ゲロキスを経て居酒屋を出ると、酒で火照った肌に外気が当たり、その熱を奪われるような心地が大変気持ち良かった。だが、デンジくんは気持ち悪そうに白目を剥いて青ざめていた。ぼんやり開いた口が、気だるげに曲げられた背と相まって、彼の元気のなさをありありと示していた。
デンジくんは私が席を立った隙に、姫野からキスをもらったらしい。だが彼のファーストキスは口腔内にゲロを吐かれる悲惨な顛末を迎え、その後処理やらなんやらでさめざめとした飲みの場は自然とそのまま解散になった。
そうして飲みが早く終わってしまったことよりも、私はデンジくんに対する心配の気持ちが大きかった。あまり想像したくはないが、彼はゲロを飲み込んでしまったのだというから。カズくんがよく介抱していたと聞くが、その努力も彼の様子を見る限り芳しくはないようだった。
私がいない間に起きてしまった事故であり、未然に防げなかった責任感もあって、はて具合はどうだろうかと彼に言葉をかけて背中をさすっていたのだが、この介抱もまた良い成果は未だ見られない。ふと前方を見ると、未成年淫行(ゲロは淫行に入るのか?)の姫野がエチケット袋を片手に上機嫌になってふらりふらり千鳥足で歩いているのだから呆れる。
「デンジくん……大丈夫? 飴ちゃんいる?」
「うええ……おええ……!」
やはり気分は優れないようだ。キスだのなんだのでウキウキしていた彼はどこへやら。二兎を追うものは一兎をも得ずどころか、これだと大怪我じゃないか。背中をさするのがかえって逆効果かもしれないと気づいて、トントンと彼の肩を叩いてやった。デンジくんは疲れ果てた表情だったが「すンません……」と言葉を発するだけの元気はまだ残っているようで、ぐったりとした手をフラフラ振った。
飲み会が終わる少し前くらいに、マキマと二人で店を抜け出して酔い止めももらっていたようだし、ちょっとは気が楽になっていたのかもしれない。私の出る幕ではなかったかなと思いながらも、とはいえ心配なので彼のそばに付き添った。
ま、これも一つの思い出かと写真でも撮りたい気分だったが、タイミングの悪いことにカメラは天童に預けているのを思い出し、歯痒く感じる。
そうして店の前で彼の様子を見ていると、一人の青年が私に声をかけてきた。早川アキ、だったか。懐かしい顔だ。彼とは面識がないわけではなかったが、飲みの場でなくこうして個人で話をしようと持ちかけてくるあたり、なにやら訳ありといった様子だった。
彼は酒で赤くなった顔を神妙そうに引き締めて、外聞を憚るように……けれど不自然さは見せないよう、酔った口調でこう言った。
「お久しぶりです、ヨツナさん。挨拶が遅れてすみません」
「んおお、ア゛ギぐん゛。随分見いひん間に、えらい男前になったなあ。飲みの場ぁはなんや真剣に酒飲んどったから話かけへんかったけど……」
デンジくんの肩を抱き寄せながら、今度はアキくんの背中をビシバシ叩いた。
「髪型とかイカしとるやん」
「そうですか? 評判は良くないんですけれど」
言いながら彼は頭のちょんまげをさすった。奇抜なヘアスタイルだが、それを補って余りある面をしているので、何度か会っていればそのうち慣れて気になることもないだろう。
にしたって彼は良い顔をしているし、姫野あたりとは良い感じの雰囲気を感じたからその後の進展を期待しているのだが、今はどういう関係なのだろうか? アキくんもゲロキスは経験済みか?
「いつぶりやっけ?」
訊ねると、彼は苦笑いを浮かべて答えた。
「新人の頃に、指導をつけてもらったきりです」
「ああ懐かしいなあ。あの頃はようさん人がおったから、人手不足とかで、わざわざ東京まで来て指導したん覚えとるわ。……岸辺さんは息災で?」
「ええはい。生きてますよ」
「そーか、相変わらずやなあ」
アキくんはいわゆる銃の悪魔世代だった。十数年前に起きた例の災害に巻き込まれ、銃の悪魔に対し恐怖と憎しみを刻み込まれた少年少女らの一人で……彼のように銃の悪魔へ恨みを抱えた討伐志願者は多く、一時期デビルハンターを志望する者が増えた時期があったくらいだ。
とはいえなにぶんデビルハンターはすぐに死ぬので指導役はいつも人員不足であり、そんなブラックな環境に第一次デビルハンターブームがやったきたのだから(第二次はまだ来ていない)公安や民間はてんやわんやの事態となった。そんなとき、肉片集めに執心していた私は単に歴が長いのと仕事していてもしていなくても変わらないとのことで、悪魔退治のついでに全国各地で行われている新人教育へと駆り出されることになったのだ。
そのとき出会った新人の一人が彼だ。初めの頃はあまりに殺伐とした雰囲気を纏う剥き出しの刃物みたいな男だったが、こうして久しぶりに会ってみるとガキ臭さはだいぶなくなっていた。
ひとしきり世間話を交わすと、彼の方から合図をするように眼光を煌めかせた。それを見逃すほどウブでもないから、私は肩を組むふりをして、そっと彼の口元に耳を寄せた。急な距離の詰め方に驚いたようだったが、彼はあくまで冷静だった。
「で、なんの話や?」
「……ヨツナさんは、銃の悪魔の肉片を集めていると聞きました。最近、なにか変わったことはありませんか?」
意味ありげに目線を揺らめかせて彼は訊いてきた。その視線の先はデンジくんにあった。その目線の意味を考えてみれば、彼の質問の意図も読めてくる。最近変わったことはなかったかと訊ねるのは、つまり彼にとって大きな変化がここ数週間の間で起きたに違いない。
そしてその大きな変化とは、もちろんデンジくんのことだろう。悪魔でなければ、魔人でもない。その不思議な出立ちと風貌に、彼はなんらかの疑問を抱いているらしかった。
無理はない。誰だって不思議に思うだろう。特に、アキくんはデンジくんと非常に近い位置で仕事をしているらしいから、命に関わり得ることを知っておきたいと思うのは当然だ。
だが、なんでもかんでも素直に話すわけにはいかない。なにより、この質問はマキマもされていた。そして彼女は答えなかったのだから、私はその意向を尊重すべきだろう。
「あんま考えすぎやん方がええで」
「どういう意味です」
アキくんは不満げに口を曲げた。そこで私はパッと彼の肩を離すと、トントンとデンジくんを抱えたまま彼から離れてこう言った。
「デンジくんと銃の悪魔はなんも関係ないっちゅうこっちゃ。そもそもデンジくんは、チェンソーなんやろ?」
「っ、そうですけど」
「ほな銃でもなんでもないやん。……デンジくんが特異な存在やから、せやから狙われるんやろ。ただそれだけの話」
自分の話がされているとうっすら気付いたのか、デンジくんが不安げな表情でこちらを見てきた。私は誤魔化すように彼の頭をワシワシと掻き回してから、アキくんの口を突いて出る言葉を潰すように、ふと思い出した風を装ってこう言った。
「せや、今度からアキくんところの部隊と一緒に行動することになったからよろしくな。早くて明後日くらいからかな?」
「はあ? どうしてです」
「デンジくん護衛のため」
「……本当に、銃の悪魔は関係ないんですか」
「あらへんよ。ま、もしあったらうちが殺すだけや」
なあ、とデンジくんに声をかけた。そうすると彼はやや明るい表情で「明後日から一緒なんすか?」と訊いてきた。私はそれに軽く頷いた。
「大阪っつ〜場所は美味いもんがいっぱいあるって聞いたんですけど、食わせてくださいよ……」
「おおええよ、デンジくんはようさん食べるからなあ〜! 色々持って来たるわ!」
「ぃヤッタァ……!」
そんな会話をしていると、アキくんも呆れたのか、消化不良気味ではあるがそれ以上言葉を続けることはなかった。そしてデンジくんの元気そうな声を聞きつけてか、血の魔人とそれに付き添っていたマキマがこちらにやって来た。
騒がしさが増したが、こういった賑やかしさがなにより好きだったので、私は上機嫌になって彼らを囃し立てるのだった。