南極でゴジラを見張ってたらテロリストが来た件 作:よよよーよ・だーだだ
夏の日差しがじりじりと降り注ぐ午後。
館の裏手に広がる薬草畑には、背の低い草が青々と生い茂り、その中に可憐な花が点在していた。
そしてハルは“せらふ・いむ”と並んで木陰に腰を下ろし、手拭いで汗をぬぐいながら風の通り道を探す。
「せらふ・いむ様、その傷……本当にもう痛まないんですか?」
そう訊ねるハルの視線は、はだけた“せらふ・いむ”の胸元へ。かつて黒ずむほど深かった傷は、今では星座のような模様を薄く残すばかりとなっている。
「ええ。あなたの薬草と手当のおかげで、ずいぶん良くなりました。感謝します」
“せらふ・いむ”はそう答え、翡翠色の瞳が柔和な笑みを帯びた。日に照らされた瞳は清らかな水のように透き通っていて、見つめられたハルは自身の頬が思わず熱くなるのを感じた。
「そ、そんな……わたしは何も大したことは……」
ハルは視線を落とし、指先で地面の草をはらうようにさする。
そんなハルを“せらふ・いむ”は微笑ましげに見ていたが、ふと空を仰ぎ、遠い目をした。
「私の故郷なら、こういう傷跡など、神官たちの術で一瞬で消えてしまうのですけれどね」
淡々と語りながらも、声の奥に切なさが混じっているのをハルは感じ取った。
この際だ、ハルは前々から気になっていたことを問い掛けた。
「せらふ・いむ様のお国は、どんなところなんですか?」
「…………」
ハルの問いに、“せらふ・いむ”はしばし沈黙する。風が吹き、白と紫の衣装をそっと揺らす。袖口の刺繍が陽射しにきらりと輝き、神聖な印象を際立たせる。
“せらふ・いむ”は口を開いた。
「……高い水晶の塔があり、夜になると星々がまるで手に届くほどに瞬くのです。そこでは、私たちが“神”へ魂を捧げて生きています」
そう語る口調は懐かしさに満ちていたが、その奥には寂しさが滲んでいるようにハルには思えた。“二度と戻れない”と嘆いているような。
「星々が近くで瞬く……わたしには想像もつきません。そのような壮麗な国が、この世にはあるのでしょうか」
ハルはまぶしそうに空を仰ぐが、灼けつく陽射しと青空しか見えない。
「私たちの“神”は、まばゆい黄金の御姿をもち、星を裂き、星を繋ぐほどの力をお持ちです。あらゆる智慧を私たちに授け、ある時は厳しく、ある時は限りなく慈悲深く。その御力は、銀河をも動かし、世界の形を変えることさえ……」
“せらふ・いむ”が言葉を継ぐごとに、その声は熱を帯び、まるで神官が神威を説いているかのようだった。ハルはすっかり心を奪われ、身を乗り出して話に聴き入る。
「……すごいですね!」
ハルは陽に照らされた空を見上げるが、青い空の先を思い描くことはできない。それでも、“せらふ・いむ”の言葉にこめられた敬虔さだけは、はっきりと伝わってきた。
「わたしたちの村にも神々を祀る習わしがありますが、せらふ・いむ様がそこまでおっしゃるなら、きっと本当に素晴らしい神様なんでしょうね」
「ええ、私は、その神への“献身”を果たすために……ここへ」
“せらふ・いむ”はそこまで言いかけて言葉を呑み込んだ。僅かに伏せられた瞳に暗い影が差す。ハルが不安げに見つめると、彼は小さく苦笑を浮かべる。
「……少し、言いすぎましたね。あまり理解しづらい話でしょう」
「いえ、そんなことありません!」
ハルは慌てて首を振った。未知の話に戸惑いはあるが、その神秘的な雰囲気に圧倒される思いでもある。
不意に、“せらふ・いむ”が真摯な眼差しを向ける。
「あなたは純粋な心を持っているから、きっと……」
ハルが言葉の意味を図りかねていると突如、庭の向こうから強い風が吹きつけ、桔梗の花が一気に散り始めた。花びらが舞い、“せらふ・いむ”の口元を隠す。
「……なんでもありません。忘れてください」
花びらの向こうで“せらふ・いむ”は柔和な笑みに戻っていた。問い返そうとするハルを制するように、彼は穏やかな声を出す。
「夕暮れになりましたね。そろそろ戻りましょうか」
そう言われ、ハルも深く追及はできないまま腰を上げた。“せらふ・いむ”の背が夕日に長く伸び、その輪郭は神々しくもあり、どこか孤独な影を投げかけているようにも見えた。
夕刻、タケノミナカタは館の高台から、薬草畑を出る二人の姿を遠目に捉えていた。
次なる
だが、タケノミナカタは外に気を取られてばかりいた。防備の最終確認もそこそこに黙したまま、ハルと“せらふ・いむ”のやり取りを見つめている。
「……ご心配ですか、姫様のことが」
タケノミナカタの胸中を察した側近の古老が声をかけると、タケノミナカタは変わらず憮然と答えた。
「ハルがあれほど笑うのは珍しい。よほど心を許したとみえる」
「首長さま、“せらふ・いむ”とやらの知識は本物のようですよ」
古老の言う通りだった。
怪我から寛解した“せらふ・いむ”は、恩返しのつもりなのか村のために働き始めた。ハルと共に薬草園の世話から医者の代わり、果ては下働きまで、それこそ『献身的に』働いていた。
かくいう古老自身、“せらふ・いむ”の献身で助けられた一人だ。“せらふ・いむ”が処方した痛み止めのおかげで、かねてから悩まされていた膝や腰の痛みもかなり楽になっている。
そんな感謝の想いもあって、古老は“せらふ・いむ”を擁護した。
「あの者のおかげで、村の年寄りたちも助かっています。悪い御仁とは思えませぬが……」
だから心配は要りませぬ。村一番の武人として名を馳せる英雄タケノミナカタだが、彼もまた人の親。父親として、愛娘のことは気になるらしい。
そう微笑ましく思っている古老だが、タケノミナカタは厳しい表情で渋く唸った。
「しかし、
「底知れぬ、でございますか?」
「うむ」
そう答える低い声には、父としての心配と、首長としての危惧が混じっている。
白と紫の衣を着た異邦人が薬草畑を後にする姿は、夕日のオレンジ色に包まれて、この世のものとは思えぬほど浮き立って見えた。
「まるで人の世の者ではないかもしれん、とな。娘が心を許しているのは見て取れる。あやつが本当に善意の者ならばよいが……」
「なるほど……」
古老も心なしか声を落とす。タケノミナカタは深く頷き、眉間の皺をさらに刻む。
揺れる庭の
「……まぁ、いずれはすべては明らかになるだろう」
夕闇が迫る中、タケノミナカタの心にも名状しがたい不安の影が落ちている。
初夏の空気がまだ湿り気を帯びる翌朝、村は突如、緊迫に満たされた。見張りの一人が険しい声を上げる。
「“ヤマト”より勅使がお着きになられました!」
村の大門をくぐり、館へと続く参道を行列が厳かに進む。その先頭には唐様の采配を掲げた騎馬武者、後ろに続く兵たちは朱塗りの甲冑をまとい、腰の大刀が鈍い光を放つ。
列の中央には牛車があり、金属の飾りが朝日に照らされて煌めいている。上級官人の装束に身を包んだ従者たちが、周囲に威圧感を漂わせていた。
タケノミナカタの館の広庭に彼らが整然と並ぶと、村人たちはその堂々たる姿に息を呑む。しんと張り詰めた空気のなか、取り次ぎの声が響く。
「勅使、
現れたのは、濃紫の衣に織り込まれた精緻な模様が目を惹く男。冠の緒を風になびかせ、腰には凝った飾り鞘の大刀を佩いている。その眼差しには大国ヤマトの威光を疑わぬ、冷ややかさが宿っていた。
大伴が声を張り上げる。
「我らが
「……!」
大伴の言葉に、周囲の村人たちはざわめきを隠せない。
吉備、播磨、筑紫、いずれもこの村にまで名の響く有力者ばかりだ。それらの地方豪族の名が朝廷に屈したとあっては、この小さな村がどうこうできる話ではない、と村人たちは悟った。
そんな村の反応を心良さげに横目で見たあと、大伴は続けた。
「貴殿もまた、相応の官位を授けられ、朝廷の要職に就くことが望まれよう。かの大王の思し召しに背くなど……よもやあるまいな?」
そした大伴の眼光がタケノミナカタを射抜く。
タケノミナカタは顔色ひとつ変えず、しかし苦々しい思いを飲み下しながら返答する。
「我らは先祖伝来の土地を守り抜いてまいりました。官位を戴くことは……」
「まさか、拒まれるおつもりか?」
大伴の言葉は静かだが、凍てつくような厳しさを孕んでいる。兵たちが刀の柄に手をかけ、村人からは恨めしそうな息が洩れた。
タケノミナカタは苦い沈黙の末、低く言い放つ。
「……左様にございます」
一瞬、広庭に粘つくような静寂が漂った。しばらくの沈黙ののち、大伴は皮肉な笑みを浮かべて口を開いた。
「ならば、三日後に思い知ることとなろう。大王の大軍勢が貴殿の地を訪れ、反逆の報いをくれてやる。それまでに考え直すがいい」
そう言い残して、行列は来たときと同じ厳かさで去っていった。朝日が朱塗りの甲冑を映し、その赤はまるで流れる血のようにも見える。
タケノミナカタは館の高台で肩を震わせながら、消えゆく行列を見送る。老人の側近が呟く。
「いよいよ……ヤマトの軍勢が襲来しますな」
「……全ての戦士を集めよ。命ある限り、この土地を守る」
その声は固い決意と、底に沈む絶望とを孕んでいた。周囲の村人たちも戦闘準備に入るが、いかに士気を上げようとも、千人規模のヤマト軍相手では勝ち目が薄いことは誰もが理解していた。
三日後の夜明け前、村は冷たい霧に包まれていた。松明の炎が霧の中でゆらめき、押し寄せる不安と焦燥の影を宿している。
「ヤマト軍の姿が見えました!」
見張りの声に、村人たちは剣や槍を握りしめる。タケノミナカタも甲冑を身にまとい、血のように艶めく太刀を腰に差す。
「数はおよそ千……こちらの十倍近くあります」
側近の報告に、タケノミナカタは沈んだ面持ちで頷く。しかし、先祖代々の土地を渡すわけにはいかない。村人たちもそれを察し、歯を食いしばって陣を敷いた。
高台から戦況を見守るハルの目に、朱塗りの甲冑をまとったヤマト軍が洪水のごとく押し寄せる光景が飛び込んでくる。村の戦士たちが必死に応戦するが、次々に薙ぎ倒されていく。
「父上……!」
ハルの叫びを耳に残し、タケノミナカタは館の奥に消えた。そこで村最終の秘術――“神獣アンギラ”に祈りを捧げるための古笛を手に取る。
ひゅう、と震える空気を切り裂く音が響き、地面が揺れる。霧の向こうに巨大な影が蠢き、村人の足元を凍り付かせた。
「グルルルル……」
それは、大地自体が巨大な怪物として姿を現したかのようだった。ひび割れた地面から噴き出す緑の瘴気の中、鋭い棘が幾重にも重なる背を隆起させている。鱗と鱗の隙間に走る金色の閃光が、深い霧をいっそう不気味に照らしていた。
「こ、これが……“アンギラ”……」
村人たちは怯えながらも畏敬の念を込めて後ずさる。守護獣と伝えられるその存在は、人々にとって神聖であると同時に、制御不能の恐怖でもあった。
タケノミナカタは号令した。
「ゆけ、アンギラ! 村を守るのだ!」
アンギラが大きく頭をもたげ、咆哮するたびに大気が震え、耳を裂くような金属音が鱗の擦れ合う音と重なって鳴り響く。アンギラが一直線に向かってゆくのは、村を襲うヤマトの軍勢だ。
「ぎゃああっ!」
「う、うわああ!」
「あの化け物め!」
「弓も槍も通じぬぞ!」
突如参戦してきた怪獣アンギラのために、ヤマト軍の陣形は次第に乱れ始めた。
兵たちは、この怪物に対する効果的な戦術をまったく持ち合わせていなかった。盾を構えても棘に貫かれ、槍を突き出しても分厚い鱗に弾かれる。あまりの恐ろしさに、逃げ腰になる兵も続出し始める。
……やった! ハルは思わず笑みを浮かべた。暴れ狂うアンギラの猛威の前には、ヤマトの大軍も為す術がないように見えた。
(……勝てるかもしれない……!)
だが、その瞬間、ヤマト軍の武将が高らかに叫んだ。
「“鉄の矢”を構えろ! 放てっ!」
黒い雨のような鉄の矢が放たれた。
瞬間、アンギラの巨体に何本もの矢が突き刺さる。今までの青銅や木製の矢ではびくともしなかった鱗と棘を、鉄の矢は紙を突き破るように貫いていく。
「――――――――――――っ……!!」
アンギラは嘶くような咆哮をあげ、その巨体を大きくのたうた。鱗の間から吹き出す暗い体液が地面を染め、凶暴な力を誇ったはずの棘は折れ、砕かれ、ついに動きが鈍っていく。
今まで青銅の武具さえ跳ね返してきた棘と鱗の鎧を、鉄の矢は紙を突き破るように貫いていく。堅固な防具として誇ってきた棘も鱗も、新しい武具の前ではか弱い障壁でしかなかった。
「アンギラ様!」
ハルの悲痛な叫びが響く。次々と放たれる鉄の矢が、神獣の体を蜂の巣のように貫いていく。誇り高き鎧は、もはや守りとはならない。
その瞬間、空気に巨大な衝撃波が走り、周囲にいた兵士もろとも地面へ叩き伏せられる。アンギラは残り火のように燃え尽き、青い炎の粒子が舞いながらかき消えていった。
「…………!」
ヤマトの兵たちはしばらく呆然としていた。ほんの数分間に、数十、いや数百もの戦死者が出ている。それほどまでにアンギラは凄まじい猛威を振るったのだ。
しかし、死闘の末に勝利を手にした彼らの士気は、むしろ高揚感に支配されていた。
「やった! やったぞお!」
「どうだ、化け物めぇ!」
ヤマト朝廷の兵士たちは叫びを上げ、歓声を交えた。その足元には、アンギラの血で黒く染まった大地が広がっている。
「そんな……」
高台から見下ろしていたハルは、その場に崩れ落ちた。
幼い頃から“村の守り神”として畏敬を抱いていたアンギラの最期が、あまりにも無惨に思えて、声にならない嗚咽がこみ上げる。
心の中で、何かが砕けるような音がした。
アンギラの死後、ヤマト軍は地鳴りのような歓声を上げ、村へと攻め込んできた。
燃え上がる家屋、悲鳴が響く小道、血と鉄の臭いが霧と混ざり合って漂う。戦士たちが必死で応戦するが、勢いに乗った圧倒的な兵力を前に、なす術はない。
「父上!」
ハルは血走った目で戦場を、そしてそこで戦い続ける自らの父を探した。
戦場の片隅で見つけた。タケノミナカタは甲冑を砕かれながらも剣を振るい、敵兵を何人も倒している。しかし、既に矢が幾本も刺さり、目に見えるだけで深手を負っている。包囲の輪が狭まり、タケノミナカタが地に倒れこむのも時間の問題かもしれない。
「ハル様、お下がりを!」
「…………。」
近衛の武人が叫ぶが、ハルはその声に応えない。
代わりに、視線は戦場の片隅でただ立ち尽くす“せらふ・いむ”へ釘付けになっていた。
彼は、あの不思議な力を語っていたではないか。星々を裂くほどの神を崇めているという、得体の知れない異邦人。
――もし、その神の力が本当ならば……。
(村を救うには、もう……)
ハルの胸が焦燥で焼けつきそうになる。血と炎、死の影が広がるこの場所で、一縷の望みを繋げる相手は“せらふ・いむ”しかいない。
決意したようにハルは立ち上がり、背後で爆ぜる火の粉や転がる瓦礫を踏みしめながら駆け出した。風になびく髪が、夜明け前の鈍色の空気を切り裂く。
「は、ハル様……!?」
誰かが制止する声も耳に入らない。火の粉が舞う戦場のど真ん中へ、絶望的なまでに小さな背を向けて彼女は走る。
その先に立つ“せらふ・いむ”に、ハルは必死に縋るような叫びを放つのだった。
「……せらふ・いむ様!」
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