワーはなにも分かってないのかニャーコと遊んでばかりいた。
おおかた、だいぶ前に公安を辞めたバディにでもアキは会いに行ってるんじゃないかと俺は推測してる。ときどきアキは仕事でもないのに綺麗な服をビシッと着て外に出かけることがあったから、きっと今日もそういう日に違いない。
「おぉいパワー! 脱いだ服は洗濯カゴに入れろっつったよなあ!」
「ううう! 今から着るんじゃ……!」
「嘘つけっ、洗濯ものが溜まるんだよ!」
言いながら俺は脇に抱えている洗濯カゴにドサドサ服を突っ込んでいった。こうやって脱ぎ散らかされるだけならまだしもなにか口論があったときはすぐに服を投げてくるので、面倒だけれどわざわざ服を集めていった。
しっかりしてるアキがいないってんなら、俺がちゃんと家のことを見なくちゃならねえ。なんせパワーは馬鹿だし、ニャーコはなんもしねーんだもん。
こういう留守番の日には仕事終わりにレゼが来てくれたり、天童やら黒瀬やらの“センパイ”ってやつが来てくれる。──そういえば、いつもは仕事の合間を縫って必ず飯やらなんやらやって作ったりしてくれるヨツナさんが今日はいねえなと、誰もいない台所を見てふと思った。
(まあ、晩飯前には誰か来るかなあ)
ゴウンゴウンと鳴る洗濯機。使い方は最近覚えた。
よく考えてみりゃ、今から洗濯して乾燥させようにもその頃には夜になっちまうだろうから、もっと早くに済ませりゃ良かったなだなんて賢そうなことを考えたりしながら俺は居間の机と睨めっこして宿題をやっていた。
学校には通えないけど、勉強はしたほうが良いって言われたし。なによりレゼも一緒にやるっていうんだからやる気が起きないわけがねえ。俺自身、前からこういう頭使うことはしてみたかったから、時々嫌になることもあるけど一年くらいは続けていた。
「計算分かんねえ〜……答え見るか? いや、見たらパワーにチクられるしなあ」
前にチクられたときは「パワーてめぇ嘘つくなよ!」って嘘ついたけれど、なぜかすぐにバレたのでそういうのはやめにした。
(人生、正直なのが一番だよなぁ……)
夕方になる前、洗濯が終わる頃には宿題もあらかた片付いた。洗濯物を取り出して、適当にベランダに干して、それから俺は習字をすることにした。
習字っていっても、墨を使うやつじゃなくって俺はペンで書いている。初めの頃はちゃんと墨汁ってのを使っていたけれど、パワーが暴れるとそこらじゅうに飛び散ってシミが取れないからってんで辞めにした。この話をヨツナさんにしたところ、申し訳なさそうにしていた。
つってもまあ、俺アどっちでもいいんだけど。字は書けば書くほど綺麗になってくって言われたし、最近はよく褒められるし。楽しくやれてるんだからそんな心配しなくっても良いのになと思いながら、何枚か書いた字を見比べて良い感じの出来を探す。
「よし!」
これだ! アキが帰ってきたらこれを見せて褒めてもらおう。ヨツナさんも、きっと褒めて──
ピンポーン。
不意にチャイムが鳴った。アキはいつも通りだと夜まで帰って来ないだろうから、ならばと立ち上がった。
「ヨツナさんか……? 来るなら電話くらいしてくれりゃいいのに」
言って立ち上がる。そうだ、いま書いたこの字を見てもらおう。せっかくこんなに綺麗に字が書けたんだ。褒めてもらいたい。
ピンポーン。
また一つチャイムが鳴った。
いま行くよ、と答えて玄関まで歩いていったのだが、ドアノブに手をかけたところでジリリンとそばに置いてある黒電話が鳴った。
ジリリン、ジリリン。
ジリリン、ジリリン。
どうしてだか、俺はドアノブにかけた手の動きが止まった。理由は分からない。ただ、これ以上進んじゃいけない気がした。
「うるさいのぉ……」
のっそりと奥の居間からパワーが顔を覗かせる。ふと我に帰って、俺はドアノブから手を離して受話器を手に取ろうとした。
「チャイムもなっとるぞ。開けんのか?」
「あ……チャイム……うん、開けるけど、電話もあるし」
自分でも自分がなにをしているのかが分からない。ただそんな不安も、受話器の向こう側から聞こえてきた声で一瞬にして消えた。
『デンジくん、ニュースは見てた?』
(マキマさんだ)
一体なんの用で……。微かに疑問に思いながらも、マキマさんが電話してきてくれたことが嬉しくって、俺は素直に答えた。
「いやぁ……宿題やってて……」
『そう、じゃあ手短に言うね』
マキマさんはこう続けた。
『銃の悪魔が突然現れて、私達は倒し損ねてしまったの。その銃の悪魔がキミの家のチャイムを鳴らしてる』
チャイム……? 銃の悪魔が……?
「は……ナニ冗談いってんすか……。銃野郎がオレん家の前に来るわきゃないっすよ……」
「────」
「マキマさん……?」
問いかけに返事はない。
いつの間にかチャイムの音は止んでいた。だからよりいっそう、次に聞こえてきたマキマさんの声が俺の耳に響いた。
『今回は何も考えずに戦って』
そのまま電話は切れた。
「なあ! 扉開けんのか?」
「おお……えあ、なんかマキマさんがさ、ドアの向こういんの銃の悪魔なんだって……」
「はぁ? なに寝ぼけたこといっとんじゃ!」
パワーはやたら強い口調で言う。アイツは鼻がいいから、もしかしたら扉の向こうにいるのが誰か分かっているのかもしれない。
「そろそろ晩飯の時間じゃというのに、アイツがまだ来とらんじゃろ」
「晩飯……?」
「なあ! ヨツナじゃろ!?」
パワーは確信したように言った。
「なあニャーコ! 今日は美味いの食えるぞ……!」
「おお、だよな……」
自分に言い聞かせる。
「は、んなわけねえよ……」
マキマさんが冗談言ったに違いない。だって、そんなわけがない。
いま頭の中にある妄想は全部間違いで、扉を開けたらきっといつも通りビニール袋に食いもんいっぱい詰めたヨツナさんが扉の前にいて、俺とパワーの話を楽しそうに聞きながら晩飯作ってくれるんだから……。
「ヨツナさんが、銃野郎なんざに負けるわけ……」
扉を開けると、赤い赤い血が目に映った。
血溜まりの中で、今にも崩れてしまいそうな格好で、ヨツナさんが壁にもたれかかっている。
え……? 血溜まり? なんで?
「えあ……え? ヨツナさん?」
「ああ、デンジくん……そうかあ、うちが騙されとっただけか……無事でよかった」
ヨツナさんは倒れ込むように玄関から中に入った。歩くこともままならないのか、壁に手を伝ってよろよろと歩く。よく見てみれば足の筋肉がほとんど削がれていた。左腕ももうほとんど動かないのか、ピクリともしない。
目だってどこを見ているのか分からないし、なんなら片方は瞼が閉じたままだ。
口元だけが、常に優しい笑みをたたえている。
「デンジくん……もうすぐ岸辺さん来よるから、一緒に逃げて、そんで……」
血塗れになって、片足を引きずって、腹なんてぐちゃぐちゃになっているのに。なのにどうしてそんなに動けるのだろうか。ヨツナさんは心配するような表情で俺たちをベランダへと誘導した。
ただそんな怪我なんかよりも、なによりも不安になったのは、いつもは元気で大きな声が今にも消えてしまいそうな蝋燭みたいにか細い声だったからだ。
「外へ……うちは、時間稼がなあかんから」
時間を稼ぐってことは、追ってきている敵がいるのだろうか。それが銃の悪魔か?
分からない。分かんないけど、俺はあんまりにも今の状況が怖かったから無理に元気を出して言った。
「な、なぁに言ってんすか! 敵がいるんすよね? だったら俺ぁ戦うぜ! なんたって最近数学できるようになったんすよ! 頭使える今の俺にできないことなんて……!」
「は、はは、そらあええこっちゃ。デンジくんは、賢うてええ子やから……」
「……っ!」
ヨツナさんは喋りながら俺の胸に倒れ込んだ。ドサリと、意識がプツンと途切れたように健やかな顔つきで崩れ落ちたのだ。
口元が歪む。心が引き裂かれそうな気持ちになる。そしてかつてないほどに、怖くなる。
なにがそんなに怖いのか。銃の悪魔が怖いんじゃない。死ぬ事が怖いんじゃない。目の前で、ヨツナさんが死にそうになっていて、それが自分にはどうしようもないと分かってしまって、だから信じたくなくって……。
「っ、マジか……ドッキリとかじゃあ、ねえのか……」
心の中がめちゃくちゃになる。
ただ、だからこそ。今の自分は逃げるべきじゃないって強く思うのだ。
「パワー! ヨツナさん連れてベランダから……!」
俺がそう叫んで胸のスターターを引こうとしたその瞬間、玄関口が派手な音を立ててぶっ壊れた。いや、正確には俺の体ごとなにかがそこらをぶっ壊した。
一瞬にしてあたりが瓦礫の山になる。
見れば、煙の奥から数人の人影が見えた。ほとんどのやつは見覚えのないものだが、一つ共通して言えるのは、どいつもこいつも頭と腕が変だってことだ。
「あいつは……」
一年くらい前、サンタクロースとかいうやつを倒したときにいた、やけに刺々しい格好をしたやつが混じっている。
アイツも確か、俺みたいに人から悪魔みてえな姿になって──
「こいつら全員……! 俺と一緒かよっ……!」
強くスターターを引き抜く。
痛みは走るが、アイツらがヨツナさんをあそこまでボロボロにしたのかと思うと怒りの感情が上回った。
「めちゃくちゃにしやがって……!」
ブウウン、とエンジンを音をかき鳴らし、未だに砂埃が舞う中へと突っ込んでいった。さっさと倒して、病院に連れて行って……!
なんとかなるはずだ、なんとかなるはずだと心に言い聞かせて、忙しなく脈打つ拍動と同じくらいに激しくチェンソーの刃を回転させた。
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「はぁ、はぁ、終わった……!」
なにがなんだかよく分からなかったが、しばらく戦っていると敵は皆散り散りにどこかへいってしまった。あんまりにも歯応えのないものだから不信感こそあったが、今はなにより優先するべきことがあった。
「そうだ、怪我……病院、救急車っ……」
思い返して、ヨツナさんの方を振り返る。確かパワーが血を止めてくれていたはずだ。だからきっと、まだ間に合う!
「……で、デンジぃ……」
「はぁ、はぁ……え?」
パワーの目からはいつもの傲慢さが欠けていた。こういう目は珍しい。ほんとうに弱りきっている時……前に闇の悪魔と戦って異常に怖がりになったときと、すごく似ている。
(そんな目するなよ……っ! まるで、まるで……!)
そばに寄って、そして気付いた。
ヨツナさんの体はどこも動いていない。
てっきりパワーが止血しているのかと思っていたけれど、パワーの様子を見るとそれも違う──止まっているように見えたのは、流れるような血は全部流れ切っていたからだ。
「あ、うわああ、ああ……っ!」
さっきまで確かに生きてた。
確かに笑ってた。
けれど今はどうだ。血だらけの服でボロボロの身体を包んで、静かに、まるで眠っているように、死んでいる。
「ああ、あああ……」
何かもっと良い方法があったんじゃないのか。
アキならもっと上手くやれた?
分からない。何も思い浮かばない。
俺のせいだ。
俺がヨツナさんを、死なせたんだ。