悪魔は夢を見るのか、考えたことはあるか。
私は見ないだろうと思ってる。悪魔は夢を見たりしないはずだと強く念じて、そうして私は眠りにつく。それから朝起きて、心地の良い夢を見れたのだから、だから私は悪魔なんかじゃないと、そう自分に言い聞かせている。
〜 一ノ瀬ヨツナの遺書より一部抜粋 〜
暖かな布団の中で目が覚める。不意に起き上がると、ホテルの薄暗い一室に私はいた。
はて、見覚えがない。こんなところで眠っただろうか。昨夜の記憶が朦朧としている中、つたない足取りで部屋の電気をつけに行く。無機質なスイッチの音とともにパッと室内が明るくなると、そこで私が眠っていたベッドとはまた別に、ベッドがもう一つあるのに気が付いた。そこでは天童がすやすやと眠っていた。黒瀬の姿は見えなかったが、まあ彼は男なわけで、別の部屋に泊まっているのだろうと思われた。
「うう、あたまいったぁ……そないに飲んだっけ」
霧がかかったかのように曖昧な昨夜の出来事を、私はうんと悩んで思い返そうとした。デンジくんとアキくんをマキマに預け、居酒屋の前で解散したところまでは覚えているのだが……そこからどこに行って何をして、その結果どのようにこのホテルに辿り着いたのか、どうも判然としないのだ。
天童が一緒にいるのだから迎えに来てもらったのかもしれないな……昨夜解散したのが夜中の零時近くだったので、迷惑なことをしてしまったと申し訳ない気持ちで彼女の横顔を眺める。健やかな寝顔だったが、同時にどこか悪夢にうなされでもしたように眉間が皺を寄せているので、私生活でなにか悩みごとでもあるのだろうかと能天気に物事を考えていた。
どうにも二日酔いが重く頭痛が激しいので、水をよく飲んで少し休めば痛みも治るかと、部屋に備え付けの冷蔵庫から水を持って来て近くの椅子に座ろうとした。そしてようやく、そこで気付いた。
机の上で無造作に散らばった缶ビールとつまみ、それから酒瓶。よくよく見れば、床に倒れ伏している男が一人。おや黒瀬ではないか。
なにごとかと一瞬叫び声をあげそうになったが、やっと昨夜のことを思い出した。
どことなく飲み足りないなと感じていた私は、迎えに来た黒瀬と一緒に店で酒を買い足し、そうしてホテルに帰ったあとひたすら飲みに飲んだのだ。
もともと私と天童のために取っておいた部屋で飲んでいたので、酔い潰れた天童はベッドまで運んで寝かしたのだが、黒瀬は別に部屋があるのだからと放置していた。
そしてその結果、床で寝ていたと……。
死んではいないだろうかと心配になって彼の肩をゆすると、うんうん唸りながら片目を開いた。
「うぉああ……ヨツナさん……、なにしてはるんです?」
「早よ起きや」
寝ぼけた顔していたので、洗面所に行って濡れタオルを用意してやり、それを彼のアホヅラに乗せてやった。唐突の冷たさに驚いたようで、びくりと身動いだが、特に大きな声を上げることなくノソノソとタオルで顔を拭いだした。
「しっかし、ようさん飲んだなぁ……ごめんな? 付き合わせてもうて」
「ええですよ。天童のやつは三時なる前には寝よりましたし、言うて僕らそんな飲んでませんし。それ、ほとんどヨツナさんが飲みはったんですよ」
渡してやったペットボトルの水を飲みながら黒瀬が言った。
どうりでこんなに頭が痛いわけだ……飲み会ではほどほどにしておいたはずが、いつの間にか上機嫌のまま酔い潰れてしまったらしい。
「まあ、飲みに付きおうてくれたんは事実やろ。ありがとな」
そうやって軽く例の言葉を述べると、黒瀬は気軽そうに頷いた。
……しかし、どうにも違和感がある。どうして私は黒瀬に対し、早く起きるよう促したのだろうか? この胸の違和感はなんだ? なにか大切な用事があったはず……。
「今日ってなんか予定あったっけ?」
テーブルの上に置かれた時計を見ると、ちょうどを十時を回った頃合いだった。昨日は夜遅くまで飲んでいたのだなと、我がことながら呆れて、溜息が漏れた。
「今日ですか……今日はぁ京都行かなあかんので、九時半にマキマさんと東京駅で集合ですわ」
「ほーん、いま十時前やわ」
「十時……まだ夜ですか?」
「っ、遅刻や遅刻! っちゅうか、間に合わんのとちゃうっ?!」
新幹線の出発が十時十分。スーツ姿のまま眠っていたのが功を奏した。シワは寄ってしまったが、向こうで変えを用意してもらえばいいと考え、ハンガーラックにかけてあったロングコートをひったくるように着て、一人部屋の扉に手をかけた。
「君らァ二人は、最悪おらんくても書類上のあれこれはマキマにやってもらうから、ゆっくり次の新幹線乗ってきぃや! 向こうにはこっちから連絡しとくわ!」
「っはい! 天童遅刻や遅刻! はよ起きろ!」
(黒瀬くん視点)
ヨツナさんが大急ぎで部屋を飛び出したあと、俺ら二人も同じくらい急いで外出の準備をした。最低限身だしなみを整えて、それから私服のままだったのでスーツに着替える。しばらく東京に滞在する予定で一週間ほど部屋は取ってあったので、部屋の中にある空き缶などはそのままに、駆け足でホテルを出てタクシーに乗った。
寝起きだったこともあり、ヨツナさんの言っていたことはうろ覚えだったので、天童と互いに聞いたことを擦り合わせながら車内での不安な時間を潰した。
そうして東京駅に着くと、ちょうどタクシー降り場のところでヨツナさんが不貞腐れたように立ち尽くしていた。
「結局、間に合わんかったんですか」
「目の前で扉閉じよったわ」
不満げに彼女は言った。寝不足もあるのだろうが、整えられていない分、彼女の髪はいつにも増してボサボサだ。それを見かねてか、タクシーを降りてすぐに天童がヨツナさんの元に行き、櫛やらなんやらで淡々と身だしなみを整えていった。
それに軽く礼を述べたのち、ヨツナさんはまた話を続けた。
「マキマには連絡入れたから、ゆっくり行こか。言うて書類申請だけやし、それもマキマが会食終わった後や」
「そーなんですか? ほな、なんで早よ行こう思いはったんですの。別に僕ら後からでも良かったんとちゃいます?」
「京都の偉い人らと話するんが、一人やと心細うてたまらんゆうふうにマキマが言うもんやから……」
「ほんまですか〜?」
「疑うことあるかいな」
マキマさんはヨツナさんが東京で活動するための許可をもらいに行くのだという話があったから、心細いというよりも、単に交渉の材料として連れて行きたかったのだろうとは思うが。しかし新幹線に間に合わなかったのだから、マキマさんには一人で頑張ってもらうしかないだろう。
顔が見えない彼女に向かってナムナムと祈りつつ、ピンと姿勢を正して意識を入れ替えようとしたその瞬間である。
どこか遠くの方から乾いた破裂音が鳴った。近くで鳴ったわけでないからそれがなんなのかよく分からなかったが、けれど不穏な雰囲気を感じる。天童にもその破裂音は聞こえてたのか、不思議そうに首を傾げていたが……一人ヨツナさんだけは神妙な面持ちでシンと静まり黙ってしまった。
「銃や」
一言、ヨツナさんは言った。
「? なんです」
「……マキマはこっちに戻ってくるやろうから、二人は東京駅の構内に行って待機。マキマの指示を受けること。──うちは調査に行ってくる」
「は……なに言うて」
「ほな行ってくるから、ちゃんと言われたこと守るんやでー! なんかあったら連絡!」
そう言って、ヨツナさんはまるで弾丸のようなスピードで道路を飛び抜け、街角を曲がっていった。
俺たちはそれをただ見ていることしかできず、二人で顔を見合わせた。こういうとき、言われたこと以外に余計なことをすると、むしろ足手まといとなってしまう場合が多い。だからヨツナさんが言うことをきちんと守るのが正しいと言えた。だがそう分かってはいても、不安は感じざるを得なかった。
……ただ、言われたことを守らず行動して、それで俺たち二人が彼女に不安を与えてはならないのだ。言われたことを守るため、二人で駅の構内に向かった。