「おい、さっさと目ぇさませ」
ガタゴトと荒い振動が体を揺らす。ごうごうというエンジンの音が聞こえるのでおそらく私は車の中にいるのだろう。
掛け声に反応して薄ら目を開けると私は車の助手席にいた。窓から見える外の景色は見慣れぬ街並みで、また記憶を失ってしまったのかと錯覚するほどであったが、恐ろしいほどに冷たく冴えた頭がなんら異常のないことを知らせていた。
「ん……」
早朝の寒さが背筋を撫で、眠気でぼんやりとした記憶の形を整える。おかげで気を失う前の記憶が徐々に思い出せた。
私はこの手でマキマを殺した。今でもその感触が手に残っている。外の寒さと反対に、彼女の血潮の熱さが肌身に焼き付いている。だからこそ今になって寂しくなって、ギュッと自分の身体を抱きしめた。
ようやく私は彼女と分かり合えた気がした。心を通じ合わせることができた気がした。だというのに私たちはもうとっくに手遅れで、半身を失ったかのような喪失感に私は独りで息を吐いた。
「目が覚めたか」
ぼんやり彼女のことを考えていると、隣から聞こえてきた一言で不意に現実へと引き戻された。ふと運転席を見てみると、そこには岸辺さんが座って運転していた。珍しく酒は飲んでいないようで酒の臭いがしなかった。
後部座席にも目をやるが人影はない。どうやら、全て終わったあとらしい。
「マキマは内閣総理大臣との契約で死なない。ただどういうわけかお前はその盲点を突いた──結果、あいつはお前の手で殺されることを良しとした。それは間違いない事実だ」
岸辺さんは、よくやったとは言わなかった。褒めるような言葉遣いはせず、ただ私の知らないその後の話を淡々と語るのみであった。
私にはその気遣いが優しさに感じられた。なぜって、今の私は誰からも褒められて良いような人間ではない気がしたからだ。間違いだらけの関係性に償いをしようとしただけなのだから。
だからこそ、岸辺さんの淡々とした説明は私の心を刺激することなくすんなりと理解できた。
「──で、だ。死体を処理する工程が“攻撃”と捉えられ、アイツが蘇生する可能性もなくはない。だからその後始末はデンジのやつに任せることにした」
「……デンジくんが? どうやって?」
思いもよらぬ名前が出てきたので、私はつい聞き返した。すると岸辺さんは呆れたように目を細めて答えた。
「……なんでも食うそうだ」
「食う?!」
「やっぱりアイツは今まで出会ってきた中で一番デビルハンターに向いてる。頭のネジがぶっ飛んでるからな」
あんまりにも驚きたものだから笑いすら起きなかったが、けれどデンジくんの顔を思い浮かべるとそういうこともあるのかと思えなくもない。ただ、食べるという発想はなかった。食べて一緒になる、というのが彼なりの愛の形なのだろうか。
それなら私も食べたい。一緒になって、彼女への理解を深めたい。
そんなことを考えていると岸辺さんは続けてこう言った。
「俺だって止めはしたんだ。アイツが蘇る可能性はゼロに近い──なんせ、“次の支配の悪魔”はもう現れているんだからな」
「……は? 次の?」
「ああ。悪魔は死んだら地獄に行って、地獄で死んだらまたこっちの世界にやってくるらしい。……支配の悪魔がまた現れたってことはつまり、アイツは確実に死んだってことだ」
「…………」
淡々と岸辺さんは語る。そんなことが起きているのなら、そしてその情報を把握できているということは、あれから随分と時間が経っているのではないだろうか……?
「……うち、どんくらい眠っとったんですか?」
「ざっと一ヶ月そこらか? そろそろ目覚めるかと思って、病院から攫ってきた」
「まあ、まあ……うん、ええです。慣れっこなんで。で、その理由はなんとなく察し付いとりますけど……」
「そうだ。お前は理解が早くて助かる。……いま俺たちは中国にいる。病院から無理やりお前を連れてきたのは“次の支配の悪魔”を怪しい奴らから盗む手伝いをさせるためだ」
「うち、病み上がりですよ?」
「お前がこれしきでへたばる奴じゃないってのは良く知ってる」
「ああ……これやから先輩っちゅうのは嫌なんです。無茶ばっか言いよって、ホンマ」
ヤケになって煙草でも吸おうかとポケットをまさぐったが、そもそもいま着ているのがパジャマだったので煙草の葉ひとつすらなかった。
どうやら入院しているところを攫ってきたというのは本当らしい。
「着替えは用意してある。後部座席にあるから、後で着替えとけ」
確かに後部座席にはスーツやら革靴やら、果ては私がよく使う型番のナイフまでも用意されてあった。
「ひとまず飯にするか。目的地までまだ少しあるし──なにより腹が減っただろ」
「うち中国の金持っとらへんので、岸辺さんの奢りで」
「……まあいいか。その分働いてもらうからな」
──────
夜も更けた頃になって作戦は始まった。
ターゲットは地下の地下、厳重な場所で守られていると考えられた。そのため、相手の拠点に乗り込んでいくというのはかなり無謀な作戦に考えられた。
しかし岸辺さんもそこは織り込み済みのようで事前に下調べを行なっていたらしい。これならなんとかなるという作戦が一つあるらしく、さながらハリウッド映画の一幕みたいな活躍を繰り広げ、施設を爆破し、どうにかこうにか新生した支配の悪魔を盗み出すことに成功した。
「ふう……大丈夫ですか?」
「なんとかな……あ〜くそ、腰が痛え……」
逃亡劇を繰り広げ、港から出港した私たちはようやく船の上で一息つくことができた。
椅子に座りたかったので背負っていた彼女を下ろしてやろうとするがこれがなかなか降りない。ギュッと服を掴んで離さないのだ。
どうしたものかと困っている私を見て、茶々を入れるように岸辺さんが話した。
「懐かれたな」
「そんな、動物やないんですから」
しかしどうしたものか。離そうとすればするほどに力が強まる。あんまり無理に引き剥がすのも躊躇われたので、私としてはどうしようもなかった。
困ったふうに首を傾げつつ、背中にしがみつく彼女に向かって話しかけた。
「うちはヨツナ。君はなんちゅうねん」
「ナユタ」
「そうかナユタか。ほなナユタ、うちは君の顔がよぉく見たいから早よ降りてえな。……心配せんでもおんぶなら何度でもしたるから」
と話すと、少し躊躇った様子こそあったがナユタは素直に手を離した。
「ん、素直でよろしい」
背から下ろしてやると、彼女の背の小ささがよく分かった。まだ幼い子供じゃないか。こんなにも小さな存在を、政府はどうこうしようというのか。
「かわええ顔しとるわ、ほんま……」
私は憂う気持ちになって、そっと彼女の輪郭に指をそわせた。夜の海は明かりが少ないが、それでも船の小さな電灯の下で彼女の顔はとても丸っこく映った。
添わせた指でぐにぐにと頬を摘んだり、髪を触ってみたりしていると、不意にナユタと目があった。
「あ!」
いいや、不意に目があったというのは違う。私は彼女の瞳から目線を逸らしていただけなのだ──まだ私は彼女と目を合わせることを無意識のうちに避けていたのだ。けれどナユタはずっと、その美しい瞳で私を見ていたのだ。
この瞳を私は知っている。鮮烈に記憶している。
(マキマの目ぇや……!)
ナユタはマキマの生まれ変わりだ。けれど、支配の悪魔という特質以外全てが異なる──記憶もなにもない、全くの別人のはずなのに。
なのに私はこの幼い姿にマキマの影を重ねてしまっていた。なによりも大切な彼女の輪郭を、朧げながらに感じてしまう。
「……ああ、ホンマ。ええ顔やわ……」
静かに彼女の頭を撫でる。それから彼女の目線に合うようしゃがんで、強く抱きしめてやった。したいと思ったからそうした。それ以外に理由なんてなかった。
するとナユタもまた同じように、年相応の力で抱き返してくれた。
波のさざなみが聞こえる。夜の海は音だけが聞こえた。
しばらく抱きしめて、物足りない気持ちはありつつも私は彼女を離した。そうしてまたおんぶしてやった。夜の海は寒いのだ、こうして人肌に触れると、ナユタはすぐにこくこくと眠そうに首を傾け始めた。
しばらくすると煙草を吸いに行っていた岸辺さんが帰ってきてこんなことを言った。
「ヨツナ。お前は早く部下どもに顔見せてやらねえとな。アイツらまだお前が死んだと思ったまんまだぞ」
「うっ……うちが死んだってなってからどんくらい経ってます?」
「そうだな……一年くらいか?」
一年、一年……。
心配かけたなぁとか、文句を言われるだろうなぁとか……彼らの反応が想像できないので、あまり良くないことばかりが頭を巡る。死ぬのは覚悟のいることだったけれど、生き返るのも同じくらいに力が必要なことだと初めて知った。
「……はあ。帰ろか、ナユタ」
溜息混じりに背中のナユタに語りかける。なにもかも解決したはずなのに、気が重かった。
そんな私の気も知らず、ナユタは不思議そうに「帰る?」と訊いてきた。
「せや。家に帰ったら、美味いもん一緒によぉさん食うて、一緒に映画見て感想言い合って──お互いのこといろいろ話し合えるように、色んなことしよな」
料理をしたり、水族館に行ったり、温泉に浸かったり、海で泳いだり、バーベキューをしたり──やりたいことはいくらでもある。そう、いくらだってあるのだ。
ふと海を見れば夜明けであった。暗闇の水平線から光が漏れ出す。やがてそれは光の筋となって、私たちの顔を照らした。
完