南極でゴジラを見張ってたらテロリストが来た件 作:よよよーよ・だーだだ
暗い雲が垂れ込める早朝の小笠原沖。
水平線の向こうはまだ明るみを帯びていないというのに、海上には多数の作業船と補給艦が集結していた。まるで軍事作戦のような物々しい光景――いや、実際に軍事作戦の一端なのだろう。船団の中央には、巨大なクレーンと潜水支援装置を積んだ新型サルベージ船《サルベージ・コロンブス》が据え付けられており、何機もの無人探査機や水中ドローンが甲板上で最終点検を受けている。
「……あれがGフォースの総力戦、というわけか」
船団を見下ろす高台に立ち、私は小さく呟いた。老いた足は杖を突くことでようやく安定している。そこへ鋭い足音が近づいてきた。振り返ると、例のGフォースの担当官がヘリから降りたばかりのようで、軍用コートを翻しながらこちらへ向かってくる。
「シノムラ博士、こちらへ。引き揚げ作業の詳細ブリーフィングがまもなく始まります」
担当官の声は硬く、表情は真面目そのものだ。海風に煽られて彼のネクタイが揺れる。私は少し顔をしかめながら、その指示に従った。内心の不安を隠すつもりもない。私はわざとゆっくりと歩き出し、担当官との距離を詰める。
「……すごい数だな。あれほどの艦船や重機材を一度に見たのは初めてだ」
「はい。メカゴジラ機龍の完成に向けた、最優先プロジェクトですから。世界中から資金と技術が集結しています」
担当官が低い声でそう答えると、遠くのサルベージ船では大きなクレーンが唸りを上げ、巨大なワイヤの束をゆっくりと海面へと下ろしていく。
その様子を見つめ、私は胸の奥がざわつくのを感じた。ふと目をこらせば、作業クレーンには各国企業のロゴがいくつも入っている。かつてゴジラ細胞の利用を巡って名を挙げていたエイペックス社やシヴァ共同事業体、そのほかにも軍事関係企業が多数……。
誰もが怪獣災害の再来に備え、“旧ゴジラ”を兵器化するためには惜しみなく出資をするというわけだろう。
「……それで、今回の計画では、どこまで骨格を回収するつもりなんだ?」
「基本的には、背鰭から頭骨、背骨まわりまでの『主要部位』をすべて引き上げます。尾部は分節化が難しく、今の技術だと完全形での回収は不可能でしょうが――それでも、機龍の建造には十分すぎるほどの材料が揃う見込みです」
担当官の声は淡々としている。まるで自分がただの機械や資源を扱っているかのようだ。私は思わず唇を噛んだ。
「……あそこにはゴ骨生物群集がある。あの生態系は、深海の化学合成生態系と怪獣由来の放射性因子が融合した、世界でも類を見ない貴重な研究対象なんだ。骨の引き揚げは、その生態系を破壊することになるかもしれない」
「わかっています。しかし、我々としては“新たなるゴジラ”への抑止力を最優先せざるを得ません。作業区域にはバイオレメディエーション部隊を配置し、可能な限り被害を抑える方針です」
担当官の言葉には、すでに幾度も交わした議論の繰り返しという響きがあった。私もまた、同じ懸念を何度となく伝えてきた。だが、それでも方針は変わらない。国際世論の大勢がこの計画を支持している以上、私はこうして“協力者”として見守るしかないのだろうか。
「シノムラ博士」
担当官が私の表情をうかがい、視線を合わせる。彼の声には微かな戸惑いがにじんでいた。
「あなたの研究と知見がなければ、たしかに生態系への配慮など到底考え及ばなかったでしょう。我々としても、最大限の環境保全措置は講じるつもりです」
ただ、と担当官は付け加える。
「……ただ、どうかご理解ください。もし本当に新たなゴジラが出現したら、我々は過去の教訓を踏まえて行動しなくてはならない。ゴジラの骨は、“人類を守るための手段”なんです」
私は何も答えず、ただ曇天の空を見上げた。
船団を取り巻く大気は重く、波打つ海面には雨の兆しが見える。やがて、担当官と共にブリーフィングテントへ向かうと、中ではすでに十数名のスタッフが待機していた。
船舶運用の指揮官らしき軍人や、各社のサルベージ技術者、そして科学顧問として招かれた研究者――私以外にも数名、専門家とおぼしき人々がパソコン画面に向かっている。
「これより“ゴジラ遺骸・第一次引き揚げ作業”を開始する。各員、指示に従い行動せよ」
指揮官の号令と共に、ブリーフィング用スクリーンには海底地形図が投影される。そこにはゴジラの骨が眠る深度約4,000メートル地点が赤線で示され、周辺には無数の観測ポイントがマーキングされていた。
「まずは遠隔操作の海底ドローンを投入、骨周辺の土砂や堆積物を取り除き、骨格構造を露出させる。次にクレーンで骨格を少しずつ吊り上げながら、骨の破損を避けるために特殊なコーティング剤を注入……」
説明が続くたび、私の胸中に渦巻く不安がますます大きくなる。かつて深海で見たゴジラの白骨。あの荘厳さを心のどこかで“自然の聖域”のように思っていた自分にとって、それを“解体・再利用”する行為は受け入れ難いものだ。しかし、世の中の流れも、人々の恐怖と期待も、今やこの方向へと突き進んでいる。
「さあ、行きましょうか、博士」
テントを出る際、担当官が声をかけてきた。私は彼に一瞥をくれ、軽く息を呑んで甲板へ向かう。サルベージ船のヘリデッキに臨時の観測スペースが設けられており、そこから私たちはリアルタイムで海底映像を見ることができる。複数のモニターには、すでにドローンのカメラ映像が幾つも分割画面で映し出されていた。
「ゴジラの肋骨付近に到達。堆積物が確認されます」
「放射線量は通常の深海レベル。周辺にショッキラスらしき影を多数確認……排除は不要。計画に影響するほどの大型個体ではなさそうです」
オペレーターたちの声が矢継ぎ早に飛び交う。映像には、暗い水中を漂う細かな泥や生物の影が揺れ、やがて巨大な骨格がひっそりと姿を現す。何度も見てきたはずの光景――それでも、こうして改めて見ると胸が震える。
「博士……」
私は担当官に向かって無言のまま首を横に振った。彼はあえて何も言わないまま、モニターの視線を固定している。
ドローンが骨の周囲に噴射装置を取り付け、海底の泥を巻き上げていく。やがて背骨の付け根が露出すると、何本ものワイヤが慎重に下ろされ、骨格の要所要所に固定されていく様子が映し出された。周辺のゴ骨生物群集が乱されたのか、ショッキラスの群れが驚いて散るように走り回っていた。
「……やめてくれ、とは言えないんだよな」
私は思わず、声に出してしまった。担当官はそれを耳にすると、一瞬だけ静かに目を伏せ、それから視線を戻す。
「博士は、できることならゴジラの骨をそっとしておきたいとお思いかもしれません。ですが……今は人類が生き延びるための方策を整える時期なのです」
その答えには、担当官自身の葛藤が滲んでいるようにも感じられた。もしかすると、この担当官も内心では少しの後ろめたさを抱えているのかもしれない。私はわずかに唇を引き結び、モニター越しに映る光景を注視する。
「海底クレーン、第一段階の引き揚げを開始!」
「目標、バックアップよし。ワイヤにかかる荷重をモニターします……」
無数の指示が無線を通じてやり取りされる中、骨格がゆっくりと海底から浮き上がった。
泥が舞い、濁った水の中で白い骨がわずかに揺れる。そこには、かつて怪獣王と呼ばれ、世界を震撼させたゴジラの面影が確かにあった。それが今まさに、人間の手によって引きずり上げられようとしている。
「…………」
何とも言いようのない罪悪感。あるいは、どうしようもない無力感。
私にはもう、作業を止める術など残されていない。もし止めたところで、代わりに別の誰かが同じことをするだけだ。深海での穏やかな眠りを“人間の都合”で奪われるゴジラを想うとき、科学者としての好奇心すら罪に思えてくる。
ちらりと横を見ると、担当官もまた固唾を呑むように画面を見つめていた。胸中を巡る思いはわからない。だが、彼の眉間の皺がこれまで以上に深くなっていることだけははっきりと見て取れる。
――海中に光がさし、ワイヤが軋む音がヘッドセット越しに伝わってきた。モニターにはゆっくりと傾いていくゴジラの肋骨が映し出され、そこへ緊急報告のテロップが踊る。
「第一段階、予定通りに完了! 遺骸の破損は見られず、引き揚げは順調です!」
オペレーターの声に拍手が起こる。作業が無事に始動したことへの安堵の声がブリーフィングテントにも広がった。私もほっとしたような、しかし同時にやり切れない思いが胸に混在している。
「やった!」
「いや、まだまだこれからだ!」
「第一関門、突破だな……!」
そうやって作業員たちの間では、新兵器建造への期待に満ちた会話が交わされている。メディアもそうだ、また連日のように作業の進捗を報じている。
だが、私には、誰もがこの行為の持つ本質的な意味を深く考えようとはしていないように思えた。
私たち人類は、かつてゴジラを殺すことばかり考えていた。そのゴジラが死してなお、私たちはその遺骸を弄ぼうとしている。なぜ科学や倫理の立場からゴジラについて考えようとしないのだ。水爆の放射能を浴びながらも生きながらえたその生命の秘密に、惹かれるものはいないというのか。
「ゴジラよ……申し訳ない」
ゴジラへの謝罪か、それとも自分自身への言い訳なのか、もはや区別もつかない。技術顧問として立ち会いながら、この状況を止めることができない自分の無力さに、言いようのない後ろめたさを感じる。
地鳴りのように轟く、重機の駆動音。目の前では、巨大なクレーンが唸りを上げ、また新たな装置が海中へと降ろされていく。
空には報道のヘリコプターが旋回し、カメラのフラッシュが光る。まるで巨大な葬式の最中に、棺を開けて中身を取り出そうとしているかのような不敬な光景。
私にできることは、ただ杖を握る手に力を込めることだけだ。
「やれやれ、ここからが本番だな」
担当官がそう呟いた。スクリーンには、まだ骨の大部分が土砂に埋もれたままになっている光景が映っている。これをすべて引き揚げるには、長時間にわたる細心の作業が必要だということが一目でわかった。
「……ああ、ここからが地獄だ」
気づけば、そう口をついて出ていた。二人の間に、会話にならない会話が落ちて、重い沈黙が降りる。
こうして、ゴジラの骨を深海から引き揚げる大作戦は幕を開けた。
作業開始から一週間が経過した朝のことだった。
私は相変わらず観測デッキで作業の様子を見守っていた。海中から引き上げられた骨の一部は既に特殊な保存容器に収められ、輸送船の甲板に並べられている。その白い骨が朝日を受けて不気味に輝いているのが、どこか不穏な予感を掻き立てた。
「本日の作業も予定通り進めます。これで主要な骨格の約70%の回収が完了する見込みです」
担当官が私の横で作業日程表を確認している。しかし、私の耳には彼の声が遠く感じられた。というのも、ここ数日、私には何か異変を感じていたのだ。
「なにかが、おかしい……」
私は観測艦の甲板で双眼鏡を握りしめながら、雲行きの怪しさを見上げていた。潮の流れが朝から妙に荒れ気味だ。高層に広がる暗い雲の合間を縫うように、冷たい風が甲板を吹き抜けてゆく。
骨の引き揚げ作業は昨夜も遅くまで続けられたが、大掛かりなクレーンやドローンを動かすための支援艦隊がまだ海上に留まっている。一晩のうちに潮位がわずかに変化し、作業効率が落ちるとの報告が入っていた。
もっとも、すでにゴジラの背鰭や頭骨に取り付けたワイヤの調整が難航し、現場は連日徹夜の作業となっているようだが。
「……今日は潮が引くのが早いかもしれませんね。大潮との合わせ技で作業がはかどるという見方もあるようですが……」
肩越しにそう声をかけてきたのは、例のGフォース担当官だった。彼もまた疲れが溜まっているのか、視線にかすかな赤みがある。いつになく声が沈んでいた。
「そうだな。だが、思ったほど順調とも言えん。引き揚げが長引けば長引くほど、リスクも高まる」
私は双眼鏡を下ろして、海面を見やる。ゴジラの骨を眠りから引き剥がす行為は、どうあっても自然への負担が大きい。しかも、予想外の不具合や生態系の攪乱で作業が一向に進まないという報告もある。
作業はやはり難航しそうだ。
「やれやれ……」
思わず溜め息が漏れたそのとき、かすかな震動が足元から伝わってきた。私は咄嗟に担当官と顔を見合わせる。
「――今のは、なんだ? 船のエンジンの振動か?」
担当官も困惑した表情で周囲に視線を走らせる。
海上は波立っているが、船が軋むような嫌な音が耳に入ってくるわけではない。奇妙な胸騒ぎだけが私たちを襲った。
「……いちおうブリッジへ確認を取ってみましょう」
彼が通信機に手を伸ばそうとした、その直後。
ぐらっ――!
船体が大きく揺れた。私はとっさに欄干を掴んで踏みとどまる。遠くから低い雷鳴のような音が聴こえたが、空のどこにも稲光は走っていない。どうやらこの音は大気のものではない。
と同時に、観測艦のスピーカーがけたたましい警報を発し始めた。
「各員、至急注意! 繰り返す、至急注意! 観測装置が大きな地殻変動を捉えた! 海底に大規模な断層変位が発生中!」
艦内放送の内容を理解するや否や、私は凍りつくような恐怖を覚える。
地殻変動、しかも大規模……。引き揚げ作業の拠点そのものが危機にさらされるかもしれない。
「なんてことだ……!」
担当官も顔色を失ったまま通信機を握りしめる。甲板下の作業制御室へ向けて早口で状況を尋ねると、受話器から焦げたようなノイズ混じりの声が返ってきた。
「こちら制御室! 水深4,000メートル付近で急激な水温上昇と地盤沈下を観測! 作業ドローンが溶岩のような熱流を視認――ひっ、引き上げ作業は不可能です! 至急に作業を中断しないと――」
言葉が途中でノイズにかき消される。同時に、モニター室へ駆け込んできたクルーが絶叫に近い声を上げた。
「ドローン映像が……映らない! 回線が切断された!」
何ということだ。まさか大規模な熱水噴出孔、あるいは海底火山からマグマが噴出したのか。
小笠原海溝一帯には潜在的な火山活動の痕跡が残っているという話は聞いたことがある。それがここへきて一気に動きだしたというのか――
「シノムラ博士! こちらへ!」
担当官の声で我へ返り、私は操舵室へ駆け込むように移動する。そこには緊張に染まった艦長やオペレーターたちが、海底からのわずかな映像断片を解析しようと必死だった。
「ぐっ……、これは……」
かろうじて受信できているカメラ映像は、黒い泥流に埋もれ、視界がほとんど利かない。硫化物を含む海中の黒煙、ブラックスモーカーだ。
所々に巨大な骨の輪郭らしきものが映ったかと思えば、猛烈な勢いで海底が崩れ、流れ込む泥と高温の流体が骨を呑み込んでいく。無人探査機が映し出すカメラには、一瞬だけ背鰭の形が写ったが――すぐさま轟音と共に視界が真っ黒に染まり、そこで映像は完全に途絶した。
「……なんてことだ。特殊外装を施した探査機が、あっという間に……!?」
担当官の問いかけに、オペレーターが絶望的な表情でうなずく。通信回線もすべてダウンし、深海で作業を行っていたドローン隊との連絡が一切取れなくなってしまった。
「どうしますか、艦長?」
そう詰め寄るクルーに、艦長は険しい顔で答える。
「もう何もできん。地殻変動が収まる様子もない。このままでは撤退すら危うい……全艦に退避命令を出せ! いいか、一刻を争う!」
あっという間に避難勧告が下され、引き揚げ作業のために配置されていたサルベージ船団は、次々とワイヤや重機を放り出すように切り離し、全速力で安全圏へ移動を開始する。船団内部の通信は混乱を極め、どのチャンネルからも罵声と悲鳴が入り混じったような音声が絶えない。
甲板へ舞い戻った私と担当官は、慌ただしく昇降機で各艦を移動する人々をただ見送るしかなかった。陸へ戻るヘリポートも大混雑で、巡回ヘリが順番待ちしているようだ。
「くそっ……結局、ゴジラの骨は……」
担当官がうめく。私も目を伏せたまま、何も言えない。
海底のカメラが途絶する直前、あの白い骨格が炎のような泥流に呑まれていく光景が視界に残っていた。作業開始から莫大な費用と時間を投じ、あれほど綿密に進められたプロジェクトは、ほんの数分の天変地異によってすべて消し飛んでしまったのだ。
「……自然とは、こうも非情なのか」
呟く私の耳に、遠くから船のサイレンが何重にも重なって響く。朝方までどこかに見えていた晴れ間の名残も完全に消え、低く垂れ込めた雲からはついに小雨が降り始めていた。
その後、観測艦隊と支援船団は一時的に安全海域へ退避し、緊急会議が開かれた。しかし、そこでの結論は一つだった。
「引き揚げ作業の継続は不可能。ゴジラの骨の行方は、現時点でまったく不明」
海底地形そのものが大きく沈降し、従来の計測ポイントとはまるで違う地形に変貌してしまった。今から再度アプローチするとしても、崩落による泥の堆積とマグマ由来の熱流で水中機器が破壊される恐れが極めて高い。おまけに、これまで設置していた海中観測装置はほとんど故障し、回収もできない状態だ。
「メカゴジラ機龍計画は……どうなるんだ……」
担当官がうなだれたまま、自席で呟く。彼のそばには散乱した地形図やサルベージ計画書のコピーが山積みで、役に立たなくなった今はどれもただの紙切れに成り下がっていた。
「はぁ……」
私も同じように、イスに腰を下ろして天井を仰ぐ。期待と恐怖の両方を背負った壮大なプロジェクトは、結末に至る以前に自然の猛威の前で呆気なく崩れ去った。
多くの人員、莫大な予算、ありとあらゆる技術を投入しながら、最終的には誰も何ひとつ掴めなかった――結局、破損した機材の残骸を海底に散らかすだけで終わってしまったのだ。
夕方。
作戦基地となっていた母艦のデッキへ出ると、鉛色の空と荒れ果てた海が広がっていた。
熱流の噴出はようやく落ち着き、地表近くの海水温も平常に戻りつつあるというが、今のところゴジラの骨格が見つかる見込みはない。まるで海底ごと丸呑みにされたかのように、あらゆる観測データからゴジラの存在はかき消されてしまった。
外には撤収準備を進めるクルーの姿があり、甲板に積み上げられた資材はどれも泥や海水を浴びたままの惨状である。
そんな中、担当官が少し疲れた表情で私に近づいてきた。
「……シノムラ博士、結局、何一つ成果がないまま作戦終了です」
「そうだな。おまけに、引き揚げようとした骨もどこかへ消えてしまった。これだけ大規模な地殻変動で、死傷者が出なかったのは不幸中の幸いというか……」
私は杖を突いて海のほうを見やる。白波が立つばかりの海面の下には、今もゴジラの骨の断片があるのかもしれない。それとも、どこかの海底深く、あるいはマグマの熱で形も残らず焼き尽くされたか――もう、誰にもわからない。
「……こんなことなら、最初からそっとしておいたほうがよかったのかもしれませんね」
担当官の呟きに、私は何も言えなかった。
無論、当初の目的は“メカゴジラ機龍”による怪獣への対抗策を得ること。最終的にこの壮大なプロジェクトは、海と地殻変動のエネルギーによってすべて灰燼に帰した。
私は答えた。
「……これで良かったのかもしれんよ。いや、皮肉な言い方だが、ゴジラは結局、人間の手には負えない存在だったということだ」
「そう、かもしれませんね……」
私がそう口にすると、担当官は苦い表情で顔を背ける。
彼らGフォースの面々は、今回の失敗で各国から糾弾されるかもしれない。怪獣黙示録の再来を恐れる人々にとって、“抑止力”を作れなかった責任は重い。莫大な軍事費や民間出資が無に帰った事実は、今後の政治や外交にも大きな影を落とすだろう。
だけれど――
私は杖を掴む手に、わずかな安堵を感じているのも否めない。深海で眠っていたゴジラの遺骸を、兵器などという形で蘇らせなくて済んだのだから。
もちろん、海底生態系には大きな被害を与えてしまった。それこそ人間の罪だ。だが、あの荒ぶる自然の力を目の当たりにすると、“ゴジラを再利用する”などという発想自体、もしかしたら奢りだったのではないかと痛感する。
「撤収は、今夜中には完了しそうです。私は後処理の手続きや報告書をまとめなくてはならない……。博士は先に帰還されますか?」
担当官がそう問いかける。私は軽く首を振った。
「いや、私も最後まで付き合うさ。ここまで来て知らん顔で帰れるほど、図太くはない……最終ミーティングが終わったら、また声をかけておくれ」
わたしの言葉に担当官は、小さく礼をして去っていった。その後ろ姿からは、疲労だけでなく徒労感が漂っていた。
雨足がまた強まり、甲板の手すりを打ちつける。私はゆっくりと視線を落とし、広大な海の深淵を思い描いた。ゴ骨生物群集――あの豊かな生態系は、おそらく二度と戻ってこない。骨の引き揚げという行為が自然への逆鱗に触れたかのように、すべてを飲み込む激変が訪れ、今は見る影もないだろう。
「海が、ゴジラを守った……か」
独り言のように呟いてみる。
答える者はいない。荒れ狂う風と雨音が、まるで遠い昔のゴジラの咆哮の名残のように、私の耳朶を震わせた。
あれから数か月。
私はモナークを正式に辞職し、ささやかなアパートの一室で机に向かう生活を始めた。あの小笠原海溝での引き揚げ作戦が失敗に終わった直後、組織は大幅な人員整理を行い、私もそこに含まれる形となった。
モナークを去る決断は、それほど難しいものではなかった。むしろどこか安堵に近い感覚を抱いていたと思う。地殻変動によってゴジラの遺骸が失われた後、もはやここに残る理由はないと感じる。
むしろ今の私に必要なのは、さらに先を急ぐ研究費や立派な肩書きではなく、“ゴジラとその死”を静かに振り返る時間――その一点だけだ。
「……お疲れ様でした、シノムラ博士」
モナークの研究員たちから見送られて研究所を去る日、廊下に立つと、かつて賑わっていたラボの面影がやけに遠く感じられた。
若いスタッフたちがモニターを囲んで議論し、助手のシマザキが忙しそうにデータを整理していた頃の、あの熱気はもうどこにもない。大きく縮小されたラボの中には、誰かの使いかけの器材とスリープ状態のコンピュータが並ぶだけ。
その風景を最後に振り返ったとき、胸の奥にぽっかりと穴が開いたような名残惜しさを覚えた。
「……だけど、それでも先には進まなければならんよな」
そう、それでも、踏み出さなければならない。
科学者であるかぎり、私はいつか再びゴジラの話を追いかけ、今度は“誰かのため”にゴジラを利用しようとする流れに巻き込まれるかもしれない。
だが、私はもうそれを望まない。あの墓荒らしにも似た引き揚げ作戦を目の当たりにして痛感したのだ――ゴジラの死は、人類がどうにかできるものではないと。
私の住むアパートは郊外の小さな街にある。
大きな窓からはごく普通の風景、家々の屋根や遠くの山並みが見える。近くには小さな図書館があり、昔からの知人が館長を務めているおかげで、資料の取り寄せには苦労しない。昼間はのんびりと読書をしながら、夕方になると静かに執筆を続ける。そんな日々が始まって、もうすぐ一か月になる。
机の上には、分厚いノートとまだ何も書かれていない原稿用紙の束。私はペン先を静かにその表紙へと走らせた。
『ゴジラの墓守』
タイトルだけははっきり決めていた。
モナークを辞したあとの喪失、その空虚を埋めるかのように私は本を書き始めた。
中身は私の研究の総括に留まらず、ゴジラを巡る長い長い旅の振り返りになるだろうと思った。幼少期にテレビで見たゴジラの死、モナークへの所属、シノムラ細菌の発見、ゴ骨生物群集の驚き、そしてあの引き揚げ計画の顛末――それらすべてが私の人生に深く刻み込まれている。
ペンを走らせるたび、いくつもの情景がありありと甦ってくる。海底カメラが捉えた骨の様子に震えた夜。助手のシマザキが退職するときにこぼした想い。甲板に立ち尽くした日の寂寞……そしてゴジラの墓荒らしのような大事業が、結局は海の底へと呑み込まれていった瞬間……。
「はて、どこから書いたものかな……」
どこから書き始めるべきか、正直なところまだ迷いがある。
けれど本当に大切なのは、順序や体裁ではない。私の見てきた“ゴジラ”という存在――その生と死を、余すことなく記録すること。ゴジラが起こした破壊も、人類がゴジラによって学んだことも、まるごと書き留めておくこと。それがゴジラと共に歩んだ自分なりの使命なのだと感じている。
「……まずはあの日から、始めようか」
窓の外を見ると、穏やかな午後の日差しが柔らかい影を机の上に落としている。
私はその光の中でペンをとる。モノクロの記録に留めず、そこに脈打つ感情や思索も書き込んでいくつもりだ。
迷いながらも、私は少しずつ手を動かしてゆく。ペン先が原稿用紙を滑る音だけが、静かな部屋に響く。ゴジラの咆哮を思わせる重低音はここにはないけれど、私の耳の奥にはまだ遠い潮騒のようなその響きが、かすかに残っている気がする。
“あの日、私はいつものように小さなテレビの前に座っていた……”
そう、そこから始まる物語を、私はこれから紡いでいく。『怪獣黙示録』を生き抜いたゴジラと、彼を見つめ続けてきた私自身の人生。そして、ゴジラがいなくなった世界――そんな世界をどう受け止め、どう生きるか。
いつか、まだ見ぬ誰かがこの本を手に取ってくれる日が来るかもしれない。ゴジラを単なる怪物でも、利用すべき資源でもなければ、人類の傲慢さを映し出す鏡でもない。ただありのまま、ゴジラをゴジラとして捉えてくれる、そんな誰かに届くことを望む。
「『ゴジラの墓守』……ふふ、ぴったりだな」
ペンを握る手を休め、私は自嘲気味に笑みを浮かべる。
いつだったか助手のシマザキとの会話で自認した『ゴジラの墓守』の称号、けれど、これこそが私の宿命なのだと思える。
机の傍らには、ゴジラの背鰭の欠片が収まった小さな標本ケースが置いてある。それはかつて一番最初に深海から持ち帰った唯一の標本であり、今もなお独特の威圧感を放っている。
私はその標本をちらりと眺めてから、再びペンを握る。
書ける思い出はまだ山ほどある。風化させることができない記憶も、しっかり綴らねばならない。いつしか明かりが薄れ、窓の外が夕暮れ色に染まっていくのを横目でとらえながら、私は静かにペンを走らせ続けた。
これが私の最後の仕事となるだろう。しかし、同時に新たな始まりでもある。ゴジラにまつわる記憶を次の世代へと伝えていくための、最も重要な一歩として。
ゴ骨生物群集が失われた後の海底。
ゴジラの骨が消え去ったあともその循環は人知れず続いていたが、その様相は往年とは大きく様変わりしていた。
生物たちの多くは海域を立ち去り、次の餌場へと向かった。しかし、そうならなかったものもいる。ショッキラス、ムートー、そしてシノムラ細菌……ゴジラの遺骸という特殊な環境に適応した生物たちにとって、この海域を離れることは死を意味していた。
まず変わったのは、ショッキラスだ。体内の共生細菌を維持するためには、わずかなタンパク質でも取り込まねばならない。ゴジラの血肉やシノムラ細菌のバイオマットに集る生物たちという栄養価満点の餌を喪ったショッキラスは、飢えた果てに同族同士で共食いを始めた。
ムートーも同じだ。もとよりタイタヌス=ムートーには共食いの習性がある。本来であればゴジラの遺骸に残っていた放射性物質を餌にしていたムートーは、それらが失われたことで同じムートーの体内にある放射性物質を狙うようになっていった。
かくして同族同士で殺し合いを繰り広げる深海怪獣たち。そのお零れに
歯車が狂ったゴ骨生物群集。同族同士で始まった共食いは、やがて環境全体の殺し合い、ひいては熾烈な蟲毒へと発展していった。
その中で“それ”は生まれた。
異常な極限状態が生み出した新種の奇形か、古代から密かに生き残っていた未知の深海生物か……“それ”の元になった生物がなんだったのか、もはや誰も知る由は無い。
苛烈な殺し合いを生き延びた“それ”の一個体が、熱水噴出孔の近くで奇妙な変態を遂げはじめた。高温と放射能、さらにゴジラ由来の遺伝子断片に適応していた生物たちは、互いの肉を貪るうちにシノムラ細菌を介して細胞レベルで融合し、新たなる生物の胎動を促していたのだ。
暗い海底に、一瞬だけ赤い輝きが走る。
高温のマグマの中で、骨の欠片とも見紛う“それ”の体躯がうごめいた。長い尻尾と背鰭のような突起がわずかに光を反射し、海底に溜まった泥の中からゆっくりとその輪郭を起こす。
やがて“それ”は、移動を始めた。
生まれ育った故郷を離れるあたり、“それ”に躊躇いは無かった。暴走するシノムラ細菌の影響で、過剰に促進された無数の変異のパターン。たとえどのような環境であろうとも、そのいずれかが合致して適応できるだろうと“それ”は本能的に理解していた。
“それ”がひとまず進んだ先は新天地、地上世界だ。目指すは東京上陸。何かに吸い寄せられるかのように、もしくは本能に導かれるかのように、“それ”は海底を這いずりながらゆっくりと進んでいった。
まさしく、ゴジラ復活す。
のちに〈シン・ゴジラ〉と呼ばれる、新たなるゴジラの誕生であった。
おしまい。
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